第148話英雄願望
力が欲しかった。
誰にも負けない力が。
万夫不当の英雄達すらなぎ倒せるほどの、神にすら匹敵する力が欲しかった。
別にその力で何かしたかった訳では無い。
ただいつもとは違う毎日が送れたら、知らない何かに触れられたらそれだけで良かった。
かつて小さかったころ、まだ文字すら読めない時に見たあの夢の景色を、本の中にしか入っていない幻想を全身で感じたかったのだ。
「きっと君と僕がここで戦うのも決められた定めなのだろうね」
口に出しながらそんなことは無いかと軽くため息を吐く。
自らがこれから行うこと、行おうとしている行為に対しての倦怠感が男にそうさせた。
男の名前は
エルピスと同じ異世界人であり、元クラスメイトであり、そして今はエルピスの敵である。
異世界人の特徴である黒い髪は染めたのか少し白さを孕んでおり、腰に剣を二本背中に斧と弓手首には小さなナイフに腰にぶら下げてあるのは鎖帷子か。
随分と多種多様な武器を身に纏っている春の前に立つのは、絶世の美を持つ女性。
白い髪に白い肌、透き通るような目はこちらの心すら見抜いてくるようで、向けられた指先からは緊張感と共にどこか安堵を感じられる。
春がこの世界に来てから見た生物の中でも最も美を体現したそれは、にっこりと笑みを浮かべながら安堵を与える声で小さく呟く。
「一対一とは随分と舐められたものね。いまの私は強いわよ」
軽く魔力を解放させながらそうセラが口に出すと同時、周囲の雰囲気がガラリと変化していく。
侮っているのでは無い、むしろ春はセラの事を尊敬しているとまで言っても過言では無いだろう。
その圧倒的なまでの強さ、知識、経験は春の肌全身がそれを感じ取りいかに実力ある者なのかを教えてくれている。
ただだからこそ春はここに来たのだ、作戦通り自分がここに来た理由を再確認しながら春は詠唱を開始する。
「させると思う?」
「ーーそれを通す為にッ!」
「俺達が居るんだよ。戦闘始まるまでは三対一だ、喜べよ」
「兵士でなく戦士でなく傭兵でなく盗賊でなく、弓兵であるはずの槍兵はやがて僧兵となり神兵となる。勇ましきもの達の御霊に告げる。英雄達の心に問う。我の目の前に現れたる試練の扉、開け得るための力の使い方を。〈
発動に詠唱が必要な上に条件がかなり厳しい
神の一歩手前、王よりも上の人類の象徴とも言える英雄に一時的ではあるが彼は成った。
戦闘能力や魔力量に関して言うのであればセラの脅威では無い、だが英雄という称号に対してだけはセラも警戒を全開にする。
かつてセラも何度も英霊や英雄と呼ばれるもの達と剣を交えたことがあるからこそ分かる、英雄達はもはや生物にあらず、人類の希望の擬人化とも言えるそれは、たとえ不可能であると思われることでも星の瞬きほどの隙間を塗って可能にするのだ。
それを分かっているセラは自らの力のリソースをニルにほとんど投げ、自身の力を目の前の敵と同じ程度にする。
圧倒的強者に対しての英雄は強い。
倒れず、朽ちず、気高いままにその力を発揮する。
そんな敵に勝つならばどうすれば良いのか、答えはひとつだ。
「汝、その力を神の為に振るうこと、これ以上の幸福は無く。汝、その知恵を神に捧げることこれ以上の願いはない。しからばその力を持って我は我の敵を打ち滅ぼす〈
同じ
力が同じ、技術力だけは圧倒的にセラの方が上。
ならば後は運が勝敗を左右するのみだ。
春に対しての絶対的な信頼感があるのか他の二名は既にニルの方へと向かっており、セラと春の一対一の状況が出来上がっていた。
「まさか同じ
軽く準備体操をしながらそう言った春に対して、セラはだらりと両手を下げたままジロリと春の方を見つめるだけで特に動こうとする様子もない。
西洋人形だと言われてしまえばそれで納得してしまいそうなそんな風貌に少々威圧されながらも、春は今まで通り自分が行うべき事を行う為に一歩足を踏み出す。
「ーーッ!」
硬い金属同士がぶつかる音が辺りに響き渡り、ついで何か硬いものが地面に落ちる音がした。
セラと打ち合った際に使用した剣の先が欠けているのだ。
見てみればセラの手に握られているのは剣ではなく、そこいらに落ちていた瓦礫のうちの一つ。
春の持っている武器は壊れる前提で持ってきている、そのため武器一つ一つの強度自体はこの世界において一般的に流通しているものと大差ない。
英雄同士の力でただの瓦礫とはいえぶつけられてしまえば折れてしまうのも仕方がない事だろう。
折れた剣を捨て残ったもう一振りを両手で構えると、春はゆっくりと再び足を前に出す。
すり寄っていくように、徐々に体を前に動かしていく春に対してセラの行動はあまりにも少ない。
「良いのか俺にばかり構っていて?」
「別に構いませんよ、向こうは妹が相手するので。というより良くたったの5人で妹に勝てると思いましたね?」
相手の方が技術力がある以上下手に突っ込んで怪我を負うわけにもいかず、なんとかして向こうから攻めてきて欲しいものなのだがどうやらそれも許してくれないらしい。
ときおり軽く目線を逸らし春に対して切り込む隙を与え、その餌に春が乗ってきそうになった瞬間に隙をついて倒そうとしてきている。
狙っているのは武器を全て消耗させる事だろうか、たしかに手持ちの武器さえなくなってしまえば後は春にできることは数少ない。
攻撃力も生身ではそれほどないし、さらに言えばこの
この
「さっきから余裕綽綽って感じの表情じゃんかっ、と危ない危ない。強めの一撃喰らわせてその顔色変えてやるよ、斬撃系特殊能力発動〈王牙〉」
一部の流派系技能ならびに剣術技能では、個人が開発した技というのがしばしば散見される。
この王牙も春が考えた必殺技の一つであった。
右手で上段からのバトルアックスによる重量級の一撃、左手で長剣による足元からのなぎ払いを同時に行うその攻撃は一見すると力がのらず非常に非効率的な攻撃手段だが、技能として昇華しているだけあって様々な補正の元かなりの威力を誇る。
それに対してセラは上段からの攻撃を自らが持つ杖によって受け流し、足に向かって飛んできた長剣は体を浮かせることによって回避した。
「本当に同じ能力値なのかな全く、今の避けられるとかやってられないよ」
「さっきも言った通り時間稼ぎは無駄でしか有りませんが、そんなに付き合って欲しいなら少しは付き合ってあげますよ」
「煽ってくるねぇ人が真面目にやっているっていうのにさ。それじゃあもう一度行かせてもらうとするよ」
必殺の意思を持ちながら春が足を踏み出そうとしたと同時、その踏み出した足をセラが無造作に蹴り飛ばす。
踏み出しを蹴り飛ばされた事で平衡感覚を失い頭から地面に叩きつけられた春に対して、セラの杖がトドメだとばかりに頭部に向かって一切の躊躇なく振り下ろされる。
それに対してすんでのところでそれを受けると同時に、足に仕込んだナイフで攻撃を仕掛けようとするが、セラによって蹴り出す瞬間にナイフだけを踏み抜かれ横からの力に押されたナイフは一切の抵抗を許されず叩き折られた。
そのままもう一度大振りでセラが杖を振るうが、それを見切って避けた春はゆっくりと距離を取りながら小さな発煙筒を取り出す。
「一人じゃ無理くさいんで救援呼ばせてもらうよ」
「そう、結構なことね」
発煙筒の色は赤、色に意味があるかどうかは分からないが、相手が使用するものは全て記憶しておいた方が後々役に立つ事もある。
気配を感じてみれば周囲に三十程度の亜人種がこちらを睨みつけながらゆっくりと現れ、どうやら赤色は味方の召集に使用されるらしいと判断した。
(何のためにこの亜人種たちは敵に従っているのか、怯えや恐怖といった感情が感じ取れない以上強制されているようには思えませんね。ならば自発的にこの行動を行なっているのかという疑問も湧きますが、それにしては亜人種特有の闘争本能や他種属に関する嫌悪感が感じ取れません、裏を取る必要もありそうです)
飛びかかってくる敵の首を落としながらセラが考えるのは敵の動機。
本来ならば考える必要もないことではあるが、この敵が利害関係の一致だけで向こう側についているのならば戦力を減らせる可能性もある。
それはこちらにしても同じ話なのだが、セラにとってエルピスとその周り以外は味方として数えることは決してないので問題もない。
「そう言えば貴方、大きなミスを犯しているけれど大丈夫かしら?」
「別に大丈夫さ」
ふとセラが思い出したようにそう呟いた。
足元には援軍に来た亜人の死体が転がっており、血に濡れた彼女の衣服は綺麗な赤に染まっている。
彼女の問いに対して春に思い当たる節はない。
ただ相手が知っているのに自分が知らないという状況を相手に知られることがまずい、そう思っての行動だ。
先程の発煙筒は緊急時の援軍要請用のもの、一度狼煙を上げれば再び狼煙を上げるまでは近くにいる亜人が優先的にこちらに来てくれるようになる。
様子見をする時間くらいならば問題なく稼げるだろうし、それにその時間を稼げなくともまだ武器も体力も残っているので大きな一撃を喰らわない限り圧倒的に不利な状況になることは考えにくい。
だがそんな春の思いとは裏腹にセラは余裕の笑みを浮かべながらゆっくりと春に近づいていく。
警戒心というものがその姿からは見受けられず、むしろもうすでに勝負は決したと言わんばかりの表情をしている。
「さぁ、間合いよ」
「言われなくても分かってるーーーーふっ!」
左から右へと大振りでセラの首に向かって剣を走らせる。
実際のところ目的は揺動で、本当の狙いは右手に持った小さなナイフをかすらせるだけでもいいからセラに当てることだ。
このナイフには森霊種に作らせた特殊な毒が仕込まれており、たとえ龍であろうともその体を一時的に動けなくさせるほどの毒性を持っている。
セラは無造作に大振りの剣を受け止め、春の短剣を甘んじてその腹で受け止めると笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「もう貴方の攻撃は私には届かない」
ゆっくりとまだ残った短剣の刀身を指でなぞりながらセラは小さく呟いた。
とはいえ春とセラは現在手が届くほどの至近距離、その声はもちろん春にも届いており、背筋を冷たいものが走るような感覚に襲われる。
毒がもう効き始めてもおかしくない、だというのにセラは余裕な笑みを浮かべたまま、ゆっくりと春の短剣を握る右手の手首を掴んだ。
反射的に振り解こうと力を込めるがまるで万力のようなその手を外すことなど到底不可能で、にっこりと笑みを浮かべたままセラが左手で杖を振り下ろす。
「がはっ!」
「痛いかしら? ステータスがいつも通りなら今ので殺せたんたのだけれど、ごめんなさいね」
「人で遊ぶなっ……何をした!」
「私は何もしていない。したのは貴方よ」
よろめきながら頭を押さえる春に対して、セラはまたゆっくりと歩みを進めていく。
先程セラの言った言葉が気がかりになり、春はその前の状況を軽く思い出す。
そうは言っても戦闘が始まってまだ数十分、なんらかの技能の条件を満たすような行動をした覚えはない。
もし春が
だが春は自らの能力にあぐらをかき超位者をたやすく殺せるこの
強い鑑定
己で勝手に限界を作り、己で勝手にルールを作るのならばそもこの世界を作り出した神のルールに従って動くセラに勝てるわけがないのだ。
「発動前に唱えたでしょう? 試練の扉を開けるための力が欲しいと、その為の力は与えられている。ならばいま貴方が苦戦しているのはその力を貴方自身が蹴ってしまったからよ」
「そんな馬鹿なっ! そんな効果があるなんて……」
「こうなってしまったらもう手加減する必要もないわね、もう向こうも終わってしまったようだし、力を返してもらうとしましょうか」
そう言ってセラが軽く目を閉じると、四対の翼を背に広げ頭に光輪を携えながら先程とはまるで別人のような獰猛な笑みを浮かべて杖を前に構える。
明らかなる絶対者、いままで春が戦ってきたどんな相手よりも強い力を持っていることは間違い無いだろう。
(ーーしめた! しくじったなお前の敗因はこれだッ!)
だがだからこそ、活路が見出せた。
同条件であのまま戦っていたのならば無条件で敗北していたことだろう。
だがいまこうして強くなってくれたおかげで、
「馬鹿がっ! 見ろこの溢れ出る力を! この力こそあれば貴様如き一瞬でーーへ?」
「まずは一本」
どさりと重たい音を立てながら春の腕が地に落ちる。
断面からは綺麗な骨が見えており、よほど鋭利な刃物で切断されたのであろうことが容易に窺えた。
その断面を見て自らの現状を認識した途端、春の無いはずの腕が耐え難いほどの痛みを脳が焼き切れるほどの強さで無理やり叩きつける。
痛みに耐えきれず必死に腕を振り回そうとしてみるが、肩から少し先で切り落とされた腕はどれだけ押さえつけても痛みをなくす事はできない。
「痛っぁぁああぁぁあ!!! 俺の腕がっ! 俺の腕がぁぁあ!!」
「いたぶるのは好きじゃありませんので、早々に終わらせます」
泣き叫ぶ春に対してセラは冷静にコツコツと足音を立てながら近寄っていくと、その手に持った杖を無造作に頭へと振り下ろす。
先程よりも圧倒的に鈍い音を島全体に響き渡らせながら叩き降ろしたその杖は、頭を間におきながら地面に衝突した瞬間、島に降り注いだ砲弾よりも大きなクレーターを形成しながら春の頭蓋に明確なダメージを与える。
「がっ!? あっ! っ!? もうやめっ! やっ!」
なまじ相手と同じ力を手に入れてしまえば後は不憫なものだ。
英雄としての奇跡に対する補正を切られ、相手のステータスに合わせて自らのステータスを上昇させる効果だけではセラに対して脅威になり得ることはできない。
殴打回数が13を超えた時、春の呼吸はついに完全に停止した。
その顔は見るも無残なほどに膨れ上がっており、数多の箇所を骨折し打撲し炎症が起きたその頭は他人が見れば人であるかどうか分からないほどだ。
落とされた腕から徐々にこぼれ落ちる赤い滴だけが人であることを教えてくれるが、心臓の活動が停止したことでその赤い血も今となっては止まってしまっている。
「貴方に罪はありません。人の子よ、せめて次は安らかに」
女神であり戦神であり天使であるが故に。
その祈りはなんとも美しく、そして慈愛に満ち溢れていた。
人が見れば狂気に映るその姿は彼女にとっていつも通りの行動だ、敵を排除しエルピスの敵を退け、エルピスの幸福を守る。
理念に従って動く彼女は強く、そしてその決意は何よりも硬いものであった。
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