青年編

第94話帰省

 蝉に似た魔物の鳴き声が辺りに木霊し、エルピスに夏の訪れを告げる。


 共和国の一件から早くも二年、この二年間の間でエルピス達が渡り歩いたのは比較的小国と呼ばれるような小さな国々である。

 その理由はやはり当初予想していた通りアウローラが何かにつけて狙われる事、共和国での一件が有耶無耶になったとは言え大国の貴族相手にエルピスが苦手意識を持ったからだ。


 そうは言ってもあれだけの行動を起こしたエルピス相手にそう軽々しく攻撃を仕掛けてくる貴族もまたおらず、エルピス達はこの二年間である程度の情報収集を終えて、ようやくこの年の夏に王国に帰省する事が出来たのであった。


「書類仕事に追われるのだけは納得がいかないけど」


 机の上にある無数に散らばった書類は、その全てがこの二年の間にエルピスが行なってきた行動の報告書と、それに必要だった経費についての説明書類である。


 はっきり言ってしまえばエルピスが直接するような仕事ではない。それこそ同行していたエラなどがやっておくのが、メイドとしての彼女の正しい仕事のありようとでも言えるが、自らのわがままに付き合わせておいて書類仕事まで投げ出せるほどエルピスの責任感は欠如していなかった。


 数十分もすれば書類の山も少しだけその標高を低くし始め、エルピスは机の上に置かれた珈琲を軽く口に含み飲み干す。

 様々な国を渡り歩いたからこそ分かる、王国は恵まれた国だ。

 広いわけではないが豊かな資源のある国土、人間の国がおおくかつ外敵が居ない周辺環境、年間を通して比較的安定した降水量と気候。


 その全てが揃った国というのはエルピスが旅をしてきた中でもそんなに多くはなかった。


「帰ってきてからもう三日も経つっていうのに書類仕事しか出来てないし……どうするかな」

「やっほーエルピス。遊びに来たよ! 仕事終わったでしょ?」

「お疲れニル。タイミングがいいね、部屋にカメラでも付けてる?」

「カメラなんかなくても僕の千里眼は全ての物事を見逃さないよ」


 頬杖を付き退屈を前面に押し出していたエルピスの前に現れたのは、ニル・レクス。狼娘である。

 初めて迷宮であった頃は長く伸ばしていた髪を最近では邪魔だとばかりにバッサリと切った事で、前までの中性的な風貌から少し男の娘ボーイッシュという言葉が似合う様な風貌になっていた。


 成長が止まっているのか身長やそれ以外についての変化は感じられないが、髪の毛一つ切っただけであるというのに彼女の印象はこうもガラリと変わるものである。

 席から立ち上がり応接用の机に珈琲を置いたエルピスは、自然とした態度でニルを見下ろしながら着席を勧めた。


 そう、見下ろしたのである。

 いまのエルピスの身長は170後半、160センチあるかどうかといったニルの間にはある程度の身長差が生まれており、この二年間での成長を実感できるにはエルピスにとって十分すぎる差であった。


「それで今日は何しにここへ?」

「自由な時間ができるのを待ってたんだよ。デートしに行こう」

「これはまた率直なお誘いだな。いいよ、このあとは暇だしね」


 ニルからのデートの誘いに対してチラリとエルピスは予定表に視線を向ける。

 王国においてエルピスの仕事は未だに多数残されており、予定がないわけではなかったが急遽行わなければならないような緊急性があるものはない。


 出しておいてあれではあるが直ぐにカップに入った珈琲を飲み干し、部屋の整理を終えたエルピスは身だしなみを整えて準備を終わらせる。


「それで何処に行きたい? あれだったら俺も考えるけど」

「それには及ばないよ、今日は僕が計画してるからね、任せてよ。もちろん面白いデートにするからさ」

「なら任せるよ。それじゃあ行きますか」

「そうだね。それじゃあまずは──」


 /


 さて、デートと言えば何処に行くのが正解なのだろうか。

 仲良くしようと歩み寄る男女がそのきっかけとして共通の体験を得るための行為、であればその疑問に対して答えるのはそう難しい話ではないだろう。


 お互いが楽しめて、かつ思い出に残るような場所が最良である。

 では一つ疑問ではあるがそんな場所が日本ではなくこの世界に存在するのだろうか。


 一度街の外に出ればたとえ誰であろうと命の危険を覚悟して進まなければならないような、治安で言えば良くて地球のスラムの数段下だ。

 だがエルピスはその質問に対していまとなってはそんな理想郷も存在すると声を大きくして答えなければならないだろう。


 そんな世界でも、いやそんな世界だからこそデートスポットなるものはやはり存在するのである。


「おぉー! これは綺麗だねエルピス」

「あ、ああ。そうだな」

「緊張しすぎだよ。誰も襲ってこないんだから」


 視界一面に広がる花園は王都から少し離れた場所にある平原の一角に作られたものである。

 街道からも近く、また王都へと続く道すがらである関係上は魔物の出現率も極端に低く危険性はそれほど高くはない。


 周囲を守る兵士はこの花畑の管理者達か、それなりの実力が有るように見受けられ有事の際でも特に危険はなさそうだ。


 だからといって完全に危険性が無いわけではないのだが、そんな事はお構いなしとばかりにエルピス達の周りにいるのはイチャイチャとしているカップルである。


 自分たちもそうであるというのに、この空気にどうにも慣れていないのか落ち着きのないエルピスをとりあえず座らせて、ニルはその膝の上に座りながら事前に用意していたものを取り出す。


「はいお弁当。作ってきたんだ」


 何処からか取り出した風呂敷に包まれた弁当箱を取り出すと、ニルはそれをエルピスに手渡してにっこりと笑みを浮かべる。


 神であるニルにとって料理は初めての経験であったが、エルピスの口に入る以上は狂愛のニルにとって失敗など許されない重要な案件である。


 この日の為に旅の間練習に練習を重ねた彼女の腕前は王都のシェフすら喉を鳴らす事だろう。


「ニルがこれを? ありがとう…嬉しいよ。本当に嬉しい、人生で初めてだ」

「姉さんに先越されちゃ嫌だからね。エルピスが好きなものを予想して作ってきたんだ、食べてみて」

「いただきます」


 ニルの出した料理を口に運ぶ度に溢れるエルピスの顔で料理の成功を実感しながらも、ニルはこの幸せな時間を自らで中断させる覚悟をする。


 デートに誘いたかったのは事実であるが、そんな楽しい時間を過ごすにはエルピスには解決しなければいけない問題が多い。


 本人がそれを自覚しているかどうかは別として、ニルが動ける範囲を見極める為にもエルピスの判断は必要になってくる。

 もぐもぐと両頬を膨らませるエルピスに対して、ニルは世間話でもする様に素っ気なく、だが無視されない程度には言葉に重みを持たせて疑問を投げかけた。


「そういえば連合国から来た異世界人達の処遇、あれはどうするの?」


 共和国盟主と連合王国貴族が関わってのエルピスに対する攻撃とも取れる行動、その代償は彼等が便利使いしていた異世界人達の解放であり、六人にも及ぶ異世界人をエルピスに対して送りつけてきたのはそれだけ彼の怒りの矛先に立ちたくなかったのだろう。


 フェルの行動によっていまやエルピスは例え共和国盟主だろうと、目的の為に必要な場合は手にかけることすら厭わない人物であるという風に周囲に認知されている。


 だからこそ秘宝にも引けを取らない価値を持つ異世界人達を泣く泣く手放したのだろうが、その異世界人達の管理をエルピスがやっているような痕跡をニルは確認していない。

 もし何からの意図があってそうしているのであればそれでよし、そうでないのであればその理由を聞いておきたいという気持ちがニルの中には強くあった。


「んっ? あああの子達のことね。んっと、えーっとなんだったかな。

 直接会ってすらないから名前すら忘れちゃったわ」

「異世界人は貴重な戦力だよ? 忘れちゃっていいのかな」

「そうは言うけどニルだって本気でそんなこと思ってないでしょ? 

 俺だってこの世界きて直ぐは異世界人が最強だと思いかけてたけど、正直特殊技能ユニークスキル2、3個じゃ話にならないよ」

「扱えない特殊技能ユニークスキルだと確かにそうだね」


 どれだけ使える能力であろうとも身に付いていない技能であれば十二分にその能力を発揮すると言うのはとてもではないが難しい。


「それにニルが貴重な戦力って言うと皮肉っぽいよ、俺より強いってのに」

「うーん……それがねエルピス。そうも話は上手くいかないんだよ」

「どういうこと?」

「僕の力をエルピスはあの迷宮で戦った時くらいにあると思っているかもしれないけど、今の僕は姉さんと同じかそれより少し下の実力しかないってこと」


 迷宮最下層であった時とは打って変わり、少々弱々しげな口調でそう言ったニルの意図は何処からくるものなのだろうか。


 世界を作り出すほどの力を持った状態から、今のセラと同じくらいまでのレベルダウンはどれほどのものなのか想像もつかないが、彼女の口ぶりから察するにそれはとてつもない弱体化なのだろう。


 それでもこの世界では屈指の実力者ではあるのだが、あの力を頼りにするのであれば今のニルは頼りないとも言える。


「それでも十二分に強いけどね。理由は聞けたりする?」

「あの時の僕の力は向こうの世界にいた時の名残だからさ。

 姉さんが初めの一年間くらいこっちで戦闘はしなかったって聞いたけど、それもこっちの世界に身体を慣らす為だったんだと思うよ」

「身体を慣らす? 力加減的な話?」

「どちらかと言えば体内にある神様的な力が外に流れ出るのを待つって言った方が正しいかな。

 それが今の僕にはもうないから全盛期の力はほとんど使えないと言ってもいいよ。ただし…」


 ただニルの言葉はまだ続く。

 勿体ぶるのはそれほど彼女の趣味ではないが、こんな時くらいは多少は勿体ぶるのも悪くはない。


「エルピスも気づいているかもしれないけど、エルピスの称号の解放次第だよ。

 あれは世界リソースへの干渉権を手に入れられるものだから、あの力さえあれば僕も姉さんも全盛期の力に近づくことができる」

「まだ三つしか解放できてないんだけどね。でも大丈夫そうかな、最近は特に何もないし」

「それってフラグって言うんじゃない?」


 力についての説明と、しておきたかった異世界人の扱いについてある程度の話を聞けたのはニルにとって大きな収穫だ。

 特に彼らの名前を覚えてもいないほどに興味を抱いていないというのは、ニルからしてみれば意外な発見であった。


 現状ニルとセラは、例えそれがであろうともエルピスが解決する意思を見せない限りは不干渉を貫いている。

 だが姉と違ってニルはエルピスにとっての害はなんであれ、全て滅ぼすべきものだと考えている。


 だからこそここで彼の考えを聞くことで姉に対しての義理も通しながら、自分自身が見えている最善の未来にエルピスを送り込む準備ができるのだ。


「とりあえず不幸なことが起きないように祈ってるよ」

「それがいいよ。ほら、お弁当食べちゃおう」


 一先ず行っておくべきことはある程度把握できている。

 神の力を削がれたとは言え、全知を持っていた自分に失敗などありえない。


 差し詰めいまのこの優雅なひと時は、これからやってくる物事に事前に対処するニルへのささやかな報酬と言えるだろう。

 頬を弛緩させ至福のひと時を過ごしながら、ニルはにっこりと笑うのだった。

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