眠れる少女

 支部長のロルフに案内されたのは特別な仕掛けのない普通の部屋だった。

 どうやらそこら中に怪しい仕掛けがあるわけでは無いらしい。


(むしろ俺への警戒を解いてくれた──と解釈するべきだろうな)


 支部長がノックをすると、ハンナと呼ばれていた女性がドアから顔を覗かせる。


「あ、支部長。どうされましたか?」

「ちょっとシアさんと面会させて欲しいのだが」

「本日は大分長くお休みされているのですが、まだお目覚めにならず……」


 面会とはどういう事だろうか。

 あと昼から休んでいるというのは……


 そこまで考えた所で一つの事実に思い当たる。


「もしかしてマナが足りないのでは無いですか?」


 俺の姿を確認したハンナも、ロルフと同じ反応だった。

 聞き取れない程の小さい声で「まぁ!」と声を上げる。


 もう毎度の事なので慣れては来たが、そんなにこの見た目が珍しいのだろうか。


「あなたは……先程は大変失礼いたしました。そうです、ここ最近ずっと雨が降らず、シアさんにかかる負担が大きくなっていまして」

「なるほど。多分なのですが……私ならマナ回復のお手伝いが出来ると思います」

「本当ですか!?でも……確かにあなたならそうかも知れませんね。まだお休み中ですので、出来るだけお静かに願います」


 彼女はマナ量を測るディテクトスピリタスの詠唱はしていない。

 そして俺のマナ量が規格外に多いという事実も、一切知らないはずだ。

 グリアン人は元々マナ量が多い民族なのかも知れない。


 部屋に入ると、部屋の奥の窓際に質素なベッドが置いてあった。

 陽光の近くに置く事で、効率的なマナ回復を促しているのだろう。





 しかし眠る少女を見た瞬間。

 ここが異世界であるという認識を失った。




 漆黒に近い黒髪。

 欧米人のそれとは違う、透き通るような白い肌。

 そして凹凸おうとつのあまり無い、すっきりとした顔の輪郭。

 その姿はまるで……




(日本人!?)




 そこに眠るのは紛れもない、一人の日本人の少女であった。






    ◆  ◇  ◇





 シアと呼ばれる少女の手を取る。


(まるで磁器のような白さだな……)


 目を奪われたのは確かだが、あまりじっと眺めていると大問題になりそうだ。

 すぐにマナを送るイメージを浮かべる。


「シアちゃんは最大マナ量が多過ぎて、これだけ減ってしまうとマナ供給出来る職員がほとんどいないのです」


 受付係のハンナが事情を説明してくれた。


 今まで見聞きした知識から考えると、保有量の多い人から少ない人へのマナ供給は必ず出来るものの、その逆は条件がある。


 個人のマナ保有量を数値化する方法は、今の所わからない。

 今はディテクトスピリタスで、マナの輝きを数えるしか方法が無い。


 ベァナのマナ量がメアラの倍程度あった事は確認済みだ。

 だがエリザの『解呪』時に、メアラは十分マナ供給を行えている。

 おそらく相手の半分程度のマナがあれば供給は可能なのだろう。



 だとすると、この少女の最大マナ量は相当なものだ。

 確かにものすごい勢いでマナが出ていく感覚がある。


 だがそんな感覚もずっと続かず、次第に収まっていった。


 流石に少しだけ疲労感を感じる。

 重めの魔法を一人で発動した時のマナ消費量程度か。



「シアちゃん!」


 ハンナが少女に呼びかける。

 窓口での対応はひどいものだったが、部屋に入る時の様子やこの少女への心配具合から見ると、決して悪い人物ではなさそうだ。


 その心配の矛先である少女を再び見てみると……



 既に目覚めていた。

 目と目が合う。



 黒目がちな大きな瞳と、色白で整った顔立ち。

 吸い込まれそうな美しさに、思わず呼吸が止まる。



(なぜこの世界は、こんなにも美男美女揃いなのだ!?)



 俺は慌てて触れていた手を引っ込めようとした。


 が──




「やっと見つけた──わたしの旦那様」

「ええぇっ!?」




 彼女は俺の手を両手で素早くホールドする。


 しかもちょっと手を引いたくらいでは外れないくらい。

 しっかりと。




「旦那様のお名前を──お聞きしても?」




 俺の頭の中に『メイド喫茶』という言葉が浮かんだ。


 いやいやいや。

 プロだったらこんな積極的にはスキンシップを取らないだろう?


(行った事無いので知らんけど)



「ヒースと言います」

「ヒース様……初めまして。わたくしはシアラ・ウェーバー」



 なぜか一呼吸置く少女。



「シアとお呼びください、旦那様」

「ウェーバーって……」



 その疑問には、後ろに控えていたロルフが答えてくれた。





「はい。元領主マティウスの娘、シアさんです」





    ◇  ◆  ◇





 シアはその後も俺の手を放さずにいたのだが……


 いくらマナが回復したとは言え、まだまだ休憩が必要とハンナが説得。

 シアを休ませた後、他の全員で別室に移動した。


「同郷出身の男性と結婚したいとは聞いてたけど、まさか本気だったとはねぇ」

「同郷?」

「正確にはシアちゃんのおばあさまがグリアン人だったそうなんだけど、先祖返りって奴かねぇ。そのおばあさまにそっくりらしいのよ、シアちゃんは」


 ハンナはシアとは仲が良く、気の合う話友達らしい。

 年齢差を考えると、友達と言うよりお姉さんという所か。


「それでグリアン人っぽい私にあんな事を」

「シアちゃんは見た目通りの、お姫様のような夢見がちな性格でねぇ。『眠る私を王子様がきっと起こしに来てくれるの』なんて話をずっとしていたのよ」

「いえ……不足したマナをおすそ分けしていただけで……」

「でもびっくりよね! 現実になっちゃうんだもの」


 まだ20代に見えるハンナだが、話し方だけならばまるで主婦のようだ。

 そして、人の話をほとんど聞いていない。


「ははは、ヒースさん。びっくりさせて申し訳ない。でもシアさんにも色々と事情がありまして……責めないでやってくれませんか」

「事情ですか」

「はい。ハンナさんも言っていた通りシアさんの祖父母、つまりマティウスの母君がグリアン出身の方でしてね。私も母君の事は良く存じておりましたが、とても優しくて、お綺麗な方でした」


 俺のルーツかも知れないグリアンの話を、まさかここで聞けるとは思わなかった。


「シアさんはね、おばあちゃん子だったのですよ。祖父母の話を聞くうちにグリアンへの憧憬しょうけいが強くなっていったのだと思います」

「そうでしたか。それにしても『旦那様』と言うのはいささか行き過ぎな気も……」

「きっとヘイデンの息子のケビンが、彼女にしつこく付きまとっていた反動ではないかと」


 その名を聞いてピンと来た。

 以前セレナが『最悪』とこき下ろした現領主の息子。

 その名がケビンだった。


「そのケビンが『トレバーの渇水はグリアンの呪いだ』なんて言い出しましてね。雇ったごろつきなんかにもシアさんを町から追い出すべきだ、と吹聴させて」


 前に行商人のベンに聞いたことがある。

 それによると、確かにグリアン人には『呪い』にまつわる話があるらしい。


「町から追い出す──というのは建前で、自分の手元に置くと」

「多分そうでしょうね。でもシアさんはケビンを心底嫌っていて、ケビンに捕まる前に誰でもいいから結婚してしまいたいって言ってました。でもまだ若いですし、出来る事なら理想の相手と結婚したかったのでしょうね」


(理想の相手って──俺の場合、単に見た目が日本人っぽいだけだと思うが)


「な、なるほど。でもこの辺の地域では政略結婚が当たり前のように行われていると聞きますが、父上にそういう考えは無かったのでしょうか」


 正確には『地域』ではなくこの『世界』だが。


「マティウスもシアさんも、『評判の悪い領主』くらいであれば、町の為に自らが犠牲になるのをいとわなかったと思います。でもケビンはシアさんを妻にするつもりなど毛頭無いのです」

めかけとかですか」

「彼らはその条件ですら反故ほごにするでしょうね。ケビンは無類の女好きで、既に何人もの女性をかどわかしては、飽きた途端に捨てるという事を繰り返しているのです」

「……どうしようも無いゴミ屑ですね」


 この世界ではよくある事かも知れないが、現実だと思うと怒りが込み上げる。


「ヒースさん。嘘でもそんな事を街中で言わないようにしてくださいね。町のあちこちにいる不審者は、全てケビンの手の者です」

「大丈夫ですよ。本心ですから」


 ロルフは一瞬驚いた顔を見せるが、軽いジョークと受け取ったのだろう。

 苦笑いをしながらも話を続ける。


(いや──本当に本気なんですけどね)


「ケビンはずっと前からシアさんを狙っていました。だからマティウスは危険を感じたのでしょう。領主を辞した時に娘の安全と水不足への対策を考え、シアさんを私に託したのです。娘を宜しく頼む、と」

「なるほど。魔法協会であれば、領主も簡単に手は出せない、と」

「そういう事です」


 魔法協会のような組織であれば、大きな抑止力になるだろう。


 協会に実際どのような力があるのかはわからない。

 しかし冒険者カードの使用を止めらたりでもすれば、町は大打撃だ。

 冒険者は寄り付かなくなるし、証明書が発行出来ないので商人も来ない。


 いくら管轄権を持っているとは言っても、仮領主という立場では現状ではせいぜい『監視』する事くらいしか出来ないという事だろう。


「それでもあいつら、ほんっと迷惑なくらい何度も協会に来るんですよ」

「ああ。だから先程はああいった発言を──」


 窓口で取ったハンナの行動は、確かに「またか」というものだった。


「ヒースさん、さっきは本当にごめんなさい! ケビンはシアちゃんの所在を確認するためにごろつき連中使って見張らせたり、脅したりしてくるの。何度も来るので、ついいつもの事かと思ってしまって……」


 俺の言葉に対し、彼女が深々と頭を下げるハンナ。

 ロルフしかり、魔法協会の職員は基本的に好人物が多いようだ。


「いえ、それは全然気にしていませんので謝らないでください。それよりも気になるのが住人への水の配給です。あれだけ監視されていたら大変でしょう?」

「そうなんですよ! 今はマナ補給も兼ねて数人の職員が一緒に巡回するようにしているのですが──危険なのであまり頻繁には巡回出来ずにいます」

「そうですか。やはり我々もお手伝いしたほうが良さそうですね」


 ロルフがハンナに状況を説明する。


「ヒースさんのお仲間に水魔法を使える方がいらっしゃるそうでね、水の配給をお手伝いしてくれるそうなのですよ」

「まぁ! それは本当に有難いです。是非お願いしたいわ!」

「もちろんです。ただ我々も少し困った事がありまして……」

「お困りごとですか? 何かお役に立てれば良いのですが」


 ロルフが心配そうにこちらをうかがう。


「仲間五人で馬車で来たのですが……厩舎付きの安全な宿を探しています」

「なるほど……そういう事でしたら協会の厩舎をお使いください。人員輸送を行うためにどこの支部にも設置されていますが、うちではもう長い間使っていません」

「それは大変助かります」

「あと宿ですが、残念ながら現在営業している宿屋は一軒もありません。でも協会の宿舎に空きがあるのです。少々狭いかも知れませんが、宜しければそちらもお使い頂いて構いませんよ」

「本当ですか!? それはとても有難い」


 厩舎だけでなく、宿の心配も一気に解消された。


 町の様子を考えると正直不安だったのだ。

 何しろうちには幼い娘と年頃の娘が、合計で四人もいる。


「あと念の為ですが、敷地内では攻撃性の強い魔法は使わないようにしてくださいね。これは魔法協会の規定になりまして、破られると大変な事になりますので」

「水を得るためにアクアを使うのもダメでしょうか?」

「いえ。精霊魔法の初歩のものでしたらどれも問題ありません」

「それは良かったです」


 まだ井戸が無いのでアクアが使えないとかなり困るのだが、それさえ使えれば生活に支障は出ないだろう。

 協会内で戦いをするつもりも無いので、特に問題は無さそうだ。


「それでは早速、仲間に伝えて来ます!」






    ◇  ◇  ◆






「結構時間がかかっていたようだが、そういう事だったか」

「でも宿代が浮くのは助かりますね!」


 年長組二人は喜んでいたのだが、二人の娘達はあまり気が進まないらしい。

 特にニーヴのおびえが深刻だった。


「ヒース様、わっ、わたし怖いです」


 うっかりしていた。

 彼女達にとっては奴隷に落とされた直接の施設である。


 魔法協会に何らかの秘密があるのは間違いない。

 カード発行時の超近代的設備や生体認証が必要な部屋など、異質な設備が多い。

 そもそも支部長本人が、正直にも『詳しい事はお話出来ない』と言っていた。


 そう。

 その点も不思議に感じていた。


 こんなに異質な場所なのに、そこで働く人々は皆、親切だ。

 むやみやたらと人を隷属させるような人物には思えない。

 どちらかと言うと、世話焼きな人々の集まりにしか見えなかった。


「職員と直接話してみたけど、みんなとてもやさしい人達だったよ。心配なら協会内ではいつも一緒にいてあげるから。それでもダメかな?」

「ヒース様がいつも一緒にいてくれるんですか!? そ、それなら──」


 一人で居られないほど、不安に思っていたのか。

 それならば仕方が無い。


「ああ。約束しよう」

「わかりました! プリムちゃんもそれでいいよね?」

「うんー! ヒースさまといっしょです!」





 そしてこの会話が根拠となり、宿舎の部屋割りが決まる。





 案内された部屋は小綺麗ながらも、とても五人で使える広さではなかった。

 隣合わせの二部屋を借りる事が出来たのだが……


「まぁそうなるよなぁ」


 この人数だと、二対三で部屋を分ける必要がある。

 どう考えても俺とニーヴ、プリムが同室という結論に到達する。


 それ以外の組み合わせとなると……

 ニーヴとプリムは離せないし、二人だけというのは不安だ。

 ベァナかセレナに同室になってもらう必要がある。


 しかしそうなると、どちらか片方と俺とで二人一部屋──



 それは絶対にまずい。

 却下だ。



(でもよく考えてみれば、全員で宿舎を使わなくても良いのでは)


「俺だけ馬車で寝てもいいしな」

「それはダメです! 一緒に居てくれるって言ったじゃないですか!」


 確かに言った……


「まぁみんなで馬車の中で寝ていた事を考えれば、どうと言う事もないだろう」


 確かにセレナの言う通りではある。

 とにかく娘二人の不安を取り除く為にも、暫くの間はこれで納得しよう。




 部屋割りも決まり、馬の世話や荷物整理をするうちに夜を迎えた。




 備え付けのベッドは一台だけ。

 だから俺はベッドを二人に譲り、自分は床に敷いた布団で寝る事にした。




 はずだったのだが──




「ええと、ニーヴ。そちらにベッドがあったと思うのだが」

「ひ、一人だと怖いのです」

「プリム。どう考えても狭いと思わないか?」

「あったかですー」




 なぜ君たちは俺の横にいる!?




 うーむ。

 なにかいいように誤魔化されているような気もするが──



 今日は初日だし、多めに見るか。









── 結局数日経った後もずっと、このスタイルは変わらなかった ──








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