第51話 呆気ない
「基礎体力作りは軍人になってからも基礎訓練の一部として行われている。あぁ、基礎訓練とは戦闘の技術から上官への挨拶といった礼儀と体力訓練のことだ。それとは別に、早朝訓練というものもあり、新人は柔軟から二時間ほどの走り込み、二年目からになるとそれに加え、装備一式を担いでひらすら歩くこともさせられる。走ると腰や足を痛めるからだと説明があったが、歩くだけでも十分キツイ」
「……ゼッ……ゼ……」
「不慣れな生活に迅速に適応し、戦闘による精神的被害に耐えるには、体力が重要だと聞いた」
「……ぐっ……ふっ……っ……」
「軍人はどの階級になろうと、絶えず専門的な技術と体力の試験を受けるらしい。驕ることなく日々己を磨く。とても立派な事だ。そう思わないか、ビリー・ヒュートン?」
「……うっ……はぁ、はぁ……せぇ」
「時間を有意義に使おうと軍人について話していたのだが、聞いていたか?」
「……っ、さい……」
「聞こえなかったので、もう一度言ってもらえるか?今度はハッキリと」
「うるさい……っ……!」
足腰に力が入らず、芝生に足を取られ派手な音を立てて地面に転がった栗毛ことビリー・ヒュートン。
ビリーは何とか地面から離れようともがくが、上半身を起こす力もなく、屈辱に顔を歪ませ唸り声を上げた。
因みに彼の取り巻き二人は走ることもままならず訓練場の隅でぐったりとしている。
「怒鳴る元気があるならまだ走れるだろう?」
思わず見惚れるほど美麗な笑みなのに、背筋が震えその場から逃げ出したくなる。
二人の遣り取りを走りながらずっと見ていたクラスメイト達は、無機物を見るような目でビリーを見下ろすセレスティーアに怯えながら、スッと目を背けた。
「……っく、ふっ……」
「もしかして、もう走れないのか?あんなに色々と吠えていたのに」
口を開け必死に空気を吸い込んでいる所為で言葉を返すことができないビリーに、セレスティーアは容赦なく声をかけていく。
「……わぁ、容赦ないな」
「勝算もなく喧嘩を売るからです……」
「あの自信はどこから……きていたのか……」
「相手が悪い。彼女は、あのロティシュ家の跡継ぎですよ……っ」
「いやいや、それだけじゃ説明つかないよね……あの、身体能力はっ!」
ゆっくりと走っている混合クラスの生徒達は、先頭を走るシルヴィオとセヴェリーノが息を切らしながら話す内容を耳にして頷きながら、「残り十五分だぞ!」と楽し気に声を掛けるハリソンを見て肩を落とした。
この突発的に行われている走り込み訓練。
事の発端は、セレスティーアの「今直ぐ基礎体力訓練を……」という言葉だった。
普通の教員であれば何を言っているのだと一蹴するところだが、混合クラスを任されるような教員が普通なわけがなく、面白そうだからという理由で許可を出してしまったのだ。
ハリソンに案内された訓練場は想像していたものより広く、多少派手に転がったところで怪我などしないよう地面が芝生になっている。
入学してから数年間は生傷が絶えないからと笑うハリソンが見本として柔軟を披露し、そんなものを初めて目にした生徒達は手探り状態で必死にハリソンの真似をしていたのだが、ここでもビリーはやらかした。
「何を勘違いしているのか、女が私達と一緒に訓練などできるわけがない。そんなことも分からないくせに、軍事貴族を名乗っているとは。醜態を晒す前にクラスを変えたらどうだ?」
二大軍事貴族と称され侯爵家と同等の地位を持つ伯爵家のご令嬢に、取り巻き達と大笑いしながら上から目線で物を言うビリー……。
「王都に近い領地を治めている我が家とは違い、辺境の田舎貴族は物を知らないからな。私が格の違いを教えてやろう!」
領地が王都に近いと胸を張って口にしているがそれほどでもなく、たかだか男爵家の次男が何を言っているのか……?と皆が顔を青くしているなか、セレスティーアは無言で淡々と柔軟をこなす。
態と大袈裟に声を張り上げ中傷するも何の反応もなく、顔色すら変えないことに苛立つビリーや取り巻き達が散々喚き散らすが、彼等が余裕を見せていられたのはそこまでだった。
「今日は初日だからな……一時間でいくか」
ハリソンの謎の言葉に「一時間?」と首を傾げた者達は、数十分後にはだらしなく口を開け、頬を流れる汗を拭う余裕もなくなっていた。
一時間延々と走らされる訓練……果たしてコレは訓練なのだろうか。
広い屋敷や庭でも滅多に走ることなどない貴族のお坊ちゃん達にとって、コレはまさに地獄。
「足を止めた者は時間を追加する」
無慈悲な言葉に嘆きながら、それでも自分達はビリーに比べればまだマシだと自身を励ます。
「遅くないか……?それが限界なのか?」
「……っ、そんなわけ……!」
「先に行っても構わないだろうか?遅くて退屈なのだが……」
「今から、本気を……出す、ところだっ!ついて来い!」
ビリーの隣を並走し、走っている最中にひたすら話しかけ、それとなく煽る。微妙に速度を上げながらどんどんビリーの体力を奪っていくセレスティーア。
途中何度か足を止めそうになるビリーはその度にセレスティーアから尻を蹴られ、休憩などさせてもらえない。
その異様な光景を、かなり後ろを走りながら皆が固唾を呑んで見守っていたのだが、ビリーの取り巻き二人は早々に呆気なく脱落し、つい今しがた、ビリーも無様に地面に転がったのだった。
「……女が、何だって?」
抑揚がなく温度のない声に肩を跳ねさせたビリーは、一瞬でも恐怖したことを悟られないよう、自分を見下ろすセレスティーアをきつく睨みつけた。
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