どこか短編とも似ている

【万年筆はかく語りき】


「んー……」


 その日、私はとある喫茶店で短編コンテスト用の作品を書いていた。いつものLysではなく、新しく開拓した喫茶店で。


 まだ昼間だというのに店内はしっとり薄暗く、ゆったりしたジャズが流れている。ウォールナットのテーブルに、どこかの民族が使っていそうな独特の模様があしらわれたテーブルクロス。カップやソーサーも品があって、紅茶の味も悪くない。


 行きつけの店をLysからこちらに乗り換えたら、かすみさんはどういう反応を示すだろう。寂しがったり、妬いたりしてくれるだろうか。


 まぁ実際は、「姫が最近来てくれなくて寂しいわ~」なんて心にもないことを言いつつ、たぶん一分後には何事もなかったようにあっけらかんとしているだろう。


 そんなどうでもいいことにふけれるくらいには目の前の原稿はちっとも進んでいない。万年筆の筆先は紙面上に置かれることなく宙を泳ぐ。


 締め切りまで三週間を切った。とっきーのラジオ番組の手伝いだってある。時間を無駄にしていられない。


 でも……、


「あ~筆がのらない~~~」


 手元の原稿用紙は白紙のままカップの紅茶だけが減っていく。


 平日のためか店内はガランとしている。マスターの視線を気にして本意ではない追加注文をしたり、そそくさと退店する必要がなさそうなのが幸いなところ。


 カバンから有線イヤホンを引っ張り出し、スマホのイヤホンジャックに挿入。気分転換にとっきーのラジオを再生して、万年筆を握り直した。


『みんなー! はろはろとっきー! 風町渡季です。今日も来てくれてありがとっきーで~す! 毎日聴いてくれているあなたは偉い! 十一月も一週間終わっちゃったね! 早くない!? もう今年も終わっちゃうよ~』


 鼓膜のそばで躍動する推しの声。ラジオから聴こえてくる声は、生で聞くのとはまた違った高揚感を与えてくる。デバイスも機器も通さない生の声を知っているからこそ、イヤホン越しの彼女の声がより特別なものに思える。


 コーヒーやエナジードリンクに含まれているカフェインが交感神経を優位にするように、彼女の声を聴くことで創作意欲と集中力がブーストされる……気がする。


 アバントークと【ふつおた】も終わり、ラジオは【とき☆めき】コーナーに移ろいだ。


『あなたにぶつけた感情の塊を、今になって後悔しています。でも、ひとりの女性を否定するような鋭い刃のごときあなたの言葉を、わたしは許すことができません。あなたはさようならを言わなかったから、わたしも別れの言葉を口にしませんでした。今になってそれを後悔しています。時間をかけて考え、選んだプレゼントは、今や部屋の隅でほこりをかぶっています。わたしの手元には後悔だけが残りました。でも、あなたを愛したことは後悔していません。だからありがとう、元気でね』


「あ、これ私が書いた朗読原稿だ」


 リスナーから送られてくる「思わずときめくようなセリフ・シチュ」などを私がストーリー仕立てに文章化したもの。それをとっきーが読み上げてくれている。自分でお便りを出すのとはまた違った感覚で、なんだかこそばゆくて体の内側がムズムズする。本職の放送作家さんってこういう気持ちなのかな。


 ラジオのお手伝いをするようになってから自分ではお便りを出していない。自分で送って自分のお便りを採用していたら職権乱用になるからだ。


 だから、こうして間接的に自分の創作を読んでもらえるのは役得だったりする。リスナーも自分が送った希望シチュが聴けるからWIN-WINだ。


「でもやっぱり筆が進まない~~~!」


 しかし現実は残酷なもので、いくらラジオから元気をもらっても進捗とは別問題だった。


 叔父に会いに行ってヒントをもらってこようか。


 いいや、ダメだ。大見得おおみえを切ったのに、ここで頭を下げに行ったら自ら負けを認めるようなもの。それに今回の叔父は審査員ではないと言っていたけど、参加者である私にだけ贔屓ひいきめいた助言はできないだろう。行ったところで無駄足である。


 次につきの書房に出向くときは、傑作を机に叩きつけ、叔父に吠え面をかかせるときだ。


 そういえば、叔父はプロットがどうのこうの言ってたっけ……。プロットってなんだ?


 YuriTubeをバック再生にしたままスマホでプロットと検索する。すぐに国語辞書みたいな用語解説と、プロットの書き方みたいな指南書サイトが出てきた。いくつかタップして拾い読む。


「ふむふむ、あーはいはい、なるほどね~。完全に理解したわ」


 簡単に言うと小説を書くための設計図みたいなものらしい。


 ……マジ?


「小説ってこんな面倒くさいことするの!? プロット作るのが当たり前なの!? てか、みんなこれやってんの?!」


 目に飛び込んできた情報が信じられなくて、思わず大きな声を出して立ち上がった。マスターや居合わせた老夫婦がびくっとしてこちらを見たので、私は何事もなかったように座り直した。


 プロットには登場人物の情報や舞台の設定、あらすじ、結末までの道筋など小説を構成するあらゆる要素を盛り込むらしい。その青写真をもとにして本編を書いていくのだ。


「まどろっこしいわね。小説なんて頭の中の情景をそのまま文字に起こせば済む話じゃない。今までだってずっとそうしてきたし」


 叔父はどうしてこんなものを持ってくるように指示したのか。意味がわからない。


 私は私の流儀でやってきたし、それを変えるつもりもない。プロットなんか必要ない。執筆道具だって万年筆と原稿用紙があれば十分。デジタルには頼らない。それが八重城姫梨の創作スタイルだから。


 しかし、そう決意したところで執筆が捗るわけでもなく、結局は振り出しに戻ってきてしまう。


「ラジオの台本ならスラスラ書けるのになぁ」


 物語を作るというのは同じはずなのに、この違いはなんだ。台本のほうはお題が決まっているから書きやすいというのはあるけど、短編の進捗が芳しくないのは何か大きな石につまずいているようにしか思えなかった。


 決してアイディアが浮かばないわけではない。むしろ書きたいことは山ほどある。書きたいことが散らかってまとまらない。またダメだと原稿用紙を丸めるたびに、次の一文を書くのが億劫になっていく。


『それでは今日もお別れのお時間で~す。風町渡季のとき☆めきラジオは皆さんからのお便りを大募集中! お便りは動画のコメント欄にお願いします。ふつおたは文頭に【ふつおた】を、コーナー宛のメールは【ときめき】を付けて送ってくださいね。詳しい内容は概要欄にも――』


 先ほど聴き始めたラジオもあっという間にエンディング。もともと三十分くらいのラジオ番組が、今やコーナーの増設もあって一時間くらいまで伸びた。それでも推しの清らかなトークは私の時間を容赦なく奪っていく。


 ラジオといえば、どこの世界にも文才リスナーはいるもので、物書きとしては嫉妬を覚えてしまうお便りを送ってくる人がいる。あの人たちはいったい何者だろうか。いっそ彼らのような人たちが小説を書いたらいいのにと思ってしまう。


 一通あたりの文字数はせいぜい数百字。その短い文章の中に必要な情報を整然とまとめ、パーソナリティやリスナーが楽しめるウィットに富んだ仕掛けを盛り込んでくる。それは、どこか短編とも似ていると思った。


「短編と……似ている……?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る