ナツが来て
病室にナツが入ってきた瞬間にその場の空気が変わった。何かが見えたわけではないけれど、ナツが来てくれたって事はすぐに分かった。
そしてここの所ずっと支配されていた後ろ向きな考えがどこかにすっ飛んでいき、じいちゃんが夢の中に出てきてから考えていた事が上手く結び付いた気がした。
自分でもびっくりした。
オレが悪かったんだ。
ロンがとった行動の意味。
神様がくれたプレゼント。
盲学校。
オレは大丈夫。
ナツを守ってあげられるように頑張る。
地上は楽しんだもの勝ち。
さっきまで思い浮かばなかった事が次々と浮かんできて、言葉となって出ていった。話しながら、これが自分の本当の素直な気持ちなんだと思った。
そして、絶対に頑張って、三年後に疾風学園でナツと再会してやると心に誓った。
ナツが病室を出ていった後、いつまでも頬に温もりを感じていた。
「ケンタを信じているから」
そう言ってくれたナツの言葉をしっかりとかみしめていた。
☆
あの時もそうだった。
ナツとグラウンドで並走しながら話を聞いてもらった時‥‥‥
今日と同じような感覚だった。
じいちゃんが死んで、こっちに来て、こっちの学校に通うようになったけれど、毎日がつまらなくて苦しかった。
勉強には全然ついていけないし、ドジな事ばかりやってからかわれる事が多かった。ただ、体育が得意で走る事は誰にも負けなかったから、「すごい」って認められて、いじめられる事はなかったのが救いだった。
家にいても、何か後ろめたさがあって、両親と話す事もほとんどなかった。特に父ちゃんとは一言だって口をきかなかった。
すぐに家の近くに小さな山を見つけて、そこに行く事だけが毎日のただ一つの楽しみだった。
だけど、どうしてもじいちゃんと一緒に山を中心に暮らしていた生活と比べてしまっていた。
じいちゃんが言っていた「楽しむ」って事、どうやったらいいのか全然分からなかった。
ずっとそんな感じで我慢して日々を送っていた時に、秋の運動会があった。
小さい頃から走る事には自信を持っていたから、同学年であんなにオレを本気にさせた子は初めてだった。しかも相手は女子だった。
男のオレに抜かれて悔しがるなんてどうかしてると思った。
髪も短くて、走ってる姿は少年みたいだったけど、うなだれている顔を覗き込んだ時、オレはハッとした。くりっとした大きな目から綺麗な涙が溢れ出ていた。
彼女はそれを隠そうとし、その走りや言葉の強さよりも、意地を張ってる痛々しさのような物を強く感じた。
それから彼女の事がすごく気になって、クラスの男子に尋ねてみた。
「運動会のリレーでさ、最後ギリギリだったんだぜ。あんなに速い女子がいるなんてびっくりしたよ。彼女の名前知ってるか?」
「
「そんな風に言うなよ。失礼だろ」
思わずそう言ったオレに、そいつは冷やかすように言ってきた。
「なんだよ、ケンタ。ナツの事が好きなのか? 彼氏なんかいないはずだからアタックしてみろよ。ナツなら毎日、昼休みに一人でグラウンド走ってるぜ〜」
オレはいい気がしなかったけれど、いい情報を貰ったからヨシとした。
その日の昼休み、早速走っているナツの隣にいって並走してみた。ナツは何だか迷惑そうで、相手にしてくれなかったけど、オレは一緒に走っていて楽しいと思った。
走る事は好きだけど、地上では山と違ってこの日まではあまり楽しいとは思えていなかった。地上で走っていてこんなに楽しいと思えたのは初めてだ。ナツが「やめて」って、はっきり言ってこない限り、毎日並走してやろうと思った。
何も話さなかったけれど、次第に少しずつナツが心を開いてくれているって感じがしてきた。そしてナツが喋ってくれたのをきっかけに、オレは自分の話を聞いてほしくなった。
一日かけて何を話そうかな? って色々考えたけれど、いいアイデアが浮かばず、まあ「友達になってほしい」って言えばいいやと思っていた。
ところが‥‥‥
あの日、ナツの隣で走りながら、それまで思った事のないような事が言葉となってボンボンと出ていった。
思った事のない事っていうのは、「嘘」という物じゃなくて、自分の素直な心だった。
オレはどちらかというと無口な方だし、自分からこんな風に話かける事はこれまでなかったから、こんなに話せる自分自身に驚いていた。
そしてナツに話す事で、じいちゃんが言った言葉の意味や「楽しむ」って事がどういう事なのかが、初めて少し分かったような気がした。
「オリンピック」なんて考えた事もなかったくせに、言葉が出た瞬間にはっきりとした目標が出来た。ナツに話しながらすごく前向きになれて、オレはこれから地上でうんと楽しめるって思えた。
☆
ナツには不思議な力があるのかな? ナツに話す事で、オレはいつも沢山の気づきを貰う。地上で生きる事が苦手なオレを、出逢った時からいつも明るい所に導いてくれている気がする。
だから、絶対にナツとの約束、守るよ。
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