第164話観光:前半

「—―そこまでは分かったけど、どうやったらそうなるのさ」


 はぁっと深いため息をつき腰に手を当ててそう言うのは、私服姿に身を包んだニルだ。

 今日は冬季にしては比較的暖かいからかパーカーにズボンを着用しており、服の前面についたポケットからは昔エルピスがあげた杖がチラリと見えている。

 日本風の服装に合わないので持っていないのかとも思ったが、どうやら肌身離さずに持ってくれているらしい。


 昔に作ったものなので美的センスもイマイチで、できればエルピスとしては作り直して上げたいところだが、適当な時間がないので今は見送るしかないだろう。


 話を本題に戻せばニルが疑問を投げかけてきた理由は、ヘレンから今日買い物の約束を受けたからである。

 妹であることを教えられたのが昨日で、買い物に付き合ってくれと言われたのが今日。


 光の速度で財布にされた気分だが、実際お金には困っていないのでエルピスとしてもそれで妹の気分が良くなるのなら痛い出費ではない。


「甘えられなかった分今のうちに甘えとけって言ったら、欲求が溢れ出しちゃったみたいでさ」


 ニルが文句を言ってくるのも仕方がないことだろう。

 本来ならば今日は遥希達との訓練なども特になく、午後からはニルと共に過ごせるはずの日だったのだ。


 彼女と妹を天秤にかけて妹を取ったと言われるとまるでシスコンのようだが、もはや出会えないと思っていた相手からの誘いを断れるほどエルピスも図太い神経をしていなかった。

 もちろんニルには、心の底から申し訳ないとは思っているが。


「本当なら僕が抑えてる日だったのに」

「その前に午前中は私との稽古が……」

「レネス、僕との約束破るの?」

「いえまさか」


 一体本当にいつの間に仲良くなるのだろうか。

 未だにレネスとエルピスの間にある会話と言えばどこどこの誰が強いだの、魔法発動に関してどうのこうの剣術よりも拳で戦った方が早いだのどうでも良い内容ばかりだ。

 師匠と弟子という関係性である以上厳格に線を引かれても文句はないが、それにしたってである。


「それにしてもエルピスの妹か……僕も少し気になるね」

「今は姪っ子だけどね。この世界での妹は別にいるし」

「お父様とお母様両方に挨拶は終わっているけれど、まさか日本にいた妹ちゃんまで出てくるとは予想外だったね。

 挨拶したいんだけれどいいかな?」


 ニルの言った挨拶、その言葉の意味はおそらくエルピスが想像していることできっと合っているのだろうが、まだエルピスにはあまり想像できていない。

 妹とニルが会ってみるとどうなるのかというのはエルピスとしても個人的に気になるので、二人を合わせても良いか熟考し、迷った末にエルピスは良いという決断を出す。


「いいんじゃないかな。あいつも喜ぶと思うよ」

「それならよかった。じゃあ私も同行させてもらうよ、レネスも来るだろう?」

「ええもちろん」


 /


「それでお兄ちゃん。この人たちとの関係ちゃんと教えてくれるよね」


 Q.兄が突然妹との約束先に女の子を二人連れてきたらどうなるか

 その答えはいままさに目の前で妹から発せられた言葉が答えだろう。

 他所用の服なのかやけに装飾過多な服装に身を包み、少し動きにくそうにしている妹に対して、エルピスは二人を紹介する。


「ニルは俺の彼女。レネスさんは師匠だよ」

「お兄ちゃんに彼女が!? しかもこんなに可愛い子が」

「よろしくねヘレンちゃん」


 エルピスは最近一つ気がついたことがある。

 それはニルがエルピスやセラなどと喋る時とそれ以外と喋る時にある若干の癖だ。


 長いこと話していてようやく気づける程度のほんの少しの差ではあるのだが、会話を始める前に一瞬だけ嬉しそうに目を細める癖がある。

 ヘレンとの会話の瞬間に一瞬だけその兆候をニルが見せたのを見て、エルピスはどうやら問題はなかったようだと安堵して息を吐く。


「ぶっちゃけお兄ちゃんのどこがよかったんですか? あんなんですよ?」

「あんなの呼ばわりはひどすぎないか!?」

「話せばどれだけでも細かく言えるけれど、まあざっくり言えば本質かな。エルピスの生き方が好きだよ」


 いきなり突拍子のないことを聞くヘレンもヘレンだが、それに対して赤面もせず簡単に答えてしまうニルもニルだ。

 聞いているこちらの方がよっぽど恥ずかしい。


「うっわお兄ちゃん顔あっか」

「いいんだよそんな事! ほらさっさと行くよ」

「はいはーい」


 きっと耳まで赤くなってしまっているであろう自分の顔を見られないように手で隠しながら、エルピスは商人街の方へと歩いていく。


 目的の場所はエルピスが土精霊の国に向かう際に来たこともある王国内で最も高いと言われている服屋だ。

 紹介がなければ入る事は困難とされており、値札すらないその服にエルピスの笑顔も若干引き攣る。

 だがそれは金銭に余裕が無いからではなく、こういったお金持ちの空気に慣れていないからだ。


「ここって王国で一番高い服屋だよね? 大丈夫、昨日もお金使いまくってたけど」

「お金なら気にしなくていいよ、死ぬほど余ってるし。戦争前に使いまくって経済回しておかないと、戦争準備の段階で死んじゃう人も出ちゃうから吐き出しとかないとね」


 いつか誰かが言っていたが、金は国という身体の血液であるというのは本当なのだろう。

 もしエルピスが一銭も使わずに溜め込みに溜め込んでしまえば、金はエルピスのところで止まり何処かの誰かがその割を食う。

 良いものにその分のお金を支払い、正当な対価として金銭を渡す事で国の中を金はゆっくりと巡っていく。


 きっとここでエルピスが金を使うことも無意味では無いのだ。

 店に入れば執事服に身を包んだ若い男性の店員が一人、きびきびとした態度でエルピス達の前に現れる。


「ようこそお越しくださいましたエルピス様。本日はどのような御用でしょうか」

「三人に見合った服をお願いします」


 下手な注文は相手を困らせるだけ、美的感覚がないに等しいエルピスは他人に丸投げすることを選択した。

 その言葉を聞いて目を輝かせるニルやヘレンとは対照的に、レネスはどうやら困惑しているようである。


「私は大丈夫だエルピス。服は魔法で作れる」

「お洒落してる師匠も見てみたいのでお願いしますよ」

「むうぅ……ニル、構わないだろうか」

「なんで僕に聞くのさ。いいじゃん、一緒にお洒落してみようよ」

「それならば私もお願いする」


 渋々と言った様な表情でレネスが了承すると、店員はこれ以上ない笑みを浮かべて三人を奥へと連れていく。


「それではエルピス様ここでお待ちください」


 もう片方の店員もヘルプとしてついて行くのを眺めながら、エルピスは近くにある椅子に腰を下ろす。

 ふわふわとした椅子に腰を下ろすと思っていたよりも眠気が襲ってくるもので、寝ない様に気をつけながら大きく息を吐き出した。


 ここ最近では戦闘訓練以外にも貴族への根回しや裏切り者の捜索、近隣の亜人種への根回しもエルピスの仕事の一つとなっている。


「—―エルピスか、お前もここ来てたんだな」

「アルさん! お疲れ様です、テイラさんと一緒に来てたんですね」

「こんにちわエルピス君。この前はシグルと遊んでくれてありがとう」

「いえいえ、あれくらいならいつでも。今日はシグル君は?」

「外でアイス食ってゴロゴロしてるよ、服屋で待つのはまだちょっと苦手みたいだな」


 だらけきった体をすぐに起こして、エルピスは二人に挨拶をする。

 今日はアルキゴスもオフの日なのか帯刀こそしているものの装備類は全て外しており、隣に立つテイラは綺麗な洋服をその身に纏っている。

 少し前の記憶を思い返しながらアルキゴスの言葉に返事をして、ふとエルピスはひとつ気になった事を口にする。


「テイラさんもうかなりお腹大きくなってきてますね、少し早くないですか?」

「そうか? あと数週間もすれば二人目も生まれる。その時は立ち会ってくれよ?」

「もちろんです、でもまだ七か月か八か月くらいしか経ってませんよね?」


 土精霊の国に行く前だからそこで半年程、こっちの国に帰ってきてから経過したのが二、三ヶ月。

 合計しても十ヶ月に満たないし、子供が産まれるにしてもまだ早いだろう。

 エルピスの素朴な疑問に対して一瞬二人とも疑問符を頭に浮かべると、アルキゴスがそういえばとその答えを出す。


「そういえばお前向こうの人間だもんな。お前のいた世界だともっと時間かかってたのか? 

 こっちの世界は基本5か月くらいで生まれるぞ。両親が強いと遅れることもあるけどな」


 創生神がこの世界で人間を全滅させない方法として一番最初に思いついたのが、繁殖にかかる時間を減らしてしまえばいいというものだ。

 繁殖にかかる時間が減ればそれだけ母体は危険な時期を減らすことが可能で、感情論や倫理観を抜きにすれば生産性も二倍になる。事実からそのおかげで人は少なからずの繁栄を享受できている。


「そんなもんなんですね。僕のいた世界だと十月十日が定説だったので」

「お前自身もハーフだしわからないのは仕方ない」


 エルピスの妹も十ヶ月と少しくらいで生まれたという話だ。

 アルキゴスにそう言われて仕方ないかと判断すると、着替えが終わったのか店員の一人がこちらへとやってきた。


「エルピス様、どうぞ見てあげてください」


 店員に手を引かれるままにエルピスはその後を追いかけていく。

 店内に存在する更衣室は六つ、そのうちの前三つが閉じ切っておりどうやらその中に彼女達はいるらしい。

 一番最初に開いたのは手前のカーテン、中にいたのはヘレンだ。


「どう……かな? 似合ってる? 兄さん」


 茶色のコートに黒の短パンを着用し、腕には宝石が飾られたブレスレットを巻いている。

 人によれば派手すぎて服に負けてしまってもおかしくない様な最高級の服装も、持ち前の着こなしでヘレンは違和感のない様に仕立て上げていた。


「似合ってると思うぞ」

「—―お次は僕だよ。じゃじゃーん」

「可愛いよニル。またパーカーにしたんだ、似合ってる」

「んふふー! だってエルピスこれ好きだからねー」


 少しだぼっとした灰色のパーカーに黒いスポーツ用のズボン。

 装飾品などは身に付けておらず、笑顔を見せながらニルはエルピスにその身体を押し付ける。

 優しくその頭を撫でながらエルピスはふと一つ疑問を抱く、それはニルの着用している下のズボンについてだ。


 確かに非常によく似合っているとは思うが、エルピスの好みにああいった服装は無かったはずである。

 エルピスが好きというよりも、どちらかと言えば自分が好きになって来ているのではないだろうか。


 創生神がエルピスに引っ張られていた様に、森妖種の国にいたころからその兆候はあったが彼女もまたエルピスに引っ張られながら自己を確立しているのかもしれない。


「最後は師匠だね」

「—―これは似合っているのか?」


 エルピスが学園で着用していたのと似たような服装、つまりは帝国式の軍服のような物を着用してレネスはエルピスの前に立つ。

 普段ならば絶対に履かないハイヒールを今だけは履いているので、エルピスとの身長差はもはや殆どない。


 かつてエルピスがセラにプレゼントした時から様々な装飾品が増えており、どうやら最近の流行りとしても売れ始めているのか店内にもいくつか同様の商品が見受けられる。


「もちろん似合ってますよ師匠」

「モテる男は大変だな。つうか師匠の乗り換え早すぎるだろお前……噂の仙桜種か」

「どうも」

「アルさん今日は野暮な話はなしですよ」

「わーってるよ、俺だって家族サービスしに来たんだから。ほらシグル新しい服買うぞー」

「はーい、エルピスさんこんちは!」


 アルキゴスが背中を押してシグルを連れていくのを眺めながら、エルピスはさっさと会計を終わらせる。

 あれは彼なりのまた今度の挨拶だったのだろう、過ぎ去っていく背中を見ながら父の姿をその背にエルピスは被せてしまう。


「さっきのってもしかして剣聖アルキゴス!? サイン欲しい」

「そんなすごい人じゃないよ、つうかそんな俗物的な感じだったっけヘレンって」

「せめてミーハーって言ってよ人聞き悪い」

「両方違う上に酷くなってるんじゃないかな?」


 昔から真顔でアイドルの出ているテレビを見ているイメージこそあったが、こうしてきゃーきゃーと騒いでいるイメージはエルピスの中でなかったので少し驚きだ。

 ひとしきり三人の服装を褒めていると、エルピスの近くにいた店員が口を開く。


「エルピス様、以上でよろしいでしょうか? 他に何かあればご用意できますが」

「あーっと……ちょっと向こうに」

「はい。承りました」


 半ば拉致するかの様に巻き込んで奥まで行ったエルピスは、こちらに来ようとしているニルを障壁で足止めしてここにきた用事のうちの一つをこなそうとする。


「イリア様宛に何着か適当に選んで送っておいて、もちろん良き隣人からの贈り物としてね。

 あと彼女達に似合う服まだ有ったら、適当に見繕ってください。支払いはこれでお願いします」

「大変ですね。かしこまりしました」


 エルピスはいくつかある金を入れた袋を収納庫ストレージから取り出し店員に手渡すと、店員は中身も確かめずに頭を縦に振ると店内の服を物色し始める。

 エルピスにとって今やイリアはこの国での動きを決める生命線そのものであり、彼女の今後の活動全てがエルピスがこの世界で生きていけるかを運命づけるものだ。

 そんな彼女の機嫌を取る為であれば、自分のお小遣い数ヶ月分を犠牲にしても痛くはない。


「エルピス、何の話をしていたんだい?」

「んー? なんでしょーか」

「あははっ、なんだろ? 難しいね僕にも隠す事だなんて」

「—―その言い方はずるいって……イリアに渡すものを買ってただけだよ。別日にしようと思ったんだけど予定埋まってたからさ」

「そっか。なら別にいいよ、あの子の事は僕もまぁ認めてはいるし」


 ニルに凄まれてしまえば、エルピスに隠し通す事など不可能に近い。

 全てを見透かすその目に嘘をついても無駄だという思いと、ニルに嘘をつきたくないという単純な思いがエルピスにそうさせたのだった。


 ちなみにお小遣い数ヶ月程度ですまない金額だったのは、エラには絶対内緒である。

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