第157話強くなる方法
一月ほど遥希達と戦闘してみて分かったことがある。
人間の限界値にはどうしても突破できるものとそうでないものが存在するということだ。
例えば魔法、これはどうしても突破できないものの代表ともいえるものであり、限界点に達するまでも 個人の才能と学習環境に深く作用されるという性質もある。
逆に身体的な性質については鍛えれば鍛えるほどに強くなり、その成長率は亜人族を含めても目を見張るものがあるのだ。
元の人間としての膂力が低いのもそれに関係しているのかはさてとして、技術力なども含めて人間の伸びしろは案外魔法のようなファンタジーなものではなく、こう言った泥臭いところに存在しているように思える。
「それじゃあ魔法強化なしで、あと二百回くらいやっておこうか」
腕立てをする遥希の上で、エルピスは本を読みながらそんなことをつぶやく。
正直揺れた人体の上で見る本程読みにくいことはないが、これを行なっているのは周りから見ればこの方が恰好が付いていそうだなという特に意味のない理由である。
この前も紹介した通りエルピスの体重はとんでもないことになっているので、それに耐えきる遥希の膂力はかなり上がってきたといえるだろう。
「いや二百は……っ! きっっつい!」
「頑張れよ遥希、お前だけだぞ終わってないの」
「秋季が早すぎる感も有ったけどね。俺なんて結局合格もらうまで四日くらいかかったし」
遥希を見守りながらそんな会話をする秋季と和人は、もう既にエルピスが出した課題をある程度終了している優秀な生徒だ。
和人は別として、父がボディビルダー母が調理師で日本にいた時からスポーツマンとして名を轟かせていた秋季の筋力量はエルピスも目を見張るものがあった。
「でも勝つのならこれくらいしないとさ、正直全然たりてないよ」
「お前は俺らを何にしようとしてるんだよ」
「とりあえず亜人くらい蹴散らしてもらわないと困るよ、今回の敵は上位種だと思うからかなり強いよ?」
「上位種ってどんなのが居るんだ?」
「有名どころなら
仙桜種は説明する必要もないだろう。
人類生存圏から遥か遠く、土精霊達が居を構えていたあの国から更に奥へと進めば、そこには天まで伸びる大地の柱が存在し
精霊は妖精神の権能の範囲であり、エルピスとしては確実に仲間に引き入れることのできる最高位種族であり、出来るだけ早く会っておきたい種族だ。
王国の近隣に住んでいると言う情報はあるがエルピスも見たことがないし、その力がどのような物であるのかと言うのはどこにも情報がない。
ただ一つ確実に言える事はエルピスの神域で感じるその力の強大さは、いままで王国が存在してきた事を疑問視してしまうほどに大きいと言う事だ。
「試しに仙桜種とやってみる? 俺負けたけど」
「はぁ!? エルピスが負けたのか? んなもん勝てるわけねーだろ小指で殺されるわ」
「この世界が生まれた時から常に己の修練に時間をかけ続け、感情すら無駄だと破棄して生きてきた生命体だからね。マジで強い」
「その辺レベルだと膂力とか関係ないんじゃないのかって思いが若干あるが……まぁ亜人対策になっていると思えばいい……のか?」
仙桜種相手に必要なものはただひたすらに圧倒的な力と、その力を完璧に制御し必要な時に必要な行動を取れる行動力だ。
仙桜種に勝ちたいのであれば、全てにおいて完璧である必要がある。
人の意識を残し、思いが人であるエルピスには最高峰の仙桜種は荷が重い。
かつて闘技場においてエルピスが見せた第二神格の解放、勝機があるとすればそこだが、あれはこの世界で生きる生命には荷が重すぎる。
「とりあえず遥希達にはこの国の最終防衛ラインになってもらえないと困る。グロリアスが持っている手駒は国の規模を考えれば比較的多い方だ、ただ人類が持っている駒はそう多くない」
エルピスが軽く手を振るうと、8×8のチェスと同じ盤面が現れる。
それは歪な形に変化し、それぞれの盤面の大きさがゆっくりと変化していくと、人の世界が作り上げられていく。
こうなってしまえば盤面の数など意味もない、チェスの駒に似た何かが盤面の上に人の国の数だけ現れる。
それらは国力に合わせて大きく形をなし、いつのまにかエルピスの手にはいくつかの自由な駒があった。
「最高位の冒険者が守れる限界は多くて国一つ、その中で一握りの冒険者でも二つが限界。現在人類が国として正式に認識しているのは八十四カ国、真面目に動く最高位冒険者は多くて30名といったところか。
ギリッギリなんとかならないってわけでもない数だけれど、これは相手がただの亜人種のみの話。しかも最高位冒険者の実数はこれより多分もっと少ない」
エルピスがかつて共和国で最高位冒険者としての力があるか検査されたように、他国はその国が決めた最高位冒険者の実力に懐疑的な部分が多い。
それはかつて最高位冒険者の称号を金で買った人物が存在するからであり、国絡みでその人物の功績を無理やり買い取り民衆を動かすための英雄として使っている事も少なくはないのだ。
各国のギルドはそれぞれ一国につき一人、十年に一度だけ最高位冒険者を輩出できる決まりがあり、そのノルマをこなそうと最高位としては足りない実力でも組合への貸しなどで最高位になることもある。
結局は他人が決めた実力、直接見てみるまではエルピスも安心できない。
「うちの家の力を使っても二つの国が限界だ。それ以上は面倒見きれないし、俺と父さん母さん合わせても10個以上の国は救えない。ある程度の犠牲が出ても良いならなんとかなるかもしれないけどね」
アルヘオ家だけで背負える国は、犠牲込みで12といった所だろうか。
この世界において表にこそ出ていないものの、アルヘオ家は一国の軍隊をも圧倒する脅威的な力を有しているのだが、それでもそれが限界だ。
この世界の国は住んでいる住人の割に、土地面積がやけに広い。
ブレスなどの広範囲攻撃による多数の被害を防ぐだの他種族に対しての対策でもあるらしいのだが、王都から近隣の街まで二日三日かかる所もざらだ。
転移魔法を使用して守ったとして、亜人の攻撃により一撃で滅ぼされてしまえば、エルピス達と言えど犠牲者を出さずに救うなど不可能である。
「辛いことを言うようやけど、捨てることも大切やと思うよ。全部を拾ってたら身ぃほろぼすで?」
「ご忠告どうも紅葉さん。でもこの世界の俺は英雄の子供だからね、父さんがいま居ないから代わりにできる事は俺がやらないと」
和服姿に身を包み、心底エルピスの事を心配してそう言ったのは紅葉だ。
だがエルピスとしては彼女の提案を飲むわけにはいかない。
最近また連絡が取れていない父だが、今回の件はさすがに父がいない事にはエルピスとしてもまともに動く事もできない。
出来ることを今のうちになんとかしておこうと努力はしているが、出来ればエルピスとしても父の判断を仰ぎたいので近々会いに行くのも一つの手だろう。
「なんか変わったな、昔はなんかもっと暗いイメージだったけど」
「ずっと暗いよ、悪かったな! 今でもあのノリについていける自信はないね」
「バーベキューでもするか?」
「端で永遠に肉焼き続ける係しかできないあの行事は嫌い」
かつてのことを思い出していると、ふとエルピスの頭の中に疑問が浮かぶ。
彼らが戦う理由はエルピスが命令しているから、雇主に指示を出されている彼らは言わば冒険者のような役回りで今回の事件に巻き込まれた形になっている。
それについては正直な話エルピスから何も言う事はないが、果たして目の前の彼らが目指す終着点はどこなのだろうか。らエルピスは平和な日常が手に入ればそれでいい、アウローラがいてニルがいてセラがいてエラがいる。
灰猫とフェルと遊びながらマギアやアルと戦い、両親にたくさんの恩を返しながらこの世界を生きられればそれでいい。
それがこの世界に転生してきたエルピスの務めであり、生きていくための方針でもある。
ならば目の前の彼らはどうなのだろうか。
「ーーそういえばさ、向こうの世界に帰れるとしたら……どう?」
転生者を送り返す行為自体は、それほど難しくはないはずだ。
この世界に人を呼び出すのに大量の魔力を使用すると言うのは既にエルピスも知っているが、魔力に関して言えばエルピスが困ることなど一つたりとしてない。
こちら側に引っ張って来れるならば、向こう側に送り込むことだって出来るはずだ。
しかもこの世界は向こうの世界と時間の流れが違うらしいと言うのは、アウローラとの会話で既に証明済みである。
人が消えたばかりの教室に戻れるかと言えばそれはきっと無理だろうが、半年後や一年後程度のあの場所に戻る程度のことならばそれほど難しくはないように思える。
その質問を投げかけた途端に、目の前の彼らの目の色が一瞬変わった。
それは期待か疑惑か、どちらにしろ彼らが興味を持つ話題であった事には変わりはなさそうだ。
「どうって……そりゃ帰りたいけどさ、向こうの世界で暮らしてける自信ないよ俺」
「俺もだな。こっちのやり方に慣れたし、人も殺したし、秋季はどうだ?」
「父と母に別れだけは告げたかった所だが、まぁ仕方がない。向こうに戻って出来ることもそうはないだろう、俺はこっちがいい。麗子は?」
「ん? なんの話?」
「向こうに戻るかどうかやって、うちは戻らへん方がいろいろ都合がええし、こっちの世界で満足やわ」
「それなら私もかな。親の顔色伺うのも面倒だし、こっちの世界だと陰口叩かれなくて済むしね」
誰一人として帰りたいと言い出さない事に一瞬疑問を覚えたエルピスだが、考えてみればそれも仕方のない事だ。
この世界は向こうの世界と比べて個々人に存在する意味があり、力があるから誰かを救うことも出来る。
その点向こうの世界に戻ればまた大衆の一人に戻ってしまい、なんとなくで日々を過ごしていたあの時に戻るのだ。
これが転移して一年以内であれば返答も変わっただろうが、この世界に来て遥希達ももう十年は経つ。
父や母に対する思い入れももちろんあるとして、かつてに比べれば薄くなってしまうのは仕方のないことだ。
どれだけの思いを胸に秘めていようが時は残酷にもすべてを忘れさせる。
(母さんは別として、妹は元気にしてんのかな)
エルピスだってそれは例外ではない。
母に対する憎悪も妹に対する愛情も、もはや消えてしまいそうな小さなものだ。
「ただ俺たちはこっちにいるとして、法国にいる奴らがどうするのかは気になるな。あいつらは先生について行った戦闘否定派の人間だし、向こうに戻ってもそんなに問題はないと思うんだ」
「久々にあいつらも会ってみたいな……」
「そう遠くない内に法国にはいくことになるし、その時一緒に行けば会えるんじゃない?」
あそこは最も最高位冒険者が集まる場所だ。
法国では神のために動いているものは税金が免除されるという性質があり、最高位の冒険者はそれに該当するため居住地を法国にしているものは多い。
エルピスの考えが正しければ今回の会議の終了後、エルピス達最高位の冒険者はどこかに集められるはずである。
その時にでも同行してくれば残された生徒たちに会うこともあるだろう。
「それじゃあまあもうちょい頑張りますか」
改めて意識を固めた遥希の上で、エルピスはまた本を読み始める。
やるべきことは多くあるが、少しずつそれもまとまりを見せてきた。
とりあえず一息はつけそうだと安堵してエルピスは今後の予定を考えるのだった。
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