第67話 待ちに待った
「噂の音楽祭から一月経つけど、誰もセレスに絡んでこなくなったよね」
移動中、何の脈絡もなく突然振られた話題に返事をすることなく嫌な顔をして見せれば、シルが悪戯に成功した幼子のような笑みを浮かべた。
「あからさまな絡みはなくなったが、視線が鬱陶しい」
「あぁ……確かに」
「敵意や悪意といったものではなく、畏怖の類です」
「音楽祭に出席できる財力を持ち、当然のように王族席に上がって挨拶して、婚約者は王太子殿下の側近である侯爵家の次男。コレだけの噂が広まれば皆恐れ多くて近づけないよ」
「一々愚者の対応をするのも面倒だったので、丁度良かったのでは?」
「これから忙しくなるし、余計な事に気を取られないで済んで良かったよ。噂を広めたビリー達に感謝でもしておく?」
セヴェリとは違いニコニコと楽しそうに私を揶揄うシルを睨みつけたが、全く効果がない。
王族への挨拶や侯爵家の婚約者等については、私よりも早くトーラスへ戻って来たビリーや他の下級貴族の子息達が学校内で話したらしくあっという間に多少誇張された噂が学校中に広まり、寮に戻るなりエリー達に取り囲まれた私はそこで初めて知ることになった。
「彼等にお礼なら、既にしてあるが?」
「……一人ずつ捕まえて笑顔で脅していなかった?」
「ビリーは良かれと思ってセレスの為にしたことでしょうが」
どの辺が良かれと思ったのか……。
だが、この噂話を把握済みだったリアム兄様とロベルト兄様も、王族を使って醜聞がどうのと騒ぐ貴族を黙らせた御爺様を称賛し、ビリー達に関しても良くやったとご満悦だった。
この噂の所為なのか、貴族からは恐ろしい者を見るような視線を、平民からはよく分からない熱のこもった視線を向けられている。
――それにしても。
「もう一月も経ったのか」
御爺様と初めて一緒に出席した音楽祭。
ルドとレナートと共に湖から戻った私は、まだ国王陛下とお話中だった御爺様ではなくお父様に退出の挨拶をしに向かったのだが、そこにはミラベルとフロイドも居て。
「では、また来年」
「直ぐに会えるから待っていてね」
席に戻るからと声を掛けてくれたルドとレナートに頷くと、いつの間にか近くまで寄って来ていたフロイドに腕を掴まれ引き寄せられていた。
「私の婚約者を湖へ連れて行ってくださったとお聞きしました。ありがとうございます」
私の婚約者という部分を強調して言っていた気がするが、それよりも、何故フロイドが私やお父様の代わりに殿下達にお礼を口にしているのか。
「とても貴重な時間でした。セレスが可愛らしく微笑む姿が見られたのですから、お礼を言わなくてはならないのは私のほうです」
苦笑しているルドとは違い、レナートが一歩前に出てフロイドに天使の微笑みを向ける。
可愛らしいのはレナートだと心の中で悶えながら「では、また来年」と私が口にした直後、フロイドはルド達に軽く頭を下げ、掴んでいた私の腕を引き足早に広間の出口へと向かい歩き出した。
こちらを窺っていたお父様には軽く顎を上げ先に戻ることを伝え、ミラベルには声を掛けなくても良いのかとフロイドに訊ねる前に、彼のどこか追い詰められたような表情に気付き口を閉じた。
例年であれば、退出する際にフロイドの隣には必ずミラベルが居て、私は楽しそうに談笑する二人の後ろを俯きながら歩いていたというのに……。
どうして悲し気な、悔し気な顔をしているのか、馬車の中で私を窺うフロイドに訊ねることなく、ミラベルが乗って来るまで互いに無言のままだった。
色々あった音楽祭は取り敢えず無事に終え、お父様に引き留められ二日ほど王都の別宅に滞在したあとは、半年に一度ある学力試験に間に合うように真っ直ぐトーラスへと戻るだけだった……のだが。
滞在時間よりも移動時間のほうが長い馬車の旅は予想以上に身体に負担がかかり、途中宿泊の為に寄った街で何泊かしようと駄々をこねる御爺様を説得することにかなり労力を使った。
今迄の音楽祭は何だったのかと思うほど楽しかったと一月前の記憶を反芻しながら、そういえば……と、隣を歩く二人に顔を向けた。
「二人は何故音楽祭に出席しなかったんだ?」
資産だけなら上級貴族に引けを取らない家柄のシルとセヴェリは音楽祭に出席していない。
二人が不参加だということは本人達から予め聞いてはいたが、その理由までは教えてもらっていなかった。
何か複雑な理由があるのではないかと訊くのを躊躇っていたのだが、こうして人を揶揄う為に話題に出すくらいなのだから訊いても構わないだろう。
少しでも顔色が変われば撤回するつもりだったが、シルとセヴェリに変化はなく、それどころか少し面白がっているように見える。
「ほら、アドーテは成金貴族だし、私達の色彩はスレイラン特有のものだから。そんな者達が公の場に出ればこの国の由緒ある貴族達から良い顔はされないでしょ?それに、あまり目立つのは良くないんだ」
「目立つと、何か不都合なことでも?」
「んー、そうだね……」
「セヴェリ」
「シルに訊いてください」
曖昧な笑みで誤魔化すシルは答える気がないらしく、セヴェリに視線を移し問いかけてみたがこちらも同様で。
「そうか、どうやら私だけが二人を友だと認識していたらしい……」
「え、ソレはズルイよ!?私達は友達でしょう?そうだよね?」
「……」
慌てるシルと無言で固まったセヴェリを置いて、午後の授業が行われる訓練場へと先に足を進める。
学力試験の結果が出る前まで、この時間は武具の手入れや訓練の見学をしていたが、今日からは待ちに待った実践訓練なので浮かれている自覚はある。
混合クラスでは、基礎学力と基礎体力訓練の二つで合格を貰えば剣術や体術といった実践的な訓練に移ることが出来る。
学力試験だけであれば貴族は然程苦労することはなく、体力訓練のほうは幼い頃から親の仕事を手伝っている平民は余裕でこなしてしまう。
難しいのはこの二つを両立させることらしく、「一年以内に次の段階へ進める者がいれば良いな!」とハリソン教員は高笑いしていたのに、僅か半年で彼の予想に反して三人も合格者が出た。
昨日、学力試験の結果を見たハリソン教員が地面に膝から崩れ落ちるのを目撃している。
因みに、一緒に目撃したシルとセヴェリは、四つん這いになるハリソン教員を見下ろしながら高笑いをしていた。
「セレスが冗談を言うなんて、かなり浮かれているよね……」
「上級生だけの指導だと思っていたツェリ様が一年の剣術指導も担当すると、ハリソン教員が口を滑らせていましたから」
「滑らせて……?あれだけ鬼気迫る勢いで問い詰められたら誰でも話すでしょ」
私は担当してくださる教員の方に失礼のないよう先に誰かと訊いただけで、意地悪をして中々教えようとしなかったハリソン教員が悪い。
「型や素振りから始まるとは思うが、ツェリ様が側に付いて指導してくださるのだろうか……」
訓練場の門の前でピタッと足を止め、痛いくらい鳴る心臓を押さえながら呟いた。
「セレスが恋する乙女みたいになっているのだけど……」
「乙女は型や素振りなどと口にしません」
「表情だって」
外野が煩いが、そんなことよりも、この中へ入れば憧れのアイヴァン・ツェリ様が居る。
「でも、忙しい方だから挨拶だけされて他の教員に任せる可能性も……」
「表情……普段と同じだと思いますが」
「ほら、よく見て。目が輝いているから」
「目が……」
「そう、目だよ」
「もしそうなら、さっさと合格を貰って次の段階へ進めば良いだけ……何だ?」
妙な視線を感じ伏せていた目を上げれば、左右からシルとセヴェリに顔を覗き込まれジッと凝視されていた。
「セレスって、結構残念な子だよね」
「……は?」
「黙っていれば乙女です」
「……何のことだ?」
音楽祭の話題を出してきたときのように唐突に告げられた言葉に唖然とする私を置いて、シルとセヴェリは露骨に溜息を吐きながら訓練場の門を潜って行ってしまった。
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