第177話交渉

 アルヘオ家帝国領帝都別邸。

 エルピス達が居を構えるそんな屋敷は、今日も変わらず朝から騒がしい。


「今日も俺様が護衛って事は信頼されてるってェ事だな!」


 エルピスが起き上がるのは大体七時を超えてから、遅い時では昼を過ぎることもあるが、それまで執事やメイド達は自分たちがしておかなければいけない仕事を終わらせる。


 今日でいえば大掃除だ。

 朝からヘリアを主導として全員が掃除に取り掛かり、屋敷の中には埃一つ落ちていない。


 食堂で先に食事をしているアーテがそんな事を言っていると、隣で髪の毛を散らかし目元に深い熊を刻んだフィトゥスが溢れるように口を開く。


「朝から元気ですね〜アーテは。ひねり殺すぞ」


 目をキラキラと輝かせ、ハキハキと言葉を投げかける普段のフィトゥスの面影はどこへやら。 

 寝起きのフィトゥスは執事達の中でも一番タチの悪い人物である。


 だがそんなフィトゥスに対してアーテはひょろっとした態度で言葉を返す。


「フィトゥスさんじゃねェか。呼ばれなかったのか?」

「潰すぞ」

「今日のメンバーはトコヤミ、貴方、トゥーム、アケナの四人よ。

 フィトゥス、貴方達の部隊のメンバーはレネス様への生贄ね」

「ア"ァ、無理だってぇ」

「エルピス様連れてこないと潰れちまいそうだなァ」


 基本的にエルピスやニル、セラの指示を聞いて動いている従者達だが、彼等は総勢で48人も居るので誰か手隙のところが出てきてしまう。

 今日はそれがフィトゥス達の番なのだが、ほったらかしにしておくとレネスが暴れ始めるので、戦闘訓練と称してボコボコにされなければいけないのだ。


 確かに戦闘訓練にはなるが自分達の主人の師匠である人物に勝てるはずもなく、フィトゥスはまた一方的にボロ雑巾にされる事を想像して深いため息をつく。


「それは可哀想だな……まァ俺様は関係ないし良いんだけどよ」

「何故私は毎回毎回知りもしない人物を探して東奔西走しているのにこんな事になるのか」

「そういやあんまり見かけなかったけどフィトゥスさんは最近何やってるんだァ?」

「最高位冒険者の現在位置の調査だよ、どこに居るのかも分からない奴らを噂だけで探してるんだ」


 最高位冒険者は現在判明しているだけで124人いる。

 ただその全ての人物の位置が分かっているわけではなく、音信不通になったものや生死不明とされているものだって少なくはない。


 フィトゥスがエルピスに任された仕事は帝国内に居る最高位冒険者との接触、出来る事ならば勧誘である。

 探し始めて早くも二人見つけたが両方ハズレで、最高位冒険者としての実力があるとは思えない程度の──まぁはっきり言ってしまえば雑魚だった。


 亜人種の力は人類からみれば圧倒的に映るのかもしれないが、亜人種の最高位冒険者もピンキリなようである。


「エルピス様中々辛い事言うなァ」

「そりゃな。まぁ与えられた仕事だからやるけども!」


 他の面々にも教えられていないエルピスの秘密を教えられている以上は、この仕事を任せられたのはエルピスからの信頼であるとフィトゥスは思っている。

 だからこそ頑張るのだが……せめてレネスとの戦闘訓練だけは無しにして欲しい。


「とりあえず何かあったらすぐ逃げるのよアーテ。エルピス様は気にせず自分の体を第一に考えるの」

「あァ了解したぜ」


 頭を抱えて悩むフィトゥスを無視してヘリアが話を続けると、アーテはにっこりと笑みを浮かべながらそう返事をする。


 向かう先は龍の谷、人類が立ち入る事を許されない魔境。

 力を至上とするアーテはワクワクを抑えきれないでいたのだった。


 /


「そういう訳で谷に遊びに来たわけだけど……どしたのみんな?」


 昨日着ていた礼服を戦闘仕様に変形させたのか、少し変化した黒い服に身を包んだエルピスは、その綺麗な目をキョロキョロさせながらそんな事を口にする。


 もちろんピクニックをしにいくわけでもないので能天気に歩かれても扱いに困るのだが、エルピスからしてみれば他の面々の緊張具合は気になるところだ。

 エルピスの疑問に対して答えたのはトゥームである。


「龍の谷と言えば人類が未だ未開拓の領域。

 それは他の亜人種達も同様であればこそ、緊張するのも無理はないかと」

「生きた心地がしませんね、正直逃げたいです」

「姉さんビビり。でも私もちょっと…怖い……です」


 アケナは逃亡経路の確保を入念に行なっているし、トコヤミに関しては普段の自身がどこに行ってしまったのか聞きたいくらいにしおらしい。

 借りて来た猫のようなトコヤミの頭を撫でて落ち着かせていると、一人平気そうな人物にエルピスの注目は向かう。


「アーテは平気そうだね?」

「そりゃ俺様はエルピス様を信頼してるから何も気にすることなんてないぜ」

「そう言う事言えるところはアーテの良いとこだよね──っといきなりの挨拶だね」


 龍の谷の面前とはいえ、龍達からすれば家の前に虫がいるようなものである。

 辺り一体を焼き払わんばかりの威力で放たれた息吹に対して魔法障壁を展開すると、エルピスは久し振りに〈神域〉を発動する。


 最近では他の技能スキルを使用するのに忙しかったので使っていなかったが、今日は周りに人もいないので存分にその能力を使うことができる。

 紅龍はひとしきり炎を吐ききりエルピス達の実力を測ったのか、不服そうに鼻を鳴らして地の底から響くような声を轟かせた。


『何者だ?』

「見ての通り冒険者…っておいおい、人の話も聞かずに攻撃してくるなって」

『ここは我らが城、我らが故郷。混ざり血が足を踏み入れて良い場所ではない』


 混ざり血とはつまり混血の事であろう。

 龍人は龍の中でも特別なものしかなれない種族なので尊敬されるが、龍人と他種族の子供は龍人の血を汚したとしてこうして嫌われる傾向にある。


 龍神である事を教えれば、おそらくなんの問題もなく今回の目的を達成させることができるだろう。

 だが今回の目標は皇帝から依頼された停戦協定が主な目的ではない、むしろそれは副産物的な捉え方だといってもいいだろう。


「高潔を重んじる君達が納得してくれないのは分かっていたよ。

 混血を馬鹿にしてるのも許容できるし、母を貶されていない分むしろ予想より全然マシだね」

『我らの高潔さを知る者よ、ならば再び問おう。何故我等の元へ来た』


 龍と会話を交わしている間にも後ろから少しずつ龍が現れる。

 かつて森霊種の国に行った際にアウローラ達が請負った飛龍退治、あそこには大量の飛竜がいたらしいがここはそれよりも数が多い。


 目視できるだけで三十体以上、神域にはもっと多い龍の気配が感じられる。

 出て来てくれたのは丁度いい、エルピスとしても彼らのホームグラウンドである谷の中で戦うのには抵抗があったのだ。


「本当はとてもとても大事な用事があってきたんだけれど、俺一回で良いから龍と戦ってみたかったんだよね」

「エルピス様!? 何かまずいこと口走りそうになってません?」

「老体にはこの数は答えるのじゃが…まぁ主人が言うのであれば死地をここにするのも悪くはないか」

「ジジイ判断が早ェよ!? 意味があるッて考えて良いんだよなエルピス様」

「もちのろん。怪我一つ負わせないから安心して戦って。

 まぁそもそも怪我する事なんてあり得ないんだけど」


 質問を投げかけて来たアーテに対して頷きで返しながら、エルピスは己の内側にある権能に働きかける。

 龍神としての性質を全面に出し、その身体を神人から龍神へと変貌させていくエルピスに対して龍は怒りにその身を燃やしながら猛り狂う。


『他のどの種よりも気高き高潔さを持つ我らに対して挑むか混ざり血がっ!!』

「さすが龍の谷、数が多いね。これだけ居たら帝国もすぐに地図から消えちゃいそうだ」

『ならば言葉を訂正し、即刻この場から立ち去るが良い。貴様の親である龍人への最後の配慮だ』

「嫌だね。俺は君達を弱いと思って居るし、これは事実だ」


 腰を深く落とし構えを作ったエルピスに対して、もはや言葉ですらない咆哮を吐き出しながら龍達はエルピス達に向かって突撃してくる。


 数も多いが一体一体の目に宿されたその傲慢とも言えるプライドは、威圧感としてエルピス達の全力を振るわせるほどの力で襲う。


「──っ!! 聖なる祈りを持ってして、我が身を大いなる盾とせん。

 魔力は糧に、生命を其元へ、しからば円環の理にて我らは約束を果たさん〈精霊の加護フェアリー・ブレッシング〉〈|祝福の鐘《ジャグリーン〉」


 吹き荒れる息吹は亜人すらも溶かす暴力となり辺りを襲うが、事前に魔力形成を行なっていたアケナのおかげで周囲に高強度の魔力障壁が形成される。


 城壁を溶かし人を灰に変える龍の息吹を止められるほどの障壁を形成するのは並のことではない、アケナの実力が如何程なのか図るには十分な攻防だ。


「オラァ!! かかってこいや蜥蜴ども!!」

「援護は任せいアーテ!」

「倒すです」

「怪我しないようにね~」


 神妙な面持ちで突撃していくアーテたちとは違って、後ろから援護するエルピスは特に緊張しているようなそぶりもない。

 飛び出していく三人の援護をエルピスがしていると、ふと影からエキドナが現れる。

 いつも通り影から頭だけをひょっこりと出したエキドナは、見るからに嫌そうな顔をしながら声を出す。


『……趣味が悪いな龍神よ』

「弱って居ることを分かってるのに挑発したことがか? 確かに彼らの高潔さに甘えた行動ではあるけれど、仕方ないことだよ。

 力を手に入れる為には必要な行動だ」


 エルピスの今日の一番の目的は、雄二に力を奪われてしまったこの谷の龍達の強化だ。

 龍神の権能は近くにいる龍を強化する効果を持つ。それは飛龍にあった時既に検証済みであり、エキドナによってその上昇幅がほぼ際限ないものであることも把握できている。


 ただし短期間に強化するためには龍神の権能を積極的に取り込む必要があり、魔力消費の多い息吹を大量にはかせることで龍たちには気づかれないように魔力に変換した権能を取り込ませることに成功していた。

 長時間戦っていれば力が戻ってきていることに気づくものもいるかもしれないが、アーテたちの猛攻はそんな無駄なことを考えられるほどの時間を作ってはくれない。


 誰が一番最初に違和感に気づくかと見ていると、アーテが一番最初に振り返る。


「んッ? エルピス様、こいつらァ弱ってるぜ?」

「分かってる。そのまま倒さない程度に相手してあげて、防御は俺がやるから」

「了解ッ」


 龍達に聞こえるかどうかといいたくらいの声量で喋るアーテの奥では、やむことのない龍達による攻撃がアケナの魔法障壁によって止められていた。

 向けられてくる攻撃は側からみれば火の性質しか持っていないように見えるが、その実魔法的に言えば多種多様な攻撃手段によって攻撃されており防御も様々な対抗策を用いる必要がある。


 属性のこもった攻撃に対しては基本的に反属性を使用しての属性魔法障壁と呼ばれる障壁が最も効率の良い防御方法なのだが、数十本単位で放たれる息吹を相手にしてそれを行うのは至難の業だ。


「事前に言ってもらわないと困るんですけどエルピス様」

「ちゃんとみんなに危険がないようにしながら見てるからそう睨まないでよ。前衛の動きも見たかったしね」

『エルピス、我も出たいのだが』


 先程は庇うような事を言っていた癖に、ボコボコにされている龍達を見てその不甲斐なさに腹が立って来たのかエキドナが参戦の意を示す。


「エキドナはまだだよ、あとでちゃんと活躍の機会があるから」

「例の龍ですか、エルピス様の影にいると言う話は聞いていましたが、お強いのですか?」

『試してみるか?』

「試してみるかってさ。強さで言ったら古龍より上かな」

「やめておきます。死にたくないので」


 エルピスもまさか首を縦に振るとは思っていなかったっが、アケナの表情は本当におびえている人のそれだ。


 確かに古龍より上となってくると、単体でも人どころか亜人ですら手を出してはいけない領域なのでアケナのおびえも理解できないわけではない。

 アケナとエキドナが一体一で戦ったらどうなるのかエルピスとしては見てみたいが、エルピスも自分が龍神の力を持っていなければエキドナと戦いたくないので強くは勧めることはできなかった。


「鉄拳!」

「オラァッ!!」

「殴り飛ばされる龍の姿って物珍しい……」

『あまり見てやるものではないぞ龍神。か、ふっ、可哀想ではないか』

「笑ってる人がなんか言ってるんですけど……」


 吹き飛ばされていく龍達の姿を見つめる龍神と擬似龍神の横で、アケナは何を言っているんだとばかりに溜息をつく。

 アーテも最近長い事エルピスの隣にいる影響もあったか確実に強くなっており、正直弱体化した龍が何匹集まったところで敵ではない。


『我ら龍種が混血如きに……っ!!』

『我ら誇り高き龍種ッ! 貶されるくらいならばこの命投げ捨てようっ!!』

『自爆魔法か、天晴れだ』

「不味いですね。エルピス様、お下がりを」

「確かにこれは不味いね、強化が目的だったのにこんなところで死なれたら困る」


 今回の主な目的は龍達の強化、命までかけられてしまっては困る。

 魔力を限界まで体にためてそれを爆発させる方法なので、魔神の力を使って強制的に辞めさせようかとも考えたが、良案を思いつきエルピスはエキドナに声をかける。


「エキドナ。出てきて」

『分かった。何をすれば?』

「止まれって大きい声で言ってくれればいいよ。権能貸してあげるからさ」

「権能?」

『了解した──止まれッ!!』


 エルピスの言葉に疑問符を浮かべたアケナが質問するよりも早く、エキドナがエルピスから借りた権能を発動させる。

 権能の効果は龍種に対しての絶対的な指示であり、たとえ自らの命と天秤にかけても優先される龍神の権能は自殺用の魔法程度難なく止めてしまうことができた。


 エルピスの影からその巨躯を出して空に向かって首を持ち上げたエキドナは、鼓膜が破れてしまうのではないかと思えるほどの咆哮を轟かせ龍達の動きを制止させる。


『なるほどこれは気分がいいな』

「龍にしか効かない能力だけれど、こう言うことがあると持っておくに越した事は無いよね」

「え、エルピス様何を?」


 アケナに説明を求められてはいるが、それに対して答えを返すことは出来ない。

 権能という概念自体は一応聖職者たちも神から借りた力として使用することもあるので誤魔化し方がないわけではないが、話さなくていいのならばそれに越したことはない。


 なるべくそれとなくその話を無視すると、トコヤミがエルピスの服の裾をちょんちょんと引っ張ってくる。


「エルピス様、アーテが息してないです」

「いやなんで…? 止まれを勘違いしたのか、ええっと…生命維持に必要な活動は全てしろ」

「がはっ」

「息を吹き返しましたな」


 焦ってエキドナを介さずに直接能力を行使してしまったが、緊急事態だったので仕方がない。

 初めて使う能力だったので使い勝手が分かっていなかったのもあるが、これから使うときは気をつけなければいけないだろう。


「し、死ぬかと思った」

「半人半龍相手にやると効果が強めに出ちゃうみたいだね、大丈夫?」

「大丈夫だけど今のは一体?」

「それ聞いちゃう? 聞かれると困るんだけど……」

「──龍神の権能ですね?」


 流す言葉を考えていたエルピスの邪魔をするようにして、聞きなれない声が聞こえてくる。

 いままでエルピスが出会った中で初見でエルピスの事を龍神だと見抜けたのはエキドナだけ、驚きと共にエルピスが振り返るといまのエルピスと同じように顔の半分を鱗に覆わせた龍人がそこに立っていた。


「なっ!?」

「最近出会う龍全員人型になれるのなんだかびっくり」

「数千年現れなかったわれらの神がついに……ながらくお待ちしておりました」


 四人の従者達から穴が空いてしまうほどの視線に晒されるが、ここまで言われてしまえばいまさらそれを誤魔化すことも出来ない。

 口では肯定しないがそれに対して否定もせずエルピスは話を進める。


「ごめんね酷いこと言ってさ。どれくらい弱ってるのか確認もしたかったし」

「細かい話は抜きにしましょう。今は我らの神の降臨を祝福させていただきます」


 片膝をつき平伏する龍人に合わせて、エキドナが待機を解放した事で龍達も平伏しそのこうべを垂れて伏せる。

 完全に言い訳は不可能な状況にどうしようもなくなったエルピスは、苦笑いを浮かべるだけだ。


「なるほど……この謎は手を付けてよかったものなのか」

「エルピス様神様なのです?」

「んなァ…いやでも龍が言ってるんだからそれであってるんだろうがァ、驚きとかそんなの超えて頭が回らねェ」

「イロアス様に報告? クリム様に?? というかこれどうすれば?」


 困惑する彼らに対して説明をするべきなのだろうが、エルピスは明日の自分にその行動を丸投げにしてなぁなぁのままに龍人の後を追いかけて龍の谷の奥へと向かって進んでいく。

 龍は基本的に小さな穴を作ってそこに巣を作るのだが、これだけの龍がいると巣穴の量も尋常ではない。


「さあどうぞ」

「おお!! ここが人類種未踏の龍の谷の最深部」


 細長い崖が続く龍の谷を奥まで進むと、開けた場所が現れる。

 どこかの川から流れているのか谷の上層から滝となって溢れる大量の水は大きな池を形成しており、飛び交っている小さな光はその光景を幻想的にさせていた。


 おそらくは龍の魔力に引き寄せられてこの地に定住しているのであろう光の主人である精霊は、エルピスを見つけると嬉しそうにふわふわと集まってくる。


 精霊が可視化できるほどに見えると言うことはそれだけの魔力を有している証で、精霊使いエレメンタラーと呼ばれる者達からすればこの場所は値千金の価値があるだろう。


「龍神様、我らこの時を長くお待ちしておりました」


 ふと声をかけられて視線を向ければ数人ほど龍人がやってきたのが目に止まった。

 母と同じ強さというには無理があるにしても、亜人種の分類よりは上位種の分類に入る龍人達の存在感は目を見張るものがある。


「ぞろぞろ出てきますね、彼らは?」

「龍種の中でも特に強い者達です。龍神様のお力になれるかと」

「代表のヴルムと申します。ニル様には既にお目にかかりました。

 この里の目をさせていただいております」


 聞きなれた名前が聞き慣れない声から飛び出てくるのには違和感があるが、ニルが新しく手に入れたといっていた目の正体がようやくわかった。

 彼女が先に接触していたのであれば、先程の戦闘にそれほど強い龍が出てこなかったのも納得がいく。

 もう少し激戦になると思っていたのだが、ニルが手を回してくれていたらしい。


「ニルが手に入れた目って君の事か。確かによく動けそうだしね」

「お褒めの言葉ありがとうございます」

「私とあいつ、どっちの方が強いか気になるです」

「ァケナさんよォ。お宅のところの妹さんその内死んじまうぞ?」

「すいません、すいません」


 トコヤミはその種族の性質上なのか、どうしても彼我の戦力差を測りたがる癖がある。

 明らかな彼女の悪癖なのだが、同程度ならばまだしも圧倒的な強者相手に戦闘を挑んで無謀に死んでは目も当てられない。


 その事を心配したアーテに対してペコペコと頭を下げると、アケナはトコヤミの首根っこを捕まえて後ろの方へと下がっていく。


「それでこの龍の谷で一番強い龍は?」

「長老ですね。それならば先程からそこに」


 エルピスがかつて検知した龍神に最も近い存在がこの谷には居たはずなのだが、ここに来てからはその気配を一向に感じ取れないでいた。

 いくら神域を狭めに展開しているとは言え、それほどの実力者であれば気づかないはずがないのだが…。

 そんなエルピスの疑問に対して笑みを浮かべたヴルムが指さしたのは、エルピス達の頭上近くの壁。


 よく見てみればそれは僅かではあるが動いており、〈神域〉を用いてようやく分かるほどのもはや植物に近いレベルで気配を消した龍が張り付いていた。

 そのサイズはいままで見てきたどの龍よりも大きく、一軒家くらいならば口を開ければ丸々飲み込めそうなほどである。


「でっか!」

「なん――いやまぁ古代種は確かに大きいという話は聞いておりましたが」


 力のないものが大きければそれはただの的であるが、巨大な龍は全てを散りに返す最強の存在であると言える。

 鱗は城壁よりも硬く、息吹はどんな魔法よりも強力で羽ばたけば人は立っていることすらままならない事だろう。


『龍神様。頭上から見下ろすご無礼、お許しください』

「構いませんよ、本日は予告もなしにいきなり暴れてしまいすいません」

『いえ、最近は力も衰え動くことさえなくなっていたわが子らが楽しそうに戦って居ました。龍神様には感謝を』


 驚くほどに大きな身体なのに、聞こえてくる声は目の前で普通に人が喋っている程度の音量だ。

 気を使われているのかはたまた能力なのか、エルピスには分かりかねるが爆音で耳をやられるよりはこちらの方がいい。


 表情などエルピスからみても喜怒哀楽のどれなのか判断はつかないが、心持ち嬉しそうな声で龍の長は言葉を続ける。


『それで本日はどのようなご用件で』

「近くの人間の国の長から帝国を襲わないように停戦協定を結ぶようお願いされたんだよ」

「龍神様に命令するなど!」

「人の世界はそういうところなんだよ。それで守ってもらえるかな?」

『龍神様のお言葉であればそれは我らの意思にございます。帝国を襲わないことを誓いましょう』


 称号を使用しての強制は出来ることならばしたくはなかったが、今回に関して言えば帝国からも龍の谷からも無益な犠牲を出してもらいたくはないので仕方がない。

 これで皇帝に勧められた依頼もこなしたし、当初の目的も終えることができた、後は今日行うつもりはなかったが後でしておこうとしていた事をいましよう。


「ならよかった。後は――ここにこの谷の龍を全員集めて」


/



「集めてとは言ったけど予想してたより圧倒的に多いな」


 龍の谷の空間を全て埋め尽くし、壁も見えなくなるほどに現れた多種多様な龍種達は圧巻の一言である。

 翼のあるものからないもの、手足のあるものや無いもの、様々な分類に分かれる龍種がこの龍の谷には存在しており、改めて帝国がなぜ未だ地図上に存在しているのか疑問に思わずにはいられない。


「これですべてにございます」

『かわいらしいわが子らよ。龍神の姿をその目に焼き付けるのじゃ』


 前座として盛り上げてくれているヴルムを筆頭としてざわつく声が聞こえるが、今回の件に関して特設した舞台裏でそんな騒音すら気にできないほどにエルピスは緊張していた。

 人の前でなく龍の前であることがせめてもの救いだろうか。久しぶりに出す背中の翼の動作確認をしながら、ふとエルピスは言葉をこぼす。


「さてアーテ、着替えは終わったかな?」

「エルピス様、俺様はこういうの向いてねェんだ。今からでもトゥームの爺さんに頼んだ方が――」

「気にしなくていいんだよ、俺の方が緊張してるんだから。演出は大事なんだぞ」


 エルピスが着用しているものと同じ素材、つまりは龍神の鱗と魔神の魔力によって作られた装備を来ているアーテはエルピスに対して不満を漏らす。

 アーテにはバレてしまったのでこれから龍神の権能をフィトゥスのように貸し与えるつもりだ、ともすればエルピスからしてみるとこう言ったことにはアーテにも慣れていて欲しい。


 装備のイメージは神を護衛する騎士であり、帝国にて多くの騎士の姿を見てきた今のエルピスならばそう難しい作業ではなかった。


「エルピス様、準備できたです」

「こちらも問題なく」

「ありがと、それじゃあ行こうか」


 アーテの手を引っ張りながらエルピスが舞台に立つと、龍達が足元が揺れてしまうほどの唸り声をあげる。

 龍の谷によって木霊したその声は遥か遠い国にすら聞こえているのではないかと思えるほどで、数多の眼光に晒されるのはエルピスとしても何度目のことだろうか。


 向けられている目は全てが敬神によるもの、エルピスの一声でその命を投げ出すことも厭わない龍達にエルピスの中で愛おしさに近い感情すら浮かび上がる。

 それは自らが司る物達だからなのか、はたまたそれ以外のものなのか。


 とにもかくにも数多の眼光に晒されながら、エルピスはその姿を大衆の前に晒す。


「静まれ!! 神の御前であるぞ!」


 唸り声を上げる龍達に対してヴルムがそう叫ぶと、物音一つすらしない程の静けさがその場に作り出される。

 喉が渇いてしまうほどの緊張感の中、エルピスは威厳ある人物であると己に言い聞かせて言葉を発した。


「構わないよ、楽にしていればいい。龍である以上すべては私の愛する何物にも代えがたきもの達だ」


 口調の変更はトゥームと事前打ち合わせの末、こう言ったものがいいだろうと考えたものを使用するようにしている。

 なにしろ普段のエルピスの喋り方では、威厳がこれと言って感じられないからだ。


 エルピスの声が聞こえると龍達は軒並み静かになり、頭を下げて上目遣いでこちらを見つめる。

その視線の理由はエルピスの真意を計りかねているからであって、エルピスもそれを分かっているからこそ落ち着いて言葉を選ぶ。


「改めて名乗ろう。私が龍神、エルピス・アルへオだ」


 エルピスの名乗りに対して数匹の龍がびくりと反応する。

 彼等は先程谷の前でエルピス達を迎え撃った若き龍だ、力こそなくなり行動は空回りしてしまったが、仲間を守るために命を投げ出せるあたりはやはり高潔な龍なのであろう。


 そんな彼等がエルピスの言葉に怯えてしまったのは、自らの命が危ういのではという感情ではなく、神に手をかけたことに対する罪悪感からである。


「誇り高く気高く高潔な諸君らが力をもがれ、その現状をよしとする心持を私は心の底から嫌悪する」


 だからこそエルピスは彼等が弱いままである事を否定する。


「龍とはこの世界の空を統べるものだ。

 龍とは何よりも恐れられ、何よりも憧れを抱かれ、自らの力を過信した愚か者たちの前に立ちはだかる絶対者であるべきだ」


 童話に描かれた龍達は総じて人類の敵であった。

 この世界でもそれはあまり変化がないようで、英雄の証として龍は主だって童話の中で討伐され人間に富をもたらすのだ。


 だが宝物を手に入れようと、愚かにも龍の住処に足を踏み入れたもの達を倒さずして何が誇りであろうか。

 人類の敵である彼等をエルピスは誇りに思い、そして力のない龍が誇りだけを持って生きる事を嫌悪する。


 誇りとは力があってこそ用いることができるものであって、誇りのない力はただの驕りであるからだ。


「そんな君達が地を這いずり弱い息を吐き出して形骸化した誇りだけを叫ぶ君達にはっきり言って――失望した」

『そ、そんな! 力さえ取られていなければ我等は強く有れました!!』


 前列にいた龍がふとそんな事を叫ぶ。

 体についた傷からして歴戦の猛者なのだろう、その身体に刻まれた戦いの歴史が彼が強者である事を教えてくれる。


 そんな龍に対してエルピスは見下すような視線を向けながら問いかけた。


「取られた力を望むならば、なぜ己を鍛えようともしない?」

「それは我らが龍種であるがゆえにでございます。

 我らは生まれながらの食物連鎖の頂点、頂上者が自らを鍛えることは弱者に生を受けたもの達に何の慈悲もございません。

 ですから我らは戦いの中でしか己を鍛えることをよしとしません」


 野生生物が己を鍛えようとしないのと同じ……と言うには少し違った彼等なりの理念だろう。

 エルピスに向けられる目は誇りに満ち溢れたもので、その言葉には一片の嘘偽りも無いのだと感じられた。


 当初の予定とは違うがまぁいい。

 彼等が自らの強さを望むので有れば、エルピスはその望みに対して答えるだけでいいだろう。


り――そうか。ならば言葉を重ねるより行動で示したほうが早いだろう、かかってこい龍達よ。

 そしてその威厳を私に見せてみろ!」


 本当は行う予定だった行事を全て吹き飛ばし、エルピスは戦闘の幕開けを告げる。

 弱い龍は龍ではないが、エルピスの力があれば彼等を強くすることなど雑作もない。


「もみくちゃです」

「もうあれは考えても意味ないわね、とりあえず離れましょうトコヤミ」

「では私も同行させていただくとしましょう。龍の谷の珍味などはいかがですかな?」

『龍神様は破天荒なお方じゃな』

「――俺着替える意味なかッたんじャ?」


 離れる従者達に置き去りにされたアーテはそんな事を小さくつぶやく。

 豪華絢爛な装備に身を包んだアーテは、その装備を誰に見せるまでもなく、頭の中に浮かび上がった疑問を小さく空に飛ばすのだった。

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