トリアングルム・エクスプレス(2)
女王陛下に漸くお目通り出来たのは、ウィザード・コロッセオに向かう馬車の中での事だった。本当は朝を迎えた時点で、意地でも部屋から出ない気でいたのだ。湖を渡った先で女王が待っているというので、これが最初で最後の直談判の機会になるなら逃せまいと考え直し、ルカと乗り込んだ。
三人を乗せた馬車が、ゆるりと走り出す。
「久しいな、リゲル、ルカ。そう硬くならずに、寛いで参ろうぞ。此度の師弟対決、余も楽しみにしておるのだ」
「……ユア・マジェスティ、一体どのようなお考えなのですか。このような決闘をお許しになるなど、信じられません」
ルカが両手をきつく握り、抗議とも取れる声色で女王に告げる。信じて、守り抜いてきた相手だ。オズワルドとリゲルが書類上の師弟であるのを面白がるかのような発言に、怒りよりも落胆と悲しみが深いのが、リゲルにも感じられる。
「案ずるなルカ。お主の考えているような結果には決してならぬ。余を信じよ」
「しかし、リゲルには所有の魔術具などありません。どうやって勝敗を決めるというのですか」
「それはな、リゲルが勝者の証として何を欲するかで、決まることであろうな」
「……? リゲルが、オズワルドに勝つと仰るのですか?」
「無論、そうであろうよ。オズワルドの強みは、機械を用いて他者の能力を応用出来る器用さにある。仕組みを解析して己の使用し易いものに組み変える、限りなく『革命者』に近しい『独創者』故に、正に彼奴は向かう所敵無しの魔術師であるな。しかしリゲル、お主ならば必ず勝てる」
「いや……そんな期待されても俺、魔術を使えませんけど……?」
「いいや、お主は使えるようになる。オズワルドがそうさせる。約束したのだ、あれを説得するのは、誠に骨が折れたぞ」
やり遂げたので褒めても良いのだぞとでも言いたげな、晴れやかな笑顔を向けられる。全く話が見えない。女王はオズワルドに、わざと負けるようにとでも約束させたのだろうか。
気付けば、湖はもう見えなかった。この辺りになるとヴァレリオスの街程ではないが、蒸気の上がる煙突がぐっと増えていく。あとどれ位で到着してしまうのだろう。王都のウィザード・コロッセオの位置を、リゲルは知らない。
「……では、客席を湧かせる良き戦いを頼むぞ。ルカと特別席で見ておるからな」
「えっ。もう着いたの⁈」
女王はオズワルドが王都にいた頃の思い出話を語っていたような気がするけれど、ぼんやりしてしまってあまり耳に入って来ていなかった。
これが、王都のウィザード・コロッセオ。なんと屋根がある。確かに円形ではあるようだが、言われなければそれと気付かない建物だ。
おまけに賭けの対象でもない決闘なのに、人が沢山いる。今日の決闘はもっと、ひっそりと行われるものだと思っていた。これでは余計に気分が重くなる。
「やあやあリゲル殿。この度は賭け事ではない伝統の決闘、魔術師の誇りを賭けた一試合ですな! このような決闘を目にする日が来ようとは! 私も感激しております」
「知り合いか。案内を付けておく、余は先に行っておるぞ」
馬車を降りた途端、大男に話しかけられた。女王はルカ達に笑いかけると、お供の中から案内役を二人だけ残し、他の護衛役を引き連れて先にコロッセオの中に入っていく。
「……クレイシオじゃん。何で王都にいるの」
「何故、と申されますかリゲル殿! あのオズワルドが弟子リゲル・ジョン・ドゥと対決するとの情報は、ヴァレリオスでも早馬の如く駆け巡りましてな。我が町の決闘を嗜む魔術師は皆、そのような弟子がいたとは初耳、これは見逃せまいと沸き立ち、我先へと王都を目指した次第なのです。いやあ、私もリゲル殿が魔術師だとは露知らず、まんまと騙されておりましたなぁ。魔術を知らぬ小間使いだと嘯くとはなんと心憎い」
「いやほんとに……ほんとに俺、お使いだけが仕事の小間使いなんだけど……」
「おや。どうも顔色が悪いようですが、もしや夕べは緊張で眠れなかったのでは? 初めての決闘でしょう、体調管理が上手く出来なくても致し方ありません。僭越ながら、宜しければこれを」
クレイシオはコートの内側から、折り畳み式の携帯物入れを取り出した。その中に収まっていた小さなガラス瓶のうちの一つ、殆ど無色透明な液体が入ったものを、リゲルに差し出してくる。
「何、これ?」
「睡眠不足を一時解消する魔法薬です。但し三時間後には抑えていた分の眠気が一気にやって来るので、お気をつけて」
「……ルカ。これ、決闘前に飲んでも違反とかじゃないよね?」
「当たり前だ、魔術を以て全力で戦うのが決闘だぞ。こんなのは下準備のうちだ。貰っておけ」
「そっか。ありがとうクレイシオ。俺、死なないように頑張るよ」
「はっはっは! オズワルド殿も師として手加減なさるでしょうから、心配は要りませんよ! ご健闘をお祈りします、それでは」
ここまで来たなら、決闘するしかないのか。女王もクレイシオも大丈夫だと言っている、オズワルドは手加減してくれるつもりなのかもしれない。
リゲルはクレイシオから受け取った魔法薬を、一気に喉に流し込む。甘くない。シュワシュワと口の中で弾けて、レモンをもっと酸っぱくしたような味がする。
「リゲル、俺も行く。ここからは一人で不安だろうが、頑張れよ。客席で応援してるからな」
「ルカ。俺、決闘が始まったら、何したらいいんだろう」
「オズワルドに任せろ。君のことは、あいつが一番良く知ってるんだから」
ぽん、と頭に手を置かれる。ルカにこうやって撫でられるのは初めてだ。口元では笑みを作っているけれど、不思議なことに、何だか困ったような顔をしている。
「俺は……とんでもない思い違いをしていたのかもしれない。頑張れリゲル。きっと君は自分が何者なのかを、今日これから知ることになるよ」
***
リゲル・ジョン・ドゥ。
すっかり自分で名付けたこの名前が板についたなぁ、などと思いながら、リゲルは控えの部屋でサインを走らせた。決闘の前には、取り決めの書かれた誓約書に連名でサインをするのがお決まりらしい。そういえばクレイシオとばったり会った薬と薬草の店でも、姿を消してオズワルドについて行ったあの森でも、二人はお互いのサインの筆跡の話をしていたっけ。
誓約書は、考えうる限りの不測の事態を承諾させるような内容だった。当然、決闘中の欠損及び死亡は訴訟事項にはあたらない、相手は刑罰に科されない、などという項目も存在する。
オズワルド・ミーティア。
さらさらと流れるようなサインをする横顔は、全くの無表情だ。オズワルドはその顔に、表情というものを乗せていない時の方が多い。そうでなければ呆れているか、偉そうに冷たい目で流し見るか。笑った顔を見たこともある筈なのに、何だか随分と昔のことみたいに思えてくる。
リゲルの強弱がはっきりした文字とは対称的に、オズワルドは全体的に細い線の、繊細な文字を書く。機械の小さな虫を作れる位なのだ、勿論手先は器用なのだろう。足癖は物凄く悪いことも、よく知っているけれど。
「女王陛下の名において、オズワルド・ミーティアとリゲル・ジョン・ドゥの決闘をここに認める。それでは、これより十分後に開始とする。双方準備が整い次第、決闘場へ入るように」
誓約書が掲げられて宣言が成されると、オズワルドはその足で決闘場の入口へ向かう。特にしておきたい準備も無いので、リゲルも距離を保ちつつ、その背中を追っていく。
下りた階の薄暗い通路を歩き始めると、やけに足音が響く。トンネルの中みたいに音が反響する中で、前を行くオズワルドが徐に振り向いた。
「よく逃げなかったな。もっとさ、王宮の奴らに連行されてくる感じかと思ってた」
「……やっぱり、逃げれば良かったのかな」
「いいんじゃない? 女王陛下の顔を潰したお坊ちゃん、って呼ばれたいなら好きにしろよ」
どの口で言うのだ、この魔術師は。こっちはルカから聞いて、女王からの誘いや呼び出しを再三無下にしていたのを知っているんだぞ。
オズワルドはリゲルから視線を逸らして、再び前へ向き直った。小走りに追いついてその隣に並ぶと、澄ました横顔を見上げる。
「ねえ! どうして俺に、決闘なんか申し込んだの?」
「根負けしたんだよ。連日ウィステリアからの電話がうるさくてさ。仕事にならないから言ってやったんだ、お前が俺と決闘するなら条件を呑んでやるって」
「条件って?」
「……入場口だ。こういうのは決闘を申し込んだ側か、もしくは格下の奴が先に場に出るのがマナーだけど。どうする?」
通路の先に見えていた明るい出口が、すぐそこに近づいていた。
「あ……? ええと、任せるよ」
「なら俺が先に出る。歓声が落ち着いた頃を見計らって来い」
「えっ、待ってよ条件って何!」
オズワルドが闘技場へ出た途端、満席のウィザード・コロッセオがわっと沸く。ヴァレリオスの決闘場とは違って完全に閉ざされた室内であるせいか、かなり歓声が大きく聞こえる。それを間近で耳にしたら、一気に緊張感が高まった。今すぐこの場から逃げたい。俺に決闘なんて出来る訳がないじゃないか。
客席へと視線を泳がせる。けれど女王もルカも、何処にいるのか見当がつかない。闘技場の中心付近まで歩み出たオズワルドは自分とは真逆で、まるで歓声が聞こえていないかのように冷静だ。大勢に見られていることも、期待されていることも、何もかもが自分とは関係ないとばかりにいつもの様子で立っている。
歓声が落ち着いても、リゲルは一歩を踏み出せなかった。足が震えている。何が大丈夫なもんか。決闘場に立つ前から、もう負けたも同然だ。
目を閉じる。何でもいい、落ち着ける場面を、勇気の出る言葉を、思い描こう。
リゲルは目を開くと、重い足を動かした。前へ、前へ。周囲の騒がしさへは耳を傾けず、顔を上げずに、決闘場の乾いた地面だけを見つめて、それだけを考える。
「……おい、少しは前見ろよ。距離を詰めすぎだ」
「あっ、ごめん!」
ぱっと顔を上げて正面を確認すれば、オズワルドと二メートルと離れていない所まで来ていた。
「別にこっちは構わないけど。大丈夫なの、戦う前から死にそうな顔して」
「分かんないけど、やれるだけ頑張ってみるよ。人間は、臨機応変に対応出来るから素晴らしいんだ。機械人形が、そう言ってた」
「……ふうん。やるじゃん」
オズワルドは、目を細めて笑ったように見えた。さっきからそんな気はしていたけど、リゲルへの態度は営業所にいた時と全然変わってない。ルカ曰く、オズワルドは相手に分かりやすいように説明しているというだけで、優しい接し方だと評されるらしい。ならばオズワルドは、リゲルに対してずっと優しかったんじゃないだろうか。これから決闘するのが嘘みたいだ。
決闘が始まる時はこれくらいの距離感だっただろうかと、うろ覚えの記憶を頼りに少し離れてみる。
決闘場は、屋根があるのに外と変わらないくらい明るい。天窓の部分までもが、光を通すガラスだからだ。高く遠い天井に巡らされた鉄骨が幾何学模様を生み出していて、建造物としての美しさがある。巨大な円形の温室みたいな造りだった。
決闘開始の合図は、ヴァレリオスでは鐘の音だった。ここでも同じだろうかと考えていれば、厳かに三度、一定の音程で鐘が鳴る。
リゲルは、オズワルドの手元に注目していた。覚えている。確かクレイシオとの決闘の時、オズワルドは杖を使っていた。そうでなければ、指を弾くのだ。
ドッ!と重い衝撃があった。
突然、何の前触れもなく、リゲルの体が吹き飛ばされる。叩きつけられた地面は大きく抉られていた。こういうの、何て言うんだっけ。衝撃波?
「条件反射で何か出来るのかと思ったけど、防御もまるで駄目だな」
「くそ……こんなん不意打ちじゃん! 何で指鳴らさないんだよ!」
「指? ああ、これか」
パチン、と軽く右手の指が弾かれる。その一瞬で、立ち上がったばかりのリゲルの体中に、幾つもの傷が生まれた。頬、耳、左腕、指先、腹、太腿。血が噴き出した部分が全部熱い──痛い。
「指を弾いたり杖を使ったりするのは、丁寧に術をかけて、手加減する時だけだ。お前相手の決闘に手加減なんてする訳ないだろ、莫迦なの?」
「……あ、ああ、嘘」
死ぬのは嫌だ。痛いのも嫌だ。決闘する魔術師なんて、みんな頭がおかしいんだ。
リゲルが青ざめて、一歩後退した時。バチン、と右腕に衝撃がはしって、ごとりと腕が落ちた。
「ああああああ⁈ 痛い⁈ いや痛くない⁈」
「義腕に痛覚がある訳ないだろ。これでも自分が誰なのか、まだ思い出せない?」
落ちた腕は、見れば確かに中身が機械だ。信じられない。俺の腕は、生身の腕だった筈なのに。
「ま……魔術で腕を、機械に変えたんだな⁈ これ、後でちゃんとくっ付くの⁈」
「全然思い出せてないじゃないか。しぶといな」
バチン、ともう一度さっきと同じ衝撃を受けて、ぐらりと体が傾く。思わず膝を折った。でも、そう出来たのは左足だけだ。右足の膝から下が千切れている。これもまた、切断面には金属の部品が覗いている。
「見事だろ? 人も機械も欺くように作れって、お前が言ったんだ。壊れても魔術を通せば元通りになるように、形状を記憶させて。お前の得意な
ゆるりと距離を縮めてくるオズワルドの右手に、虹色に輝く剣が現れる。ルカの幻の中で見た、オズワルドの魔術の色だ。
「あんまり一方的だから、客席が静まり返ってるな。つまらない決闘を長引かせるのも悪いから、もう終わりにする? 流石のお前も、心臓は生身のままだ」
リゲルの胸に、剣が向けられる。
怖い。死ぬのは嫌だ。痛いのも嫌だ。ここで終わるのは嫌だ。
切っ先がぐっと胸に食い込む。赤い色。血の匂いがする。波の音が聞こえる。潮風の匂いがする。
「受け入れろ。リゲルは死んだんだ」
「やめろ……やめろおぉぉぉ!」
「思い出せ。お前の呪いを解けるのは、お前だけだ」
「あああああ……!」
ぐり、と剣が捻られた。傷を抉られて感じる、胸の痛み。何てことをするのだ、この悪魔め。
辛いのは嫌なのだ。ならば、忘れてしまえばいい。
忘却の魔術は得意だ。弟子の小僧にもやり方を教えてやった、一部の古き魔術師のみが持つ能力だ。己にかけたことはまだ無いが、きっと忘れたい記憶を消すことが出来る。
そうして何度も何度も己に魔術をかけたのに、リゲルという名だけは、どうしても忘れられなかった。
ふさふさの黒い毛並みの、私と同じルビー色の瞳を持つ犬だった。気高く情の深い、私の相棒。私の魔力を分け与え、肉体の時を戻しながら、共に長い時を生きた。永遠に同じだけの時間を駆けていく筈だったのに、殺された。
リゲルはあの日、私の足元で死んだ。
「お……、おのれ……貴様、断りもなく儂の記憶を抉りおって……」
「俺は記憶には、直接手出ししてないぞ。義肢を切った分、自分でかけてた魔術が弱まったんだろ」
「弟子の分際でしゃしゃりおって! このマグヌスに歯向かうとは赦さぬぞ!」
「ウィステリアに言えよ。俺だって不条理の塊と再会したくなかった」
「王太女は悪くなかろうが! 男の癖に
胸に突き立てられている剣を振り払い、リゲルの体を捨てて、変化の術を解除する。
立てばオズワルドとそう変わらぬ目線の高さとなり、黒い革製のショートパンツに同じ素材のロング丈ブーツ、同色のコルセット、金刺繍の入った黒いマントという、馴染み深い装備も戻ってきた。魔力を通したことで引き戻された機械の足の調子を確かめるように大地を爪先で叩き、元通り繋がった右手で腰まである新雪の如く白い髪を搔き上げる。
時を操る独創者の魔術師マグヌス・ディアマンテは、れっきとした女性である。それも二百年以上も生きているのを感じさせない、長身の美女だ。
「この儂に小癪にも決闘を挑んだこと、後悔させてやる! さあ殺し合おうぞオズワルド!」
「……俺のこと悪魔とか言ってたけどさ。そっちこそ、久々に見ても魔王の出で立ちだよな」
先手はマグヌス。オズワルドが激しい火柱に包まれる。それを完璧に防御し、冷静に術を打ち消したオズワルドは、一気に距離を詰めて剣を振り、マグヌスの首を狙う。
マグヌスの魔力を込めた眼力で、虹色に光り輝く剣が砕け散る。ひらりとマントを翻して上空に高く飛んだマグヌスが、観客席との間にある目には見えない結界を蹴った。オズワルド目掛けて突進してくる、その手にあるのは真っ赤な槍だ。
そこで、突然の暗転。世界が夜の幻に包まれる。オズワルドは暗闇に紛れて槍の攻撃をかわした後、間髪を容れずに肉食獣に似た幻獣を放つ。
「何だよこれ、序盤とは打って変わって、すげぇ派手だな!」
「俺、オズワルドを応援しようかと思ってたけど、弟子の姉ちゃんに鞍替えするわ。いいねぇ強い美人!」
「でもあの姉ちゃん、オズワルドのこと弟子って言ってなかったか? マグヌスってのも、何処かで聞いたことあるような……?」
「やあやあ、力戦奮闘するオズワルド殿が見られるとは! これぞ魔術師の矜恃を賭けた戦い、歴史に残る決闘です! 眼福、眼福!」
二人の事情は分からないままでも、客席の熱気は上がりきっている。
凍結、落雷、熱風。毒のある棘の蔦、魔術で精製される武器の数々。見ている者に、およそ二人に出来ないことは無いと思わせる戦いだった。オズワルドは自作のガジェットを用いて他者の魔術を幾つも扱えたし、マグヌスは時を操ることで、過去この闘技場で使われた魔術を再現可能だ。魔術師の属性に捕われぬ、鮮やかな決闘。実力は互角で、決着はいつまでも着かないように思えた。
しかし、魔術師の魔力には限りがある。致命傷は上手く避けているが、防御も治癒魔術も徐々に精彩を欠き始めた今、全くの無傷とはいかない。双方に苦痛の表情が浮かび、息が上がる。
オズワルドの仕向けた赤いドラゴンが、広範囲に炎を吐く。瞬時に変化の術で翼を生やしたマグヌスが間一髪でそれを避けて、目前に迫った鋭い爪共々ドラゴンを爆破した。
既に互いの魔力は、無駄に出来ない状況にある。肩で息をしているオズワルドの姿は、一切の余裕のないものだ。マグヌスも着地すると翼を収めた。変化の状態を、長く維持することは出来ない。
「はあっ、貴様、よくもまあ、保つではないか……」
「はっ……砂糖を一瓶、流し込んで、きたからね」
「また、無理な底上げをしおって……! 体に悪いと昔、儂が注意してやったじゃろうが! こうなったら、肉弾戦じゃ!」
素手で殴りかかったマグヌスの拳をオズワルドが止める。背丈はマグヌスもかなり高い方なので、両手をがしりと組み合えば、その目線はオズワルドの鼻先の辺りになる。頭一つ分にも満たない身長差など、さして気にもならない差異だ。けれどもマグヌスは女。八年前より成長したオズワルドとの体格差は無視出来ない、力では押し負ける。
「この間手に入れた魔術銃に、黒い犬を崖で撃った痕跡が残っていた。リゲルを殺したあいつは、誰だ」
「隣国の者ではない、あれはッ! 第三国の卑怯なスパイ共じゃ……! どさくさに紛れて、我が国と隣国の魔術師を征伐しようと、潜り込んできおったのだ!」
「その卑怯者を始末した後、何故家に戻らなかった」
「何故……! 何故だと……! 儂の気持ちが貴様に分かるものか! リゲルは儂の相棒じゃ、あれだけが儂の家族じゃ! 卑怯者共を皆灰にしても、リゲルは戻って来ぬ! あれほど苦しい思いをしたことなど、貴様にはあるまい!」
「……無い、そうだな、俺には無い。忘れたいと思わなかったから、忘れられなくて苦しいなんて気持ちは、知らない。俺は、お前を装置にかけ終えたあの時、安心したんだ。リゲルの仇は、とっくにお前が取っていたと知って」
「何が……何が、安心じゃ! どうせ貴様は、儂を嗤っておるのだろう! 一匹の死に耐えられぬ、不甲斐ない師匠と思うておるのじゃ!」
強く押し返そうとするマグヌスの掌を、オズワルドが腕にぐっと力を込めて受け止める。
「思わないよ。リゲルを埋めたのは俺だ。無駄だと知りながら、墓地へ運ぶまでの間、亡骸に何度も魔力を与えた。黒い犬と我儘な師匠がいる場所が、あの頃の俺の家だったから。墓標に、綺麗な花飾りをかけてさ。もうお前と、こんな力比べの遊びも出来ないのかと思ったものだよ」
オズワルドの言葉に、マグヌスはほんの僅かにかける力を緩めた。
「貴様が、リゲルを……弔ったのか……?」
「よくある不幸は、なかなか堪えるものだと知った。俺はそんなものよりも、お前とリゲルの最期がどんなものだったのかを、知りたかった」
「オ、オズワルドよ……なにゆえ貴様は──」
理想の義肢を追い求めて、相当働かせたのだ。機械の魔術を得意とする小僧を弟子に取れるとはこれ幸いと、これではまだまだ、ここが扱いにくい、もっと見た目にも自然にならぬのか、などと文句を言って、幾つも義肢を作らせた。
独創者は本来、師を必要としない。戦時中故に仕方なく弟子となって、師匠の手伝いをしているものと思っていた。成人して独り立ちすれば、どのみち自分のもとを去るのだろうと。
しん、と客席の騒ぎが静まる。静寂が世界を支配した。オズワルドもその他の者も動きを止めているのに気付き、マグヌスはぱちぱちと赤い瞳を瞬かせる。
「お、おお……。弟子が柄にもなく素直なものだから、驚いて時を止めてしまったではないか」
がっちりと組まれている両手の指を一本ずつ丁寧に外し、客席の特別席を探す。
ウィステリア女王陛下は、穏やかな顔でこちらを見守ったまま静止していた。どんなに勝負が拮抗しても、オズワルドに勝ち目はない。最後には時を止められるマグヌスが勝つと、分かっている顔だ。
オズワルドに視線を戻すと、マグヌスは呟いた。
「……儂は、師匠らしきことなど何一つしていなかったからな。心配だから暫く安全な場所にいろとは、言えなかった。王太女、いや、女王陛下には、改めて八年前の礼を述べねばならぬな……」
──幾人もの魔術師を手にかけておきながら、なかなか尻尾を掴ませぬ強敵だった。魔術師集団の全員が総力を上げて捕縛しようと動き始めた時、ルカとオズワルドの師匠は二人の身を案じた。狙われる基準がはっきりしていないとはいえ、二人は次の世代を担う者の中で、飛び抜けて優秀だったからだ。
ルカの師匠も、正直に話せば逆に師匠を心配して弟子が追いかけてきてしまうと危惧し、暫く王宮に住み込むことになった真の理由を告げなかった。
ルカとオズワルドは王宮で護衛につくことで、ウィステリアと共に守られていたのだ。
「さて……何を貰って決闘を終わらせようかの。ほうほう、儂より爪の手入れをしおって気に入らぬわ、この指の一本でも貰い受けようか」
未だ全身を生身のまま保てているようだが、オズワルドなら指だろうと腕だろうと、上等な魔術義肢で補える。事実、オズワルドが作ったマグヌスの義肢は快適そのものだ。ジョン・ドゥとして生活していた期間は生身の腕と疑わず、ルカにかけられた検査でも義肢と見破れぬ程の出来だ。
体の部位やコートの裏側を検分して、勝利の証に奪うものを吟味する。オズワルドの瞳と目が合った。まあでも、どんなに見詰めようと文句は言われまい。束縛の魔術と違って、時を止める魔術は、静止している相手に意識が無いのだ。
緑色の瞳は、一般人でも魔術師でも珍しい。特にオズワルドの、宝石のペリドットの如く濁りのない薄緑は、目を見張るものがある。
「決めたぞ。儂はずっと、これが欲しかったのじゃ」
ゆっくり、そっと指をかけて、勝利の証とするものを抜き取った。装着してみれば少しサイズが大きいようにも思えたが、きっと自分にも、なかなか似合っているような気がするのだ。鏡が無くて残念だとマグヌスは思う。
三歩分ほど離れて、時の停止を解除した。オズワルドにしてみれば、体重と力をかけていた相手が瞬時に移動しているのだ。びくりと体の傾きを戻し、咄嗟に体勢を整えて、マグヌスを見る。
「遊びは終わりじゃ、オズワルド。この勝負、儂の勝ちじゃな!」
偉そうに仁王立ちして腕を組んでいるマグヌスの頭上には、戦利品として選んだオズワルドのゴーグルが乗っている。
様々なギミックが搭載された、オズワルドお手製のゴーグル。それは紛うことなき魔法具だ。決闘中に奪われれば無論、敗北を意味する。
決闘終了を告げる鐘が、厳かに三度鳴り響いた。
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