新たな挑戦
挨拶を済ませて、競技場のすぐ隣にあるサブグラウンドまで二人で並んでゆっくり歩いていった。
オレは白い杖を突いていて何だか変な感じだ。やっぱりナツが隣にいれば、この杖が無くても大丈夫な気がする。
グラウンドに入った所でオレは白い杖を置いた。
ナツはちょっと戸惑っているようだ。
「じゃ、ここでちょっと待ってて。軽く十分位流して戻ってくるから」
「オレも一緒じゃダメかな?」
「え? 一緒って。私がケンタの伴走をするの? 絆も持ってないし」
「別に伴走しなくていいんだ。絆も要らない。ただオレの隣を、普通に走ってくれればいいんだ」
「大丈夫なの? やってもいいけど。じゃ、ゆっくり歩いてみて、大丈夫そうなら少し走ってみるね。ちゃんと指示出してね。危なそうだったらすぐ止まってね。それから‥‥‥」
オレは笑ってしまった。
「オレ、子供かよ。大丈夫。ほら、さっさと歩け」
思った通りだ。
いや、思った以上だ。地上で感じる混乱がなく、ナツが見えているから安心して歩ける。
「走って!」
失明してからこれまで地上で走ってきた中で、この感覚は初めてだった。まるで山の中をロンと一緒に走っているみたいだ。恐怖感が無く、安心して走れる。絆が必要だなんてまるで感じない。
「ケンタ、凄い!」
「見えてるんだ。さっきからずっとナツの事が」
「え? 見えてるって? 目、見えるの? どんな風に見えるの?」
「ナツ以外の物は見えないんだけど。ナツの中からほんわりとした光のような物がぼんやりと、でも確かに見えるんだ。これまでもナツの事を感じ取る事は出来てたんだけど、それとは違って見えるんだ。実際の見えるとは違うから、死角に入っても見えるよ。オレの真後ろを走っていても見える」
「顔とかは見えないの?」
「見えないけど、感じられる。それは失明してからも、最初からずっとだよ。さっきまで泣きべそかいてた顔が、今は好奇心に溢れた顔になってるよ。ナツの顔はとっても可愛い顔だ」
「ケンタ‥‥‥。戻ってこれたんだね。あの頃と同じように本当に楽しそうに走るケンタが戻ってきた‥‥‥。お帰り」
ずっと流していたナツの涙の色が変わった。
今、ナツはオレと同じ風景の中を、同じ思いを持って走っているんだと思う。
「ねえ、ケンタはやっぱり楽しそうに走るんだね。一緒に走ってると、こっちまで楽しくなってくる。小学校の時もそうだった。走るのが楽しいって思うようになったのは、ケンタがいてくれたからだよ。あの頃とおんなじだね。あの頃はケンタの方が背が低かったけどさ」
「オレも凄く楽しい。失明してから地上でこんなに楽しく走れたのは初めてだよ。怖くないんだ。山で走ってるみたいに自由を感じる。
小六の時に初めてナツと一緒に走った時と同じように純粋に楽しい。混乱とか束縛とか、地上のそんな物から解放されて、一番オレらしいオレを地上でも出せている気がする」
オレ達はそんな会話をしながら暫く一緒に走った。
そうだな、小学生の時はナツより背が低かった。それでも一丁前に、ナツを守ってやりたいって気持ちを持ってたんだぜ。
身体もたくましくなった今は、自分より小さいナツの事を守ってあげたいって気持ちはあの頃よりも強い物となっている。たとえ目が見えなくても。
オレは確信した。ナツとなら思いっきり走れると。
大会二日目が終わり、宿で夕飯を食べ終えた後、オレはナツを呼んだ。
「ちょっと話したい事があるんだけど」
「何?」
「あのさ、パラリンピックでオレの伴走者やってほしいんだ」
「え? 何言ってるの。私に出来るわけないじゃん」
ま、そう言うのは当然だと思ったが、オレは言った。
「何で出来ないって決めてるんだよ。やってみもせずに」
「だってさ。私、女子だよ。女子が男子の伴走なんて聞いた事ないよ。私なんかケンタの足手まといになるだけだよ。今の伴走者の聡さんの方が、よっぽど私より速いし上手だし」
「初めて会った時、ナツは男のオレに負けて悔しがっていたじゃないか。あの時の気持ちは忘れちまったのか?
ナツは女の子だから、オレの大好きな女の子だから‥‥‥
男には出来ない事なんだ。ナツ以外には出来ない事なんだ。
女子選手の伴走は男子が沢山やってるだろ? 男子の伴走を女子がやったっていいんじゃね?
聡さんはオレに合わせて、凄く良くやってくれてる。でも見えないんだ。オレは感覚が混乱して思い切り走れない。まあ、それでも出場権は取れたし、これから練習を積んでいけばメダルを目指せる可能性もないとは言えない。でも、オレが目指したいのは金メダルと世界新記録。そのためにはナツの力が必要なんだ。
見えるから、ナツだけは見えるから安心して思いっきり走れる。オレが全部ナツに合わせるから。ナツはオレの事を考えないで思い切り走ればいいんだ。あ、オレ見えないから他の選手にぶつからないような位置どりだけはナツに任せなきゃならないな。
ナツが1500m の女子の日本記録で走れれば、それがオレ達の世界新記録になるんだ。一緒に挑戦してみないか?
とりあえずやってみてさ、全然ダメそうだったらやめればいいよ。
もしもナツと組んだ方が聡さんと組むより速く走れたら、聡さんには申し訳ないけど、伴走者交代は仕方ないだろ。それが勝負の世界ってもんだろうし、きっと分かってくれると思う。
やってみる価値は充分過ぎる程あるぜ」
ナツはオレに抜かれたあの時の事を思い出したのだろうか?
あの時ナツから感じた匂いと同じようなものを感じた。
初めてナツに出会った時からずっとやりたかった事があった。ナツを守り、力になる。そしてナツを思いっきり楽しませてあげたいという事。
だから目を失った時、疾風学園で再会する約束をしたんだ。だからオレは頑張れた。
そしてやっとの思いで疾風学園に入ったのに、ずっと出来ていなかったやりたかった事が、ようやく出来るのかもしれない。
これまではナツに守られてばかりだったけれど、やっと守ってやれるのかもしれない。そしてオレ達は思いっきり楽しむ事が出来るかもしれない。
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