地上と山と

 「やっぱり中学の時と違ってレベルが全然高い」

 ナツはそう言っていた。

 中学の時は、陸上の色んな種目に挑戦したり、ゲーム的な楽しい練習も多かったが、高校では専門的な練習が凄く多くなったらしい。

 ナツは一年前の肉離れが引き金となって、休んではどこかを痛め、また休んではどこかを痛めるという悪循環に陥っていた。大きな故障ではないだけに、ある程度の練習が出来てしまい、何か中途半端な状態が続いてしまっているようだ。

 ナツの親友のナナエも練習ではかなり良い状態が戻ってきていると聞いていたが、記録会や試合で競り合う場面になると弱さが出て、勝ち切れない状態が続いているようだ。


「上手くはいかないけど、ナナエと励まし合いながら一緒に頑張れている事が楽しい。それにケンタを見てると私達も楽しまなきゃって思えるんだ。だってケンタだって伴走者の聡さんと絡んですっ転んだり、上手くいかない事だらけでも楽しそうに頑張ってるでしょ。あと、ケンタが私の悩みとかいっつも聞いてくれるからすごく救われてる」

 ナツはそう言って笑っていた。


 オレはそんなもんでいいのかな?

 楽しい学園生活を送っていくうちに、そんな風に考える事が多くなっていった。

 小学生の時にナツを守ってやりたいと思って、失明してからもオレがナツを守ってやるようになるんだと思って頑張ってきた。

 疾風学園には入れたけれど、ナツは凄く成長していて、オレは彼女を守ってやるどころか守られてばかりだ。


 友達が沢山できて、たわいもない会話をする中で自信を無くす事も多かった。

 男同士が集まると女子の話をする事が多い。


「ケンタはナツみたいに色んな事をやってくれる彼女がいていいよな。オレの彼女なんて、いつもオレにくっついてきて甘えてるだけだよ」


 オレはナツの事を彼女だとは言えない。

 くっついてきて甘えるだけ、か。

 きっと女子はそんな事を望むんだろうな。目の見えないオレを彼氏に持ったら、そんな事は望めないよな。


 グループで「あの子可愛くねえ?」と盛り上がる事も度々ある。

 オレはナツ以外の人達の姿を感じる事が出来ない。ナツの事だって見えるわけじゃないから感じが分かるだけだ。

 子供っぽい男の子みたいな顔をしていたナツからは今は可愛らしい少女の雰囲気が漂っている。一瞬だけでもいいからナツの顔を見てみたいって思う。


 なんだか、不甲斐ない自分を感じてしまう地上の暮らし。

 そんな自分を救ってくれるのはやっぱり山だ。


 陸上部は基本、寮生活をしているけれど、オレは自宅からの通学を許可してもらっている。学校まではバスで三十分位で行ける。オレには自宅の近くにあるあの山がどうしても必要だった。

 早朝に毎日あの山に行く。山の麓までは杖を突いて歩いていけるし、そこからは杖は必要無い。盲学校の森に比べるとずっと険しくて、最初はほんの少ししか進めなかったけれど、日毎に行ける距離が伸びていった。


 通い始めてから半月位たった頃、オレから五メートル位離れた所にロンがいる事に気づいた。オレが怪我をする前によく一緒に走っていたあの山犬のロンだ。地上の人間と違って、ロンの事はよく見える。いや、実際には見えないのだけど‥‥‥


「ロン! 久しぶり!」

 思わず口に出たが、これまでオレはロンと話した事はない。ロンは山犬だ。決してそれ以上近づいてこないし、一緒に走っていた時もいつの間にか何処かへ消えてしまうし、きっと向こうは友達とは思ってないと思う。


 オレは今、ノロノロと歩くので精一杯だ。ロンを気にしながら一歩一歩進んでいくと、それに合わせてロンも一歩一歩進んでいく。

 三年以上も会っていなかったのにロンはオレの事を分かってくれているように感じた。

 そのうちに、ロンの方が先に一歩一歩を踏み出し始めた。

「おい! ロン! オレを先導してくれてるのか?」

 オレは目が見えない事を、ロンは分かっているのか? ロンが導いてくれると格段に安心感が増し、歩くスピードを上げられる。オレは嬉しくなって付いていく。


 どれ位時間が経ったのだろう。太陽の眩しさを感じて我に返ってその場に止まった。随分遠くまで来てしまったかもしれない。学校に遅刻する。いや、それ以前にオレはちゃんと帰れるのか?

 いつの間にか辺りにはもうロンの気配は無くなっていた。


 元来た道を引き返す。時間は掛かっても、とにかく安全第一だ。

 足跡が見えるわけではないし、臭いが残ってるという感じでもないのだけれど、なぜか来た道を辿っていく事は意外と簡単だった。だいぶ遠くまで足を運んでしまっていたオレはその日、学校に遅刻してしまったけれど、遅刻をするだけで済んだ。そして、一つ大きな自信が芽生えた日となった。


 それからも、時々学校には遅刻してしまう事があったけれど、山では時々先導してくれるロンのおかげでグングンと歩くスピードが上がり、それと共に地上でも少しずつ走るスピードを上げていく事が出来た。


 オレは山で過ごす時間を持てている事で、不甲斐ない地上でも何とかやってこれていた。

 

 八月にインターハイが行われ、1500mに出場したナツとナナエは決勝に進出する事さえ出来なかった。悔しい結果に終わってしまったが、結果に関係無く、インターハイが終わると陸上部は三日間練習が休みになる。オレはインターハイは関係無いけれど、休みは一緒だ。

 ナツは休みになったら、ナナエも一緒に行きたい所があると前々から言っていた。オレは「フォッリア」というイタリア料理の店に連れていかれた。

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