第102話決戦前夜

 時刻は夜。

 暗い闇すらも飲み込む程に暗い森の中で、性濁豚オークと呼ばれる者達は、自分達を狙う者に対して必至に命乞いをする。

 

 そこには自身が今まで積み上げ研鑽して来た技に対する誇りなど見る影もなく、醜くも生き残ろうとする姿は誰の目から見ても明らかであった。


 意気揚々と人を殺すためにやってきておきながら膝を降り、武器を投げ捨て首を垂れて両手を握り締めながら必死に懇願している様は、無様以外に言いようがない。


「情報なら喋る! だから見逃してくれえぇ!!」


 性濁豚オーク特有の言語で追われる者達は次々にそう叫ぶが、闇に紛れる青年──エルピスは、容赦なくその手に握られた剣を振り下ろし、命乞いをして居た性濁豚オークにとどめを刺す。


 せめてもの情けで全力で振り下ろされた剣は、性濁豚が斬られたと思った時にはすでに死を迎えている。

 痛みは感じないことだろう。


 言葉こそわからないがこんな時に膝をついて泣き叫ぶものが何を喋っているかくらいは想像がつく、それでもエルピスが容赦なく刃を振り下ろすのは彼等が侵略者だからだ。


「君達がなぜ王国を攻撃するのか、いたずらに人の死体を弄ぶのか。

 疑問はたくさんあるけどそもそも俺は君達の考えどころか、文化や言語を理解出来て居ないからね。

 だけど、どんな理由があろうとも人を無作為に殺す君達に慈悲をかける理由にはならない」

「同族を殺された怒りは分かる!! だ、だが俺達を全員殺せば情報は得られない筈だっ! 頼む! 俺だけでも助けてくれ!!」


 そう叫ぶ性濁豚オークは隊の中でも最も若く、そして最も実力があると自負しており奴隷としても自身が使える事を知っていた。

 あたりにいた性濁豚達がそんな彼を見て驚きの表情を浮かべるが、自分が逆の立場であれば同じ行動をとっているだろうことは考えるまでもない。


 仲間を捨ててでも自分が最も生きられる可能性の高い選択肢を選んだ性濁豚だが、残念なことにそれはエルピスにとっては全く持って無意味な行動である。


 そもそも性濁豚オーク側はエルピスの言語を理解できても、性濁豚オーク側の言葉をエルピスが理解できていないので、命乞いは意味がないのだ。

 それに──


「情報は既に手に入れてある。君たちを見つけられたのもくることが分かっていたからで、元から殺すつもりで来ているのに君達を逃すつもりなんてない」

「やめッ──!!」


 エルピスが腕を振るえばそれだけで、命乞いをしていた性濁豚達は原型もとどめることなく巨大な力に押しつぶされて死んでしまう。


 後に残ったのは同質量の小型化された肉の塊のみであり、それも一瞬燃えたかと思うと跡形も残さずに消滅する。

 灰すら残らないように殺してしまえば、彼らの存在を証明するのはもはや空気中に残った魔力とエルピスの記憶のみである。


 そうして死んでいった彼らにエルピスは哀れみの目線を向けながら次の場所へと向かうのだった。

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「お疲れ様、敵の情報は何か手に入った?」


 王族と一部の上流貴族のみが立ち入りる事を許されている王城の廊下で、備え付けられた椅子に腰掛けながら俯くエルピスを見て、アウローラはなるべく平常心を保ってそう問いかける。


 目の前の彼が何をして来たかは分かっているし、その身体から発せられる死臭は間違い無く両手では数えられない数を殺して来た証だ。

 だがそれをアウローラは口に出さず、彼が得たで有ろう情報だけを要求した。


 もちろん慰めることは簡単だ、だが彼の気持ちがそれで晴れることはないだろうし、殺した性濁豚の記憶を覗くと言っていた彼はここ数日間だけとはいえ、性濁豚オーク達の記憶──人間としての地獄を何度も見せつけられたのだろう。

 それはきっととても辛いことだ。


 感情を表に出したがらない彼が怒りをあらわにして地形を変えてしまうほどに、それほどに心に負担をかけてしまっている。

 せめて自分が隣にいることでその負担を少しでも和らげて上げたい、そう思うのは傲慢な事なのだろうか。


「知っていたこと以上の事は何も。

 いや……犠牲者の出身地くらいは分かったよ、全部人類生存圏内の外で暮らしている流浪の民だった」

「流浪人だったのね、道理でどこからも被害報告が上がっていないわけだわ」

「あとは性濁豚オークは基本的に腕に模様のついた奴に従っていたな。

 その他の種族に関しては思考すら読み取れなかったから詳しくは言えないけど、基本的に色違いは強い奴が多かったかも」


 そういって何とか記憶を引きずり出している彼の事だ、おそらくは殆ど敵の強さの違いなど分かっていないだろう。

 アウローラだっていまほど魔法が使える状況で平民二人を相手に戦闘したとしてもよほど差でもない限りほとんど同じくらいに思えるだろう。


 ましてやエルピスと性濁豚達との間にある実力差はそんなものでは聞かない。

 だからこそ王国は非常時であるというのに王城に詰め掛けている貴族や兵士などの関係者以外はエルピス一人で何とかしてくれるだろうと安心しきっているし、事実そうなりかけてしまっているのが現状だ。


 まぁ気の所為な気もするけど、そう言いながら笑うエルピスにアウローラは静かに寄り添う。

 ふわりと鼻孔をくすぐる彼の匂いはいつだって落ち着く花の香で、身を寄せながらニルやセラが同行してこなかったのは自分に役目を任せてくれたのだと判断する。


 頭の中で余裕の笑みを浮かべながら笑う二人の顔を思い浮かべていると、隣から少しだけ驚いたような声が上がってきた。


「ど、どうしたの? 綺麗にしてきたとはいえちょっと血生臭いよ?」

「良いから…少しだけ……。彼女相手なんだからうだうだ言わないの、肩貸しなさいよ」


 いつかの時の様に、いや、あの時よりも更に近く──2人の男女は吐息がお互いに当たるほどの距離でその身体を寄せ合う。

 普段なら周囲に誰かしらが居る所為でこの様な行為は止められるが、今は戦時下に近い状態。


 お互いの周りを何時も取り巻く者達も、この時に限っては敵の対策にあちらこちらへと走り回っていた。

 この様な行為をして居る場合では無い事は2人共理解しているのだが、それを口に出す様な事はしない。


 ただいまは一瞬でいいから心を落ち着ける場所が欲しいのだ。


「エルピス、もう頑張らなくてもいいなんて私の口からは言えないけど、もう少しだけ肩の力を抜いてもいいんじゃないかしら」

「心配してくれてるの?」

「当り前じゃない、心の底から心配しているわよ。

 貴方だからって生きて帰ってこれる保証はないのよ? いつ死んでもおかしくない。

 当たり前の事実から目を背けて理想だけ見るなんてできないわ」

「大丈夫だよ、大丈夫。俺は死なないしこの戦争は無事に終結する」


 そう言いながら軽くアウローラの頭を撫でるエルピスの手は、お互いが子供の時にアウローラを撫でた時の様な小さな手ではなく、年相応に見合った大きな手だった。


 自身の前だけでは気丈に振る舞い、まるで何も気にして居ない様だが、アウローラは大規模な戦闘が行われる度に、こうしてエルピスが人を殺す度に自身の手を見つめては、枕を涙で濡らしている事を知っている。


 17年と言う人生をこの世界で暮らそうとも、幾ら世界の残酷さを知り不条理を知り闇を知ろうと、種族としての違いから生前と同じほど悲しまずとも、元はただの高校生である彼の手には、その責任感が重くのしかかっているだろう。


「そんなのできっこないわよ、神様にしかできっこない」

「なら神になるよ。アウローラを守るためなら神様にだってなれるさ」

「何よそれ、本当にもう」

「本当だよ。だから信じて待ってて」


 自信満々に胸をたたいてそう宣言したエルピスの姿を見てしまうと、どうやら覚悟は決まっているらしいといやでもわかってしまう。


 だからアウローラは自身が見せれる最高の笑みを浮かべながら、椅子から跳ねる様に立ち上がり、彼が少しでも楽になる為に声を出す。


「じゃあそうさせて貰う…なんて無責任な事は言えない。私も一緒に戦う、貴方の隣で戦うわ」

「うん、分かった。頼りにしてるよアウローラ」

「ふふっ。任せなさい!」


 そう言ってニ人は立ち上がり、王宮の廊下をゆっくりと歩いて行く。

 エルピスの背中には先程までの負の感情は見られず、もっと別の──そう、別の感情が見え隠れして居る。

 顔に出そうなその感情を能力で必死に隠しながら、エルピスとアウローラは長い沈黙の中で、触れるか触れないかの距離で静かに手を当てた。


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 エルピスがアウローラに慰められてから数十分。

 王宮内の最も奥にある、王が非常時や本当に執務がたまっている時のみ使う場所で、グロリアスは突然来客した幼馴染みと尊敬している人物に対して呆れた様な笑みを浮かべながら、王である自らの手で直接紅茶を淹れる。


 それは入ってきた2人に対する敬意であり、現場で動く2人に対する感謝の感情だ。

 だが淹れ終わってから天井を見上げ、それからだらりと下ろしたグロリアスの顔は感謝というより呆れの感情が多く見えた。


「突然やって来たと思ったら、なんで二人で桃色空間形成してるんですか? 僕に対する当てつけですか!?」

「べ、別に良い雰囲気になんてなってないわよグロリアス! 

 それにそんなグロリアスだってこの前城下町で女の人と喋っていたじゃない! 見ちゃったし!!」

「あれは帝国の第ニ皇女様だよ。というか自分が図星を突かれたからといって、出歯亀した時の話をするんじゃありません! 

 それで今日の報告は何ですかエルピスさん、ようやくアウローラを娶る気になったんですか?」

「ちょグロリアス何言ってるの!? エルピスも苦笑いしてないでなんか言ってやってよ!」


 羞恥の感情に身悶えなだからアウローラがそう言うが、それに対して2人は楽しそうに笑いながら、お互いに書類を机の上に置く。

 そこには先程までの緩い空気は無く、国を背負った者にしか出せない真剣な空間を作り出していた。


「それはもうちょっと後かな。詳しくはこの書類に書いておいた。他国の動きはどんな感じ?」

「エルピスさんが今回の件に関わっている事が分かってからは、他の国は一切手出しして来ていません。

 また今回の件に乗じていくつかの盗賊団が動いている様ですが、そちらに関してはうちの裏がやってくれています」


 戦争で最も恐ろしいのは他の国が物資を横流しし続けて長期戦へと持ち込まれることだ、最悪は所属不明の部隊なども投入される可能性だって否定できずそれだけに他の国が干渉してくるのは恐ろしい。 


 今回は何とかそのあたりの問題は回避できそうなものだが、いつもならばこういった亜人関連の戦争にはなにがなんでも介入してくる法国がなにも口出ししてこないのは気になる。

 そんな疑問を残しつつもエルピス達の会話はそれから一時間ほど他国の話が続く。


 それが終われば次は当然、川周辺で宿営地を形成している淫獣オーク達の話へと変わって行く。


「緊急事態の商業ルート開拓は既に終わったので、あと残っている事は殲滅のみです。

 先程偵察から帰って来た者からはそろそろ動き出そうとしているとの情報が」

「そうなると相手が王都に向かって攻めて来て居るとして、次に攻めて来るのはそのままルンタかな。首都直撃だけは怖いけど」

「明日の朝には追加で騎士団から選りすぐった二千人と、スペルビアさん除く近衛騎士にマギアさん除く宮廷魔術師の人達を送り込むとします。

 エルピスさんも行ってもらえますか?」

「あぁ、勿論だ。だけど都市防衛は俺の持つ能力じゃ逆に被害を及ぼす可能性があるから、俺は都市より少し前で敵を待つ事にするよ」

「了解です。ではそのように」


 それからまた数時間、ひたすらに策を練り続ける二人に置き去りにされてしまったアウローラは自分に出来ることは何かないかとせめて出されていく作戦たちを頭の中で処理しながらなんとか会話に加わっていく。


 朝日が昇ってもまだまだ元気そうなニ人を見て、この人達は体力に限界が無いのだろうかと考えるアウローラを他所に、陽はその作戦結構日である今日の到着を告げていた。


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 帝国領のどこか。

 霧が立ち込める森の中で大きな野営地が形成されていた。

 そこでは常に肉と肉が打ち付けられる音が辺りに響き渡り、悲鳴とも嬌声とも取れる声が絶えず耳に入ってくる。


 それと同じくらいの音力でぐちゃぐちゃと肉を食らう音が何処からか聞こえるここは淫獣達の宿営地。

 辺りには鼻が曲がる様な臭いが漂い、人間が住める様な場所では無いこの悪魔の空間で、楽しそうに笑う人影が見えた。


「ようやくだ。聖人を超え仙人を超え、神の力を手にした神人。その力をこの手にする時がようやく来た。

 行くぞお前ら! 神を墜とすぞ!!」


 声高らかに宣言する黒髪の男の周りには幾人もの淫獣達が並び立ち、主人の喜びに共感する様にして様々な声を上げる。

 決戦の時は近い。

 エルピスと黒髪の男は二人とも直感でそれを感じ取るのだった

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