『また』

 森の奥に心美の住む新居が完成して数日。

 ついにレヴィン家から巣立つ日がやってきた。


 初めて見たときは驚きのあまり言葉を失ったレヴィン邸も今となっては見慣れたもの。

 そんな大きな家とレヴィン家のお世話になった人達を正面に、心美はお礼の言葉を述べる。


「皆さん、お世話になりました。きっかけは運命的なものでしたがこうしてレヴィンの家に保護されることになったのはわたしにとって最大の幸福だったのかもしれません。皆様と過ごした日々はとても楽しかったです。本当にありがとうございました」


「ココミ、本当に行っちゃうの?」


「ルチカちゃん……」


 心美はルチカの寂しそうな上目遣いを見て決心が揺らぎそうになるが、心の中で首をぶんぶんと横に振って必死に振り払う。

 そして目線をルチカに合わせるようにしゃがみ込んでほほ笑んだ。


「大丈夫よ。もう会えないってわけじゃないわ。来ようと思えばいつでも来れるしまた遊びに来るわね」


「……うん、約束だよ」


「ええ、これは約束のおまじないよ」


 心美はルチカの手、その小指に自身の小指を絡めた。

 こちらの世界ではどうなのか知らないが、心美の知る約束を守る意味のおまじない。

 ルチカは一瞬何をされているのかよく分かっていなかったが、少し遅れてその行為の意味を飲み込むと無邪気に笑った。


「寂しくなりますね」


「ルミナスさん。あなたも割と働きづめるタイプの人なのでしっかり休んでくださいね」


「ココミさんにだけは言われたくないですが……ココミさんはこれからどうされるのですか? 主にお金とか……」


「せっかくなので冒険者になってみようかと思います。戦うのは苦手なので主に採取する方で」


「ココミさんの能力を考えたらそれは天職かもしれませんね。また探してきてほしいものがあったら指名依頼させてもらいますね」


 ルミナスは心美の今後、主に収入に関して気になったようだ。

 それに対して心美は冒険者という選択肢を提示した。

 心美の広範囲索敵能力と瞳と転移魔法を組み合わせた移動能力は探索を生業とするのに向いている。

 それを天職だとルミナスは納得の表情を浮かべ、またお世話になるかもしれないと悪戯っぽく笑った。


「ココミさん、お部屋はそのまま残しておくので、いつでも泊まりに来てくださいね。その時はまた、誠心誠意お世話させていただきます」


「ニアさん、ありがとうございます。またひょっこり顔を出しますね」


「はい! あと、こちらはココミさんが比較的気に入ってよく来ていた服です。ココミさんもこれからご自身で揃える予定だと思いますが、着ることのできる服が一着だけだと心もとないのでよかったらお持ちください」


 ニアは心美の部屋を綺麗な状態を保ち、いつ泊りに来てもいいように残しておくと嬉しそうに言う。

 それに加えて服の差し入れだ。

 これもレヴィン家からの門出祝いということになるのだろう。

 服を貰えるだけでもありがたいのに、気に入っていた紫のドレスなどもプレゼントに混じっており、心美は驚きながらもとても嬉しく思う。


「あんた、まだ読み終わってないんでしょ? 本当なら外への持ち出しは禁止だけど……あんたには特別に貸してあげるわ。だから……また来なさい」


「ありがとうございます。必ず返しに伺います」


 キリエから手渡されたのは読もうと思って借りたがまだ読むことができずにそのまま返却してしまった本だ。

 本来なら外を持ち出すことは禁止されており、レヴィン邸の敷地外に持ちだされようとすると感知され強制的に書庫へ戻されるような仕掛けが施されているらしい。

 その仕掛けをわざわざ解除してまで心美に本を貸し出すのは、キリエもまた訪れてほしいと思い、書庫に足を向けさせる口実を作り出しているのだろう。


「またいつでも来なさい。いつでも歓迎するよ」

「またいっぱいお話ししましょうね」


「はい、また」


 レヴィン夫婦は短く簡潔に。

 これが今生の別れではないと分かっているから、『また』という言葉で締める。


「あの森で何か異常を感知して、その上で君が対処できないと判断したら迷わず相談してくれ。そうじゃなくてもいつでも遊びに来てくれて構わない。また気が向いたらルチカと遊んだり、シルフィの話し相手になったりしてやってくれ」


「もちろんです。その時は……また一緒にお茶しましょう」


「ああ、時間があればね」


 心美が居候でなくなっても、レヴィン家を第二の家と思ってもらえたら。

 来訪はいつでも歓迎と皆に言ってもらえて、心美も認めてもらえてるようで嬉しくなってしまう。

 だが、いつまでもこうしていると、離れるのが惜しくなる。

 一時的とはいえ、別れは別れ。

 寂しいという感情が抑えられなくなる前に、去らなければいけない。


「では皆さん。また会いましょう」


 さよならは要らない。

 心美は軽く手を振って、いつも通り転移でふっと姿を消した。

 その時にほんの一滴。零れ落ちた雫が静かに地面を湿らせたのだった。

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