第156話友

 実は王国内にあるアルヘオ家の別荘は実は実家よりも大きい。

 これは前国王であるムスクロルの計らいと、家財道具などを貰った際に倉庫役として使えるようにという意味合いも兼ねての大きさである。

 少し前まではイロアス達も王国から居なくなり扱いに困っていたここだが、今回の一件からは部屋も全て埋まり暇を持て余していた使用人達にも良い刺激になった。


「いっそがしい忙しい!」

「リリィ! シーツの替えもう終わったの!?」

「あ! 忘れてたァ?!」


 安全面や補償、国を代表する者同士の絡みなど多国籍に貴族の位を持つアルヘオ家の中であれば、スムーズに事を運ぶことができる。

 そんな関係から学園の寮が再建されるまでは、エルピス預かりで生徒達の面倒を見ることになり、周囲にある空き地に追加でいくつか家を建ててみたもののそれでも部屋が足りない様だ。

 もしこの人数が居なくなった後は高級官僚や高位の冒険者向けのホテル系経営なんかも良いかなと思っていると、不意に窓際で日光浴を楽しんでいたエルピスに声がかかる。


「うっすエルピスお疲れさん、とりあえずみんな呼んであるけど、なんのようなんだ今日は?」


 そう言ってエルピスに声をかけるのは西郷秋季さいごうしゅうき、王国防衛戦においてエルピスと共に戦ったエルピスの元クラスメイトである。

 服の上からでも分かるその筋肉はエルピスなど簡単に投げ飛ばしてしまえそうで、見た目から受ける頼もしさは十分だ。

 クラスメイトであった彼がエルピスを晴人と呼ばないのは、今後の身バレ防止や呼称の統一のために、エルピスからお願いしたからである。


「君達の特訓しようかなと思ってさ。対亜人用の訓練はまだやってなかったでしょ? 俺が練習台になるよ」

「マジか!? やったぜ早速武器とってくるわ俺!」


 アウローラの演説が終わって二週間、グロリアスが世界会議で帝国へと向かって早いことで三日が経つ。

 護衛役としてはエルピスも向かった方が良かったのだろうが、なにぶん向かったメンツはグロリアス、ルーク、近衛兵ニ名に宮廷魔術師と一部の優秀な兵士もついて行っている。

 下手にエルピスが護衛に回る必要のないくらいの人員が割かれているので、よほどのことがあっても問題はないだろう。

 それに向こうにつけば他の国の猛者や最高位冒険者がわんさかといる、エルピスですら手を出せばそれなりのしっぺ返しを喰らう事だろう。

 そんなふうに逸れ始めて行った思考をなんとか巻き戻し、飛び出ていった秋季を待っていると、ドタバタとした足音が廊下の先から聞こえてきてエルピスはそちらの方へと意識を移す。


「お久しぶりエルピス」

「おっひさー! 元気してた?」

「あらあら久しぶりやね。秋季君から話だけは聞いてたよ、私のところに来てくれても良かったやろに。ほんまいけずやわ」

「紅葉さんがこっええんだけど。お疲れさん晴人、一通りのことは終わったらしいな」

「お疲れ遥希、エルピスって呼べ。ある程度だけどな、王国の防衛はこれで完璧なはずだよ」


 入ってきた人数は六人、エルピスの方で預かっている人数は十一人なので五人ほど今日は来ていない。

 ここ数日間エルピスがあちらこちらを飛んでいたのは、王国を防衛する用の魔法を展開していたからだ。

 未だに稼働前の段階で放置してあるが、他人が消せるものでもないし魔神の召喚陣に手を加えられる人物がいるとも思えない。


「安保と小林くん。あと前山夫妻は今日来てないな」

「夫妻!? あの二人ついに結婚したのか!?」

「結構前にな、言ってなかったけか? あの戦闘があって一か月くらいで結婚したぞ」


 同級生の結婚はエルピスにとって衝撃的な事柄である。

 今までエルピスが生きてた中で、結婚という行事に携わったことは一度としてない。

 それは端的に言ってしまえば、エルピスが高校生だった事が原因だ。

 一般的にありふれた事ではあるが、だからこそ自分の知り合いが付き合っているではなく、結婚しているという事実に驚きを隠せない。


「うっそ……祝いの品とか一切渡してないんだけど」

「ん? なんかお前宛からって一応プレゼント来てたぞ? 島崎が八つ裂きにしてたけど」

「あの人どんだけ俺のこと嫌いなんだよ、多分誰かが気を利かせてくれたのかな」

「まぁ本人にあったところであいつのイライラが爆発するだけだし、気にしても仕方がないだろ。それで今日は戦闘ってことで良いんだよな?」


 ニヤリと、自らの力を全力で払えるその機会が目の前にやってきたことに幸福感を隠せず、遥希はエルピスを殺さんばかりの目で見つめる。

 本来ならば全力の力を出して敵と戦いたいところを、周囲への被害や組み手なら相手が死なない様に気を遣って全力が出せなかった彼らだ。

 その腹の底に溜まっている鬱憤は想像に固くない。


「久しぶりに全力か、楽しみだ」

「私もちょっと昂ってきたわね、旬斗遅れるんじゃないわよ」

「分かってるって。さっさと移動しようぜ」

「おいおいまさか徒歩かよ!? 俺先に行ってるわ!」

「全員溜まってんねぇ。行ってくるって言ってたけどあいつどこ行ったんだ?」

「いつも言ってるところあるから目星は付いてるよ、走ればそんなに遠くないし」

「そんじゃまぁそっから勝負スタートってことで。ハンデとして1分、1分間待ってあげるから先に行っておいで」

「言ったな? それじゃあお先に!」


 地面に六つの大穴が開くと、轟音と共に人体はその体の限界点を優に超える速度で視界の先へと消えていく。

 走り去っていったメンバー、一人一人の気配を辿りしっかりとその現在位置を把握しながらも、軽く準備体操をしたエルピスはとりあえず彼らが開けて行った大穴を塞ぐ作業を開始する。

 腕を軽く払えばそれだけで穴は元の通りに綺麗に塞がり、後にはなんの痕跡も残っている様には見えない。

 心の中で数を数えゆっくりと呼吸を整えれば、後は前を見据えて走り出す準備をするだけだ。


「59……60! さて行くか」


 エルピスが全力で足に力を入れた瞬間に、みしりと足元から嫌な音が聞こえた。

 それはエルピスの邪神の障壁がエルピスの膂力に敗れ、数枚がその理不尽な膂力の前にへし折れた音である。

 そしてその音が聞こえるよりも早く、エルピスの姿は王都から遥か彼方へと消えていった。

 龍神の翼を広げればさらなる速度が期待できるが、王国全土であれば翼を開く頃にはもう既に付いている距離である。

 そうしてエルピスがやってきたのは、アウローラ奪還作戦の時に訪れた無人島だ。

 あの頃の魔法の余波がまだ残っており所々焼けたり凍ったりと少々荒れてはいるものの、ここならば王国の人間に被害が出ることはないだろう。

 彼らの足が地面につくよりも数秒早く、エルピスの足はかつてと同じ様に砂浜を大きくくり抜き無理やりその体を止める。


「うっわ! ぺっぺっ! 口の中砂どころか全身砂なんだけど」

「早すぎだろお前!? なんで後から出たのに先に着いてんだよ!」

「これが亜人の膂力なり。人間じゃこうもいかないよ」


 後からやってきた遥希達は、エルピスが開けたクレーターの上からエルピスの方を見下ろす様に眺めている。

 彼らは一足でここまできたわけではないので、この島に飛び移った後は穴ができる様な走り方はしてこなかったのだろう。

 エルピスも着地の瞬間に障壁を貼れば良かったのだが、貼るタイミングをずらしてしまい余波で砂が大量に宙にまってしまったのだ。

 土ならばまだしも砂の扱いは難しい、普段扱わないのもあるが軽さが気になるところだ。


「それじゃあ六体一で構わないよな?」

「もちろん。俺は攻撃魔法と防御魔法の禁止、あと直接攻撃の禁止で行くから」

「舐められたもんだけど、あんな力見せられたらそれくらいしてくれないと生きてる心地がしないか。遥希、いつも通りいくぞ」

「それじゃあ試合開始ってことで」


 和人によって試合開始の合図が出されると同時に、エルピスは大きな鎖鎌を取り出す。

 通常の鎖鎌とは違い人の頭身ほどもあるその鎖鎌は刃が紫色に染まっており、空気すら切り裂いてしまう様なその圧力に直接攻撃はないと分かっている遥希達も一瞬たじろいでしまう。

 エルピスとしては一度も実践で触ったことのないこの武器だが、たまたま王国祭で一度だけ鎖鎌を使って戦闘を行なっているものを見た事があるので戦い方は分かる。

 無造作に鎖を握り刃を振り回せば、それだけで鎌は必殺の威力を持って辺りを蹂躙し始める。

 一振りで森が飛び、二振りで海が割れれば三振り目はどうなるか。


「ーー痛っっっ!! 止めたっ!」

「でかした和人! 紅葉!」

「わかってる!」


 海を切り山を分かつ攻撃を受け止められるからこそ、異世界人達との戦闘はエルピスにとって刺激になる。

 攻撃を受け止めるのと同時、いやそれよりも早く飛び出してきた二つの影に対して、エルピスは鎌を即座に捨てると双剣を両手に携えた。

 エルピスにとってあれは試験的に使用しただけのただのおもちゃだ、使えなくなったしまったのならば廃棄すれば良いだけのことである。


(ーーまずいっ!?)


 そんな事を思ったのは紅葉か旬斗の方か。

 どちらにしろ彼等の予定では、どうにかして武器を受け止めたあとにできた隙をついて、なんとか攻撃を与えようという算段だったはずである。

 しかしエルピスが武器を捨て構えを終えてしまった事で、逆に紅葉と旬斗はエルピスに対して身体を完全に許してしまった形になる。


「直接攻撃はなしってやくそくだよねーーってクッソいてぇぇえ!?」

「きゃっ!?」

「結構人って飛ぶねー! びっくり!」


 エルピスも先程自分が言った直接攻撃禁止というルールをすぐに破るつもりはなく、地面を巻き込んで思いっきり叩きつける事で飛んできていた二人を別の方向へと吹き飛ばす。

 人が砂に紛れて吹き飛んでいけば、もちろん視界は遮られ新たな攻めの機会が始まる。

 砂埃の中エルピスの目の前に現れたのは、先程エルピスの鎌を受け止めた和人だ。

 刀をしまい、身体を半身にして目を閉じ何かに集中している和人の姿は、この砂埃の中であろうとエルピスにははっきりと見える。

 その姿の意図が分からず手を伸ばしそうになるが、なんとかそれを静止し、面白そうだとエルピスは彼の行動が完了するのを待つ。

 今回エルピスが彼等相手に学ぼうとしているのは、戦闘で余裕を持つ方法だ。

 今のところそれは完璧にこなせているが、未だにエルピスが思い描く傲慢で不遜な余裕を見せる強者の姿は程遠い。


「〈仙域〉〈抜刀Ⅲ〉〈閃光Ⅳ〉〈筋力増強パワーエンハンス〉〈速力強化スピードエンハンス〉〈限界突破リミテッドオーバー!」


 目の前でキラキラと多種多様な光に変わる彼の姿は、さながらレイドボス戦が始まる前のMMOのようである。

 自身に様々なバフをかけ、一撃で敵を倒すためだけに特化した技構成で、なんとか霞の先にある一勝をもぎ取ろうと力を払うのだ。


「ーー天絶あまのたち


 渾身の集中力と人を超えた膂力、王国の中でも随一と謳われる鍛治師によって鍛え上げられた刀は、そんな最高の条件下のもとエルピスの首へ吸い込まれる様に迫っていく。

 古龍ですら一撃で葬れる最強の一振り、近衛兵であろうとも完璧に準備を終えた今の彼の一太刀を浴びればかなりのダメージを受けることは必須である。

 だがそんな彼の斬撃はエルピスの首元でピタリと止まった。

 かつてアルキゴスがそうだった様に、かつてアウローラに攻撃を仕掛けた盗賊達の攻撃がそうであった様に、邪神の障壁は対象者に対してのいかなる攻撃であろうとも完全に防ぎ切る。


「んなばっーーっ!? マジか嘘だろ?」


 あまりの衝撃に言葉が出ず、とりあえずは心の中を埋め尽くしていた言葉を吐き出した和人は少しだけ現状を理解する。

 これはエルピスと自分達の戦いなのではない。

 エルピスからしてみればただの遊び、もしくは実験なのだという事を。


「どうでも良いから早く退きなさい! ーー雷鳴は赤く染まり、始祖の獣は咆哮を上げる。戦術級複合魔法麒麟紅雷きりんこうらい!」


 長時間詠唱からの複合魔法は、この世界で使用できる人間がほとんどいない魔法の最上位技術だと言っていい最強の魔法である。

 麗子の魔法使用と同時に空に赤い稲光が走ったかと思うと、その中を中国の伝説における麒麟のような生物が走っているのが確かにエルピスの目にも見て取れた。

 それは確かな意思を持ってエルピスの方へと向かってくると、地面を巻き込みながらエルピスの体を飲み込み轟音と共に島を見事に半壊させた。


「ーー島が島の形しなくなってきたな。遥希隠れてたけど今ので死んだりしてない?」

「うっそノーダメージなの?」

「だって魔法まだ終わってないしね。走れ麒麟紅雷きりんこうらい


 薙ぎ倒された木々の隙間からエルピスが無傷で現れると、小さな麒麟がエルピスの手の中に現れた。

 エルピスの所持している能力の一つ、魔力による攻撃の完全無効化と支配下だ。

 地面に電力が流れてしまったこともあって最初の頃と比べればかなり小さくなっだが、それでも人を殺すには十分すぎるほどの力がある。

 近くにあった石ころを手にして、親指で軽く弾けば気持ちはもちろんレールガンだ。


「ーーーー死ぬッ!」


 今日一番の轟音を轟かせながら、エルピスの指から放たれた小さな石飛礫は魔法によって強化され海を割りながらどこか遠くへと飛んでいく。

 当たっていれば肉片すら残っていないであろうその攻撃は、麗子とエルピスの魔力操作技術の差がどれほどのものなのかを簡単に表していた。

 そんな中でエルピスが少し気になったのは和人の行動だ。

 身体能力的に問題があり間に合っては居なかったが、元から当てるつもりは無かったとはいえ見てから今の攻撃を避けようとしていた節がある。

 今の攻撃を見てから避けられるのであればどうだろうか、剣は無理にしてもエルピスの槍の攻撃くらいならばおそらく捌けそうな雰囲気がある。

 所持している技能がそれに大きく拘っているのだろうが、エルピスからしてみれば新しいおもちゃを見つけた気分だ。


「遥希ィ! 無いとは思ってるけど一応言っとくな! 限界突破リミテッドオーバー使用後に〈魅了〉しても俺状態異常全部完全無効だから効かないからなー!」


 限界突破リミテッドオーバーには技能の効果を高めるという効果も一応ではあるが存在する。

 そのことを知っていれば、ワンチャンスをかけて誘惑すれば勝機がないというわけではない。

 さらにいえばそれが失敗に終わったとしても、実力差がある場合完全に運で成功か失敗かが決まる〈捕縛〉辺りを使用する作戦も考えられるが、両方エルピスからすれば大した脅威ではない。

 〈神域〉に動揺する気配が感じとれ、あながち読みも間違っていなかったという事を再認識できた。


「さてと。もう一回殺す気で最初から行こうか」


 とはいえ戦闘はまだまだ始まったばかり。

 戦術級魔法を使用した麗子にはさすがに疲労の色が見えているが、それ以外の人物達はまだまだ動けるはずである。

 指をぽきぽきと鳴らしながらエルピスはもう一度気合を入れ直すのだった。


 /


「疲れた〜っ!」


 どさりと音を立てながら砂浜に遥希が寝転がる。

 それ以外にも人の姿が五人分、夜の闇に紛れているが息を切らして指先すら動かせずにピクピクとしている様はエルピスから見れば面白い。

 結局のところエルピスに攻撃が通ったのはあのあと一度きりで、それも和人の時と同じ様に邪神の障壁に塞がれたので攻撃としてはほとんど意味がないのも同じである。


「結構今日は訓練になったな。ありがと」

「本当になってるのか? 蹂躙されただけなんだけど」

「意識配分とかの面でかなり役に立ってるよ、感謝してる」


 戦闘中に誰に対してどの程度意識を割くかは、慣れなければかなり難しいことである。

 鍛治神が言っていた雑魚に慣れろというのは、少なからずそう言った状況において、誰が強くて弱いかを瞬時に判断する能力を身につけろという意味なのではないかと。なんとなくエルピスは想像している。

 ただ一つ気がかりなことに、彼女がいきなりエルピスに対してそんな助言をするのが今でも疑問に思っており、エルピスの戦闘能力を知っているのだから、自分の迷宮で訓練していけば良いくらいは彼女の性格を考えると言いそうな物である。

 創生神の影が何か暗躍している気がしないでもないが、彼からしてみればエルピスは魂は自分であろうと知性は人並み、騙そうとすればいくらでも騙せる事は想像に固くないのでエルピスが今更何をしても無駄だろう。


「だったら良かったよ」

「ーーそういえば幹はどこに行ったんだ?」

「ん? あいつか? あいつなら今頃は帝国領じゃないかな、行かないといけないって言ってたし」

「そっか」


 贖罪の旅を行っている幼馴染のことを思い出しながら、エルピスは遠い海の向こうを眺める。

 その視線の先に帝国はないが、他人を思いながら遠くを眺めていればどこを見ていたって同じだろう。

 エルピスでは助けられない、自らで自らを助けるしかない彼の事を思い出しながら、エルピスは小さくそっと息を吸い込むのだった。

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