悩ましい日々

 次の日も、その次の日も、オレは一日中、山の中で過ごした。山は最高だ。ここに来れば、わずらわしい事は何もかも忘れてまっさらになれる気がする。

 ロンと一緒に長い時間を過ごした。ロンに先導されて少しいいスピードで走れるようにもなってきた。ゆっくり歩いている時も、座って休んでいる時も、近くにロンの気配があると安心出来る。


 学校に行くのが何だか億劫になっていた。新年になってオレは遅刻をする事が多くなった。

「どうしたの? 最近傷も多いね」

 ナツが心配して聞いてくる。

「転び方の練習ってとこかな? 山ではだいぶ走れるようになってきた」

 そんなナツとの会話も少しずつ少なくなっていった。


 部活は毎日ちゃんと出て、練習も頑張っている。オレの為に協力してくれた人達や伴走者になってくれた聡さんを裏切る事は出来ない。上手くいかなくても楽しまなきゃ。

 

 この頃は地上での生活を義務的にやっている所が大きい事に気づく。「楽しむ」事さえ、「楽しまなきゃ」という義務感に囚われているみたいだ。

 そんな気持ちが自然に聡さんにも伝わっているのだろう。何となく聡さんも、ただオレに付き合って練習しているように感じる。気のせいかもしれないけれど、二人が握っている絆が以前のように熱を帯びた物ではなくなってきている気がしていた。


 このままじゃダメだと思う。フォッリアでハルトくんという人に出会ってから、オレは何だか変だ。自然とナツから少し距離を置くようになってしまっている。

 あの人は一体何者なんだろう。どうして見えるんだろう。そしてナツと結び付いているようにみえるあの糸みたいな物は何なんだろう。

 

 あの人からは優しくて、とても温かい物を感じる。ナツを温かい目で見ている事も確かだと思う。

 ナツからも、あの人に向けている眼差しを感じる。二人はたぶん好き合っているんだろう。オレはおそらくその事に嫉妬しているんだと思う。

 ナツがオレをずっと待っていてくれて、学園で再会出来た喜びに嘘はないだろう。ナツがオレの事を思ってくれている気持ちにも嘘はないと思う。


 オレの気持ちはどうなんだ? 

 初めて会った時、小学校の校庭で並んで走っていた時、山でイノシシに襲われた時、失明した時、盲学校にいた時。

 ナツの事を守ってあげたいと思う気持ちはずっと変わらない。その強い気持ちがずっとあったから、オレはここまで来る事が出来た。

 ナツはオリンピックを目指し、オレはパラリンピックを目指して、地上を楽しみ、最高の高校生活を送るんだ。

 その気持ちは今も全然変わらない。


 だけど。その先はどうよ?

 オレは、オレの居場所はやっぱり山しか無いと思っている。高校生活を満喫したら、やっぱり山に帰りたい。これはもうどうしようもない事なんだ。

 オレにはナツを一生幸せにしてあげる事は出来ない。オレが地上で出来る事なんてしれている。あと二年半だけ楽しんで、さようならなんて、あまりにも身勝手過ぎると思う。


 あの人なら。あの人なら、ナツを一生幸せにしてくれるに違いない。だからきっとあんな風に見えるんだ。

 本当はナツはあの人の事が好きで、だけどオレがいるから好きになっちゃいけないと思っているんじゃないかな。オレはナツから離れるべきなんじゃないかな?


 オレはパラリンピックには出る。きっとナツもオリンピックに出る。それでいいじゃないか。

 だから頑張らなきゃ。地上を楽しまなきゃ。義務的にじゃなくて、出来るはずなんだ。残された時間は二年半だけだ。


 心の整理はついた。

 ‥‥‥と思っていた。

 だけど、そう簡単にいく物ではなかった。オレは無理にナツを避けようとしていた。

 ナツは度重なる怪我で思うように練習も積めずにいる。それでも明るく振る舞っているナツを見ながら、オレの心は痛んだ。



 クリスマスイヴの日の事。

「ケンタ、一月三日の日、また三人でフォッリアに来ないかって、ハルトくんからお誘いもらったんだけど、一緒に行ける?」

 ナツが誘いかけてきた。


 オレには無理だ。

「ごめん。オレ、三日間山籠りしたいんだ。ナツとナナエと二人で行ってくれないか?」

 ナツは悲しそうな顔をした。

「そっか。残念だな。ケンタが行かないなら、やめとこっかな。ま、いいや。私はちょっと考えとく。じゃ、また」

 そう言って立ち去った。


 翌日、ちょっと困った感じでまたナツが話しかけてきた。

「あのさ。ハルトくんがケンタと二人で話したいんだって。一月一日と二日の二日間はハルトくんも仕事休みだから、ケンタの都合のいい方の日に時間も場所も決めてくれれば行くからって。申し訳ないけど大切な話だからって、そう伝えてほしいって言われた」


 マジか? オレは動揺を隠せなかったけれど、これはオレにとってもナツにとっても重要な事だと思って承諾した。


「分かった。一月一日に、えーっと、どこがいいかな。やってるお店あるかな。あ、バスで行けるあそこ、あそこのファミレスならやってるかな?」

 努めて普通に話すオレに、「ちょっと調べてみる」と言いながら、ナツはスマホを使ってすぐに調べ終える。


「大丈夫。やってる。何時がいい?」

「十時でいっかな」

「分かった。伝えとく。何か心配だな。私が一緒に行ったら邪魔なのかな?」

「そりゃ、そうだろ。ナツも一緒でいいなら初めからそう言うはずだろ。男同士しか話せない事とか、そういう事もあるんだぜ。たぶんだけど」

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