王国:番外編

第46話少女の1日

 窓辺にあるカーテンから僅かに差し込む光で、エラはゆっくりと目を覚ます。

 シルクの様なもので作られたシーツ、それと同じ素材で出来た掛け布団を寝起きの回らない頭でなぞる様に触りながら、昨日の事をふと思い出した。


 閃光と怒号はまだ耳の奥底で鳴り響き、夜に見たあの白い流星はまだエラの目の奥に焼き付いて離れない。

 魔力を感じず、技能や特殊技能でも無いあれを見て何故あそこまで心が動かされたのかエラには定かではないが、だがあの地から天へと伸びていったあの光には何かがあった。


 自らの主人が戦っていた場所で起きた光の事を思い出しながら、エラは窓際まで移動し外の景色を眺める。

 現在の時刻は昼前過ぎくらいだろうか。

 普段早起きな彼女がこの時間まで寝て居たのはとても珍しいことだ。


(いくら昨日の戦闘が激しかったとはいえ、少し寝過ぎてしまいましたね)


 昨日の戦闘、王国民のその誰にも気付かれること無く終えられた、小さな代理戦争を思い返し、エラは軽くため息を吐く。

 ぼんやりとした頭を動かして朝の支度を整えつつ、エラはいつも着用しているメイド服に着替え廊下に出ると、そのまま隣の部屋に入る。


 エラの部屋──ここは王城だから、正式には自分の部屋と言って良いのかはわからないが──の隣にある部屋は、彼女が使えている主人の部屋だ。

 普段ならこの時間帯は主人エルピスも既に起床している時間では有るが、エラの戦闘など比較にすらならない程の高度な激戦を繰り広げたであろう彼が起きているとは考えにくい。


「失礼します」


 実際扉をあけて見てみれば主人は未だにこうしてここで寝ているが、とはいえそれは仕方のない事だろう。

 夏にしては驚くほど冷んやりとした部屋に入り、天蓋付きのベットから見える寝顔を眺めながら、ぼんやりとそんな事を考える。


 高名な絵描きが描いた絵画ですらも霞んで見えるほどのその美しい姿に、一体どれだけの重荷を背負っているのだろうかと考えると、エラは少し可哀想にも思えた。

 普段はどこか大人びて見える彼だが、寝ている時は年齢相応の顔付きになり、いつも警戒心を露わにしている彼からは、予想もできないほどに優しげな雰囲気が感じられる。


 だがずっとこうして寝顔を見続けていても特に何か変わる訳では無いので、申し訳ないがしぶしぶ起こすことにする。


(とはいえどうやって起こしましょうか。

普段ならばこれだけ近づいたら目を覚ますのですが……ほっぺたでもつつけば起きてくれるでしょうか)


 ベットの縁に腰をかけ、ギシリと木が軋む音を耳にしながら、エラはゆっくりとエルピスの頬へと手を近づけていく。

 思えば寝込みのエルピスの隣に立つのは王国に来てから初めての事だ、少しの好奇心と何かいけないことをしている様な気がして、エラも少し楽しくなってくる。


 雪の様に真っ白な肌を触ろうとして指を近づけると、だがもう少しで肌に触れるというところでエルピスの目がゆっくりと開く。


「ふぁぁ……っなにしてんの」


「さすがに寝過ぎですので起こしにきました。本日の予定ですが──」


 触れなかった事に多少の不満を覚えながら、エラは淡々と今日の用事を伝える。

 触れる事に失敗したのならそれはそれで良し、本来の目的はエルピスを起こすことであり、ほっぺたをツンツンすることではないので決して悔しいなどとは思わない。

 そう自分に言い聞かせながら、エラは少しだけ疑問を覚える。


(それにしてもエルピス様は少し素肌を触られるのに抵抗が有り過ぎでは? 生娘でもあるまいし……)


 クリム、イロアスの両方から止められているので何もしていないし誰も手をつけていないが、貴族の子供で10を超える齢ならば色を知っていても良いはずの歳だ。


 最初エラが専属メイドとして指名された時はもちろんそう言うことをする為だと思っていたし、他にも数人ほどエラが志向に合わなかった場合に備えて多種多様な種族の女性が控えに居た。

 だが10歳の誕生日当日にクリムからエルピス本人にその意思がない事を伝えられ、メイド達はしぶしぶその事を承知したとはいえ、あの時はなぜ教えないのか疑問に思っていたが、なるほどこの反応ならば仕方あるまい。


 肌を触られることなどでここまで浮ついてしまうなら、色を教えたところでまともにできるかどうか。

 そう思えば起きているエルピスもエラの目にはまるで幼い子供の様に見えて、可愛らしさが感じられた。


 そんな事を考えていると、いつの間にか着替え終えたエルピスから声をかけられた。


「そういえば今日エラって暇?」


「用事は有りませんが…どうしてですか?」


「いやその……夕方から暇だし、今日は王国祭二日目だから一緒に祭り行かない?」


 王国祭は昨日から今週の終わりまで一週間ずっと開催され、日によって様々な催しがなされる。

 従者としてもちろんエルピスには着いて行くつもりだったが、まさか誘われるとは思っても居なかったので、普段はポーカーフェイスなエラでも動揺が顔に出てしまう。


 メイドとしてあってはならない失態だが、自らが付き従う主人に誘われるというのは嬉しいものだ。

 不安そうな顔をしているエルピスを見て、あぁ、もう少しくらい意地悪をしてみたいな……そんな事を思いながらもエラは笑顔で答える。


「良いですよ、行きましょうかデートに」

 

 デートとエラが言った事で余計に意識してしまったのか、エルピスの顔は目に見えて紅く染まる。


 ああ、今日は随分と楽しい一日になりそうだ。


 /


 魔法で冷まされた水を口に含みながら、エラはエルピスが来るのを気長に待つ。

 いまエラがいるのは、王城近くに居を構える昔から続くカフェ。


 王国屈指の名店で、当然のように完全予約制。

 値段も貴族にしか支払えない様な値段設定になっており、王国内では名実共にトップクラスの店だ。

 普段なら物静かなカフェなのだが、周りは王国祭の影響もあってか少し騒がしく、特に今回の祭りに乗じて仲を深めようとしているのか、かなりカップルが多い。


 見てみれば有名な貴族の子供だけでなく一般人も見られ、祭りのために奮発してきたは良いものの緊張しているのが見て取れた。


 カップルだらけの中で一人心寂しく感じていると、店の扉が開き人が入って来る。

 息は切れていないし焦っている様子もないが、それは種族的なものなので仕方ないとは頭で理解しつつもジト目になってしまうのは仕方のないことだろう。


「ほんっとごめん、待たせたね」


「……いえ、それほど待っていませんから。気にしないでください」


 出入り口に付いているベルを鳴らしながら軽い足取りで入ってきたエルピスに対して、エラは少し不機嫌そうな声でそう返す。


 エルピスが今着ている服は新品の様な綺麗な服で、先程まで仕立てられていたのでは無いかと思える程の物だった。

 だがエラがそれよりも気になったのは、エルピスの顔に薄く跡を残している涙の線だ。


 ここに来るまでの間でアウローラかイロアスに会って来たのだろうと思いながら、まぁそれならば遅れてきたのも仕方のないことかとエラは納得する。

 ちゃんとした理由があるのにそれを言わないのは、不器用さかはたまた恥ずかしさからか。


 主人が自らの口で語らないならエラは特にそれについて触れるわけでもなく、既に注文して机の上にある飲み物を軽く飲む。


「いらっしゃいませお客様。ご注文は?」


 注文を書く紙を持ちながら微動だにしない店員を見て、さすが王都でも有数の店だなとエラは感じる。

 理由としては動揺をすぐに隠したからだ。


 エルピスの服に驚いたのか、それとも見た目に驚いたのか、もしくはアルヘオ家の子供であることに気付いたのか。

 はたまたそれら全てだったり、先日の大会が関連しているのかもしれないが、その事について動揺はしたものの特に気になるほどの動きは無く、店の接客を預かる身としての自覚が感じられた。


「どれにしよっかな…屋台でもなにか食べたいから、少なめのやつを…これで良いか、ミックスサンドイッチとダージリンティーを一つで」


「は、はい。ミックスサンドイッチと、ダージリンティーがお一つですね」


 とは言え表面的な動揺は隠せても内面的な物は無理だったらしく、言葉に詰まりながらも注文をさっさと受け付けると、彼女はそのまま厨房の方へと走っていく。


 そんな彼女を目で追っていると、エラはエルピスから声をかけられる。


「それにしてもミックスサンドイッチとか、誰が考えたんだ?」


「確か西の国にいる転生者が広めたと聞きましたが。なんでも前世にイタリアンというお店で働いていたとかなんとか」


「マジかよ……」


「マジです」


 転生者なのか先祖帰りなのかそのどちらかはエルピスから語られていないので断定はできないが、エラは苦笑いを浮かべながらそう言うエルピスを見て転生者だったのかと納得する。

 

今まで何度か年齢にそぐわない行動が見られたのもそれならば納得がいくし、強大な力を持ちながらも理性を持って行動できるのもそれが理由だろう。

 とはいえそれならば尚更色欲に溺れない理由が分からない。


 転生者は欲に正直、先祖帰りは力に従うのはこの世界の常識だ。

 そう言うことを考えると金銭面や力に対する欲は無くとも、色に対する欲はあってしかるべきではないのだろうか。


(もしかして前世は女性だったとか?)


 そんな事をふと考えるが、とは言え今はデートの方が大事かとどこかへ行っていた思考を戻す。

 そんなたわいも無い雑談をしながら運ばれてくる料理を待つ。


 それから数分経過し、出来上がったサンドイッチと紅茶を持ちながら、店員がこちらへと小走りでこちらにやってきていた。


「お待たせいたしました。ミックスサンドイッチと、ダージリンティーでございます」


「ありがとう。はい、お礼」


 そう言いながらエルピスが銀貨を出そうとした手を止め、彼女は少し言いづらそうにしながら言葉を発する。


「チップは頂けません、お店の決まりなので。代わりに、その服どこで買ったか教えて頂けませんか?」


「あ、私も気になっていたんですよ」


「エラも気になってたの? この服は森に住んでる妖精から貰った物なんだよ」


 エラも少なからず気になっていたので相槌を打つと、驚きの答えが返ってきた。

 エルピスが言っている森とはおそらく自宅周辺の森の事だろうが、あの一帯の精霊や妖精は非常に臆病な種族で滅多に顔を出さない。


 さらにどちらかと言えば人間を毛嫌いしているので、いくらエルピスとはいえ例えあの森で長く過ごしていたとしても出会う事は難しい筈だ。

 だと言うのに仲良くなるどころか、専用の服を作ってもらえるほど交流を深めていたエルピスはよほど精霊や妖精との親和性が高いのだろう。


 これには店員も驚きを隠せなかったらしく、ぽっかりと口を開き驚いている。


「凄いですね、妖精と仲良くなるのだって凄く難しい事なのに、お洋服を作ってもらえるなんて」


「いえ、環境に恵まれただけですよ。

幸いな事に精霊と契約している人や、精霊もどきみたいな人達のいる家で暮らしていたので」


「それの方がすごくないですか?」


「ご入用なら頼んでみますが、どうしますか?」


「い、良いんですか!?」


(服をプレゼントすると言っただけで、目の前に肉をぶら下げられた肉食獣もかくやの速度で詰め寄り、口からダラダラと涎を垂らしている姿はなんというか……女性としてどうなんでしょうか)

 そう思ったのも束の間。

 落ち着いたのか彼女の目に理性の色がともり、羞恥心で顔が真っ赤になっていく。


「す、すいません! 失礼しました」


「大丈夫ですよ。服の件ですけど頼んでおきますので、私の職場に来て頂けますか?」


「はい解りました。何処なんですか? 職場」


「王城です」


 職場に対して突っ込まないのかなぁ……なんて思っていると、彼女は何度目かわからない硬直の後に、店内に響きわたる程の大声で叫びだした。


(周囲の人達は気にしてない様ですが、この人もうちょっと落ち着きを持った方が良いのでは? 

まぁエルピス様もそこまで気にして無い様ですから、私は何も言いませんが。)


 最初の落ち着きも何処へやら、幸い普段とは客層もかなり違い若い人が多いので目くじらをたてる様なことはないがさすがに限度があるだろう。


「王城勤務なんですか!?」


「えぇ、まぁ」


「貴族なのに!?」


「親が貴族なだけで、俺は一般人みたいなもんですから」


「まさかそんな…では後日伺わせていただきます」


「元気な人だったね。さて俺もサンドイッチを食べよ…って一枚も残って無い!?」


 柔かな笑みを浮かべながら彼女を見送り、こちらに向き直ったエルピスは驚きの声を上げる。

 勿論サンドイッチは突如消えた場合では無い。

 エルピスが余所見している間に、エラが全部食べたのだ。


「ご馳走様でした」


「あれ? 怒ってる?」


「…いえ、デートで他の女の人を口説いた事など、怒ってなんかいません」


「…口説いたわけじゃないけど…悪かったよ。あの人はコネクション作りに必要だったんだ」


(コネクション作り? 確かに此処は有名店だからコネが無いよりは良いでしょうけど、あそこまでする程のものでしょうか?)


「あの人冒険者組合のマスターの娘さんなんだよ。仲良くしておいて損は無いでしょ?」


「本当にそれだけですか」


「そんなにジロ目で睨まないでよ…」


 確かにコネは必要ですし? 昨日した事も考えれば交友関係は作っておいた方がいいでしょうし?

 ………まぁ仕方ないですね

 これから先まだまだ時間はあります、それまでにせいぜい夢中にさせてあげましょう。


 /


 それから三十分程してから店を出て、エルピスとエラは屋台を見て回っている。


 そこまで大きな通りでは無いのだが人がそこら中にごった返し、時折怒号や悲鳴も聞こえてくる。

 王国は治安が良い方だとはいえ、様々な国から人が来ればそれだけ治安は悪くなるから多少は仕方ないが、それでもデート中に悲鳴が聞こえてくるのはあまり気持ちのいいものではない。

(……あ、捕まった)


「それにしても、見た事ある屋台が大量にあるな」


 見回りの兵士に、暴漢らしき男が引き摺られていくのを意図的に無視しながら、そう言ってチラチラとエルピスが見ている屋台は、全て転生者発案の物だ。


(確かたこやきと焼きそば…でしたっけ?)


 昔の自分の世界にあるものを見つければやはり懐かしいものなのだろうなとそんな事を考えていると、ふと横の通りで何かをしているのが見えた。

 確かあれは冒険者組合主催の──


「なんか楽しそうなのやってるな! 行ってみようか!」


 屋台で買った物を口いっぱいに頬張りながら、そう言って走り出したエルピスの笑顔は実に楽しそうだ。

 楽しそうに走るエラもエルピスの後を追いかけ、通りをまっすぐゆっくりと進んでいった。


 先程まで歩いていた細い路地を抜けると、王国から東の街まで一直線の大通りに出た。

 いままでより更に熱気に包まれた通りを歩き、人の声がする方に向かうと広場で男達が争うような声が聞こえてくる。


 中心に有る噴水の周りでは、鎧や冒険者特有の軽装を着て殴り合う男達が怪我を気にぜずに殴り合い、それより少し遠くでは魔法を撃ち合っている。


「あれ何やってんの? 喧嘩みたいだけど……もしかしてこれも異世界出身の発案?」


「いえ、これは由緒正しい冒険者組合管理の、喧嘩祭りですよ」


 会話を繰り広げている間にも、屈強な男達が殴り飛ばされたり蹴り飛ばされたりして、周囲を取り囲む様にして観戦しているこちらに飛んでくる。

 それを大雑把に避けながら、なるべく前の方に歩いていく。


 おそらくこれはバトルロワイヤル方式なのでしょうが、ルールはあるのでしょうか?

 まぁ魔法も使用されているようですし、殺害の為の武器を所持しないくらいしかルールなんて無いんでしょう。


 そんな事を思いながらようやく最前列までたどり着くと、何処からか司会の大声が聞こえて来た。


「おおっとぉぉぉ!!ここで前喧嘩祭り優勝者の拳士ファスト・ゲルンのとうじょうだぁぁぁぁ!!」


 立ち並ぶ人達を丁寧に手で退けながら、筋肉隆々の大男が広場の真ん中に現れる。

 流石は前大会優勝者なだけ有り、我先にと襲いかかっていく屈強な男達を物ともせず、一気に数を減らしていく。


「凄いな。あんなに人間て筋肉つくもんなんだね」


「エルピス様は参加なさらないんですか?」


「うーん。めんどくさいから今回は出ないかな」


 そんな会話をしながら喧嘩祭を眺めていると、後ろからよく知っている気配を感じた。


 まだ少し遠いが、一直線でこっちに歩いて来ている事を考えても、ここにエルピス様がいる事に気づいているんだろう。

 特に出会って不味い人でも無いので、エルピス様には報告しなくても良いでしょう。


「アウローラと一緒に来なくて良かったなぁ。一緒に来てたらこうやって観戦なんて、絶対に出来なかったろうし」


「ーー無理矢理にでも参加させるもんね?」


「そうそう絶対参加させられた……ってアウローラ!?」


 アウローラ様に一礼しながら、周りを見渡す。

 どうやら横に控えているアルキゴスもといアルさん以外にも、数人私服姿で隠れている様だ。


(まぁ先日あんな事があったんですから、これが普通ーーというか、何事も無かった様に普通に生活してるのが異常なんでしょうね)


 そんな事を思いながらも、会話の邪魔をする訳にも行かないので適当に気配を消して少し遠ざかっておく。


「あんたの私に対するイメージどんなのよ…まぁ良いわ。ご両親とは話せた?」


「お陰様で話せたよ。まったく、アウローラこそ昨日あんな事が有ったのに、外に出て良いのか?」


「国民が楽しんでいるのに、自分だけ楽しめないなんて嫌じゃ無い?

という事であんたもとっとと喧嘩祭り行ってきなさい」


「結局命令してるんですけど!?」


「諦めろ。実はもうここに来るまでに、ギルマスには伝えてある。ほらそろそろ」


 なんだかよく分からない話で蚊帳の外に出され、どうするべきか迷っていると、アルが見ろと言わんばかりに指を向ける。


 その方向を見ると、恐らく今から入る参加者を報告しているであろう冒険者組合長ギルドマスターの姿が見えた。

 まさか司会を組合長がやっているとは思わず少し驚く。


 本来ならこう言った雑事は組合長がするものでは無いだろうが、とはいえ変わり者で有名な王国の組合長なら、司会をやっていてもおかしくはないかと納得する。


「さて舞台に人が減ってまいりましたが!! なんと今回!! あのアルヘオ家のご子息であるエルピス君が出場してくれるとこの事です!」


「エルピス君だって!?」


「昨日みたいな戦いがまた見れるのか?!」


「どこだどこだ? 俺サイン欲しいんだけど!」


 アルへオ家の名を挙げられた事で完全に逃げ場がなくなり、溜息を吐きながらエルピスは軽く身体を動かす。

 エラの視線の先にいる前大会優勝者と言われていた男は、特に動揺した様子は無くしっかりと構えを取りながらエルピスの事を見つめる。


 喧嘩祭という名目の元にこの大会は開かれている以上、開始のゴングなどもちろんのこと存在しない。


「うぉぉぉぉぁりやぁぁぁ!!」


 その巨体を感じさせない驚くほどの速さで突撃してくる男に対して、エルピスが拳を差し出すとその拳に吸い込まれるようして男の顔が突き刺さる。

 エルピスが魔法を使った訳でも無く、技能スキルを使った訳でもない。

 ただただ単純明快な実力の差だ。


「なっ…! なんと一撃です! 一撃で前大会出場者を打ち倒しましたっ!!」


 司会がエルピスの勝利を宣言する。

 だが観客達も背中を押して行けと言ったアウローラでさえ、エルピスの事を見つめながら固まっていた。


 目の前の少年の強さをようやく理解した民衆は、ゆっくりとその心の中を言葉にならない叫び声に変えそして堪え切れなくなった叫びは歓声となって辺りに響き渡る。


 だが当の本人であるエルピスは納得したような顔はせず、引きずるようにして男を会場の端まで持っていくと、民衆を静かにさせて言葉を発する。


「先程の人も強くは有りましたが、こうなったらトコトンまで強い人と戦いたくなってきました」


「……本気か? 面倒ごとはあまり好きじゃないんだが」


「他人にやらせておいて自分だけ…なんて虫が良すぎますよ、アルさん」


「ここでまさかのアルヘオ家長男! 魔導祭で突如現れた新星エルピス・アルヘオ対王国軍団長アルキゴス・ヴァスィリオの対決開始だぁぁぁぁ!!!」


 先程の数倍ほどの歓声が上がり、辺りは熱気に包まれる。

 王国内で武闘派貴族の中でも最強として名高いヴァスィリオ家、その中でも剣の腕では随一と言われるアルキゴスと、魔導祭では王族を退けその圧倒的な魔力を見せつけたエルピス。


 二人の試合を一目見ようと徐々に人が集まりだし、エラとアウローラは他人の家の屋根に座り観戦の用意をする。


 時刻は丁度お昼時、目視すら不可能な剣戦に切られたと見間違うほどの無駄のない動きで避ける二人を見ながら、エラは気づかれないように小さく息を吐き出すのだった。


 #


「わぁ~凄いですね!!」


 喧嘩祭が予想以上の盛り上がりぶりを見せ、時刻は既に夕刻。

 戦闘を終え身体を酷使したエルピスと、最初は観戦していたものの結局戦闘に参加したエラは、空いた小腹を満たすために商業ギルド開催のバザールを回って居た。


 バザールには普段でも様々な商品が揃っているが、王国祭ともなると更にその数は増している。

 食べ物から武器防具。

 更にはよく分からないお土産やペットまで、どんなものでも選り取り見取りだ。


「確かにさっきまでの大通りとは、一風変わった熱気に包まれてるな」


 そう言いながらエルピスが視線を向けるのは、バザール名物のオークションだ。


 陳列されているのは、綺麗な琥珀色の迷宮宝玉ダンジョンオーブ

 迷宮宝玉ダンジョンオーブとは、ダンジョンと呼ばれる地下迷宮の最下層で得ることが出来るダンジョンの心臓とも言える魔石だ。

 単純な能力的には通常の魔石の上位互換という程度だが、周囲の魔石から魔力を吸い取り他の魔石に与えるという特別な役割を持つので、様々な魔法の武器に使用されるほどの逸品だ。


 一般的には手のひらに乗るくらいのサイズのオーブだが、いま出品されて居るオーブは、小さい子供程は有る迷宮宝玉ダンジョンオーブの更に上位版である迷宮真核ダンジョンコアと呼ばれる部類の物だ。


 本来ならダンジョンから離れると色彩が落ちるオーブだが、迷宮宝玉ダンジョンコアはそのルールに当てはまらず、いまだに綺麗な輝きを放っている。


「ちょっと行ってみようか」


「はい!」


 オーブに興味が湧いたのか、小走りでエルピスが近寄っていくと、ほんのりと輝いていただけのオーブの輝きが、徐々に増していく。

 まるでエルピスに呼応するかの様に光りだしたオーブは、何度かの点滅の後、許容値を超えたかの様に爆散した。


「──えっ!?」


 そんなエルピスの驚きもつかの間。

 オーブに内包されていた魔力が周囲一帯に流れ出し、その影響でバザールのあちこちに魔物が現れる。

 悲鳴と怒号が辺り一体で巻き起こり、騒ぎを聞きつけた衛兵達が辺りから走ってくるのが見える。


「一息つく暇も与えてくれないの!?」


 そう言いながら、周囲に現れた魔物を次々と倒していくエルピス様の援護を開始する。


(数は五十…いえもっと多いですね。)


 バザールで商品として出されていた生き物や、捕らえられていた魔物などが魔力に当てられて狂乱しながら暴れ出す。

 それにエルピス様も気付いたのか、悲鳴にも近い声を上げる。


「なんか数多くない!?」


「周囲の小動物が魔力に当てられて、魔物化したみたいですね。まだまだ来ますよ!」


 ペットを販売していた事が仇になったのか、その数は止まる事を知らないほどに増えていく。

 周囲から襲いかかってくる魔物を捌きながら、私は背中を合わせて戦える今がずっと続けば良いなと、なんとなくそう思った。


 #


 何故か暴走したオーブが原因で多少周辺に被害は出たものの、特に怪我人もなく無事に事態は終息した。


 エルピスの魔法連射能力あってのものだったが、怪我人が居なかったのは奇跡と言ってもいいだろう。


(まぁオーブの持ち主は泣いていましたが)


 あれほどの大きな迷宮宝玉ならひ孫の代まで贅の限りを尽くした生活を出来ただろうに、それが目の前で壊れたのだ泣きたくもなるだろう。

 そうは言ってもダンジョンをクリアしたのですからそれなりに報酬金は出ているでしょうし、すんなりとそちらの方は解決するでしょうが。


「それにしても何であのオーブは急に暴走したのでしょうか?」


 王城の中庭でゴロゴロしているエルピスにエラが話しかけるのは、必然的に先程の話題だ。

 基本的に迷宮から出された宝玉は安定しており、よっぽどの事がない限りは暴走することはあり得ない。

 それがあんなに周囲に魔力を撒き散らして暴走したのだ、エラも気になる。


「なんか俺のせいな気がするんだよなぁ……あれ。やっぱり技能スキルの確認とか、ちゃんとしなきゃ駄目だな」


「もういい加減技能については突っ込みませんよ」


 エラが呆れた様にそう返すと、エルピスは苦笑いしながら寝たフリをしてしまった。

 エルピスの年齢で技能を持っているのは別に珍しいことではないが、持っている量が彼の場合は少々異常だ。

 隠しているのは分かるが、それを踏まえても隠せないほどに漏れ出ている実力というのはある。 


(誤魔化すにしても、もう少しマシな方法は無かったんでしょうか)


 そんな事を思っていると、不意に背後に気配を感じて振り返る。

 振り返った先に居たのは、クリムにイロアスそれとアルだ。

 ご挨拶をしなければ──そう思いエラが立ち上がろうとすると、イロアスに止められる。


「そう言うのは良いよ。話はなるべく早く終わらせないと」


 そう言いながら指差すのは、寝たフリをしたらそのまま寝てしまったエルピスだ。

 寝ているエルピスに毛布をかけながら、まるで世間話でもするかの様に、イロアスはエラに一つの質問をした。


「さてエラ、突然ですまないんだが、こいつの事どう思う?」


「どう……とはどういう事でしょうか?」


 もちろん聞かれた意味はわかっている──が、それを認めるとなると話は別だ。

 エラ自身でさえまだイマイチわかっていない感情を、恩人であるイロアスに伝えるのは失礼になる。

 そう思って居るのを見透かされたように、イロアスに逃げ道を潰される。


「ならもうちょっと踏み込もう。俺が見た所、エラはエルピスに恋愛感情を抱いている様に見えるんだが、ぶっちゃけ好きか?」


 そう言うイロアスからは普段の落ち着いた雰囲気では無く、少し焦って居る様な感じが見て取れた。

(普段ならおっとりしたイロアス様がここまで焦って居るとは、何かあったんでしょうか?)

 そう思いクリム様に目配せすると、意外な答えが返ってくる。


「ごめんね。こんな事聞かない方が良いって言ったんだけど、聴いてくれなくって」


 クリム様も口ではそんな事を言っているが、目は細くなり、臨戦態勢、といった感じだ。

 どちらかと言うと自発的にでは無く、自然にこうなっているような感じが強い。

 相当焦っているのだろう。

(ここでは喋らない、という訳にも行かなさそうですね)

 唯一アルだけは申し訳無さそうな顔をしながら、こちらを見てはいるが。


「言いますが、急にどうしたのですか?」


 エラがそう返すと、イロアスはクリムの方を見てから深く息を吐きを、そのままその場に腰を下ろした。

 アルはそれを見て少しホッとして居る様だが、どういう事だろうか?

 エラの返答次第によってはそんなに焦ることが有ったのか、それとも他の何かか。


「やっぱこういう事するのは、俺のキャラじゃないよなぁ」


「そうか? 結構自然だったぞ?」


「はぁ!? 全然自然じゃねぇし!」


 アルとイロアスが冗談を言い合って居るのを他所に、状況を理解出来ていないエラの横にクリムが座り、髪を優しく撫でながら喋りかけて来た。


「エラちゃんなら、ここで言ってくれるって信じてたわよ」


「ど、どうなされたのですか?」


 急に抱きついてきて、頬を擦り付けてくるクリムを落ち着かせながら、本気の取っ組み合いになりかけているイロアス達を宥める。

 それから数分して、皆さんが落ち着いたのを見てから話を始める。


「それで結局私はどうすれば良いんですか?」


「簡単な事だ。さっきも言った通り、こいつの事をどう思ってるかだけ聞かせて欲しい」


 その問いに先程までの緊張感は無く、随分と落ち着いて見える。

 長年仕えてきたが今始めてイロアスの父親としての一面を見れて居る気がする──そんな場違いな事を考えながらも、問いに対して答えた。


「好きです。一生お使えしたいと思える程に」


 エラがそう言うと、クリムがエラの目を覗き込む。

 普段は暖かみと優しさが溢れて居る見慣れた目だが、今日だけは少し違った。

 まるで心の奥底を覗き込まれる様な、そんな感覚に陥りながらも、意思を強く保つ。


「生まれた時から付き添わせてた俺達が言うのもなんだが、惚れる様な場面があったか?

普段近くにいるのはヘリアとかフィトゥスだし、専属といってもそれほど接点が無いように感じたんだが」


 アルとのじゃれ合いを辞めたイロアスは、エラの顔を不思議そうに見ながらそんな事を呟く。

 確かに他の人から見ればそうなのかもしれない。

 それに自分自身も、何故好きなのかいまいち分からないし。

 それでも私から言える事は一つだけある。


「確かに惚れる様な場面は無かったです。

最初の頃なんて名前すら覚えてくれなかったし、やっと最近喋れるようになったと思ったら、今度は女の子を助けに敵の暗部との戦闘。

 それに今日だって、デートに誘った癖に他の女の子とは仲良くなるし。

 挙句の果てには私の事ほったらかしてアルさんと仲良く喧嘩してるし、私の事なんか考えてるのかも分からないし。

 それでも私は、この人が名前を呼んでくれた時は嬉しかったんですよ。

 目を見て話してくれて、言葉を交わすうちに、ダメだとは分かっていてもイロアス様やクリム様よりも、エルピス様の事を考えるようになってしまっていたんですよ。

だって──好きですから」


 自分でも何故ここまで熱くなってるかは分からない。

 けど此処でちゃんと答えないと、大事な何かが霞んでしまう様な気がして……。

 だから私は恩人に対して、失礼な態度を取ることもいとわずにただ言葉を紡ぐ。

 そんな不安にかられて居るエラを見透かしたように、クリムはエラの事を抱きしめる。

 ふわりとした花の匂いと共に、エラを抱きしめる手に力が増していく。


「エラちゃんの気持ちは解ったわ。エルピスの事、よろしくね?」


「俺からも頼むよ。こいつがなんか変な事をしたり、大変な事に巻き込まれたら面倒見てやってくれ。大人びては居るが、こいつもまだ子供だからな」


 そう言った二人の表情は寂しげで、何処か切なかった。

 まるでこれから二度と会わないとでも決意しているかのように。


「エルピスの事、頼むぞ?」


「任せたわね、アル」


「あぁ。ちゃんと責任持って見てやるから、任せろ」


 ──それからアルキゴスに二人が王からの依頼で、魔族領に言ったと聞かされたのはエルピスが起きてから直ぐの事だった。

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