第19話 変人の域への道筋



ニック大佐が治療室を離れているのだから命の危険に晒されているような重病人はいないということだが、逆に子供の手を借りたいほど応急処置が必要な負傷者が多数いると……。


「私は少し出てきます。ルドはロナさんかリックさんが来るまでは部屋から出ないように」


使うかもしれないと持ってきていた赤い十字の腕章を着装し、ニック大佐を追おうと踏み出した足を止め逡巡する。


衛生兵は身を護る武器は勿論、医薬品や医療器具など大量に携帯していなければならないので、両手が開くように作られたかなり大きめな背負う形の鞄を所持している。

ニック大佐に師事すると決まってから同じ物を支給されたが、私は軍医の資格がないので応急処置以上の事は出来ず、鞄の中には包帯や治療薬品程度しか入っていないが、それでも持ってきていないとあのニック大佐に知られたら……。


怒鳴られるだけでなく確実に頭上に拳が落ちてくると身震いし、侍女に「鞄を」と指示を出し取りに行ってもらう。


「セレス。何処に行くつもりだ?部屋から出たら危険だ」

「え、ええっ!?っと……すみません」


急に腕を掴まれたので何事かと振り返れば、思っていたよりも近くにルドの顔があったので驚いて手を振り払ってしまった。

私の身を案じてくれた人に対する仕打ちではないと直ぐに謝罪したが、ルドの眉間の皺は直らず、自身の手をジッと見つめながら「力を入れていたはずなのに……」と呟いている。


「あの、ニック大佐のことはご存知で?」

「軍医だろ?」


流石に知っていたらしいと安堵し、腕に付けた腕章を掲げて見せた。


「今から衛生班の手伝いに行きます。建物を出たら負傷者が転がっていると思うので、それらの応急処置です」

「どうしてセレスが?君は医師になるつもりなのか?」


軍学校に入ることや此処での訓練メニューについて話はしていたが、卒業したあと軍人になる予定はなく、領地に戻り婚約者を躾けるつもりだということは一切話していなかった。

ルドの口から軍医ではなく医師という言葉が出たのも、彼も私が軍人になるとは思ってもいないのだろう。


「いえ、医師の資格を取るつもりはありませんが、ルジェ叔父様が学校の実習で前線に出ない衛生科を押していて。その所為でニック大佐には週に二日医療について学んでいるので、こうして人手が足りないときは駆り出されます」

「衛生科なら、そう危険なことはないだろう」


なら、やはり医師を目指しているのだろう?という眼差しを受け、苦笑する。


「領主の仕事に医師免許は不要です」


軍人になるか、或いは平民であったなら医師免許を取れるなら取っていたほうが良いし、私のように学園に通いたくないという理由だけなら文官クラスで十分だろう。


「それもそうだが、文官クラスにも必要はないと思うが」

「武官クラスには必要です」

「……武官?」


驚くのも無理はない。

私も当初は文官かな?と思っていたのに、一年でこうも考えが変わるとは思ってもいなかった。


「私は軍事貴族の跡取りですから、戦場から離れた後方で命を繋ぐことよりも、互いの戦力や戦略に配置、季節や気候によって変わる事など、どうせ軍学校に入るのなら軍人の目線で学びたいのです。戦場を知らずに的確に支援を送ることなど私には出来ませんので」


私の代はルジェ叔父様の息子であるロベルトとリアムが戦場に、私は当主として後方支援と決まっている。

でも、その支援の仕方を一つでも間違えれば、前線で戦っているロベルト達が危機的状況に追い込まれるということをこの場所で学んだ。


折角軍学校に行くのなら、余すことなく学んでこようと決めてしまったのだ。


「セレスは、凄いな……先を見据えて行動している。訓練だけじゃなく医療も学んでいるし……」

「医療とはいっても、そこまで高等なものではないですよ?あくまで応急処置程度です」

「だが、僕はそれすら出来ない」


スレイランならまだしも、この国の王太子殿下が戦場に立つことはないので医療技術を学ぶ必要はないと思うのだが、どうやらルドはそうは思わないらしい。

シュン……と目に見えて落ち込んでしまったルドに慌てながらずっと黙ったままのアルトリードさんに助けを求めたが、何故か顔を横に振られてしまった……。


「ルドは軍学校ではなく学園に通うのだから……」


必要ないですよね?と続けようとし、ルドの仄暗い瞳と目が合い咄嗟に口を閉じた。


ルドも学園の騎士科でもしかしたら応急処置程度は学べるかもしれないし、私の場合は学校生活で遅れを取らないよう先に色々学んでいるだけなのだが……。


「無償で訓練を受けている身なので、何か手伝える事があればと進んでやっている……だけ、です……」


ぐにゅっと歪んだルドの顔を見て、どうやらこの言い回しも失敗だったと悟った。


「セレスティーア様、お時間もそうですが……」


私の鞄を走って取りに行ってくれた侍女が申し訳なさそうに小声で耳打ちしてくれた。

時間が……の後に続く言葉はニック大佐が!だろう。


「規律を乱すわけにはいかないので、ルドに一緒に行こうとは言えません」

「……わかっているよ」

「ですが、ロナさんかリックさんに聞いて、許可を得てから来れば良いかと」


鞄を背負いながらそう言うと、ルドは一瞬キョトンとしたあと顔を綻ばせた。


もう大丈夫だろうと背を向け、一気に走り出す。

護衛がついてきているのを確認しながら階段を飛び降り、ニック大佐に遅れて辿り着いた現場ではお決まりの罵詈雑言が飛び交っていた。



「遅い!何をもたもたしていた!さっさと処置をしろ、この間抜けが!」


やはりというか、私も怒鳴られながら衛生班の補助に入る。

腕や足が無くなっている人がいないのが幸いだと思いながら、血を見て震えることがなくなってしまったことを素直に喜べないでいる。


普通の貴族令嬢なら悲鳴を上げて気絶したりするのだろう……。



「ニック大佐!僕も何か手伝いを」

「必要ない!」

「人手が足りないのだろう?」

「あぁ、そうだ。指示する時間すら惜しいのに、何も知らぬ者など足手纏いにしかならん!」

「物を運ぶことくらいなら」

「私はある程度経験がありますから、ルド様への指示はお任せください」


随分早く許可を得て駆け付けたのだな……と、離れた場所で行われている交渉を耳にしながら心の中で応援だけはしておいた。

時折「誰が余計なことを……」と殺気を感じたが、最終的には「邪魔だけはするな!」とニック大佐が折れたようだ。


予想以上に負傷者の数が多く、ニック大佐の「解散」号令が出たのは明け方。

今にも落ちてきそうな瞼をどうにか開きながら、着替えもせずに疲れた身体をベッドに沈めた。





それからも本格的に冬に入るまで奇襲は数度続き、ルドが深夜の警報音や応急処置にも慣れた頃。


「また来年。次に会うときは、またセレスに驚かされることになるのかな」


戦友かのように握手を求められ、(一応貴族の令嬢なのだけど……)困惑する私を余所にルドは意気揚々と王都へ帰って行った。



――そして、また一年が過ぎ。



「初めまして。兄上に聞いて、お会いしたいと思っていました」


再びランシーン砦へ訪れたルドの隣には天使が立っていた。

驚かされることになったのは……どうやら私だったようだ。












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