山で
その日の午後、「三日の夕方には戻るから心配しないで」と言ってオレは家を出た。
小さい頃からじいちゃんに連れられて家に帰らず山で過ごすオレを見ていたから、母ちゃんはもう諦めている。失明してからも、オレに常識は通用しない事が分かってるから、今更口出しはしない。
ハルトさんに言われた事を冷静に、地上だけじゃなくて山でも考えたかった。そして考えるだけじゃなく、逆に何も考えずに山で自分を透明にしたかった。
失明してから、山で夜を過ごすのは初めてだ。誰にも邪魔されず、二回も夜を過ごし朝を迎える事が出来るんだと思うとワクワクする。
山に入り、日が暮れるまでに、まず風が遮られていて平で安全な所に寝床の確保だ。失明しているのだから、昼も夜も見え方は同じっていえば同じだけど、やっぱりその雰囲気は全然違う。日があるうちにやらなきゃって感じだ。
大きな木の枝を軸に、小さな枝を組み合わせ、ぎりぎり自分が寝転んで入れる骨組みを作り、乾いた落ち葉をかき集めて盛っていく。
昔、じいちゃんと何度も作ったやり方は身体に染み付いているし、木や葉っぱは見えなくても見えるから楽勝だ。
このシェルターはちゃんと作れば本当に暖かく、真冬の山でも快適に眠る事が出来る。日中に陽を浴びている乾いた落ち葉と空気の成す層の暖か味は格別に気持ちいい。
夜の深まりを感じた頃、シェルターの中に潜り込み、空を見上げた。オレは思わず息を飲み込む。
満天の星がオレを見下ろしている。見えるはずはないのに、見えるとしか言いようがない。もしかしたらオレの想像が見えているのかもしれないけれど、はっきりと分かるんだ。目が見えていた頃よりも何倍も美しく感じる。
しばらく見ていると、こんな風に感じたのは初めてではなかったような気がしてきた。
小さい頃、じいちゃんに連れられて、初めて山で夜を過ごした時の事を思い出していた。
初めて山の中で見た満天の星空。あの時も今と同じような気持ちで空を見上げていたような気がする。この無数に輝く星たちは本当に見えているのか、夢なのか、分からなかった。
ガサッガサッ。
時折、獣の動く音がする。
ホッホ〜、ホーッホホッホ〜。
物悲しげなフクロウの声。
一見、シーンと静まり返っているように思える真っ暗闇の山の中は色んな音で溢れている。
夜に活動する物、眠っている物。動物だけではなくて、植物からも、大地からも、淡々と今を生きている息吹の音が聞こえてくる。
怖くはない。オレは誰一人傷つけるつもりはないし、誰もオレを傷つけようと思っていない。
昼と夜で活動の主役は変わる。
昼間はひっそりと姿を隠していた星たちこそが夜の主役だと感じる。
それに合わせるように夜を生きる物たちに、今は凄く親しみを感じる。真っ暗闇の中での活動は、条件がオレと同じって気がするんだ。
そんな事を考えながら、いつの間にか眠りに落ちたオレは夢の中の世界へと導かれていった。
満天の星を見ながら、じいちゃんと、まだ幼いオレが切り株の上に座って話している。
「あっ! 流れ星!」
「ケンタ、願い事をしてごらん。星が落ちてしまう前に、三回願い事を繰り返すんじゃ」
流れ星は何回も流れた。オレは願い事を言おうと頑張ったが、いつも「あっ!」としか言う事が出来ない。泣きべそをかいているオレにじいちゃんは言った。
「出来なくてもいいんじゃ。本当に強い思いはお星様には届くんじゃ」と。
「こんなに沢山の星が毎日落ちてたら星が無くなっちゃうよ」と言うオレに、じいちゃんは「大丈夫じゃ。落ちた分だけ毎日沢山の星が生まれているから」と言った。
場面は急に変わり、オレは今の自分になっていた。じいちゃんの姿は前のままだ。
「ケンタ、いい出逢いをもらっているのぅ。見えなくなった今は、見える物を大切にしろ。それは神様がケンタに与えてくれている物じゃ。ケンタが一生懸命頑張っているから、神様が与えてくれたんじゃ。自分に自信を持ってやるんじゃ」
目が覚めた時、さっきじいちゃんは本当に現れてくれたんじゃないかって気がした。
山で迎える朝は最高だ。
この喜びは、外の世界と遮断された家の中にいては絶対に感じられない。
「今日も生かせてもらっている。新しい朝をありがとう!」
そう思う生き物たちの連帯感のような物は半端ない。オレもその中の一部って感じが堪らない。
二日目はロンが現れてくれて、長い時間を一緒に過ごした。
目を失ってから出した事のないスピードで時々走り、調子に乗って何度かすっ転んだ。その痛みでさえ心地いい物に感じた。
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