下:望月雫という人間

 ぴこん、とLINEの通知音。誰からだろうと確認してみると、そこに記されている名前は「碧」。

 え、と思わず声が出て名前を二度見する。夢でも見間違いでもない。

 その事実にじわじわと頬に熱が集まり、顔がだらしなく緩んでいくのが分かった。


 驚きと興奮で震える指をゆっくりと動かして、LINEを起動する。

 きっかり二年ぶりのメッセージ。


「突然LINEしてごめん。碧です。元気してる?

二年間連絡してなかったのに突然何なんだってなると思う。ほんとごめん。

ここから下は私の自己満足みたいな文章なので、雫は読まなくて大丈夫。このメッセージを視認した瞬間私の連絡先をブロックしてください。




私、雫のことが好き。友達としてじゃなくて。同性同士なのに気持ち悪いって思うよね。しかも、話さなくなってから二年も経ってから来たこんな連絡なら尚更。


雫の一番で居たいって受験生の時からずっと思ってて、今でもその気持ちは変わらない。雫が新しい友達と一緒に居るのを見て、ずっとモヤモヤしてた。

何で今まで連絡をしなかったのって聞かれたらそれはもっともだし、何も言えない。強いて言うなら間隔が空きすぎて怖かったから。雫に拒絶されるのが怖かった。

それと、この気持ちが恋かもしれないって思えたのが一年前だったから。

なんて言い訳、雫にしても何の意味もないよね。ごめん。


今こうして連絡をしたのは、そろそろこの気持ちに区切りをつけなきゃいけないって思ったから。でも自力じゃどうしてもできなくて、雫の力を借りることにした。

受験期の雫を今の雫に重ねて焦がれてるんなら、今の雫にこっぴどく振られたらいいんじゃないかなって。

この決断をするにもかなり勇気が必要だったんだし、元々雫がそんなに可愛くて魅力的じゃなかったらこんな気持ちを抱かずに済んだんだから、最後にそれくらいのことしてくれてもいいんじゃない?なんて思ってる。嘘。申し訳なくてたまらない。

大好きな雫の手を煩わせるのは嫌だったけど、そうでもしないと私が前に勧めない気がしたの。私からの最後のわがまま。


ここまで長くなって、本当にごめん。突然の意味の分からないメッセージに困惑させただろうし気持ち悪かったと思う。それも本当にごめん。

雫、受験生の時は本当にありがとう。雫のお陰で私はこの学校に受かれた。それに、大好きだよ。世界で一番。

でもこの気持ちももうこれで終わりにするから。今後一切雫は関わらないから安心してね。」


 今までいろいろな相手とLINEをしてきたが、こんな長文の文章は初めてだった。

 読まなくて大丈夫、なんて書いてあるけど読まないわけが無い。こんなに久々に来た碧からのLINEだというのに。


 長いメッセージをゆっくりとスクロールしながら目で追っていると、次第に視界がぼやけてきた。

 大きく瞬きをすると涙が零れ落ちて頬を濡らす。


 碧が私のことを好き…?本当に…?


 涙がボロボロと溢れ、年甲斐もなく嗚咽を漏らす。

 高校生活を始める前、告げるか悩んだ末に胸に秘めた言葉たちが形を変えて想い人から告げられる。

 新たな生活が始まって半年ほどの間はまだ碧からコンタクトを取ってくれるかもしれない、なんて甘い期待をしていた時期もあった。

 しかしそんな期待はあっさりと裏切られてすぐに疎遠になってしまった。

 そこから二年も経ってるのに告白のメッセージが届くなんて本当に?と自分の中の疑心暗鬼が顔を出す。


 嬉しさと驚きで脳内がぐちゃぐちゃになって五分ほど経ち、少しずつ落ち着きを取り戻し始める。

 本気になって返信をして、実はそれがドッキリでした!なんてオチが付くのではないかと不安になり碧のトーク画面を呼び出した。


 メッセージを打ち込もうとしたが碧の方から私のアカウントをブロックしていた。

 既読が付いたことに気付いて自分からブロックしたんだろう。


 今日は土曜日、学校で話をするまでの日程が遠い。こちらから碧の家に向かいたいところだけど、あれだけ一緒に居てもお互いの家を知らないことに歯噛みする。

 

 碧の方から気持ちを伝えてくれたことは本当に嬉しい。早く返事をしたい。でも碧はきっと返事を求めていない。でも、私からも気持ちを伝えたい。碧のことを考えるなら、この気持ちは秘めておくのが正解なんだと思う。でも───。



 相反する二つの感情を抱え、役に立たないスマホを握りしめてベッドの上に横になる。

 バクバクと早く波打つ心臓に痛みを感じながらきつく目をつぶり、現実から目を背けることにした。




 二日間悩み抜いた末、結局碧に気持ちを伝えることを決意した。

 碧は「最後のわがまま」と称してあのLINEを送ってきたのだから、私だって一つくらいわがままを言ってもいいはずだ。


 朝はいつもより三十分以上早く起きる。髪の毛を綺麗に梳く。

 普段はほとんどしないメイクも今日はいつもより目立つようにしてみる。

 制服のスカートの折り目も綺麗に折り直してみたりもする。


 二日間ずっと燻っていた気持ちを抑えて早い時間に家を出る。

 最近の碧が何時ごろに登校しているのか分からなく、どのタイミングで教室に向かえば良いのかも分からない。


 ここまできて今更だが本人にブロックされているのにわざわざ会いに行ってもいいのだろうか、なんて不安が表れてくる。


 

 教室に着くとクラスメートから意外そうな顔を向けられる。それはそうだろう、普段の私は遅刻ギリギリにしか登校していないのだから。

 こんなに早くに学校に来るのが初めてに近く、手持ち無沙汰で居心地の悪さを感じる。

 ちらちらと送られてくる好奇の視線に耐えられず、思わず席から立ち上がった。

 行先はひとつ、碧のクラス。


 LINEのステメに記されていたクラスの元へ向かい、ドアをノックする。

 用があるからとクラスの人に伝えて碧を呼んでもらった。勿論名前は伏せて。

 しかしまだ来ていないらしく、登校してきたら伝えることを頼んだ。

 教室のそばで話せるような内容ではないため、学校のはずれの人通りの少ない場所を指示する。

 きっと碧は優しいから、知らない誰かからの誘いでもまず来てくれるんだろうな、と思う。


 屋外の人気の少ない場所で一人立って待つが、いつ碧が来るのかと思うとそわそわして落ち着かない。

 心臓が痛いほど脈打っているのに、手指から熱が失われていく感覚。

 目を閉じて、五感を出来るだけシャットアウトしてひたすらに碧を待つ。

 


 何分経ったか。五分か、十分。

 砂利を踏みしめる足音がして、反射的に目を開く。

 急に開いた目が明るさに慣れるまでに若干の時間を要し、そしてまた順応する。

 

 開いた視界に飛び込んできたのはずっと焦がれていた碧の姿。

 柔らかそうなふくらみを持ったポニーテールに二重の瞳、薄い唇にまっすぐ折られたスカート。受験の時よりも丁寧なメイクで元々の魅力が各段に引き出されている。見た瞬間息を呑んだ。


「ぇ…」

 それは碧の方も同じらしく、声にならない声を漏らしていた。

 涙に濡れたきらきらと輝く澄んだ目に切なそうな光が浮かぶ。良くないことだとは分かりつつも綺麗だな、なんて思ってしまう。

 だなんてことを考える余裕があったのもほんの一瞬で、すぐに碧は背を向けて走り出そうとした。


 えっ?と間抜けな声を出しながらその背を追う。


 走って勝負したことが無かったから知らなかったけれど、碧はかなり足が遅かった。50mのタイムがごくごく平均値な私でも容易く追いつくことができ、しっかりと手を握って向き直る。


「碧ちゃん、何で今逃げたの?」

 責めるような口調にならないように、出来るだけ落ちついて。 

 

「雫、私からのLINE見たんでしょ?それが全てだよ。」 

 初めて見たかもしれない、拗ねたような表情に声音。

 そんな場合じゃないと分かりつつ、その表情にまた胸が高鳴る。


「碧ちゃん、あのLINEを『わがまま』って表現してたでしょ?その理論でいくなら、私も一つわがままを言ってもいいと思わない?」

 本人を目の前にこの言い分を話すのは自分が酷く自己中心的な人間に思えて若干の羞恥心。

 でもそんなところを見せてしまうと突っぱねられてしまうような気がして、恥ずかしい気持ちをおくびに出さず、「いつも」のような笑みを浮かべる。


「え…と、それ…は…、まぁ、いい、よ。」

 当時からは考えられない程歯切れの悪い言葉。表情も相まってかわいらしさに胸が締め付けられた。


 ただ好きだと言ってもいいけれど、それだとLINEを読んでの冷やかしに受け取られるかもしれない。

 それを考えると、やっぱり既成事実じゃないけど何か決定的な行動を一つ取るべき?


「じゃあ、碧ちゃん。目をつぶってもらっててもいい?」

 数秒の逡巡の後、人差し指を立ててウインク。今からあなたを驚かせてあげるからね、という気持ちを込めて。

 碧はそこで素直に目を閉じる。きめ細やかな白い肌に影を落とす長いまつ毛。引き締められた唇。それはどう見てもキス待ち顔という奴にしか見えなくて。


 意図的に足音が立つように碧の至近距離まで歩み寄る。

 息がかかるんじゃないかと思うくらいの距離に立っているのが分かったらしい碧は微かに息を止めていた。


「ね、碧ちゃん。」

 私よりちょっと背の低い碧に合わせて背を丸め、耳元でささやく。

 

「あのLINEの通りならさ、何してもいいんだよね?」

 内緒話でもするように耳元に口を近づけ、いつもより声のトーンを下げてみる。私ならゾクゾクするだろうな、なんて思いながら。


「な、なんのこと?」

 平気なフリして言ってるんだろうけど、声がかなり震えている。そんな表情が、今までで一番たまらなく可愛くてもっとそんな表情をさせたくなる。

 そんな歪んだ欲が湧いてきたことが無く、私自身も若干の戸惑いが隠せない。


 でもリアクションをしなくては、と碧にもう一歩歩み寄り、彼女の唇に自らの唇を重ねた。

 私自身も、ファーストキス。


「これが答えだよ。」

 我ながらずるいなぁと思った。すき、という二文字も伝えられないないのにキスは出来た私の行動力もどこかくるってるなぁ、とも。


 なんて私が自己分析をしている間に碧はぱっと両目を見開き、ぱちくりと瞬きを繰り返す。

 その後じわじわと顔に赤みが指してきてへぁ!?と気の抜ける声をあげる。そして何故か碧の方が恥ずかしくなったのか、両手で顔を隠した。


「え…っと、雫?」

 指の隙間からこちらを伺うようにしながら。


 これ以上口を開けるほど脳内に余裕がないのか、何も話さない碧にきちんと言葉で伝える決意をする。


「だからさ、私も碧ちゃんが好きなんだよ。恋愛的な意味で、ね。」

 正直めちゃめちゃ恥ずかしかった。メッセージ上でとはいえこれを伝えられた碧の凄さを痛感する。


「ほん、とに?」

 絞り出したような碧の言葉は涙交じりで酷く辛そうな響きがあった。

 キスまでしたのに、まだからかいだと思われているのかもしれないのか、と若干寂しく思う気持ちもあったものの二年時間が空いているし仕方ないと言えば仕方ない。


「じゃなきゃ、大事な大事なファーストキスを捧げたりしないと思うけど?」

ファーストキスを捧げる、なんて言葉当たり前ではあるけど口に出すのは初めて。いざ言葉にしてみると何とも言えない艶めかしさのある言葉にこちらが照れてしまう。


 自分で自分の言葉に悶えそうになっている傍らで碧が声を上げて泣き出した。そのリアクションは、土曜の私とまるきり一緒で。


「う…うぅっ……し、しずく…!」

 言葉になっているかどうかも怪しいような涙でぐちゃぐちゃになった声で私の名を呼び、腕を回して抱き着いてきた。


 その華奢な体が堪らなく愛おしい。受験生の時、何度でもハグをしていた時の記憶が蘇りこちらまで泣き出してしまいそうになる。


「しずくがさ、学校始まって…っすぐに別の女の子とこうしてハグしたり手繋いだりしてたからさ…っ?わたしのこっとなんて、忘れちゃってたのかと、おもってたの。」

 しゃくりあげながら一つ一つ言葉を繋いでいる碧の背中をぎゅっと抱きしめる。変わらないシャンプーの甘い匂いに、ぴったりと収まるサイズ感。


「でも、それは碧ちゃんだってそうじゃない?私だって碧ちゃんがすぐに新しい友達作ってたから。」

 なんて言ってみたけど、それも嘘で。碧が誰かと行動するようになったのは高校生活が始まってからしばらく経ってから。私の方が早かったのは、まぎれもない事実。


「そん、なことないじゃん…っ、クラスに行こうと思ったら、周りに別の子がいて…わたし、それで…」

 と今度は別の意味で大粒の涙が零れだす。


 今度は頭を撫でてあげながら、

「そう、だね。確かに私の方が早く碧ちゃんから離れて言っちゃった。でもそれは、碧ちゃんのことが嫌いだったとかそういうことじゃなくて、新しいクラスである程度友達は作らなきゃだよなって思ってて…それで…。」

 必死で言い訳の言葉を考えてみるけど全くまとまらない。それどころかむしろ碧を傷つける結果になっていないだろうか。


 あたふたとしながら言葉を重ねていけばいくほどより嘘っぽくなってしまいこちらの方まで泣きたくなってくる。


「でも、でもね。なんか、その子達と一緒に居るときは何か足りなかったの。安心感、みたいなものが。」

 頭の中をひっくり返して、ぴったりな言葉を探し出して見つかった言葉を急いでつなぎ合わせて言葉にする。

 すると腕の中の碧がぴくりと反応した。


「でもね、久しぶりにはなっちゃったけどこうして碧ちゃんの隣に入れて、とっても充実した気持ちになれてるの。多分、足りないって思ってた安心感みたいなものが。」

 若干しどろもどろになりながら出てきた言葉は安っぽいような気もしたけれど、碧は私の背に回す腕に力を強めた。


「………わたしも。全く同じこと、ずっと思ってた。」

 ぽつりとつぶやかれた言葉は制服がかなり吸収してとても聞き取りにくかったけれど半ば奇跡的に一語一句聞き取ることが出来た。


 すっかり安心しきっているのか、私の胸の亜中でわんわん泣いて体重を預け切っている。

 そんな彼女の様子を見て

「やっぱり、私の居場所って碧ちゃんの隣だと思うんだよね。だからさ。」


 そこで一度言葉を切り、息を吸い込む。

 すると碧が顔を上げて待ったをかける。

「ちょっと待って、わたしも。絶対同じこと思ってるから。同時に言いたい。」

 

 泣き笑いの表情がまた可愛くて、こちらの表情も思わず緩んだ。

 もちろん、と返して一度離れる。

 せーの、という合図で


「「私と、付き合ってください。」」と。

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君の隣が私の居場所 華乃国ノ有栖 @Okasino_Alice

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