山で 〜目に見えない物〜

 山だけで過ごす事が出来る最終日、もう一度ハルトさんが言ってた事を思い出し、しっかりと考えて整理してみた。



 目を失った後に初めてナツに会った時、負け惜しみじゃなくて、これは神様のプレゼントなのかもって思った。


 地上という所は山と違って、常に敏感になっていなくても安全だし、感覚の殆どを目に頼って生きる場所なんだと思う。それで事が足りてしまう。時間という物でさえ、時計という形を通して見える物にしている。

 人々は目で見える物は信じ、見えない物は信じない。見えなくても科学で証明されている物は信じられ、証明されていない物は信じてもらえない事が多い。

 目で見える物や科学で証明されている物なんて、実際にある物の中のごくごく僅かでしかなくて、目に映らない物の方が圧倒的に多いのに。

 そして本当に大切な物は目に見えない物である事が多いのに。

 地上に住む人々の多くはそんな物に気づかずに過ごしている。


 オレも地上で過ごす時間が長くなって、知らず知らずのうちに目に頼るようになっていた。

 目が見えなくなった事で失った物は確かに大きいけれど、それ以上に得た物は大きいと思っている。

 目に頼らずに他の感覚を磨いていく事が出来るから。それにオレにとって本当に大切な物が見えるようになったと思えたから。



「ナツの心が見える」って言った時にハルトさんは「自惚れるな」と言った。


 自分では真実だと思う物も、全て自分というフィルターを通して見えている物だって言ってた。

 物の見え方は生き物によって異なるし、人によっても違う。

 自分が見ている物が真実だというならば、十人いれば十個の異なった真実がある事になってしまう。

 自分というフィルターを通すと、自分にとって必要ない物は見えなくなり、自分の都合の良いように見えてしまうんだと思う。

 あるいは、ひねくれた心が真実を捻じ曲げて見てしまうんだと思う。


 見えるという事。普通の人には見えない物が見えてしまう事は、苦しい事でもある。

 オレは失明しているから、心で見ている物を目で見ているように感じてしまうのだと思っていた。

 だけどハルトさんは、ナツとオレからは他の人には見えない色みたいな物を感じるって言ってた。目が見えている人でもオレと同じように、見えない物が見えるのか?

 目の見えるハルトさんが、幼い頃から今のオレと似たような感覚を持っていたというのは驚きだった。そして、そんな物が見えてしまうのはオレだけじゃないんだと思うと、何か安心できた。



 ハルトさんに言われて、見えるようになったと思っていた物が真実とは限らず、過信であり慢心であるのかもしれないと気づかされた。

 一方で、昨日の夢の中でじいちゃんは言ってた。今見えている物は神様が与えてくれた物だから大切にしろと。


 今見える物を大切にしたい。でも、ハルトさんが言ってたように、それはオレというフィルターを通して見えている物で、真実とは限らないって事を肝に銘じておかなくちゃ。


 きざしとか、気配とか、そういう物には敏感でありたい。

 それから、自分というフィルターが真実を歪めてしまわないように、オレ自身は透明な存在になりたい。だけど、自分を無くすんじゃなくて自分らしくありたい。

 オレは欲張りなのかな? これは矛盾している事なのかな? 


 どうやって生きていけばいいのか、正しい答えは出ないような気がするけれど、何となく少し見えてきたような気がした。

 ハルトさんが言ってくれた事と、夢の中でじいちゃんが言ってくれた事が上手く重なった気がする。


 何だかごちゃごちゃになってきてしまったけど、頭の中で簡単にまとめてみた。

「自分が見ている物が真実だ、と決めつけずに、謙虚に、つ自分に自信を持ってやっていこう」


 そんな決意を胸にオレは山を下り、母ちゃんとの約束通り夕方になって地上の家に戻った。

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