青年期:法国編
第213話戦後処理
荒廃した大地を何かを探し回るようにして歩き回っていたのはニル。
破壊神の信徒との戦闘を得策ではないと判断したニルはまた今度殺せばいいやと思考から外し、その場から離れてとある人物を探し回っていた。
先程までは別の大陸にいてもその存在を感知できるほどの力を奮っていた彼は、いまはその全てを使い果たしたのか、命の鼓動すら感じられないほどに気配が薄まってしまっている。
「これは……エルピス死んじゃったかな?」
「──エルピス!? いきてるのエルピス!」
冗談半分でニルが口にした言葉に対してほんの少しの可能性に神経を過敏に反応させたセラが、その漏れ出した魔力で辺り一体の瓦礫をチリに変えながらエルピスの捜索を始め出す。
普段ならばどのような戦闘であろうともエルピスが死なないと断言できる。
なにせセラやニル、レネスなどのこの世界の中でも規格外の戦闘経験を持つもの達を相手にエルピスは普段から訓練しているからである。
だが敵が邪竜ともなれば話は別で、信頼しているからこそエルピス一人に任せたが、あの敵はニルやセラでも勝てるかどうか怪しいほどの難敵であった。
暴れ回る姉に対して、これ以上破壊行動を続けられその余波でエルピスが傷つく可能性を考慮したニルが口を開く。
「自分から死んだかもと言った手前あれだけど姉さん、僕たちがこの世界にいる時点でエルピスが生きていることは確定しているようなものだよ」
方法がなんにしろこの世界でのニルやセラの扱いはエルピスに召喚された召喚物、術者が死ねば諸共消え果てる運命なのだ。
ニルの言葉に対して一瞬ポカンとした顔をしたセラは、人など簡単に潰せるほどの大岩を適当なところに投げ捨てるとようやく落ち着いたらしい。
「確かに。なぜそんな簡単なことに気が付かなかったのかしら」
「だからって急に冷静になりすぎだよ姉さん、重傷になってる可能性は十二分にあるんだから──お父様?」
あまりの姉の温度差に対して疑問を呈したニルだが、そんなことを言っていても仕方がないと探しはじめようとしたその時。
ニルの目に映ったのは普段の姿からは想像つかないほどにアタフタとしながら、自分の力を使うことも忘れてふらふらとするイロアスの姿であった。
彼の力を用いればエルピスの探査は目で探さずとも他の方法がいくらでもある。
そんな中でわざわざ視力に頼って物を探してしまっているあたり相当に困惑しているのだろう。
かくいうセラとニルも同じように探す手段は様々あるのだが、契約者としてのパスが繋がっている以上この二人の方がイロアスよりも動揺の色は濃い。
「え、エルピス? どこだエルピス」
「イロアス、私はあっちを探すからあなたは向こうを探してきて」
「落ち着け落ち着け、エルピス~頼むから死ぬなよ~」
気がつけば横から入ってきたのはエルピスの母親であるクリム。
両者通常通りとは言えない精神状態であるが、自らの子供が死にかけているのだから当たり前の反応であると言えるだろう。
「落ち着いてください、お二人とも重症なんですから。ひとまずここで休んで」
「この程度なんでもないわ。それよりも早くエルピスを助けにいかないと」
「ならせめて回復魔法だけでも……」
イロアスの方はまだなんとでもなる。
いくつか身体に外傷が見受けられるものの、それらは死に至るような傷ではない。
実力差こそあれば傷を比較的に抑えて戦闘行為を行うことができる、それが魔法戦闘における利点だが、逆を言えば肉弾戦を行ったクリムはどれだけ頑張っても傷を負うことになる。
しかもクリムの戦闘はセラも回復魔法をかけて援護していたからこそわかる。
自分の事など省みずに戦闘を行なっていたあの姿は、戦場によくいる命を軽視する人のそれだ。
本人にその気がないのかそれとも生来の物なのか、龍人であることを考えると生来のものなのだろう。
渋々と回復魔法を受けていたクリムだったが、ふと驚いたように顔を上げる。
「──いまエルピスの声が聞こえたわ。こっちの方」
「こっちの方って何もないけど……一体どこに行ったんだ? おーいエルピス? いるなら返事しろー」
よく見てみれば自分達がいるのは巨大なクレーターの中心部。
この世界の理から外れたエネルギーの魔力を大量に浴びた事で変質した鉱石などは、もはやこの世界の物質のどれとも類似しない性質を持ち合わせている。
そんな中で歩いていると急に地面から腕が飛び出てくるではないか。
「うわ、腕だけ出てきた。生きてるのか本当に」
「ぷはっ、生きてるよ! 父さん悪いんだけど両腕だけ出せるようにできる?」
なんとか頭だけを地面から出したエルピスが腕をぷらぷらと振るうと、イロアスがその腕を引っ張りながら言葉を返す。
「よく生きてたな、あまりにも酷い状況だからてっきり死んだものかと」
「天災級魔法を使ったから至上最高に体の調子は悪いけど、何とか生きてるよ。
セラ悪いんだけど回復魔法貰っても? へそから下がハンバーグみたいになっちゃってるから」
「なるべく動かないで、完璧に直すから」
魔神の権能によって魔法は本来ならば自分に牙を向くことがない。
だがエルピス本人も三重に重ねた天災魔法を放ったときに自分の体がどうなるか、ある程度の目測はつけて放ったつもりである。
まさか内臓まで無くなってしまうとは思ってもいなかったが、死にはしなかったのだからありがたがっておくしかないだろう。
通常の負傷であれば自分の手で治すこともできただろうが、この世界の理からズレた攻撃による怪我はどうしようもない。
「さすがにあれだけの激戦を一人だと厳しそうだな、英雄には成れたか?」
「うーん……ないね、探したけどない」
自分の称号を下から全て探してみるが、どこにも英雄という称号は刻まれていない。
確かに創生神が口にしていた英雄の取得条件である邪竜の討伐、その偉業をこなしたにもかかわらず英雄の称号が獲得できなかった理由は一体なんなのだろうか。
既に神の称号を持つ自分には取得不可能なのかとも考えたエルピスだったが、だとすれば下位互換の勇者の称号を手に入れられた理由も知りたいところだ。
「一人で戦うって言い出した時は驚いたけど、貴女が生きていて良かったわ」
「母さん達も無事でよかったよ。とりあえずは各地の状況を確認しないとね。ええっと……この魔法かな?」
頭の中を軽く探ると魔神の権能が必要な魔法を教えてくれる。
初めて使う魔法ではあるが、エルピスが使いたいと念じるだけで魔法名すら必要なく魔法は発動された。
中空に映し出されたモニターは属性系統的には水と風、画質は良くないもののその利便性はピカイチである。
「でたでた、これで見えるかな」
エルピスが魔法を用いて連絡を取ろうとしたのは自らの妹、フィアである。
ノイズが入り見にくかった画面が少しずつクリアに変わっていくと、神妙な面持ちで椅子に座っているフィアが映し出された。
「お兄様! それにお父さんとお母さんも無事に終わったの!?」
「お疲れ様フィア。そっちは大丈夫?」
「アルさんが守ってくれたから大丈夫だよ!」
気がつけばいつのまにか愛称で呼ばれるようになっていたアルキゴスがフィアの言葉に苦笑いを浮かべると、エルピス達の間にも笑顔が生まれる。
「アルキゴス、毎回うちの子供を任せてしまって悪いな。お前のおかげで安心して戦う事ができたよ」
「全体の指揮よりもお前のところの子供の世話の方がよっぽど疲れるよ。それで倒せたのか?」
「邪竜ならエルピスが一人でやった」
「一人でか!? さすがにお前らの子供か。それでその本人は?」
誇らしげに語ったイロアスに対してアルキゴスの反応は人類史上二度目の快挙を成し遂げたにしては淡白だが、エルピスならばそれくらいこなせるだろうという信頼あってのものでもある。
だが当の本人であるエルピスは地面に埋まってしまっているため気が付かれていないようだ。
「埋まってますけど居ますよー」
「とりあえずはおめでとう。身体は大丈夫か?」
「胸から下がぐちゃぐちゃですが生きてますよ」
「お兄様大丈夫ですか!? 痛くはありませんか?」
「大丈夫だよ、敵の攻撃でこうなったわけじゃないしほとんど自爆みたいなもんだから」
邪竜の攻撃でこうなっていたのであれば今ごろ集中治療でもされている事だろう。
自分の魔法の効果で瀕死の重体にはなったものの、回復を阻害するような効果は付与せずに放った魔法なので回復に時間こそかかれどいきなり死にかけるようなことはない。
心配にそうにエルピスの方を眺めるフィアだったが、エルピスの口から大丈夫だと言う言葉が発せられると少しは安心したようだ。
「まぁ無事なら良かったよ。魔界自体に出た被害もたかが知れてるしな。
もちろん死人がいないってわけじゃないが大陸一つ分の戦争だって事を考えれば奇跡的な数だと言ってもいい」
大きな戦場はいまエルピス達が戦っていた場所とエラ達が戦っている場所の二箇所だが、それ以外の場所でも小競り合いが起きたりこの機を待っていたとばかりに殺したい相手を殺しに行っているものもいる。
この戦争の間に対抗勢力を潰せば成り上がれると種族間同士で戦っていたものもいるだろうし、魔界の外からこの機に乗じて一山当てようと来たものだっているだろう。
だが死者の数はアルキゴスが把握している限りそれほど多くもない。
レネスが相手取った敵だって殺されているものは少ない、大体の死亡理由はエルピスと邪竜の戦闘による流れ弾で死んでしまった者達だけだ。
「すごいよお兄ちゃん! お父さんとお母さんも! 絵本の中の英雄みたいだった!」
「ありがとうフィア。いまは情けない格好だからまた後で倒した時の話するね」
「本当に!? ほんとのほんと?」
「うん。ほんとのほんと。アルさん悪いですけど引き続きお願いしていいですか? 他にも色々とやらなきゃいけないことがあるので」
出来ることであればいますぐに妹の元へ向かって自慢したいエルピスであったが、これだけの戦闘をしたとなれば事後処理にどれだけの時間がかかるか想像に難くない。
なるべく早く終わらせるつもりではあるものの、複雑に絡み合う魔界の情勢を一つずつ解いていく必要があるのでこの分では法国に行くのも当分先の話になりそうだ。
その間のフィアの警護をアルキゴスにお願いすると、渋々と言ったふうに彼もそれを受け入れる。
「もちろん構わんが…無理はするなよ?」
「しませんよ、それに父さんと母さんも居ますしもう無理もさせてもらえそうにないです」
「それならまぁ良かったよ。お疲れ様」
最後に労いの言葉を受け取りエルピスは通信を切る。
それと同時に身体に尋常ではないほどの倦怠感が現れ、なんとか体を動かして眠らないように気をつけながらエルピスが回復魔法をセラから受けているとクリムが口を開いた。
「なんだか感動だったね」
「アルさんとは長い付き合いだからちょっとしんみりしちゃったかな」
「あいつは何かと文句は言うがいい奴だからな、エルピスを預けて正解だったと思ってるよ」
「たまにポンコツなのがたまに傷だけど」
両親の目線から見てアルキゴスがどう映っていたのだろうか。
昔エルピスがエラに聞いた話では自分の事は任せると言っていた。
自分たちの子供を任せるに値する相手、それが両親からのアルキゴスに対しての評価であり、両親が軽口をたたく少ない相手であることを考えると信頼関係は疑いようがないだろう。
「それ母さんがいう?」
「ひどいじゃないエルピス。そういえばエラちゃん達の方は?」
「いま繋ぐので少々お待ちを……」
一回魔法を使用しただけで目に見えて疲労したエルピスを庇ってかニルが魔法陣を起動させると、エルピスが先程使用した魔法と同じような画面が目の前に現れる。
通信がつながった先は先ほどとは別の場所、エラ達のいるであろう戦場である。
「よし、これで大丈夫かな。エラ聞こえる?」
「その声はニル? どこから?」
だが先ほどと同じような魔法を使ったのにも関わらず、声こそ聞こえるものの映像は見えそうにもない。
魔法が発動で来ている以上は問題と考えられるのは術者の力量かそれ以外の何か、ニルの実力を考えるのであれば後者であると考えた方が一般的である。
そうしてニルはその理由がなんであるかを一瞬考えて、最も考えられる可能性の高い能力について指摘する。
「あれっ、映像が安定しないな……いまそっちで権能使ってる?」
「え、ええ使って居るけれど」
「悪いんだけど解除できるかな、この魔法権能持ちの人がいると弾かれるんだよね簡単な魔法だから」
魔法というのは基本的に利便性が高いが、それゆえに対処法を持っている相手にはどうやっても効果を適用することができないという不便さもある。
今回の場合は丁度それと同じ状況なのでニルが権能の使用を止めるようにお願いしているわけだが、エラはそんなニルの言葉に対して少々気まずそうにしながら言葉を返す。
「ごめん…それはちょっとできないの。悪いんだけどニルだけこっちにこれる? もし戦闘が終わってるならイロアス様かクリム様のどちらかもついて来ていただけるとありがたいわ」
ニルを指名して呼び出したエラの声は、どこか焦っているようにも聞こえる。
けが人でも出たのだろうか、始祖種を相手にしていたのだからけが人の数というのは相当に多そうなものではあるが……。
しかしいまのエルピスは権能はおろか特殊技能はては技能までも使用できないため、エラ達の状況がどのようなものであるか判別できない。
「アレだったらもう少し待ってくれたら俺もいけるよー」
「その声はエル? 怪我は大丈夫?」
「死にはしないから大丈夫だよ。まだ回復に時間はかかりそうだけど」
「怪我人を無理させられないよ、師匠命令だそこにいなさい」
エラとエルピスの会話の間に入ってきたのはエラ達の方に向かっていたレネスである。
彼女が居るのであればエラ達に危害が及んでいる可能性というのは殆ど無いに等しいだろう。
そう考えたエルピスはレネスの言葉を素直に受け入れ、見えてはいないとわかっているが頭を立てに振るった。
「師匠も無事合流できたんだね。良かったよ」
「……それじゃあエルピス、俺が先に行ってくるからお前は後からちゃんと体を治してくるんだぞ。クリム、悪いがエルピスの事は任せた」
「ええ、任せて。セラちゃん、後どれくらいで治りそう?」
「そうですね…思っていたより時間がかかりそうです。一時間くらいは」
理の外の力とは言えセラにとっては見たことのあるレベルの力、それを直すのに一時間もかかるものなのかと思わずにはいられなかったが、エルピスがそのことを口出してよさそうな雰囲気ではない。
何処かしら疎外感を感じずにはいられないエルピスだが、そんな中でなぜか奇妙な違和感を口に出すことができなかった。
「一時間か……分かった。イロアス、それまでに向こうの方ちゃんとやってきておいてね」
「分かってる。悪いけどニルちゃん転移魔法を使ってくれるか? 何から何まで頼んで悪いが」
「いえいえ、お任せください」
転移魔法で去っていく父に対して何か声をかけることもできただろうに、それに対して言葉をかけることもできないままにエルピスは喉につっかえた異物感を飲み込むのであった。
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場面は変わってイロアス達の方。
数多の戦場を駆け回ってきたイロアスと神であるニルはおおよその状況を理解しながら転移してきたために状況をある程度理解できていた。
戦場において暗い顔をした仲間というのはたいてい状況が決まって居る。
一つは戦況が不利になっているか負けている状況、これに関しては既に勝利していると聞いているので違うという事は分かっている。
そうなってくると二つ目は味方の死、これが最も可能性として考えられる中で現実的である。
だが基本的に戦地にあって勝利した軍というのは多少の味方の犠牲であっても勝利の幸福感に負けてしまい、悲しみを感じるまでにそれ相応の時間が必要とする場合が多い。
よほど身近な者の死でもない限りはそんなものなのだ。
「い、イロアス様。これはその……」
エラの顔はまるで死者のように青白く、もはやこちらの事すら見えていないのではないかと思えるほどに虚ろな瞳は彼女の心を表しているようでもあった。
放っておけば自分自身でその命を絶ってしまうかもしれない。
「分かっている。犠牲者が出ないとは思っていなかったが、まさか身内から出るとはな」
「犠牲者はどこに? もしかしたら僕がなんとかできるかも──」
ニルの言葉に対してエラが無言で指を指した先には小さな人だかりができていた。
集まっているのは始祖種や桜仙種が数人、レネスの姿なども目に入る。
まさかとは思いつつもそんなことはありえないと整っていく考えを傍へと捨てて、ニルはまるで亡者の様なとろとろとした足取りで人だかりの方へと向かうとその中の一人を押しのけて横たわっているものに視線を移す。
そこに倒れていたのはニルの頭が予想していた通りアウローラであり、致命傷だと思われる胸部の傷は命を絶つのに十分な損傷である。
明らかな致命傷を前にしてニルは無意識に自分の知りえる中で最高位の回復魔法を使用するが、傷口以外はどうとでもなるのに肝心の傷がどうやっても治らない。
「まさか犠牲者はアウローラだっていうのか? レネス教えてよ」
「……そうです。始祖種との戦闘中に背後を取られた結果がこれです」
「レネス、悪いんだけど記憶を覗かせてもらうよ。自制の為に必要なんだ、分かって欲しい」
「もちろん」
「ごめん、協力感謝するよ」
いつのまにか子供と見間違えるほどに小さくなってしまったニルに手を当てられて、レネスは己の記憶を開示する。
ニルが目にしたのは心臓を貫かれたアウローラと、楽しそうに笑みを浮かべるスライムの姿。
「まさかアウローラちゃんが……」
「ダレン様には私からお伝えいたします。エルにも後から私の口でちゃんと…責任を持って」
「いや。それは許可しない。エラ、君が責任を感じる必要はない。戦場で一番難しいことは他人を助ける事だ。
俺は今日エルピスを見捨てるに限りなく近い判断を下した、その結果エルピスが死んだら俺の責任だがなにもエラはアウローラちゃんを見捨てていないんだろう?
なら責任なんて負わなくていい」
誰がこの場にいたところでも何も出来る事はない。
どうやったって死ぬ運命に有ったのかと聞かれればそんな訳は無いのだろうが、だとしてもそうとしか思えないほどに不条理なのは何故なのだろうか。
戦場における死は誰の責任でもない。
強いて言うのであればその理由はただ単純に運がなかった事、それだけに尽きる。
だが一つだけアウローラにとって幸運なことがあった。
それはエルピスの妖精神としての権能が無事開花し、それを十二分に操れるほどエラの権能への理解が早かったことにある。
普通ならば既に死んでいる状況のアウローラだが、権能によってその命は細い一本の糸でなんとか繋ぎ止められていた。
「お父様気を負わなくても良いかも知れません。幸いなことにまだ彼女は死んでいません」
「本当なのかニルちゃん」
「権能を使ったのは正しい判断だったよエラ。後数分状況が遅れてたら多分二度と生き返らせられなかっただろうけど、これならまだ間に合う」
アウローラの首元に手を当てて脈を測ってみれば、まだ微かにだが脈も感じられる。
完全に死ぬ前にアウローラの身体の時間をエラが止めたのだ、そのおかげでなんとかギリギリ助けられる状況には持って行けている。
問題は先程ニルが回復魔法を使用した時にそれを拒否した傷口の方、そちらさえどうにかなればアウローラを助ける事はそう難しい話ではない。
「本当に…本当にアウローラは助かるの?」
「大丈夫。君の判断は間違ってなかったよエラ、特にエルピスを呼ばなかったのは良い判断だった」
「向こうの状況は?」
「邪竜は討伐したけど破壊神の信徒には逃げられた。それに僕と姉さんの顔馴染みも居たからね、破壊神が力を付けているのは間違いない」
レネスの言葉に対してニルはただ事実だけを返す。
本当であれば破壊神の信徒に逃げられたなど恥でしかないことを口にしたくないのだが、味方に隠していても仕方ないだろうとニルはしかたなく口を動かす。
「エルピスの負傷状況は?」
「正直な話をすると一月は絶対安静だね。どれだけ頑張ってもベットから出るのに一週間はかかる。
いまはアドレナリンだのなんだのに加えて権能使用後の全能感があるからつ動けてはいるけど、あんなのいつ倒れたっておかしくない」
エルピスは自分の体だけを心配していた様だが、ニルやセラが気にしていたのはエルピスの力の使い過ぎについてである。
魔神としての力を持っているエルピスが天災魔法を使うこと自体は前からあった話だし、それはおかしなことではない。
むしろ魔神が己の権能を使用して戦闘すると言うのは極一般的な話であると言っていいだろう。
だが天災魔法の同時使用に加えていくつかの権能を同時発動させたエルピスの力は、もはやこの世界の神というよりは全盛期のセラやニルに近い能力を持つに至ってしまった。
つまりそれは森妖種の国で神としての位を無理やり突破しようとしてしまったあの状況に近い。
今回に限ってはぎりぎりその状況に至っていないだろうが、少しずつエルピスの力を元の方向性に戻していくのにはそれ相応の時間がかかる事は予想できる。
「確かにそれは呼ばなくて良かったな」
「いま無理して魔法でも使われたらそれこそアウローラよりも先にエルピスが死んじゃうよ。
姉さんも多分状況は理解してくれてるからある程度時間は稼いでくれるだろうけど」
アウローラの命とエルピスの命を秤にかけるわけではないが、死ぬ可能性だけを考慮するのであればいまに限ってはエルピスの方が危険である。
姉がそんなことに気がついていないわけがないだろうからなんとか取り押さえてくれるだろうが、エルピスとて誰かが負傷していることくらい分かっているだろう。
本人がそうかもしれないと思い続けている間がニル達が自由に動ける時間、それが一体どれまで続くか考えると気が気ではない。
今後の予定を頭の中で組み立てていたニルのところにふとバーンがやってくる。
「あー…そのなんだ、守れなかった分際で悪いんだが、情報を共有したい。構わないか?」
「バーン君だっけ、別にいいよ、君だって仲間に裏切られた直後で参ってるだろう?
幸いなことに期間は空いてるから一度ゆっくりしてきなよ」
「残念だがそうもいかねぇ、誰に話を聞かれてるかも分からないからな。
話はできるだけ早いうちがいい、それにおっさんが落ち込みを通り越して死にかけてる。次の仕事を上げないと倒れるぞあれ」
「確かレネスと守る約束をしたんだったか、元人の身で頑張った方だとは思うんだけれどね。僕だってあの場にいたら守れてたか怪しいよ」
ニルとバーンの会話に出てきている男とは始祖種のうちの一人であるヘレディック。
死した英雄と契約し、その力を部分的に使用できるこの世界で唯一の人物である彼は英雄との間に誓った約束を何にもまして順守する。
彼が人でありながら始祖と呼ばれるに至った人類への宣戦布告も既に忘れ去られた物ではあるが、英雄との間に結ばれた約束が理由である事は長い時を生きる生物の間ではよく知られる事だ。
彼にとっては約束は守る物、たとえ世界が敵に回ったとしても守ると誓ったのであれば、己の体がこの世界から消え去ることになろうとも守らなければ彼の矜持が傷つけられる。
「違うのだ。友達の名に誓った以上、たとえ不可能であろうとも私は果たさなければいかなかったのだ」
「大変な人生だね。分かった、ひとまずエラはこのままアウローラの側にいてあげて。バーン君は僕と一緒に来て、レネスも一緒にね」
「私もか?」
「僕に何にも言わないで仙桜種の力を使ったでしょ? あれ体への負担が大きいのにさらに無理までしてるから思ってるより体ボロボロだよ。
治さないと後々響くからそれを治さないと」
全力を出したが故に己の力で壊れてかけている人物の多い事。
だがどれだけ簡単そうに見えた戦場であろうともそこは命が賭けられた場所、それに対して全力で答えた物達は軒並みその身体を壊してしまっている。
治療と同時に今後の会議をするとして、どれだけ時間がかかるものか。
「アーテ君は各地に散らばってる人達を集めてなるべくエルピスの気をそらしてきて、どれだけ時間が稼げるか君に掛かっているよ」
「お任せを」
「とりあえず夜にはアルヘオ家の別邸によるからみんなそこに集合で」
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場面は再び切り替わりエルピスがいまいたのはアルヘオ家の別荘農地の一つ、魔界に用意された自分の部屋の寝室でエルピスは横になっていた。
その顔は非常に疲れているが、その疲れはどうやら戦闘の疲労からきた物ではなく心身的な疲労のものの様である。
「なんでこんなにいろいろ人くるのかな、さすがにちょっと疲れちゃったよ……」
体こそ元通りの様に見えるが倦怠感は変わることもない。
起き上がることも満足にできない状況のエルピスにとってみれば会話しにきてくれるだけでも嬉しいが、丸二日ほどほとんど休まることもなく来客が来ると少しだけ億劫にもなってしまう。
「エルピスが無理して倒れたからでしょう? とりあえずは体の回復を優先させるわよ」
「まさか人生初めての点滴が異世界でなんてね。めちゃくちゃ暇なんだねこれ」
「確かそこら辺に本があったはずだけど……有ったわ、これね」
渡された本は既に死んだ神について記載された物だ。
情報収集の一環でいままでも何度か読んできた本の一つだが、ふと適当にページを開けてみればそこにあったのは数千年前に死んだ盗神の記載。
次に解放予定の能力の持ち主が死んだと言う記載には少し嫌な感情が芽生えるが、偶然開いたのも何かの縁。
「ひとまずこれ読んで時間潰すとするよ」
「回復魔法はかけ続けておくから私も少し席を外すわね。それと権能をいまこっちで全部預かりたいんだけど預かっても大丈夫?」
「うん、どうせ俺いま動けないから別にいいよ。障壁だけ貼っておいて」
「もちろん、私もずっと近くにいるし大丈夫よ。おやすみエルピス」
「気が早いよ、まだ寝れな…い」
セラへと権能を譲渡した途端にエルピスは静かにその瞳を閉じる。
権能によって睡眠に対しての抵抗を得ていたエルピスだったが、その権能がなくなってしまったいまたとえ神人であろうとも泥の様に眠ってしまうのは仕方のないことだ。
エルピスとニルから得た力を一旦エキドナに預けて自分の年齢を抑えながら、セラが向かった先はニルがいる場所である。
そこはバーンがいる吸血種の城、その中庭で寛いでいたニルの元にセラがやってくると待っていたとばかりに話を始める。
「それで? エルピスは寝たの姉さん」
「ぐっすりと寝ているわ。さすがにお父様特性の睡眠薬はよく効くわね」
セラが対エルピス用に用意したのはイロアスから借りた睡眠薬、かつてエルピスが爆睡したとお墨付きの一品だったが神人になったエルピスでも十二分にその効果を発揮した様である。
「一週間はこれでとりあえず時間が稼げるとして、起きた時の対処はどっちがする?」
「私がしようと考えていたのだけれど、多分起き上がってきた時にはもう状況を把握しているでしょうし大丈夫でしょう」
「寝てるのに?」
「寝ているからよ」
寝ている人間がどうやって周囲の状況を把握するのだろうか。
そんな
「──もしかしてまた干渉してきていたの? 意外と世話焼いてくれるよねあの人も。昔から何も変わってなくてちょっと安心しちゃった」
ニルが口にしたあの人とは創生神の事である。
もはやこの世界で力を持たない存在でありながら、陰ながらエルピスの事を支えようとしているのはニルもセラも知るところだ。
だが彼自身にもなんらかの目的があると言う事は二人とも察しがついており、現状においてニルとセラが最も警戒している人物であると言うことも昔の三人の関係を考えると皮肉なものである。
だがいまこの時に限っては体を動かせない夢の中でエルピスに事実を伝えられるのは創生神だけ、彼がやってくれるかどうかすら曖昧な状況ではあるものの、もしやってくれるのであればありがたい。
変わらない創生神にほんの少しだけ嬉しそうな表情を見せるニルだったが、それに対してセラの反応は冷ややかなものである。
「逆に何も変わっていないところが彼が自分の特性に絶望しているところでもあるんでしょうけれどね」
「絶望? 聞いたことがない話だな。姉さん悪いけどその話僕にもして貰っても?」
「法国に行く道中で教えるわよ、どうせ教える必要があると思っていたしね。私はいまからレネスに法国でのいろいろを説明してくるから、悪いけどエキドナの件任せたわよ」
「分かった」
創生神が絶望していたなどと聞くのは初耳である。
ニルの目にも彼はその生を十分に謳歌している様に感じられた、絶望している様にセラから見えたとするのであればそれもまた彼の一面なのだろうが、それに自分が気づいていない事がニルからしてみればおかしな話であった。
詳しく話を聞きたいところだがどうやら話すのにも時間がかかる様な話らしく、姉にも心の準備があるだろうと判断したニルは目的を達成するため龍の谷へと向かう。
転移魔法によってやってきた龍の谷は以前訪れた時よりも随分と清潔になっており、龍神として現在この場に君臨しているエキドナの性格が現れている様であった。
奥へ奥へと進んでみれば一人で休むエキドナの姿が見え、ニルが近づいていくとその気配を感じたのかエキドナも気だるそうに首を上げる。
『それで? 容体はどうだったのだ』
「安定しているよ、君が心配しなくても死にはしない」
『そうかそれは良かった。ところで何か言いたげな顔だな」
「君について少し疑問に思っていることがあってね。エキドナ、君本当は何者なんだい?
龍の谷から来たとエルピスは言っていたが君ここの出身じゃないだろう?」
ニルがセラから任されていたのはエキドナについて調べる事だ。
そもそもエキドナはなぜ気高き龍種でありながら、人を背に乗せる龍としてあの様な場所に居たのだろうか。
ニルは詳しい状況をエルピスから話として聞いただけなのでその龍が飼われていたとされる場所についていまいち把握できておらず、実際に足を運んだりして状況確認をしに行ったこともある。
その結果分かった事はまずあの場所にいる様な龍ではなかった、ということだ。
エキドナは確かに龍として元々戦闘能力の高い部類の龍ではないが、こと隠蔽や潜伏という能力に関しては他の龍種を圧倒するだけの才能を持つ。
その気があれば人の下でなくとも不自由なく暮らす事は出来たはずだ、わざわざあんなところで理由もなく人に飼われ、エルピスに嘘をついてまで同行する理由もない。
ニルの言葉に対して目を細めたエキドナは、その体を起こすこともなく言葉を返す。
『私がスパイかどうか、勘ぐっているのか?』
「違う、それならもうとっくに殺してる。ただ多産の女神の名をもつ君が、一人も子を成していないことが違和感だっただけさ」
神の名前は共通する様に作ったと、事前にセラから聞いているニルはエキドナの性質について違和感を持っていた。
共通の名前を持つからと言って神になれるわけではない、だが性質自体は似通ったものになるはずだ。
それが運命と呼ばれるものであり、名前とはそれくらいに重要な代物である。
『ふむ、そう言うことまでわかるのだな愛の女神というものは』
「権能のうちの一つだからね。それで答えは?」
『作る気がないからだな、私は転生体だ。もとよりこの世界の竜の一匹であったが、かつてとある冒険者に殺されこの様な姿でこの世に産まれたのだ。
性別などあってない様なものだが、さすがに自分の腹に子を宿してもいいと思えるほどの雄に巡りあってはおらんな』
エキドナから返された言葉を自分の中で吟味し、おかしいところはないだろうと判断したニルはその場に腰を下ろす。
それと同時に別の疑問が浮かび上がり、ついでに聞いておくかと口を開く。
「面白いね、まさか君が転生体だったなんて。昔はなんて呼ばれてたの?」
『赤竜と呼ばれていた。赤き竜の血脈は私が最後だったが、私が一番強かった。
冒険王と互角の試合を繰り広げた私の勇姿はそれは素晴らしいものだったぞ、まぁ今の方が強いがな』
赤竜に冒険王と言えばヴァンデルグ王国建国秘話の最も有名な戦いの一つである。
かつて冒険王と呼ばれた転生者、冒険王ヘンデリス・ヴァン・デスタルト・ヴァスィリオとエキドナが戦ったともなれば王国に居た理由も分からなくはない。
自分の体の最も大切な部分である魔石、それを使って築き上げられた国こそ王国であり、人の国の中で王国を特別視する理由も理解できないわけではなかった。
「出身地を偽った理由は? なんであそこにいたの?」
「出身地を偽った理由については言いたくないな、あそこにいたのはただ単純に破龍を一眼見ておきたかったのだよ。
まさか龍神も出てくるとは思っていなかったが」
「そっか……うん、まぁいいかな。ありがとうエキドナ、とりあえず聞きたいことは聞けたよ。
引き続き竜の谷の方は任せるから、何かあったらすぐに連絡してきて」
嘘はついていない様である。
どう言った理由からこちら側にあの場所にいたのか説明したくないのか不明だが、なんにしろ答える気がないのであれば無理に問いただしたところで時間の無駄だ。
敵対する気がないのは十二分に理解できたので、であるならばいままでの信頼も踏まえて今日のところは何も口出ししなくてもよいだろう。
「了解した。ああそれと一つ」
「何があった?」
「最近やたらと皇帝が外に出ている。公的な記録では外に出ていないはずだからな、何かあるのやもしれん」
「なるほどね、ありがとう参考になったよ」
エキドナからの言葉を受けてニルはその場を後にする。
向かった先は空の上。
遥か上空から世界を見下ろしながら、ニルは己の考えをまとめる。
「動き出した皇帝に捕まった第一皇女、死にかけの法皇にエルピスを呼び出す法国の神。
時を止めたアウローラと裏切り者の始祖種。うーん、ちょっとこれは本格的に作戦練らないとまずいかもな」
あり得なくはない状況。
偶然こうなったとしても十二分に考えられるが、全てが同時に起きる可能性は途方もなく低い。
知らぬ間に進んでいった物語はいつしか完全に終わりの道へと向かい始めるが、いまならばまだそれを止めることもできるだろう。
己の使命を忘れぬ様に小さく思いを吐き出して、ニルは世界へと溶けていくのだった。
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