五枚目 桜の花が舞い降りる~サイカイ~

21 サイカイ-陽向-

 琴葉が居なくなった後、残った四人で残りの中学校生活を全て捧げた高校受験には無事成功し、中学校を卒業した僕は一樹と共に地元の高校に進学した。


 そしてそんな高校一年生が終わる。春になろうとしている。


 終業式を終えてバスに揺られているふと携帯を眺めると、琴葉から久しぶりに連絡が来ていた。

「あっ」と僕が声を上げると隣に座っていた一樹が「どうしたん?」とスマホの画面を覗き込んできた。


「なんか久々に琴葉から連絡が来たんだけど」


「え?俺には来てないよ。って事は個チャじゃないってこと?何の用だって?」


「なんかお願いしたいことがあるって」


「なに?今になって付き合ってほしいとか?」


「だからそのイジりやめろって〜楽しいの一樹だけだよ」


「いいじゃん、俺が楽しいんだから」


 一樹の意地悪な笑いになんだかな〜と思いながら琴葉に『久しぶり、どうしたの?』と連絡を返す。

 琴葉が引っ越してから数ヶ月はグループLINEも頻繁に動いていたが、その頻度は徐々に減っていき、最後に連絡を取ってから既に四ヶ月ほどが経つ。

 琴葉は高校に入ってから始めたベースをきっかけにバンドに加入し、ベースボーカルをやっているらしい。

 僕も彼女のおかげで音楽は今でもよく聴くので、琴葉のバンドの曲は楽しく聞かせてもらったが、彼女の声がよく引き立っていて、とても良い曲だった。


 ピコピコッ

 通知がなったので再び携帯を開くと琴葉からの返信が表示されている。そこにはこうあった。『私たちのバンドの曲のジャケットを描いてほしいんだけど、ダメかな?』

『そんな重大な任務、僕が任されちゃっていいの?』と返信すると『まだそんな事言ってるの?賞もとった天才くんなのに?』と返される。

 うっ、、思わず返事に窮する。そうなのだ。僕は去年の全国の高校生を対象にしたコンテストでなんと金賞を戴くことができたのだ。ありがたいことだがこういう時にだけ引き合いに出されるのは少し困ってしまう。

 絵を描き続けられているのは琴葉のおかげでもあるので、頑張って引き受けてみようと思うが、それを分かった上で頼んでくるあたり相変わらず彼女はずるい。


『分かった、引き受けるよ』と返信を送るとすぐに『本当?ありがとう!!!!』と勢いだけ!みたいな返事がかえってきた。一方でその勢いの中に本当に嬉しく思ってくれているのが伝わってこっちまで嬉しかった。

 引き受けるよ、といったものの、どんな絵を描けばよいのか、イメージはどんなものなのかなどが全く分からなかったので訊いてみると『じゃあ一回活動見に来てみる?』と琴葉が言ってくれたので喜んで見させてもらうことにした。

 バスが最寄りの停留所に停まろうとしている。ごめんな一樹、今回は僕だけ琴葉のバンドを見させてもらうよ、と意地の悪いことを考えながら、隣りに座っていた彼にじゃあね、と声を掛ける。そっとスマホを閉じ、軽やかな足取りでバスを降りた。



 東海道線の先頭車両のボックス席に座り、時々海が見える景色を見ながら二年前、中学二年の頃を思い出す。

 琴葉たちのバンド――天色あまいろSUNSETが活動の拠点にするのは江ノ島周辺らしい。江ノ島に行ったのは中学二年の時に琴葉、一樹、一果、朱莉、僕の五人で遊びに行ったのが最初で最後だ。なので今回で二回目になる。今日は今後の創作の参考にするためにも、できるだけ多くのものを持って帰らなければという思いが強い。父から良い一眼レフカメラも借りてきた。この目で様々な景色を目に焼き付けるのはもちろんだが、写真に取ってあるからこそ鮮明に記憶できるものもある。


 ひとまずは目的地のの藤沢駅に到着する。ホームから階段を登り人混みに紛れて歩いていくと改札の先に手を振る琴葉が見えた。小走りで駆けていき改札を抜ける。およそ二年ぶりの再会。二年しか変わらないのに、なんだか垢抜けたような気がする。いや、二年ではなくて二年か。僕にとっての二年は長い。綺麗になったな、とは思ったもののそんな言葉を飲み込んでいると、少し離れたところからこちらを眺める二人の男が気になる。僕が目を遣っていると「あ、あれがね、私のバンドメンバーだよ」といって二人を手招きした。

 一人は身長が高くスラッとしていて、もうひとりは僕よりも少し身長が低くガッチリしているが爽やかさも併せ持っている。うん、二人共総じて爽やかだ。


「はじめまして、琴葉の中学校の時の友達?の森本陽向です。よろしくお願いします」

 僕が頭を下げると、二人もそれにつられている。


「陽向くん、なんか話に聞いてて思ってた通りだな〜あ、はじめまして。バンドでギターと曲作ったりしてる結城奏です。よろしくね」

 背の高い方が優しく微笑んでくれる。絶対いい人だ。あと、同い年と聞いているのに年上感がすごい。


「あ、俺もか?えっと、あまサンのドラムと、あと一応リーダーの綾瀬瑞季です。よろしく」

 確かに頼りになるリーダーっぽいな。彼もまた同い年には思えない。


「よし、じゃあそろそろ行く?」


「そうだね、陽向くんを案内しよう」


「今日ってどこ行くの?」


「まーそうだね、まずは僕たちの演奏を聴いてもらおうかなって思ってる」


「本当に?生で聴けちゃうの?」


「もちろんだよ、中学生の時だって私の歌何回も聞いてきたじゃん」


「いやそうだけどさ、今出てる天色SUNSETの曲どれも聞かせてもらって、全部好きだったから単純に嬉しいんだよね」


「えー、本当?嬉しいな〜、全部好き、だってよ。奏。」


「ね、僕も直接感想貰えるの凄い嬉しい」


「お返しってわけじゃないけど俺も陽向くんの絵、めっちゃ好きだよ。ジャケットになるのが今から待ちきれない」


「本当ですか?嬉しいです」


「俺ら同い年なんだし、敬語じゃなくてもいいよ。ね、奏?」


「うん、もちろんだよ。これからお互いにお世話になるわけだしね」


「本当?ありがとう」

 三人の後についてスタジオがあるという所へと向かう。

 改札を出て左側に進み、家電量販店の脇の階段を降りてから少し歩いて到着したのはスタジオ、というより楽器屋さんだった。


「ここ、楽器屋さんじゃないの?」


「そう。ここの下のスタジオをいっつも使わせてもらってるんだよね」


「なるほどね、スタジオって入るの初めてだな。なんかワクワクする」


「わかるな〜僕も初合わせの時に初めてきたけどめっちゃドキドキしたよ」

 奏が相槌を打ってくれる。最初の印象の通り、本当に優しそうだ。


 三人に従ってスタジオに入ってみると、音が篭って何だか不思議な気分がする。

「じゃあセッティングするからその辺座ってて」と言われるがままに端っこにある丸椅子に座り三人が慌ただしく動き回るのを眺める。



「この距離で見られてるの緊張する」


「ね、頑張ろ」


「よし、準備できた。じゃあ、やるよ。今度ライブがあるんだけど、そのセットリストを流れでやるから、楽しんでってね」


「お願いします」



「最初の曲です。はじまりのうた」


 ワン、ツー、ワンツースリーフォー

 そんな瑞季のカウントから曲がはじまる。

 三人が演奏を始めた瞬間、圧倒的な音圧に吹き飛ばされそうになる。なんだこれは。これが”バンド”なのか。

 まだ組んで半年とは思えないほどの安定感。そして相変わらず琴葉の歌は美しい。


 時間にして三十分ほど。数曲もあった演奏は一瞬で終わっていた。

 僕はただ呆然とする。何が起きたかよく分かっていない。音に圧倒されて、気づけば三人が楽器を置いてこちらを見つめている。


「どうだった、かな?」

 琴葉の問いかけに僕は慌てる。受け取ったものが大き過ぎて、今の感覚を正確に言葉にできそうにない。


「えっと、何で言えば良いのか分からないけど、とにかく、凄い良かった」


「ほんと?良かった〜」


「うん、これで良い絵が描けそうな気がするよ」


「見せて良かったね。これで初めてのライブも上手くいきそうな気がする!だけど陽向、今日はこれだけじゃないんだよ」


「え、何するの?」


「私たちの曲って主に江ノ島あたりの景色がモチーフなんだけど、あの辺の景色覚えてる?」


「いや、ぼんやりとしか」


「でしょ?だから江ノ島行こっ!私たちが案内するから」


「おー、じゃあお願いします!」



 三人に連れられて小田急線で江ノ島へ向かう。前回は江ノ電だった気がするな、ということを琴葉に伝えると、「前行った時はガキンチョで無知だったからね〜よく調べもせずに江ノ島なら江ノ電だろって感じで行ったけど、あんなの遅いし高いからせっかく来てくれる陽向をあれで連れては行かないかなって言うのが地元民の意見」と言っていた。琴葉、横浜だから地元じゃなくない?の訊くと「しょっちゅう来てるから地元民みたいなもんよ」と言っていた。都会に染まってしまうってこういうことなのかな、なんて思った。


 小田急線で住宅街を抜け、目的の片瀬江ノ島駅で電車を降りると微かに潮の香りがした。僕らの地元の海の香りとは少し違う気がする。


 改札を出ると、無数の観光客がそこら中にいる。以前行ったのは夏だったので、その時ほどではないがやはり観光地だなという印象だ。


「まあさっきは覚えてないでしょ?なんて言ったけど、今日はできるだけ前行ってない場所案内するつもりだから安心してね」

 江ノ島に向かう途中の道で琴葉がそう言ってくれた。相変わらずそういう気遣いができるのは流石だななんて思った。


 長い橋を渡りきると、正面の参道ではなく左に曲がって港のようなところになっている方へと向かう。


「こっちは何があるの?」


「ヨットハーバーっていうのがあるんだけど、何があるってよりは雰囲気を感じてほしいかな。海風が吹いてて、人も少なくて穏やかな感じ」


「なるほどね〜」


 そんな会話をしながら徐々に人が少なくなる道を歩く。


 島の先端には大きな灯台があり、そこは確かに穏やかな海の時間が流れていた。遠くではヨットが風に揺られている。


「じゃあここでちょっと休憩するか」


 ベンチに座ってこれまでのこととこれからのことを話す。

 バンドについて詳しく聞けたし、僕の絵に対する考えもしっかりと話せたので良かった。


「はー、めっちゃここにいたな。一時間くらい?そろそろ次の場所に行く?」

 リーダーの瑞季の号令でそれぞれ立ち上がって歩き出す。


「今日は島の中入らないけどいいよね?」


「うん、島の中は割と鮮明に覚えているからいいかな」


「良かった。じゃあ今度は浜に向かおうか」


「わかった」


 日が落ちてきて道行く人の横顔が照らされる橋の上を歩いて戻る。

 橋を渡りきり、夕日に向かって歩いていく。


 砂浜に着いた。数年ぶりに来たが、相変わらず夕日の綺麗さと言ったら言葉にできない。絵に描いてしまいたいくらいだ。

 奏がふらりとステージの方へ向かっていく。


「せっかくギター持ってるからちょっと歌わない?」

 ステージ下の階段に腰掛けて奏がそういうと、琴葉と瑞季はニヤッとして「良いね」と言った。ハモリながら。

 僕がどういうことか分からず戸惑っていると、琴葉と奏がケースからギターとベースを取り出す。


「あの、アンプなくない?」

 と僕が訊くといいんだよ、そんな大きい音でやる必要ないでしょ、と琴葉が言った。


 三人が小さな円になり、何をやる?と話し合っている。やっぱりあの曲じゃない?という声が聞こえてくる。すぐに決まったようだ。


「じゃあね、ここの夕日を見て僕が作った茜音色って曲をやるよ」


 そしてスタジオのときよりも穏やかな雰囲気で曲が始まった。奏と琴葉が生音でギターとベースを鳴らし、瑞季が膝を叩いてリズムを取っている。さっきの真剣な表情が消えて皆が音楽を心から楽しんでいるように見える。

 そうだよな。絵を描くことも含め、音楽とかの芸術はまず自分が表現することを楽しまなくちゃいけないんだよな、と改めて気付かされる。


 演奏が終わると、「いつかさ、たくさんの人に私たちの音楽を届けられたら、このステージを超満員にしたいね」と琴葉が言った。

 僕は想像する。熱気に包まれぎゅうぎゅう詰めのフロア。香る潮風。轟音で鳴る音楽。響き渡る琴葉の歌声。もしもそんな景色が現実になったら。


「僕もそれ絶対見たい。実現してね?約束だよ」


「うん、そのためには陽向の絵も必要だからね?」


「もちろん、頑張って良いものを描くよ」




 すると今度は砂浜で鬼ごっこをしようと瑞季が言い出した。僕は体力が人より圧倒的に無いので内心焦っていると、いつの間にか鬼になっていた。

 僕は急いで駆け出すが時既に遅く、三人は遥か遠くの方へ逃げてしまっていた。

 頑張って追いかけるが、すぐにその場に膝をついてしまう。大丈夫?と駆け寄ってきてくれた琴葉をタッチし、なんとか鬼を交代した。女子に心配されるなんて本当に情けない。

 何度か鬼を交代し、僕に再び鬼が回ってくると、先程と同じように心配してやってきてくれた三人を同時にタッチし、鬼ごっこは終りを迎えた。四人で砂浜に寝転ぶ。服が砂だらけだ。でも、久しぶりにこんなに楽しいと思ったというくらい楽しかった。この三人となら、良い作品を作り上げていけそうだ。

 先に起き上がっていた奏に手を引かれ、砂浜に立つ。そして三人と、始まりの握手を交わした。


 *

 *

 *


 昨日帰ったのはだいぶ夜遅くなってしまい、あまり僕のことに干渉してこない父に久しぶりに怒られた。しかし昨日は本当に楽しく、発見もたくさんあったのであまり気にはならなかった。


 朝起きて、そんな昨日の後味を味わいつつ最低限の朝食を摂ってからアトリエに向かう。

 早速、江ノ島の景色を思い浮かべながら鉛筆や筆を走らせる。

 これから、バンドのイメージを背負って立つような作品を沢山生み出さなければならない。そんな覚悟を胸に、僕は改めてこの世界を色づけ始める。

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