Season03 移りゆく季節に車輪を漕いで

#01 ハル君の決意とヴェロニカの暴走




気づいたら……脚が動かなかった。いえ。動くけれど力が入らなかったの。

格闘技をしていた理由は……強くなりたいから。なんて月並だけれど、身体ではなく精神的に強くなりたかったからなのかな。



決定的に——脚がおかしいって思ったのは……玄関先で転んで起き上がれなくなったとき。精密検査を受けた結果は——進行性の難病だった。

長くて3年から5年。

それが私に下された命の審判だった。




でも……。




車椅子生活は初めこそ苦労したけれど……慣れれば……いや。それでもちょっとキツイかな。

階段は上れないし、段差も大変。

でも、悪いことばかりじゃなかった。



横断歩道を一人渡っているとき、どうしても信号が間に合わず渡りきれそうになかったとき。



「大丈夫ですか?」

「は、はい……いえ。だめかもです〜〜〜」

「あはは。じゃあ、僕が押しても?」

「お、お願いします〜〜〜」



優しい人だった。



どこまでも澄んだ瞳をしたちょっとだけお茶目な笑い方をする人。

大学生で、将来は理学療法士になるんだって。

またたく間に告白されて、付き合って……春夏秋冬……巡る季節に幾度となく肌を重ねた。

私の病気も理解していて……ずっと励ましてくれた。



だから——葛藤した。



だって、私は……君がかっこよく年を取っていくのも……子どもを抱く喜びにあふれた顔も……二人縁側で余生に浸る幸せも……共有するこができない……。

でも、それでも彼は一緒に居てくれって。

それに、新薬が開発されて助かることだってあるかもしれないって。

いつでも……前向きに笑って。



離れようにも……どうしても離れられなかった。

あんなに格闘技に打ち込んでいたのに、私は弱いまま。




病院に就職が内定していよいよ来月からは社会人の彼。

一緒に祝おうねって……言っていたんだけど。





けれど……。





「……魅音さん……息子を……愛してくれてありが……とう」

「あなたが……恋人でいてくれて……あの子は……とても幸せだって」




一瞬だった。

一瞬で私達の関係は音も立てずに瓦解がかいしてしまった。

工事現場のアルバイトをしているとき……ちょうど彼の真上から鉄骨が降ってきたらしい。



即死だった。

遺体を見ることも止められるような。




なぜ……私を置いていってしまったの。





「魅音姉さん? 泣いているの?」



いけない。いつの間にか寝てしまっていたようね。

酷い夢ね。



「……ごめん。紫音もう帰って大丈夫よ?」

「いえいえ。わたしは魅音姉さんともう少しだけ一緒にいたいのですけど。ダメですか?」

「あらあら。じゃあお菓子あげる。シナモンのクッキーが好きでしょう?」」

「わぁ〜〜〜、あ、こ、これ…‥…なかなか売っていないのに」

「取り寄せたの。紫音が好きそうだからね」



可愛い妹。私を慕ってくれる妹二人には私のような重荷を背負わせるわけにはいかない。

だから、私のことなんて忘れてくれて構わないのに。




今度こそ……強くならなくちゃ。




*




昨日のバイトは辛かったなぁ……久々のケーキ屋のヘルプからの夜は居酒屋ヘルプ。ああ、疲れた。最近俺が投げ銭をしないように……なんてヴェロニカに管理されているからなぁ。

でも……実は推しのVtuberに投げ銭しているなんて、ふふふ。まさかヴェロニカも知るまい。



姉妹Vtuberのユメちゃんとマミルちゃん。最近の推し。

でも、なんだかこの声……どこかで聞いたことあるんだよな。うーん思い出せない。

ああ、可愛い。今日はどんな配信……おお、『姉妹あるある』。雑談か〜〜〜。

喋りも上手いからな〜〜〜特に姉のユメちゃん。



「じー」



なんだか視線を感じる……。そんなことよりも……ユメちゃんとマミちゃん。

洋服をシェアしたら……いつの間にか借りパクしていた?

可愛いじゃん。うんうん。



「じー……」



他には他には??

お風呂に一緒に入る……だとッ!?

そ、そんな……ひ、卑猥じゃないかーーーーーーーいッ!!



「お風呂一緒に入るくらい言ってくれれば……って、生唾飲んでないで……そろそろ気づいてよぉ」

「今はそれどころじゃな——」



は?



い、今、生霊が部屋に現れた気が……。

ん?

膝を抱えた、すげぇ美少女がすげえ怨念を背負って部屋の隅にいるような。

呪詛じゅそを唱えながら俺を恨めしそうに見ているような。



「ってヴェロニー……また不法侵入じゃないかーーーーーいッ!!」

「てへ。寂しくて来ちゃった」

「いい加減、家に帰れぇぇぇぇ〜〜〜〜〜ッ!!」



てな具合でバイト終わって疲れていても関係なしに侵入してくる。まあ、でも、嬉しいんだけどな。もうそばにいるのが当たり前みたいな存在になっているし。



「うんとね……あの……ハル君……」

「ヴェロニー……お前」



ヴェロニカの料理の腕は確実に上がっている。なにがそんなにヴェロニカの魂を突き動かすのかは分からないけれど——出会ったころに比べて、格段に成長している。フライパンファイアーからの油まみれ、焦がし料理なんて嘘のように普通の料理を作れるようになった……って聞いた。

シナモンちゃんに。



ただし……八宝菜に限る。



いや、待て。

八宝菜ができるなら、他の料理もできるんじゃね?

ヴェロニカさんよ……。



「が、がんばって作ってきたの……どうかな?」

「……普通の、普通の八宝菜じゃん」



噂は本当だったか。どれどれ。




ッ!?!?!?




こ、これは……マズイにも程がある。脳天を直撃するような塩辛さと相反する隠し味的なとろける……トロミの中の甘々な味。極め付きは……薬品のような香りが口の隅々にほとばしる苦味。




「ど、どう? 美味しいかな?」

「う、う、うぅ……うん。お、おお、美味しいよ」

「ほんとっ!? やったーーーっ!!」



そ、そんなに喜びやがって。マズイなんて言ったらヴェロニカを傷つけるかなーなんて思ったけど、嘘つくほうが残酷か?

いっそのこと、今から真実を告げても……いやいや。彼女の腕が上がっているのは確かだし、努力は認めてあげないと。

焦がさないだけ上達じゃねえか。



「ヴェロニ……カは……努力した……な」



ガクッ……。



「ちょ、ちょっと? ハ、ハル君ッ!?」




そうして夜もける。ああ、夕飯は結局ヴェロニカと一緒に作り直した。まあ、八割くらいは俺が作ったんだけどな。

風呂に入って、布団に入るころにはヴェロニカはすでに夢の中だった。寝顔を見ていると、本当に無防備だなって思うよ。とはいえ、俺が何もしないって思い込んでいて——いや、信用されているからなのだろうけど。



「ハル君……もう寝ちゃう?」

「なんだ。起きていたのか。寝ているのかと思ったわ」

「あたし……ハル君と……ひとつになりたい」

「ああ、合成人間キメラってやつ? でも、ヴェロニカは今の姿が完璧すぎて俺とじゃ釣り合わなくて、1+1が2じゃなくて−1になるぞ?」

「……マジメな話。ハル君は……あたしには全く興味がない?」

「……きょ、興味って。そ、そりゃあ」



あるよ。今すぐにでも襲いかかって、そ、その唇を……透き通るような肌を……。

でも……俺は……自信ないよ。そうして裏切られた記憶が頭から離れない。自分が大切にしてきたモノをいとも簡単に他のやつ——親友だと思っていたヤツに奪われて……だったら初めから何の関係もないほうがキモチは楽だったろうに、なんて考えちまう。


ヴェロニカに限ってそんなことはないだろうけど……でも、それは萌々香のときも思っていた。萌々香はずっと俺と一緒に居てくれて、なにも疑うことなく幸せに一生の伴侶として過ごすんだろうなって漠然ばくぜんと考えていた。



「あ。あるよ……でも、一線を越えたら……俺……失うのが怖くなって」

「失わないよ。あたしはどこにも行かないし、いなくならない」



分かってる。そんなこと……。

美羽は信用に足る人物だし、萌々香とは絶対に違う。



でも、理屈じゃねえんだ。



美羽と遊び半分で付き合って一緒に寝て、今すぐ欲望のまま美羽を汚して、奪って。

なんて隆介みたいなことを俺は絶対にしないけど、少しくらい触れてみたいなんてキモチも多少なりともあって。でも、そうして自分を抑えきれなくなって、いつか美羽を失うことの恐怖が頭の中を堂々巡りしたら……やっぱり俺には無理だ。



「キスだけでも……いいから……して」

「……」



俺のこと……。




「ヴェロニー……聞いていいか?」

「う……ん……みう。みうって」

「ああ。美羽。美羽は俺のこと……どう思って?」

「……っと……きだった」



ごめん。美羽……聞こえなかった……けど、そんな顔を見たら……。

魂が。



魂が震えちまうよ。




きつく抱きしめて……キスをして……彼女の髪をいた。




眠りにつくまで。

ずっと。




美羽……初めては……とっておこうな。

ちゃんと……俺がキモチを伝えられるようになるまで。

美羽にふさわしい男になるから。




約束するよ。覚悟を決めたら必ず俺が迎えに行く。

お前を。



お前のキモチを。




美羽……俺もお前のことが。




……きだ。



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