第108話不自由

 場所は移って王国南部に広がる大森林。

 いまだ未開拓の領域であり、未確認の生物や植物などが多数存在するそんな場所に、エルピスとニルは来ていた。


 ただ修行をつけてもらうのならばフィトゥスやマギア、アル辺りに教えを乞うと効率的にはなるだろうが、地力をつけるにはそれでは少したりない。

 エルピスの自論では結局のところ人間など死ぬような思いをしないと強くなれないので、それならばとエルピスは短剣一つを持って技能も何もかも封印した状態でこの森で一週間生き延びるという課題を自分に課してみたのだ。


 万が一のことがあっても今のエルピスの全ての能力を預けてあるニルが居るので、即死しない限りは大部分が欠損したとしても生き残れはするので死ぬ心配はあまりない。

 痛い思いをしたくないので、なるべくそんなことにはならない方が嬉しいが。


「本当にこんな森の中でそんな武器一本で過ごすの?」


 ニルの視線の先にあるのは一振りの小ぶりな木製のナイフ。

 切れないことはないだろうが切れ味は悪いだろうし、それに刃渡りも戦闘にはとてもではないが向いていない。


「自力をつけるにはこれが一番だと思うから。本当ならこれも無しにしたいけど、それをすると最悪死んじゃうし」

「まぁ僕的には危険すぎる行動はして欲しくないけど、それでエルピスが強くなれるって思うならするべきだし止めはしないけどさ」

「セラ達の方には言っておいてくれる? 

 一週間席を外した所で問題ないと思うけど、なんかあったらよほどの事じゃない限り代わりに行ってくれるかな」

「別にそれは構わないけど、その間のエルピスの行動は誰が見るの?」

「俺が一人でそんな事するってなったら、お世話大好きな悪魔が飛んでやってくるから見ててもらうよ」


 フィトゥスも含めてあの三人は、とことんエルピスに甘い。

 今回こうしてエルピスが森に篭るわけだが、もしそんな事をするとなれば、間違いなく三人のうちの誰かは来てくれるはずだ。


 もし来てくれなかったら、そういう不安はエルピスの中には全くなかった。

 逆に来ない事などあり得るのか、そう言いたくなるほどだ。


「そういう事なら。じゃあ今からこの時間の一週間後まで、分かりやすいように時計つけとくね」


 そう言ってニルが指を鳴らすと、エルピスの頭の上に小さな時計が現れる。

 普通の時計とは違って進む時間がやけに遅く、一週間分の時間をかけてようやく一周するように作られているらしい。

 ちょうど12時を指し示す時計を見つつ、エルピスは最後にニルにお願いをする。


「ありがと。それじゃ最後にいまからこの森の中にランダムで飛ばして」

「安全性の確保は? どうする?」

「高さは地面から3メートル以内、転移先に物体がないでお願い。敵性生物がいてもそのままやっちゃって」

「りょーかい」


 ニルに転移先の指定をしながらエルピスは、いまから始まる訓練の為に全ての能力を落としていく。

 神の権能も完全に停止させたので、たとえ称号を解除したとしても完全に権能を扱えるようになるまでは、役三日ほどかかる。


 緊急事態が起きた場合問題が発生する可能性もあるが、その点はニルを信用しているのでなんとかしてくれるだろうと丸投げする事にした。

 最低限の条件だけを告げたエルピスの体は転移魔法によって徐々に光の粒子となっていき、そして小さな粒になって消えていく。


 転移していったエルピスの事を見つめながら、ニルは姉に対して忘れないうちにメッセージを送るのだった。


 /


 転移直後にいきなり中空へ投げ飛ばされ、エルピスは何とかして受け身をとりながら辺りを見回す。

 技能が使えないいま、信頼できるのは己の五感のみ。

 目で必死に辺りを探し、鼻で獣の匂いを嗅ぎ分け、耳で微かな物音を拾い、手でまだ歩いてそれほど立っていない足跡の痕跡を探る。


 一日に一食以上、二日に一回の三時間以上の睡眠、この二つはエルピスが自分に貸した課題のうちの二つだ。

 他にもここにいる間に何か罠を作ることや武器を作ることなど貸した課題はいくつかあるが、最重要目標はその二つ。


 神人のエルピスは別にそんな事しなくても死にはしないが、一般の人間なら丸一日何も食べなければ身体を動かすのもえらいし、二日も寝なければそのうち気絶する。

 だからこそ一般基準に考えてのこの二つだ。


「とりあえずは寝る場所の確保が最優先か。どこに行こうかな」


 本音を言えば川の近くに家を建てたい。

 この世界では川に住む凶悪な魔物はいくつかいるものの、そのどれもが農民でも頑張れば倒せる程度の強さだ。


 今のエルピスでもよほど大群で襲われない限り無事で済むだろうが、それよりも問題なのはもし龍種なんかがこの森にいて水を飲みに来たときに、一瞬で殺される可能性がある。

 さすがに炭にされると回復できるかも怪しいので、瞬殺されるような場所は避けたい。

 かと言っていま自分がいるような湿地帯は虫がうろうろしており、地面で寝るというのは言うまでもなく避けたいし、木の上に登った所で魔物が来れば木ごと倒される事だろう。


「行きたくは無いけど…どっか空いている巣でも探しに行くとするか」


 この森でどんな種類の生き物がいるのかはエルピスも把握し切れていないが、熊やそれに近い動物が生息していればどこかに爪で掘った洞穴なり何なりがあるはずだ。

 自然発生した洞窟は基本的に魔物の巣窟となっているので、出来ることなら今年冬眠していた熊の巣穴を借りたい。

 一時間ほど歩くと大きな生き物の足跡を見つけ、そこでエルピスは立ち止まる。


「この形状からしてお目当の熊か、それもかなりデカいな。川の方へ歩いてるから来た方へ行ってみるか」


 道中でいくつか木をへし折りながら、エルピスは熊が来た方向へと進んでいく。

 水を飲みに向かったのなら、この足跡を辿れば時間はかかるだろうが巣穴へは辿り着けるはずだ。

 多少昨日降っていた雨のせいでぬかるんでいるが、足跡が消えてしまうほどではなく、いつ戦闘になってもいいように身構えながらエルピスは森の中を進んでいく。

 先ほどまで道中で折って集めた木をツタで縛り、出来た即席の槍を背中に背負っていると、ふと前方の少し小高い場所に小さな穴があるのが見えた。

 どうやらここが足跡の主人の住処らしい。


「とりあえずは一投!」


 深い上に暗くてろくに見えない穴の中に、エルピスは作った槍の内の一本を全力で投げ込む。

 少し遅れて地面に槍が突き刺さる音が聞こえ、どうやら中にいないらしい事を確認してからエルピスは近くの木の下に仕掛けを作って、その木に登り熊が戻ってくるのをじっと待つ。

 数十分か数時間か、森の中で狂った時間感覚の中でただじっと待っていたエルピスの目の前に、足跡からしておそらく追っていたのと同じ熊がやってきた。

 木の上にいるエルピスに気づいた様子はなく、一撃で決まればいいなと思いながら木の上から槍を投擲する。

 綺麗なコースで熊の首に飛んでいった槍だが、今のエルピスの近くでは殺し切れるほどの殺傷能力を持たせることはできなかったようで、熊は大声を上げながら辺りを破壊し始める。

 どうやらこちらにエルピスがいる事は気づかれていないようだった。


「本当だったらこのまま熊が死ぬまで待ちたいんだけど、他に何かよってきても嫌だし仕方ないか。こっちだ! かかってこい!」

「ヴォオォォッッ!!」


 わざと木の上で大声を上げたエルピスに対して、熊はやってくれたなとばかりにその巨体を生かして体当たりを仕掛ける。

 それに合わせてエルピスが右手に巻きつけていた縄を引くと、地面の中からエルピスがここまで集めていた槍が一斉に現れそのまま熊の体を貫く。

 今のエルピスの力で殺し切ることができないのなら、本人の力で殺してしまえばいいのだ。

 巨体故に突然立ち止まるほど小回りが効かず、エルピスの作った罠に熊は突撃していく。

 数十本近い槍が熊の体を貫通しその身体を完全に固定させ、数十分もすれば血液の出し過ぎで熊は生命活動を停止した。

 これで食料も確保できたし、初動としてはかなり上手く行ったほうだろう。


「皮とかは後でもらうとして、そろそろ暗いし家を作るか」


 先程の槍もそうだが、一応サバイバルに関する知識は本と父からの教えでエルピスは一通り覚えている。

 この世界と日本とでは常識が違うので差異も多少あるが、そこら辺は父から教えてもらった知識を使えば特に問題もない。

 近くにある木と葉を使いエルピスは、即席の家を徐々に作り上げていく。

 作りとしては簡単で、熊が使っていた洞穴をエルピスの身体がすっぽりと収まる程度の空間を残し埋めてしまい、穴の出入り口に屋根として木と葉で作った物をあてがっているだけだ。

 簡素なものなので明日時間をかけてしっかりと作ろうと思いながら、エルピスは近くにあった大きな木と枯れ葉を用意し火起こしの準備を始める。

 ちなみに熊が使っていた穴を閉じたのは、あの奥がもし他の巣か何かと繋がっていてそこから熊が来た時危ないからだ。

 木を基礎としてかなり頑丈に穴は補強したので、もし熊が穴を広げようとしてきてもその間に気付いて逃げることができる。


「ねっ転びながら火を付けるってのも大変だな、ちゃんと起きてやるか」


 横着して作業してみたものの思ったより作業効率が悪く、これならばとエルピスはちゃんと座り込み真面目に火をつけ始める。

 もしこの世界に来たときに何の能力もなく、そしていきなり森の中にほっぽり出されたらこんな感じだったのかと想像しつつ無心で木と木を擦り付けていると、少しして火がつく。

 だがそれは枯れ葉に移る前に消えてしまい、エルピスは少し残念に思いながらもまた作業を開始する。

 こういう何も考えなくていい作業はこの世界に来てからろくにしていなかったが、実はかなり好きだ。

 昔はよくこうして意味もないように思える事を延々としていたが、今となってはそんな事を考える余裕もなくなっていたように思う。

 何も考えなくていい時間ではあるが、だからこそこういう時にエルピスの頭は一番働く事をエルピス自身が一番知っている。

 困ったときや悩んだ時は良くしたものだ。


「ーーおっ、ついたついた。枯れ葉もしっかり用意したし、次起きるのは四時間後くらいでいいかな」


 一回つけた火を絶やすとまた同じ作業をしないといけないので、エルピスはある程度目算で時間を測っておく。

 無駄な時間は極力削る、でないとやりたい事をやる時間が減ってしまう。

 それから陽の落ちる時間まで熊の解体を行ったエルピスは、自分の寝転ぶ巣の中に熊の肉を入れ皮をシーツとして体の下にしき、眠りに落ちるのだった。


 /


 かなり遠い一本の木の上で、じっと主人を見つめるのは一匹の狼だ。

 それは誰かが近づいてきた気配を感じ人型になると、空中に足を進めながらその者達を迎えにいく。


「こんばんはニルさん。初めましてですね、フィトゥスと申します」

「こんばんはフィトゥスさん。エルピスから話は聞いてるよ、すっごく甘やかしてくれるお兄さんみたいな存在の人がいるって」


 実際はそこまで言っていなかったのだが、エルピス自身がそう思っているであろう事はニルからすれば分かっている事なので、問題ないと判断しそのまま伝える。

 それが目の前の悪魔にとっては随分と嬉しい出来事だったのかフィトゥスはにっこりと笑みを浮かべ、ニルの後方で今まさに眠りについたエルピスの事を見つめているようだった。


「ーーあんた本当に早いわね、もう少し合わせなさいよ」

「私も少し疲れましたね。こんばんはニルさん、ほらリリィ挨拶を」

「あ! すいません。こんばんはニルさん」

「こんばんは。お二方がリリィさんとヘリアさんですよね? 喧嘩祭りでの戦い観させてもらいましたよ」

「ーーえっ? なんですかその話僕聞いてないんですけど!?」

「まぁあんたに言ってないからね」

「ひっでぇ!? 僕もエルピス様と戦いたかったんですけど!?」

「うっさいこっちもいろいろ事情があったのよ!」


 目の前でぎゃーぎゃー騒ぐフィトゥスとリリィを見ながら、ニルはこの三人がエルピスの擬似的とはいえ兄弟として活動することが許されていたという事実が、確かなものだったのだろうと認識する。

 エルピスにもし兄がいたのなら、それこそフィトゥスのような性格になっていた事だろう。

 ニルがエルピス関連について何かを認めるという事は非常に珍しい事なのだが、それを本人に伝える事はしない。

 何故ならする意味も別にないし、それにフィトゥスの事を本当の兄のように思っているのは他でもないエルピス本人だろうからだ。


「僕なんてようやく呼び出されたと思ったらよく分からない村人の輸送だし、そりゃ仕事をくれるのは嬉しいですよ? 嬉しいですけどそりゃないですよ僕もなんかね、こういっぱい喋ったりしたかった訳じゃないですか」

「あら、フィトゥス貴方何度か勤務中に抜けてエルピス様に会いに行ってなかったかしら?」

「ギクゥ!? な、何故それを」

「勤務時間の確保とか諸々、エルピス様から任されたのよね私。だからワッペンについてる追跡装置も使いたい放題ってわけ」


 アルヘオ家の管理職は、基本的に三つの特別な権限を手に入れることができる。

 一つ目はメイドや執事に対する休暇の許可、これは管理職であるメイド長や執事長がタイムスケジュールなどを全て管理しているからだ。

 二つ目はアルヘオ家の家紋が入ったワッペンに刻まれた追跡装置の使用、これはアルヘオ家に入る際に任意で渡される代物だが、これを持っていると管理職にはどこにいるかすぐにわかるようになっているのだ。

 そして三つ目はエルピスの側付きとして行動を共にできる権利、専属のメイドや執事でないと一日中共にいる事は難しいので、教育係として任命されていた昔ならまだしも今となってはリリィやフィトゥスはいろいろとエルピスからの命令も含めてやる事がある。

 そんな中全ての仕事を放り出して月に一度エルピスの側付きになれる権利を持つヘリアは、いまアルヘオ家中の憧れの的だったりもするのだがまたそれは別の話だ。


「ずっるい! 一日側付きだけじゃなくてその権利もあるのはずっるい!」

「貴方も功績的に考えて執事長にすぐなれるわよ、後は勤務時間だけ、一、二年もすれば十分じゃないかしら」

「一、二年も側付きになれないのは厳しいっ!」

「いいじゃないフィトゥス、貴方は一年かそこらで執事長かもしれないけど、私メイド長になろうと思ったらヘリア先輩倒さないといけないのよ」

「うっわ、どんまい」

「はっ倒すわよ」


 背後でペチャクチャ喋る二人の会話を聴きながら、ニルはエルピスの方を向き直る。

 特に狼やそういう動物に襲われることもなく、エルピスは呼吸をしていないから分からないようだがあの一帯は匂いの強いハーブが生えているので、熊の血の匂いなんかもうまくごまかせているようだ。

 あの分なら敵となる生物はそうこないだろうと思いつつも、なんだかこうして見ているのも楽しいので魔法を使用していろんな角度から野営地を眺めている。

 少し先で行われている事ではあるが、いまのニルの気分としてはドラマやTVでも見ている気分だ。


「便利な魔法ですね、丁度向こうに山小屋を作ったのでニルさんも来ませんか? その魔法があればエルピス様の見守りも簡単ですし」

「そうですね、せっかくだからみなさんに直近のエルピスの話をしてあげますよ」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

「早速向かいましょう」


 エルピスの話を引き合いに出しただけで表情を聞くコロコロと変化させる三人組を見て、なるほどこれならエルピスがもし万が一何かあった時でも任せられると思うほどに信用するのも理解できた。

 もちろんニルはこの三人よりも圧倒的にエルピスの事を好きな自信があるが、ニルの好きが恋愛感情的なものなのに対して、この三人のは敬愛とか崇拝とかそう言ったものに近い雰囲気を感じる。

 友情ともまた違ったそれにエルピスが扱いを困っているだろうなと思いながら、同じ人を思う人間同士ニルは笑顔を浮かべながら山小屋へと向かっていくのだった。

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