第110話剣の師匠

 場所は変わってエルピスが向かうのは王城の中庭。

 マギアとの特訓を終えて時刻は既に夕暮れすぎ、空を飛んでいく鳥の群れを眺めながらエルピスは長い長い廊下を抜けてようやく中庭へとたどり着く。


 そこでは数年前までと同じように、なんら変わりなく剣を振る男の姿があった。

 剣を振り下ろすその姿は見惚れるほどに綺麗で、振り下ろされる剣には一切の無駄が無く、効率よく敵を倒すための意思だけが込められている。


「遅かったなエルピス。師匠は強かったか?」

「死ぬほど強かったです」


 特に気配を隠しながら近寄ったわけでもなかったので、エルピスの存在はすぐアルキゴスに気づかれる。

 それに対してエルピスが頷くと、アルキゴスは笑いながら再び剣を振りつつエルピスに話題を振ってきた。


「だろうな、あの人はあれでもこの国の防衛の要だ。

 実戦経験もそこいらの奴らの比じゃない…とは言ったもののお前もそうか」


 ふと剣を止めアルがそう言うが、それは少しだけ違うだろう。

 確かに質だけで言えばマギアが戦ったことのないような強者──ニルやセラなどとも闘ってきたがそれは環境が良かったからだ。


 ただひたすらに勝星を積むためだけに何度も何度も自身の至らぬ点を修正し、強くなるために様々なことに手を出したマギアには実戦経験でも戦士としても負けている。


「あの人には勝てないですよ。あと二十年くらいは欲しいですね」

「二十年後か…お前どうなってんだろうな」

「さぁどうなってるんでしょうかね」

「見てみたいもんだな、俺が生きてりゃだけど」

「ちょっと不穏なこと言わないでくださいよ。アルさんなら死にませんよ」

「いや死ぬ気は無いがな? 生きてる確証もないからさ」


 そう言って遠い空を見上げるその姿はまるで自らの死期を悟っていると言わんばかりで、これ以上この会話を続けるのは良くないとエルピスはここにきた目的を早々に伝える。


「生きてますよ、これマギアさんからです。それ読めば内容は分かるかと」

「ん? ああ昼間に師匠から聞いてたからもうあらかた分かってるよ。

 修行つけに来たんだろ? いつか本気で教えてやろうとは思ってたけどちょうど良かった」

「話が早くて助かります。それじゃ始めましょうか」

「おいおいまて、魔法はそりゃ基礎が極まってるからいいかもしれないが、お前剣に関して言えばからっきしなんだからしっかりと基礎からやるぞ」


 そう言ってアルはエルピスに向かって剣を投げ渡す。

 その剣を見てエルピスはふと口角が上がるのを感じる、これは昔アルキゴスが使っていた儀礼用の剣を遊び半分で魔改造したものだ。


 アルの腰には前までよりさらに強化された、エルピスが灰猫の代わりとして送った剣が携帯されておりなんだか嬉しさを感じる。

 アルキゴスが言う通りいまのエルピスは正直言えば剣に関してはからっきしだ、技能は有るにはあるが所詮技能でしかない。


 そもそもクリムから対剣の対処は習っているが、剣術についてはろくに習っていないのだ。

 父は魔法使いだからそもそも肉弾戦が得意ではないし、エルピスの周りで剣を使うものがいなかったから仕方ないと言えば仕方ないが、それでもこれまでろくに剣術を習ってこなかったのは怠慢の証だろう。


「分かりました。それじゃ何をすれば?」

「とりあえず素振りしろ、俺が悪いとこ全部言ってくから逐次直す方向で」  

「普通に振り下ろすだけでいいんですよね?」

「別に演舞形式でもいいぞ、実戦で使えるのならなんでも。

 途中で止める時もあるからそん時は気合で止めろよ」

「無茶苦茶言いますね、まぁ今は師匠ですし聞きますけど」

「ほら始めろ」


 アルのゴーサインで、エルピスは手に持った剣の感触に慣れようと数回剣を振るってから剣が壊れない程度に力を出して仮想の敵を想定しながら剣を振るう。


 普段エルピスがやっている時は魔法の訓練も兼ねるので、仮想の敵も魔法で姿形は生み出したかなり実戦よりのものだ。

 今回はこちらに攻撃が当たらないようになっているが、普段は攻撃もこちらに当たるようになっている。


 袈裟懸けに振り下ろされた剣を勘で避け、逆に袈裟懸けに斬り下ろそうとした瞬間、アルから待ったがかかりエルピスは無理やり身体を止めてアルの方を向く。


「よく止まれたな、体幹どうなってるんだ?」

「まぁこれでも鍛えてますから。それで何か問題が?」

「いま勘で避けただろその攻撃、あと剣先がブレすぎ重心の位置が後ろに寄りすぎ。

 拳士なら良いが剣士になりたいならそれじゃダメだ」

「母からこれで良いと教わったんですけど」

「あの人の戦い方は真似するな、あれは天性のもんだ。

 そこまで真似できてるお前の才能も大概だが多分いまのラインが限界だ。

 足と肩をしっかりと見て相手の次の動きを予測しろ、それで大部分は分かる」


 アルからそう言われ敵の動きを見てみれば、確かに先ほどまでよりも格段に敵の動きが見やすくなった。

 手首を曲げたり腕の筋肉を使ってのフェイントには引っかかりやすくなってしまったが、意識を徐々に小さい部位に向けていけばそう言ったフェイントに騙されることも減ってくるだろう。


 剣先のブレは何度か意識して振っていると自然と消失していった、どうやら〈経験値増加〉がうまく機能してくれたらしい。

 重心の位置は少し癖になってしまっているので、魔法を使い足元を多少いじって無理やり前に移せば〈経験値増加〉が少しすればうまく補修してくれるだろう。


 今日ははマギアとの戦闘もそうだったが〈経験値増加〉におんぶにだっこされていると思いながら、エルピスは徐々に良くなっていく自身の感覚にだんただ楽しくなってきて、さらに速度を早めていく。


 剣がエルピスの速度について来れず破損しかけるが、それも魔法を重ね掛けすればある程度は耐久性能もあげる事ができた。

 止めの一撃──を刺そうとしたところでまたアルに止められる。


「はいストップ! ってこれでも止まれるのか、体の構造どうなってんだよ」

「まぁ人じゃないですからね。それで次は」

「決めにいくときに剣を大振りしすぎだ、いまそれ突かれたら敵は殺せるが刺さるぞ」


 そう言われ魔力で作った仮想的に突きをさせてみると、首は身体とおさらばしたが確かにエルピスの胸に剣を突き刺すことに成功していた。


 普段ならば邪神の障壁で守られているので問題ないが、それでも敵の攻撃を不用意に、それも食らわなくて良い攻撃を食らうなど馬鹿のやることだ。


 頭の中で自身の反省点として記録し、なるべく少ない手数でコンパクトに決められることを意識しながら仮想的を倒す。


「言いたいことは山ほどあるがまぁもう日も落ちたし続きは明日だな。家に来い、飯くらい食べていけ」

「本当ですか!? ごちになりまーす」

「ちょうど合わせたかった奴もいるしな」

「え? 誰ですか?」

「あってからのお楽しみだ」


 この国でエルピスがあっていない人間はそうはいないはず、だがアルがあってからの楽しみだと言うのなら、おそらくはエルピスのあった事のない人物なのだろう。

 それから少しして王城から徒歩数分でアルキゴスの家にたどり着く。


 基本的な建築方法で建てられたその家は豪邸というにはあまり広くはないが、だが庶民の家とは見ただけでもかけられている金額の違いが分かった。


 武人らしい家だなと思いつつアルキゴスの後についていくと、玄関を開けた瞬間に小さな子供が飛び出してくる。

 年齢としては2、3歳か、元気いっぱいなその子に対して少し焦りはするものの、小さな子供の相手には一応慣れているので飛び込んできた勢いそのままに抱き上げる。


「びっくりしたー、この子は?」

「俺の子だ、落とすなよ?」

「──えっ!? アルさん子供いたんですか!?」

「お父さんこの人誰ー?」

「お父さんの友達の息子だ。この子は二年前に産まれた」


 二年前というと、ちょうど連合王国でのイザコザが終わった程度の時だろうか。

 まさか子供が産まれているなど思ってもおらず、そもそも結婚していたことすら知らなかったエルピスは驚いて身体が固まる。


 その間にもエルピスに対して興味津々なのか顔をペチペチしてくる小さい子供の顔を見てみれば、確かにどことなくアルの面影があった。

二歳児がここまで流暢に話せるのはこの世界の特徴だ、この世界の人の成長速度はかなり早い。


「貴方お帰りなさい。あら、そちらの方は?」

「エルピスだ、話くらいは聞いてるだろ?」

「どうもこんばんは、エルピス・アルヘオと申します」

「お父さんとアルからよく話は聞いているわ。どうぞ入って、今日はご馳走を用意しなくっちゃね」


 招かれるままエルピスは家の中に入り、玄関で靴を脱ぎ居間へと通される。

 王国はここら辺の国では珍しく家に上がる時は靴を脱ぐ習慣があり、アルキゴスの家も例外ではないようだ。


 居間にはいくつか子供用のおもちゃがあり、固定された本棚と角を無くされた机はこの家の子供が、いかに大切に育てられたか理解するのには十分だった。


「アルさんお子さんと奥さんの名前教えてくださいよ」

「ん? ああ、そう言えば言ってなかったな。嫁がテイラ息子がシグルだ」

「テイラさんとシグルくんですね、覚えました。結婚式呼んでくれたら良かったのに」

「加冠の儀だったりなんだりであの時期は忙しかったし、それに俺も嫁も許嫁で昔から知った仲だ。

 今更式なんてあげたくて良いって向こうから言ってきたからそれに乗ったんだよ」

「そういうことだったんですね」

「お兄ちゃんこれで遊ぼー!」

「いいよ、先行はそっちねシグルくん」


 アルとの会話に割って入るようにしてシグルが持ってきた玩具は、王国で一般的に小さな子供がよく遊ぶ定番の玩具だった。

 馬や竜、騎士や農民などと言った様々な形の人形を敷居で隠し、相手の人形に対して有利な人形を場に出すと勝利することができる。


 ようは出せる手の多いジャンケンだ。


 これならば昔やったこともあるのでルールもわかるし手加減もできる、片手間でシグルの相手をしつつエルピスはまたアルキゴスとの話を進めていく。


「そう言えばアルさん最近健康診断には行ってますか?」

「──いや、行ってないなそういえば。急にどうした?」

「いえ最近病気やそう言った類のものも分かるようになってきましてね、許可さえもらえたら見ようかと思いまして」

「そういう事なら観てもらえるか? 何かと忙しくてな。できれば嫁と息子も頼む」

「あら私もいいの? それじゃあエルピス君お願いするわね」


 一通り料理の工程が終わったのか、手を拭きながらこっちにやってきたテイラとアルに対してエルピスは先に鑑定を始める。

 やっている事は〈完全鑑定〉を使用する時と大差は無いが、今回はどちらかというと鑑定の仕方自体がセラの使う鑑定と同分類の鑑定方法になり、この方法だと病気などの判断が下しやすくなるのだ。


 アルキゴスは少々血糖値が高いが許容範囲内で、特に体に問題はない。

 この世界では強くなればなるほど寿命が伸びるのは既に説明したが、それと同じように強くなればなるほど病気にもなりにくくなるのだ。


 同じ様にテイラにも鑑定を使用すると、二つ驚く自体が判明する。

 一つ目は乳がんの発覚、それもかなり進行が進んでおり全身に転移している様で、この世界の医療ではもう治すのは不可能なレベルまで進んでいた。


 二つ目は体内に新たな生命が生まれていた事だ、お腹が大きくなっていないので気づいていない様だが、妊娠して一月は経っている。


「テイラさんアルさん、おめでとうございます。お子さんですよ」

「本当かエルピス!?」

「うそ! 本当に!?」

「ええ、しかもこれは…女の子ですね。特に病気なども無いですし、このまま問題なく産まれてくると思いますよ」


 まさか医療用目的で使ったはじめての鑑定で妊娠が発覚するなどと少しも思っていなかったが、目の前の二人の笑顔を見ればそんな事気にもならなくなる。


 普段は冷静なアルキゴスも今ばかりは満面の笑みを浮かべてテイラと見つめあっており、エルピスも自分が生まれると分かった時はこんなだったのかなとふと思う。


「お父さんに報告しなくっちゃ! 私行ってきます!」

「待て待て落ち着け! 外出たら危ないだろ!」

「任せてくださいよアルさん。料理食べさせていただく立場ですしそれくらいお手伝いします、フィトゥス居るな?」

「──ここに」

「護衛を頼んだ、無いとは思うが厳重に警備しておけ」

「了解いたしました」

「アルヘオ家の執事か、なら安心だな。それなら行って…ってもういないか。

 テイラの行動力にはたまに驚かされるな」


 エルピスがフィトゥスに対して指示をしているときにはもうすでに玄関あたりから気配が消えていたので、おそらく相当早い段階から家の中から出て行ったのだろう。


 フィトゥス達ならば何があっても大丈夫だろうし、エルピスも一応飛び出る瞬間に邪神の障壁を張っておいたのでここら一帯が爆撃でもされない限り大丈夫なはずだ。

 それよりも今重要なのは癌。

 アルに跡を追わせず残したのはこの事を伝えるためだ。


「アルさんそれでもう一つなんですが」

「──もしかしてシグルになんかあったか?」

「あ、いえシグル君はまだです。テイラさんなんですが、率直に言いますがこのままだと半年以内に病死します」


 アルの顔が幸福感に溢れた顔から瞬時に暗いものへと変わっていく、当たり前だ目の前で自分の嫁が死ぬと言われたのだから。

 だがそれはエルピスがこの場にいなければの話、今日本当にこの場に来て良かったと思いつつ、エルピスは不安にさせない様に笑顔を浮かべてアルに大丈夫だと伝える。


「まぁ僕が居なければですがね! 任せてください、この世界で最高の医者でもありますから僕は。

 さすがに数分で、とはいきませんが料理をいただいている内に秘密裏に直しておきます」

「……そうか、感謝しても仕切れないな。嫁にその事伝えた方が作業しやすいんじゃ無いか?」

「それも考えたんですが、母体にストレスがかかってお腹の中の子に悪影響が出てもいけませんからね」


 体内にいる子供が母体の影響でどうなるかを知っているほどエルピスは医療関係を学んでいないが、悪影響があることくらいは常識的にも知っている。

 詳しくどうなるか知らなくとも悪い事が起きるのならば、それをさせなければいいだけの話だ。


「恩にきる」

「修行のお礼ですよ、それとシグル君ですが今鑑定終わりました、特に問題はないですね虫歯も見当たりませんし。

 このままだと身長はアルさんより大きくはならないでしょうが、運動などをすれば同じかそれよりは大きくなりますよ」

「そうか、それは良かった。なんだか嬉しい事や焦る事が短い時間で起きて頭が混乱してきたよ」

「確かに一気に言いすぎたかもしれませんね。

 あ、最後にシグル君はどちからというと剣士よりは魔法使い向きのようですね、音楽なんかもやらせてあげるといいかもしれません」


 アルやテイラよりも少しだけ深く潜り、エルピスは潜在的な才能の面に関して言及する。

 これからどんな役職を目指しどんな能力を使うのかはこの子の気持ち次第だが、自分にどんな長所があるのかを知っておく事は重要なことだ。


 そしてそれが目に見えない才能という部類もののであれば、その重要性はいうまでもない。

 怪しい占い師みたいになっている自分に苦笑しつつ一頻りを伝えると、再びシグルとの遊びに戻るのだった。


 /


「ご馳走様でした、すごく美味しかったです!」


 テイラの手作りの料理を食べ終えたエルピスは、感謝を告げつつ治療を完了させる。

 邪神の権能を使って治療したのでかなり疲労は溜まったが、人一人分の命を救えたと思えば十分だ。

 目配せでアルに成功したことを伝えると、安堵したような表情を浮かべ軽く頭を下げた。


「お気に召したのなら良かったわ」

「エルピス書庫に行くか? 剣の指南書とかいろいろあるぞ」

「ではお言葉に甘えて」

「エルピスお兄ちゃん行っちゃうの?」

「まだ帰らないから大丈夫だよ。また帰るときは後で会いにくるね」


 シグルに対してそう言うと、エルピスはアルの後を追いかけ書庫に案内してもらう。

 この世界では本自体がそれなりに高価な代物で、指南書やそれに類する物となればその金額はさらに跳ね上がる。


 公明な冒険者や名の知れた剣士、修練を重ねた魔法使いの指南書ともなれば一つの家が建てられる程度の金額になるのだが、そんな本が本棚に入れられ数千冊もあるのはエルピスからしても圧巻だ。


 アルヘオ家の書庫は基本的に神話関連だったりそう言うものが多かったので、ここまで戦術指南の本が多いのは王国図書館以外ではエルピスも初めて見た。


「いろんな国から物々交換で貰ってたらこんなに増えちまってな。

 基本的には俺が昔戦ったことのある奴が置いて行った本が大半だ」

「この本棚一つで新しく商売始められますよこれ」

「だろうな。お前は書かないのか?」

「他人にもの言えるほど技術ありませんからね。それに前提条件が合いませんし」

「確かにそうか、お前レベルで剣も魔法もできる奴なんてそうは居ないしな」


 権能を前提として本を書けと言われたならば、エルピスでも書くことは可能だ。

 だがそもそも権能を持っている生物などこの世界にエルピス含めても数十か数百と言ったところだろう。

 こう言うことを言ってもなんだが、書く意味がない。


「それじゃあ居間で待ってるからまた後でこい。シグルも遊んでほしいそうだったしな」

「はい、多分一時間ほどでそっち行きます」


 部屋の外へと出て行くアルを見送りながら、エルピスは完全鑑定を使用して部屋の中にある本の中から需要な本を上からリストアップして行く。


 数秒も経てば全ての本の鑑定が終わり、リストアップしたものの内上位百の本を魔法を使って本棚から引き出しページをめくる。


 エルピスの周りをふわふわと浮かぶ大量の本の内容を瞬時に記憶し、必要そうな物と不必要なものを選別していく。

 書かれている内容が机上の空論であろうともエルピスの身体能力と魔法操作技術すらあれば、実現は不可能ではない。


「おい待てシグル! 本読んでるのを邪魔しにいくな」

「やだー! エルピスお兄ちゃんと遊ぶー!」

「わがままを言うな──痛っ! なんで本が浮いてんだ?」

「わーすっごい!」


 魔法の力は何も破壊だけに限った話ではない。

 エルピスの周りで浮かぶ文字は魔法によって直接エルピスの脳内に入り込み、記憶として定着する。


 その姿はまるで絵本に出てくる魔法使いのようで、シグルがそれを見て興奮するのも無理はないだろう。

 一頻り本を読み終えたのか、まるで自分で意思を持っているかのように本は元あった場所に戻っていく。


「読み終えたので別にいいですよアルさん」

「すまんな、良かったなシグル」

「わーい! 今日は泊まっていってねエルピスお兄ちゃん!」

「そうすると良い。時間も時間だしな」

「ではお言葉に甘えて。いっぱい遊べますよシグル君」


 泊まる予定は無かったが、向こうが好意で止まらせてくれると言うのならありがたい。

 まだ読み終わっていない本もいくつかあるが、この家の範囲内程度ならば魔法を使って見ることもできる。

 

 いまはただ構って欲しそうなシグルに連れられて、エルピスは居間へと向かうのだった。


 /


 数度の鍔迫り合いを終えたエルピスは、上段に剣を構えて相手を見据える。

 昨日の今日で必要な物と不必要な物を瞬時に切り分けなければいけない戦闘に放り出され、少々焦りはしたものの本物の実力を持つアルと戦えたのは僥倖だ。


「練習相手に本気を出すのはこれが初めてですよ」

「俺もだ。F式がないのが残念だがな」


 互いの覇気が絡み合うようにしてお互いの周りを漂い、不気味な空気が辺りを徐々に浸食していく。

 口から息を吐き出す行為すら無駄に感じられるが、この緊張感の中では元人間であるエルピスに息を止めることは出来ない。


 みしりと、地面が音を鳴らしたような錯覚を覚えるほどの力で踏み込んだエルピスは、一直線にアルに向かって突き進む。

 いくつかの小手先の技術を覚えたからこそできる、何もしない突撃はだが重ねたブラフのおかげで何もしないことがブラフになる。


「これで終わりだっ!」


 声を出しながらアルの胸を貫こうとしたエルピスの剣は、ギリギリでアルに防がれる。

 狙っていたのは体であって剣ではない、エルピスの攻撃は失敗に終わった。


 ただアルの剣も無事ではない、中途半端な所から折れこのままでは戦闘続行は不可能だろう。


「引き分け…ってところか。これ直してくれるか?」

「勝ったと思ったんですけどね。はいどうぞ」


 確実に入ったとは思ったが、どうやら今回もアルの方が一枚上手だったらしい。

 これがF式装備だったら今の攻撃で剣が折れることもなく、すぐに反撃されてエルピスも痛い目を見ていたことだろう。

 まだまだ超える壁は高い。


「次はどうするんだ? 剣と魔法は使えるようになっただろ、もう」

「次は仲間の強化ですね。手っ取り早く強くなる悪魔が居るので」

「なら紹介状もいらないか、またなんかあったら家にこいよシグルが待ってる」

「ええ、近い内に」


 戦闘を終えたエルピスは、アルに返事をしながらその場を後にする。

 向かう先は二匹の悪魔がいるところ、邪神の権能が動き始めるのを感じつつエルピスは大空を駆けるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る