第217話法国の街並み

「──というわけっすね」


 満足そうな鼻を鳴らして自分の知る情報を曝け出したハイトだったが、必要な情報であったとはいえ長々と話を聞いていたエルピス達には疲労の色が見える。

 気がつけば辺りは既に真っ暗闇、街道上でなければいつ魔物に襲われるやも分からない状況だ。

 とはいえ時間を消費して得られた情報は多い。

 法国内部の階級から今回の件に関わっていそうな人物達、最も価値の高い情報は神の外見だろう。

 齢は大体14程度、獣人のような耳が生えていることが特徴らしく法国では珍しいので見ればすぐにわかるとのことだ。


「随分と時間がかかったな、もう夜だぞ」

「なっ!? もうそんな時間っすか! 早いっすね」


 レネスに言われて首を振り、周囲を確認したハイトはその眼を丸くさせる。

 随分と話に熱中していたようだが、まさか時間の感覚までわからなくなるほどとはその集中力には驚きを隠せない。


「正確な情報を得れたのは大きい収穫だったが、時間は食ってしまったな。

 ひとまず今日はここで寝泊まりして明日の早朝に聖都に向かうか」

「そうしたいっす、エルピスさん以外の御三方とも喋ってみたいっす」

「私達とですか?」


 先程まではハイトが一方的に話していたので、会話らしい会話というものはなかった。

 自分達に何の興味があるのか。

 最近慣れてきたとはいえ法国の第一皇女に興味を持たれるということが、エラにとっては不思議なことだった。

 そんなエラに対して身を乗り出しながらハイトは熱弁する。


「そうっす! エルピスさんの話は一応聞いてたっすけど御三方の情報はあんまりないんで拾っておきたいっす!」


 純粋な好奇心からくるものであればそれを否定する理由もなく、エラは目をキラキラとさせるハイトに対して自己紹介をする。


「私は混霊種のエラと申します。以後お見知り置きを」

「混霊種って実在したんっすね!! 初めて見たっす! よろしくお願いするっす」


 法国はその性質上仕方のないことではあるが人類至上主義者が多く、亜人を下に見ている人間も数多くいる。

 だがハイトは亜人の中でも特に珍しい混霊種のエラを前にして嫌悪感を出すことは微塵もなく、むしろ生きている間に会えるかどうかと言ったほどの珍しさである混霊種に会えたことに喜んでいるように見えた。


「私は熾天使のセラよ、よろしく」

「熾天使ってマジもんの熾天使っすか?」

「私が嘘をついているように見えるかしら?」


 次にハイトの興味が向かったのは出会った時から何か不思議な気配を感じていたセラだ。

 その口から放たれた熾天使であるという事実は、それが本当であるとするのならば法国にとっては大事件である。

 熾天使とは神の使い、それもこの世界の神ではなくこの世界を作り出した神からの使いである。

 何故このような場所に熾天使がいるのかという疑問も湧くが、ハイトの目には確実に目の前の人物が熾天使であるという事を認識していた。

 疑いの目を向けられて冷たい視線を返すセラに対し、ハイトは先程までのおちゃらけた雰囲気を改める。


「──失礼したっす、確かにそのようっす。先程の非礼な態度をお詫びするっす」

「別に構わないわ」


 態度を改めたハイトに対してセラはいつも通りに言葉を返すが、その表情がほんの少しだけ嬉しそうなのを他の三人は気がついていた。

 元はと言えばセラは信仰対象であり人々の羨望の対象でもあったのだから、久々に信仰の対象として扱われて嬉しいのだろう。


「それで最後にそちらの方は?」

「えーっと、あー、その、秘密だ」


 ハイトの言葉に対してレネスはあたふたとした態度で返す。

 明らかに怪しい、だが知られて不味いのはなにもレネスだけでなく微妙な空気が流れるが、ハイトはそんな空気に負けてはくれなかった。


「なんでっすか! 気になるじゃないっすか!」

「まぁまぁ、彼女の身分はこちらで保証するので」


 たまらずエルピスが間に入ると、ハイトは渋々と言った顔で仕方がないかと引き下がる。


「そういう事ならまぁ…いいっすけど」

「とりあえず今後の目標はゲリシンさんを法皇の座から引き摺り下ろす事、その代わり我々に法国の案内をお願いします。構いませんね?」

「それで取引成立っす、ちょっとそっちが不利過ぎな気もするっすけど」


 ハイトが気にしているのは労力に対しての対価の少なさである。

 利害関係で作られた関係というのは利害が一致している間は強力なものだが、そもそも前提条件である利害の価値が一致していなければいつその関係が崩れるか判ったものではない。

 法国の案内など最悪の場合出自の確かな者を雇っても金貨数枚が関の山、それに対してゲリシンを法皇の座から引き摺り下ろす作業は金では解決できないほどの難問である。

 側から見ていれば明らかに価値の釣り合っていない作戦だが、エルピスはそんなハイトの疑問に対して呆気カランとして自分の考えを述べた。


「力技でなんとかなる事ならこれといった問題もなく解決できると思うので」


 簡単な話としてエルピスの力を持って行動すれば法皇の討伐程度ならば容易なことなのだ。

 生捕だからこそ慎重になる必要があるが、これが殺せばいいだけなのであればいますぐにでも行えるだろう。

 それほどの力を持つものなのかと驚きの目で見つめるハイトだったが、噂が全て本当であればその実力も確かに裏打ちは簡単だ。


「セラとエラはここでキャンプの用意をしておいて。俺は師匠とちょっと外に出てくるから」

「分かったわ。一時間ぐらいしたら帰ってこれる?」

「それくらいには帰ってこれるかな。ハイトさんもここで待っててください」

「どこいくっすか?」

「ちょっと聖都の偵察に」


 必要な道具を出してキャンプの設置を頼んだエルピスは、レネスをつれるとそのまま聖都の方へ向かって駆け出していく。

 一瞬先行するのではと不安そうな表情を浮かべたハイトに対し、先走るような事はしないと念押ししておくべきだっただろうかなどと考えながらエルピスは隣を走るレネスに聞いておくべきことを聞き出す。


「それで師匠、さっきの人について何か知ってることがあったら教えてもらってもいいですか?」


 エルピスがセラやエラではなくレネスを選んだ訳は単純に法国について最も詳しそうなのがレネスだったからである。

 レネスはかつてこの国の神と戦ったことがあると言っていた。

 戦闘狂に近い性質を持っているとはいえ、なにもレネスは必要もなく他人に戦闘を仕掛けるような人物ではない。


「何かと思えばそういうことか。名前はそのままヴァイスハイト、口にしていた事で嘘は一つもなかったよ。

 父親は法皇ユダ・ケファ・アリランド、年齢は三百歳以上であり法国の最高位冒険者でもある彼女はれっきとした聖人。

 昼間の傀儡による攻撃は彼女の血統能力によるものだ。黒髪の方の能力──先祖返りの力は別にある」


 一般人ではないだろうと考えてはいたが、それでも聖人であった事はエルピスの耳には驚きの事実である。

 法国の統治者であり法皇と呼ばれる王に連なる一族達は基本的に人の寿命を大きく超えた命を持つと聞くが、聖人であるハイトの寿命は後どれだけ続くのだろうか。

 血統能力と先祖返りの力を持つ稀有な存在であるハイトに対して興味を抱くと同時に、エルピスはそんなハイトに対して好感を覚えていた。

 血統能力は基本的に術者の性格の反対の能力になる。

 アウローラであれば他者を傷つけることに特化した能力、エルピスは会ったことがないが魔法を使えなくなるという血統能力すらあるらしい。

 他者を傀儡にすることができるハイトの能力は、ハイト自身が他者に対して自由に生きていて欲しいという意識の表れであると言ってもいいだろう。

 こちらに関してはエルピスに実害が出るような雰囲気もなく、であるとすればそちらの方は放置してもいいのだが、問題は先祖返りの能力のほうだ。


「法皇の家系の先祖返りってことはもしかして?」

「権能とまではいかないだろうがな。それにどんな能力なのかもいまいちはっきりとはしていない、なにせ使っているところを見たことがないからな」


 法皇の家系は元を辿ると神の血筋に辿り着くというのは有名な話である。

 そんな血筋の人物が先祖返りしてまで手に入れる力、それを考えると神の力をその身に宿していると考えるのが妥当だろう。

 どのような能力を持っているのかは分からない、そう口にしたレネスが顔を顰めるほどには危険を含んでいるのが先祖返りの力である。


「なるほど……ちなみに法皇を見たことは?」

「あるがかなり前のことだ、それこそ子供の頃だったから今見ても同じ人物だと判断できるか怪しいな」


 法皇が子供の頃ともなるとかなり昔のことだろう。

 時間の間隔が人とかけ離れているため仕方がないが、正確な情報は知っておきたかったところである。


「そうなってくると後は今回の事件を作り出した人を見つけたいですが心当たりは?」

「さすがにそこまでは分からん。それをいまから調べにいくのだろう?」

「師匠が法国の障壁に弾かれないかの確認でもありますけどね。それじゃあ行きましょうか」


 さらに速度を早めたエルピス達はそれから程なくして聖都へと辿り着く。

 誰にも気が付かれることなく、誰にも悟られることなく、二つの影は聖都を駆け回るのだった。


 /


 地下深くの檻の中。

 人の気配が感じられないような廃墟の奥に二つの人影があった。

 一つは聖衣に身を包んだ30代ほどの男、不潔感はなくこのような場所にいる事自体が異質に感じられる。

 もう一人は両の手を鎖に繋がれた幼女であり、その身体は汚れてはいるものの何故かそんな姿でありながら神聖さも感じられる。

 口を開いたのは男の方、幼女に対して目線を落としながら優しげな口調で語りかける。


「私だってこんな事したくはない。分かるね?」


 その声はまるで仏のような優しさを抱いており、暴力というものからは遥か遠い場所にいるようにも思える。

 そんな男の言葉に対して幼女はニヤリと笑みを浮かべた。


「……くそくらえじゃ」

「──ッ!」


 それは明らかに不慣れなものが振るう暴力であった。

 怒りに任せたそれは体重も乗り切っておらず戦闘を生業にしてきたもの達からすればお遊びのような一撃、だが弱りきった幼女の腹を蹴り飛ばしたその行為にはどれだけ弱々しくとも殺意に近い意志が込められている。

 外見上の負傷はなさそうだがそんな一撃をくらい、幼女の顔はほんの少し苦痛に歪む。


「おぉ、良い躊躇いの無さじゃな、力が弱いのは残念じゃが」

「身動きひとつも取れない状態でありながらその強気、さすがは#神__・__#ということですか」


 神と呼ばれた幼女はそんな男の言葉に対してニッコリと笑みを見せる。

 その笑みはどのような気持ちが篭っているのか他者が押しはかる事はできないが、男はそんな神の姿を見ても何も口にする事はない。

 むしろそんな神の姿を見て面白そうな表情を見せる。

 目の前の神の力は既に奪い取った後であり、そんな神が虚勢を張って神としての威厳を保とうとする姿がどうにも哀れに見えて仕方がないのであった。


「しかし残念ながら貴方の力は既に殆どが私の手中にあります。

 そんな貴方が何をしようとしたところで無駄、この場所も誰にも明かしていません。

 さっさと全てを委ねて楽になればよろしいのに」

「残念じゃが人にやるような力など、どこにも在らんよ。

 それに神にとって大切なのは権能じゃ、それ以外は別に無くなったところで問題はない」

「……その痩せ我慢がどこまで持つか、楽しみなところですね」



 神にとって最も大切な能力が権能であることは疑う余地もなく、面白くないと鼻を鳴らしながらもそれほど遠くない未来に陥落するだろうという確信が男にはあった。

 だからこそ笑みを崩さないままに男は部屋を後にする。

 後に残ったのは汚い部屋の中に一人残されてしまった神だけ。

 人に見下され到底自分には似合わないと思えるような牢屋の中にあって、だが神の余裕というのは少したりとも揺らぐ事はなかった。

 圧倒的な自負と自尊心、そして己が神であると自覚しながら生きてきた長い年月よって、この程度の危機では怯えない精神を手に入れていた。


(実際拘束される分にはまだ問題はないのじゃが……戦争が始まってしまう前にイロアスのところの小僧と連絡くらいは取りたいものじゃが)


 神にとって最も優先的なのは頼まれていたことをこなす事。

 現状からなんとか脱出して約束をこなす算段を立てながら、神はうんうんと頭を悩ませるのだった。


 /

 場面は変わりエルピス陣営。

 日が登り始め野生動物達が起きるような時間帯に起床の声が鳴り響く。


「朝っすよ~!」


 睡眠を必要としないものばかりが揃う場においてわざわざ朝起こすという動作が必要なのかと問われると、正直なところ必要ではないのだが気持ちを切り替える上では重要なファクターなのだろう。

 呼び出したことに満足そうに笑みを浮かべながら付近のテントにハイトが目線をむけていると、のそのそと人影が出てくるではないか。

 一番最初にテントから出てきたのはまだ眠そうなエルピス、朝起きるのが最も苦手と言っていい彼が1番最初にできたのは、何を隠そう昨夜一睡もせずにそのまま作業に従事していたからである。

 とは言え一晩眠っていなかった程度では特にこれといって体に支障がなく、顔色も普段と変わっていないので即座に何らかの障害が出ると言う事も考えられにくい。


「おはようございます」

「おはようっす!」

「ひとまず昨日の間に色々と調べ物は済んだので今日は聖都に入りましょうか。一応こちらで隠蔽はしますが何か隠す方法はありますか?」

「もちろんあるっすよ、これっす!」


 基本的に昨夜のうちにあらかた法国内部の道については調べを終えているので、どの道を通れば顔を見られずに済むかという事は分かっている。

 その上であるのならば変装の技能を使って欲しいが、どうせないだろうとたかを括りながら投げかけたエルピスの問いに対してハイトは胸を張って答えた。

 ハイトが懐から取り出したのはそれはそれは立派な髭、時代が時代であれば戦国時代の将が己の威厳を示すためにつけるような大きな髭を彼女は持っていた。


「えぇ?」

「つけ髭っす!」


 エルピスとて意味がわからなくて困惑の意図を示した訳ではない。

 自信満々なハイトに対してレネスから説明を促すように言葉が入る。


「それは見れば分かるのだが、本気でそれを?」

「見て驚くなかれっす!」


 レネスの言葉に対して反応しながらも、ハイトは自慢げな顔を崩すことなく付け髭を鼻の上に乗せる。

 整った顔達の上に付け髭が乗っている様は確かに贔屓目に見れば似合っていないことはない、だが変装になるかと聞かれれば人とは全く違う種族のものがほんの一瞬見るだけならなんとか、と言ったレベルだ。

 これならばまだフードを被っていた方がマシだろうと思っていたほか四人だったが、そんな四人の前でハイトはみるみるうちにその姿を変えて行く。

 身体つきや顔つきは男のそれに、骨格は太く筋肉は隆々と盛り上がり違和感のあった髭はまるで産まれた頃からそう生えていたかのように存在を主張しているではないか。


「えぇ!?」

「自分が開発した変装用の道具っす。声は変えれないけど見た目は変更可能っすよ!」


 変更先が筋肉隆々な男である点を除けば、これ以上ない完璧な変装である。

 まさか法国の人間も自分の国の第一皇女が筋肉隆々の大男に変わるなど想定もしていないだろう。

 変装というのはギャップが大切だといつかエラが語っていたのを思い出すと同時に、もう一つエラが大切だと言っていたことを思い出す。


「なんか違和感がすごいですね」


 人相や服装、所作などはその人物が生きてきた様を明確に表してくれる。

 外見で他人を判断するべきではないが、判断基準の一つとして大いに役立ってくれるのが外見でありそれが本物でない以上違和感というものは拭えない。

 ハイトもそれに気がついているのか直そうという動きは見えているが、男らしく堂々とすればするほど細かな違和感というのは目につく。

 ひとしきりポーズをとったハイトだったがどうやら軌道修正は無理だと判断したらしく、がっくしと肩を落とす。


「さすがに一般人は騙せても無理っすか…まぁでもないよりマシっす! それにいくつか認識阻害の魔法も使うっす、たぶんそこまですればバレる心配はないっす」

「ならずっとそれつけて移動していたらよかったのでは?」

「これすっごい魔力食うんっす、戦闘も考えるとあんまり魔力は無駄使いできないっす」


 ハイトの言葉通りエルピスの目にはじわじわと減って行くハイトの魔力が見えていた。

 このままでは持って四時間程度と言ったところだろうか、ハイトがいま使用している魔法の発動をエルピスが肩代わりしたとしても持って六時間。

 聖人であるところのハイトの魔力量が一般人のそれを遥かに凌駕している事を考えると、燃費の良い魔法道具とはとてもではないが口にできない。


「とりあえずこれで変装は大丈夫そうですね、それじゃあ検問所に行きますか」


 いくつかの魔法を肩代わりし、自分達にも緊急状にいくつかの魔法をかけたエルピスはそのままの足で聖都へと向かう。

 道中もこれと言ってなんら障害もなく進み、目的の聖都へと辿り着いたのはちょうどお昼より少し前と言ったところであった。

 夜間に見る聖都と昼に見る聖都はやはり違った印象を抱くもので、太陽光に照らされて輝きを増す白亜の城壁は汚れを知らない清らかさを持っている。

 みてみれば魔法防御的にもかなりの強度の魔法が展開されており、その魔力が一体どこから来ているのか不思議なものだが強度は確かであり、アウローラクラスの魔法使いでも壊すのには多少時間がかかるだろう。

 外壁の上を巡回する兵士達の装備もいままで歩いてきた国の兵士の中ではトップクラスに高く、森妖種の国騎士達を思い出させるようなその様相はピリピリとしたものをエルピスに感じさせる。


「身分証の提示を」

「どうぞ」


 街と外界を隔てる門番に対してエルピスが提示したのは、最高位冒険者の証。

 最近では使い所もなくなったように思えたものであるが、何故だかこれは人間の国においてある一定以上の身分証明用の物体としてその効力を発揮してくれている。

 実際のところこの証明書は偽造するのが大変難しいものであり、複製は人類の技術ではかなり無理な代物であった。

 そのため本人からカードを奪うのが最も現実的な手段によるなりすまし方法なのだが、これは奪う冒険者のランクが上がれば上がるほどに難しくなるのだ。

 そもそも一定以上の実力を持つ冒険者は知名度が高くかおがわれていることがおおい。

 さらには一定以上の力を持つ冒険者ということはそれなりに強い、そんなものを倒して得られるのが身分証だけというのはなんとも割に合わない事である。

 そんなことから冒険者組合のこの証は簡単な身分証明には使えるアイテムとして人類生存圏内ではマストアイテムと化している。

 最高位の証を見て姿勢を正した門兵は、続いて視線を下の方へと下げていき名前を確認すると再度敬礼を取り直す。


「これはこれはエルピス様でしたか! もし来た際には通すように言われております。どうぞ中へ」

「ありがとうございます」


 耳が痛くなるほど大きな声で見送られ、エルピス達はこうして無事聖都の中へと侵入を果たした。

 来た時に通すように言われていたとの事だが、話によれば王は病でとこに臥しているとの事である。

 神がわざわざ人に対してエルピスが来たら門を開けるように、などということを口にするなど到底考えられないので、可能性として最も高いのはゲリシンの存在だろう。

 今後の展開を予想しようと頭を悩ませ始めたエルピスの横で、ふと疑問を抱いたのはエラである。


「……法国の検問所王国よりザルですね」


 王に通すように言われていても、最低限の身体チェックは普通の国ならばある。

 規則は規則、頭の硬いもの達がこぞって使いたがる言葉であり有事の際は、責任は果たしてあると言い逃れのできる要素を、わざわざリスクを負ってまで先程の兵士が見逃したとは思えない。

 見逃したのでないのならば普段からあんなものなのだろうというのがエラの見立てだ。


「まぁ基本的にはここら辺まで来れるのは道中の検問所を通ってきた前提っすからね、聖都内での戦闘はすぐに検知されて摘発されるのでかなり安全な方っす」

「それに余所者は格好的に目立つわけね」

「法国の中でも熱心な教徒しか着用していないイメージでしたが、さすがに聖都ともなると普段着として着ている人が多いですね」


 街中を歩く人間のほぼ全てが黒を基調とした服を着用しており、それが法国の宗教で扱う法衣であることを知識として知っているエラは道行く人々に視線を移しながらそんな事を口にする。

 法国において白という色は特権階級の物であり、基本的に街中を歩いているような人間は黒い法衣を身にまとっているのが一般的だ。

 そんな統一された色の中で他の服を着ていると、様々な色で着飾っている部外者はどうしようもなく目立つものであり、自動的にこの街にいる全ての住民が監視役として機能しているのは都市の構造としてなかなか面白いものである。

 物珍しさにきょろきょろとするエルピス達だったが、さすがに慣れているハイトは気にするようなそぶりもなくずんずんと進んでいく。


「とりあえずは大教会に行って状況確認をしたいっす。自分が逃げ出したのはそれなりに前なので状況も変わってるかもっす」

「大教会というと…」


 通りの先に建てられていたのは王国にあった神殿とはまた別の、城のような場所である。

 大教会と言われるだけあって神聖な気配を感じさせ、神であるエルピスにも影響を及ぼすほどの神聖な魔力が辺り一体を満たしていた。

 名前を言われれば指差されずともどれか分かりそうなもの、それほどまでに教会は大きい。


「あれかな? いかにもな大きな建物だけど」

「そうっす、実際は地下の方に大きな空間が開いていてそっちの方が主な用途として使われてるっす。上は観光客用のハリボテみたいなモンっす」


 実際のところそうなのだとして、内部事情を知るものからハリボテと言われるとほんの少し寂しいものだ。

 目の前の荘厳な建物が観光客用の物でしかないと言われ見る目が変わってしまうエルピスだったが、いまから必要な事とは関係ないので一旦思考を切り替える。


「機会があれば上のほうも観察してみたいところですけど今回ばかりは時間をかけるわけにもいかないのでとっとと下に行きますか」

「そうっすね。もしやるべきことが終わったら自分が案内させてもらうっす」

「それは楽しみです」


 法国の宗教的な教えについて何かあるわけではないが、その国の歴史について学べると言う点については宗教の歴史というのは良いものである。

 それを直々に法皇の娘から学べるのであれば、これほど良い機会はないだろう。

 作戦終了後のことを考えて嬉々とするエルピス達だったが、大教会の中へ入ろうとすると奥から兵士が現れ止められる。


「申し訳ございませんが現在大協会は一般局の入場が立入禁止となっております。

 非常に申し訳ございませんがまたの機会に改めて来ていただけると助かります」

「何か問題でもあったんですか」

「お恥ずかしながら設備の老朽化が進み現在修繕作業中につき通行不可となっているのです。

 本来ならば観光客の方に入っていただけるよう定期的なメンテナンスを怠っていないのですが、世界的情勢が戦争へと傾いていく中で我々法国でも腕の立つ職人が軒並み仕事に出ており、こちらまで手が回っていないのが現状です」

「そうでしたかそれは残念です。もしよろしければ協会の偉い人物にお目通りを願う事は可能でしょうか」

「失礼ですがどちら様でしょうか」

「エルピス・アルヘオといいます。彼女達は付き人、彼は案内役として雇いました」


 エルピスが名前を出した途端、兵士の態度が急激に変わる。

 これが名前の力なのかなどと思いながら全速力で何処かへと走っていく兵士の背中を見ていると、もう一人の兵士が対応を始める。


「これはこれはエルピス様でしたか、しばらくお待ちください」


 いまごろは全力で頭を下げながら確認をとっているのだろうと考えると、兵士というのも中々大変な職業なのだとしみじみ感じる。

 教会内部を見てみれば確かにいくつか修繕できていない箇所があり、鍛治神の知識を持って見てみても老朽化による傷は中々に深刻な状況になっている。

 ハリボテとして建造されたとはいえここ大教会は聖都の観光名所の一つでもあるはず、それをこのような状況で放置させているあたりゲリシンとやらは相当前から大切な何かをしていたのだろう。

 予想として考えられるのはこの教会の地下にあるらしい場所の拡張や整備などだろうか。

 戦争を前にして強化する案というのは間違えていないのだが、今回ばかりは相手が悪かったと諦めるしかないだろう。

 改めてゲリシンを倒すことを決定したエルピスを前に、そんなこともつゆ知らず兵士はきょうかいないぶへとあんないしはじめる。


「通しても良いとの事ですので中庭に案内いたします」

「ありがとうございます」


 通された先には木が一本だけ生えた中庭であり、少し前まで整備されていたのだろうがほんの少しだけ雑草も生え始めている。

 聖都の中とはとても思えないが、これでもまだマシな方だろう。

 道中の廊下では壁紙の剥がれた部屋すら散見された。

 中庭にはエルピスを待っていたのだろう人物が一人立っており、恰幅のいいその男性はエルピスを見ると嬉しそうに笑みを浮かべる。


「──これはこれはエルピス様、こちらから出向かなければいけないところわざわざご足労いただき誠に感謝しております。

 聞けば法皇様からちょくちょく呼び出しがかかっているとの事で? 何か我々にお手伝いできる事はございますでしょうか」

「事前に連絡用の手紙を送らせていただいたのですが、そちらへ届いているかどうかの確認ができていないので、もしよろしければ法皇に会えるかと確認した手紙が届いているかの探していただけると嬉しいです」

「もちろんですとも。申し訳ございませんが1、2時間ほど時間をいただきたいので、施設内をぐるりと回っていて下さい。

 人であれば怪我をする可能性もありますが半人半龍であるエルピス様ならば特に問題なく回れるかと」

「お気遣いありがとうございます」


 本来ならばもう少し時間をかけてしゃべるべきなのであろうが、エルピスは長々と会話をする気がないと言うことを先に相手に知らせることで会話を早く終わらせる。

 廃墟と言うにはまだ綺麗さを保っているが数ヶ月もすれば廃墟と呼ぶにふさわしいだけの風体になっているであろう大教会を前にして自信満々に施設内を回ってこいと言えるだけの体力は一体どこから来るのだろうか。

 そんなことを考えたエルピスだったが、道中いくつかの部屋を開けて確認し男の自信が何の根拠もないものではなかったと言うことを確認する。

 1部の部屋はいまだに清潔に保たれており、世界的にみても有数の観光地として有名な理由も理解できた。

 丁寧に作られた調度品は土精霊の国で見るようなものと同レベルで作られており、家具類から何から全てにかなりの金がかかっていることが見て取れる。


「監視は?」

「されているわね」

「いくら客人とは言え部外者であることには変わりないし、目立つ行動をすれば後々の面倒も招きかねないしなるべく自然体を装いながら内部の情報を探ってみますか」

「その案に賛成っす」

「どうにも広いし、手分けして探してみる?」

「だとしたらセラとエラを二人、こっちを三人で回ろう。監視の目も分断出来るし」

「というかこの会話を聞かれていたらまずいのでは?」

「対策済なので大丈夫です。それではいったんここで別れましょう」


 セラとエラに情報収集を任せたエルピスは、なるべく監視の目が自分に向かうように気をつけながら教会の中を探索する。

 見るからに怪しいような行動はできないが、ハイトやレネスといういかにも怪しい人物たちと一緒に歩いていると視線というのは自然と集まってくるものだ。

 自分の役割を果たせていることに満足しながら、エルピスが長い廊下を歩いているとレネスから声がかかる。


「それでエルピス、こちら側は気を引くだけでいいのか?」

「帝国の第ニ皇女からお願いされてしまったしここら辺で一回第一皇女を探しておくと言うのも手かなって思ってるよ

「皇女ならこの間見たっす」

「どこで!?」


 帝国の第一皇女ともなればそれなりの扱いは受けているはずである。

 それがたとえ実質的な国からの追放だったとしても、四大国の内の一つである帝国の第一皇女を無下に扱ったともなれば外交問題は必至であろう。

 エルピスの読みではこの聖都のどこかにいるだろうという想定であったが、そんなエルピスに対してハイトは第一皇女がどこにいるのか知っていると口にするではないか。

 驚きと共に疑問を投げかけたエルピスに対して、ハイトは思い出しながら言葉を返す。


「地下っすここの下にある空間のどれかにつかまっているはずっす」


 捕まっているとは奇妙な話もあったものである。

 何か罪を犯したわけでも――いや、あの第一皇女であれば何かやらかしているという可能性は十二分にあるが――ないだろうに捕まっているのはなぜなのだろうか。

 考えても答えの出ない問いに関してはよそにおいて置き、いまはただ生きていることに胸をなでおろすべきなのだろう。


「死んでないならまだ救出できる可能性はあるか」

「捉えられていると言うよりは交渉中って感じだったっす、外傷もおってるようには見えなかったっす」

「自分のペースに巻き込むことに関しては天才的だから、うまいことやって尋問も拷問もされていないんだろうなあ。

 それに帝国の第一王女を傷つけたとなれば外交問題に発展する可能性も十二分にあり得る。

 問向こうの目的は王女を拷にかけることじゃなくそもそも表舞台に出さないないことこそが目的なんだろう」

「自分の国では扱いきれないが、殺してしまうと問題が発生する人間の押し付け先、それが法国の四大国としての仕事っす。だからきっとその第一皇女も押し付けられただけっす」

「押し付けるにしてもあの人物を御しきれると思えない。それはもちろん法国の人間だって理解しているはずだ」


 レネスからそんな言葉が出るとは意外である。

 直接会話したわけでもないだろうに、それほどまでにレネスが第一皇女を買っているわけはエルピスには分からない。

 実際のところセラとニルの両名から警戒するようにレネスは通達されており、そのことを考えると第一皇女がいかに危険な存在であるかはもはや語るまでもないだろう。


「法国の最も得意な魔法は洗脳魔法、この魔法は基本的に時間さえかけてしまえばどんなにつよい人間だろうと洗脳することができるので心を壊した人間だろうと制御できると考えてるっす」

「慢心だな」

「自分もそう思うっす」


 洗脳によってアレを操ったとして、いつの間にか操られていたのは自分だったというオチすら見えてくるものである。

 それに英雄や聖人、その他称号によって進化した人間には洗脳という手段は通じないことが殆だ。

 それに技能スキルや魔法の効果、血統能力に先祖返りなど考慮すると考えて損はない。

 全体の数から見れば確かにそのような者達は少数であるが、だからといって大丈夫だとタカを括るには随分とリスクの高い賭けにも思える。

 そんな事にゲリシンという人間が気が付いていないのだろうか?

 もしかすれば裏切られても対処できるだけの何かを持っているのかもしれない。


「それよりも妙だなエルピス」

「妙だと言うと気配のことですよね?」

「そうだ。この国に来るまでは気配を感じていたのにこの都に入った途端神の気配が感じられない」


 それに気になっていたことの一つとして神の気配が感じられないこともあった。

 聖都外からは神の気配が感じられるのだが、聖都内部に入った途端神の気配が薄まっていきここ大教会においては神の存在が感じられないのである。

 何かあるとすれば原因はここだろう、だが何が起きているかまでは把握することも困難だ。


「どうやら何か起きてるっぽいですね。師匠気配探れますか?」

「もちろんだ。範囲はどうする?」

「街を囲う外壁ギリギリでいいんじゃないかな、下は探れるだけ探ってみて反応伺えば」


 その原因を特定するためにエルピスとレネスは刹那すらズレのないタイミングで同時に〈神域〉を発動させる。

 どちらが能力を使用したのか分からなくするためであり、実際これは昔アルキゴスと共に行い見事に成果を上げている方法でもあった。

 地下深くへと技能スキルを手繰らせていくと徐々におかしなものが混ざり始め、エルピスは地下の構造がどうなっているかをある程度理解する。


「帝国の皇女様は確かに居ますね。あと何人か怪しい動きしてる人がちらほら」

「肝心の神がいないのが気になるな」

「法皇らしい人間の気配も感じられませんし、どうしましょうか」

「ひとまず明日法皇の方は探すとして、神がいないのは問題だな。アウローラを助けるにはあの神がどうしても必要なのだろう?」


 アウローラを助けるためにも、そしてエルピス自身が自分の力に飲まれないためにも神にはどうしても会う必要がある。

 神の方が接触を断っているのか他者によって接触を妨害されているのか定かではないが、どちらにせよ神にはどのような手段を用いても会う必要があるのだ。


「どなたか怪我をされたんすか?」

「魔界でいざこざがありまして、それに巻き込まれてしまったんです。正直な話法皇に会うよりも神に会うことを優先してやってきました」

「父上よりも神の方が優先されるのは当然のことっす、気にすることないっすよ」


 法皇よりも神を目的として法国にくる人間は多い。

 そう口にしたハイトからは特に不満を感じているように見えず、実際のところそうなのだろうなと感じられる。

 法国が強い権力を人間社会で持つのは神の力を頼りとした他の国からの後ろ盾があってのもの、法皇という存在は他国からしてみれば神の付属品でしかないのだ。

 だからといって雑に扱っていいわけではないが、王しかいない国に比べて扱いが雑なものになるのは仕方のないことだろう。


「そう言ってもらえると助かります。もうひとつ気になったのはペトロさんやフィーユちゃんなんかは会ったことがあるので見落とすとは思えないんですけど、どこにも気配が感じられないんですよね」

「そんな訳が──」


 聖都の中に居ないのであればここから脱出したというわけである。

 だが次女は別として、かつてエルピスが王国であったときに人の影に隠れていたような幼い子供が外に飛び出せるほど法国の警備は甘いものだろうか?

 それにもし偶然抜けられたとしても痕跡が全く感じられないというのは異様だ、かなり前にここを出たのであれば話は分かるが……。

 エルピスからの言葉に対して何かがおかしいと返そうとしたハイトの声を遮り、恰幅の良い人物がエルピス達の話を遮ってくる。


「おお、ここにおられましたか。ささ、どうぞ大司教様がお待ちでございます」


 会話を邪魔するようなタイミングとも取れるような状況で話しかけてきた男は、ニヤリと笑みを浮かべるとエルピス達の案内を始める。

 向かう先に一体何が待っているのか、それを知る手立てはいまはなく、戦闘さえも覚悟しながら部屋へと向かうのであった。

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