マスターシーン④ 紅理子と雪花

 自分で聞こうと決意してから、一週間以上がすぎていた。

 直接聞くしかないと想っても、中々踏ん切りがつかなかったのだ。


 だが、鐘太がいよいよ新作の執筆に取りかかったというのを聞いて、自分も動こうと思ったのだ。何せ、鐘太の〆切を少々強引に決めさせたのだ。その分、自分も頑張らないと、と無理矢理自分に発破をかけて、今日、動くことにしたのだ。


 『スペシャルな物語を、君へ』を何度も読み返して、情報を整理はした。核心を突くのではなく、どういう情報をどういう順番で確認するか? そんなことを考えていたのだ。


 ミステリは専門外だが、疑念について素人探偵の推理を披露するようなものだ。


 そうして紅理子は文芸部の活動が終わった後、一人で粛々と帰路を行く雪花に、声をかけていた。


「氷室パイセン、少し、お話しいいッスか?」


 その一言だけでも、ガラにもなく緊張していた。

 TRPGを通して小学生時代から色々な世代の人と会話する機会に恵まれていたので、紅理子は同年代の人間の中ではそれなりに物怖じせず話せる方だ。時には教師へハッキリものを言うこともある。


 それでも、緊張するのだ。


 鐘太と気軽に話しているので、普通に話せるように思ってしまうが、無表情の人間と会話するのは、得体が知れなくて怖いというのはあるのだ。


「あら、三田さんから声をかけてくるなんて、珍しいわね。何か話があるようだけれど、このタイミングということは、他の人に聞かれたくない話ということでよいかしら?」


 無感情にこちらの心を読んだように先回りした答えが返ってくると、やはり不気味ではある。

 それでも、


「はい。できれば二人っきりで話がしたいッス」


 なんとか、そう伝えることができた。


「わかったわ。それなら、いい店があるから。ついてきて」


 そうして、雪花は歩き出す。


 学校から駅とは逆方向に向かっている。そちらには、確か、寂れた商店街があったはずだ。雪花は、紅理子が思い浮かべた商店街へと入っていった。


 だが、途中で商店街を逸れて細い路地へと足を踏み入れる。

 少し歩いた先に、小さな看板が出た喫茶店があった。どう考えても、偶然では辿り着けないような、隠れ家ような場所だ。


 紅理子は初めて来る場所だが、なぜか、既視感があった。

 雪花は、その隠れ家のような喫茶店にさっさと入っていく。慌てて紅理子も店内へ入る。


 二人がけのテーブルが三つあるだけの、小さな店だった。

 民家のガレージをそのまま店舗にしたような雰囲気だ。


 カウンターなどはなく、居住部と繋がる引き戸の向こうでは老夫婦が卓袱台に座っていた。そこが店番のスペースのようだ。


「いらっしゃい。ああ、雪花ちゃん、久しぶりだね」

「あらあら、今日はお友達と一緒なの? 珍しいわね」


 老夫婦が雪花を温かく迎えていた。


「はい。部活の後輩です」


 キチンとした受け答えをするが、やはり表情は感じられない。

 それでも、この老夫婦は慣れているようで、ニコニコと応じていた。


「じゃぁ、好きなところに座って、ゆっくりしていってね」


 老婦人に促され、雪花は一番手前の、居住部からは一番遠い席に着く。紅理子はその正面に座った。


 テーブルにはメニューがあるのだが、書かれているのは『ブレンドコーヒー五百円』のみ。迷わなくて良さそうだ。


 が。


 メニューを見て、既視感の理由に気づいた。

 学校の近くの商店外から少し外れた場所にある、老夫婦が経営する、自宅を改装した喫茶店。

 ほとんど客は入らないが、趣味でやっている店なので気にしていない。

 メニューも独自のブレンドコーヒーのみ。

 ときどきふらりと現れる客や、わずかな常連がときおりやって来るだけの店。


 そんな店が、『スペシャルな物語を、君へ』には登場している。主人公がヒロインと落ち着いて話をしようと誘っていく描写が何回かあった店だ。


 記憶にある描写と、店の間取りは一致している。


「コーヒー二つ」


 雪花がさっさと注文を済ませると、老夫婦は奥に入っていった。恐らく、そちらにキッチンがあるのだろう。


「コーヒーが来たら、話しましょう」


 それだけ言って、沈黙が降りる。

 ほどなく。


「どうぞ」


 老婦人が運んできたコーヒーが二つ、雪花と紅理子の前に置かれる。


 白いソーサーとカップのセット。ミルクと砂糖の入った小さな一人用のポットが添えられている。伝票はメモの切れ端に『コーヒー 2』と手書きされただけのもの。すべて、描写と一致している。


「帰るときは、奥に声をかけてね」


 コーヒーを出すと、老夫婦は奥に引っこんでいった。ここも描写と一緒だ。

 店には、紅理子と雪花だけ。

 人に聞かれたくない話をするには絶好の場所だろう。


「それで、何の話かしら?」


 何も入れずにコーヒーを一口飲んで、雪花は切り出してきた。


 話す前に、こちらも一口味わっておこうと、無理せずミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを一口飲む。香ばしい風味とほのかな酸味がバランスよくミルクと砂糖と調和して、美味しかった。


 そこも描写通りだと確認したところで。


「気になることがあるんで、確認させて欲しいんスよ」


 単刀直入に切り出すことにした。


「答えられることなら答えるし、答えたくないことには答えない。それでいいなら、どうぞ」


 あまり好意的な言葉ではないが、断られてはいないのだから重畳というものだ。


「氷室パイセンの家族とか知りあいで、他に嵩都高校に通ってた人っているッスか?」


 唐突に聞こえるだろうが、ここは先に確認して起きたかった。


「母さんが卒業生よ」


 サラッと答えが帰ってきた。更には。


「とても楽しい高校生活だったようで、当時の行きつけの店には今でも出入りしているわ。ここもその一つ。わたしもよく連れてきてもらっているわよ。遊びに来たついでにお世話になった先生へ挨拶に伺ったりしてたから、子供の頃から何度もこの近辺や嵩都高校には縁があったわね」

「そうッスか。ありがとうござまス」


 一気に疑問が解消するレベルの答えが返ってきて、戸惑ってしまう。

 もしかして、用件が解っているのだろうか?


「どうしてそんなことを聞いてくるのか、詮索はしないけれど」


 表情のない瞳を黒いフレームの向こうに湛え、


「わたしも『紅理子ちゃん』って呼んでいいかしら?」


 脈絡なく、そんなことを言い出した。

 不意打ちで少々意味が解らないが、拒む理由もない。


「別にいいッスけど、どうして急に?」

「可愛い後輩とこうやって向かいあってお話ししていると、なんだか距離が縮まる気がしたのよ。だから、紅理子ちゃんと呼びたくなったの」


 感情が読めないが、嘘ではないだろう。


「それに、こうして紅理子ちゃんとこの店にいると、なんだか感慨深いものもあるのよね」


 思わせぶりすぎる発言だった。


「何が感慨深いんスか?」


 聞いてみるが。


「答えたくないから答えないわ」


 ということだ。

 いきなり核心に近い答えが返ってきたり、思わせぶりな発言があったり。

 考えていた搦め手は、迂遠に過ぎる気がしてきた。


 ここは、踏みこんでいこう。


「氷室パイセンは、『スペ「雪花パイセン」シャる」


 思い切ったのに、雪花に言葉を被せられた。


「えっと、氷室パイ「雪花パイセン」センは……」


 また、被せられた。

 どうやら、そう呼ばないと話が進まないようだ。


 そういえば、鐘太とも同じようなやり取りをしていたのを思い出す。どうにも、呼称にはこだわりがあるようだ。


「……雪花パイセンは、『スペシャルな物語を、君へ』という作品を知っていますか?」


 呼び方を変えることで、ようやく核心をつく質問をすることができた。


「知っているわ。自分の言葉を信じてもらえない絶望で筆を折った気高くも中二病に苛まれてやらかした作家の作品ね」

「えっと……」


 さきほどから、予想外の答えばかり返ってくる。

 間違ってはいないし、嘘もないだろう。


 期待する答えではないのだが、こういう風に答えられてしまうと、重ねて問いづらい。


「おおよそ、わたしの予想通りの用件だったみたいね」


 更には、そんなことを言う。

 どうやら、紅理子の用件に気づいているようだった。


「でも、明確に答える気はないわ」


 そう言い切られると、紅理子としてはもうお手上げだった。

 少し冷めたコーヒーを飲んで喉を潤す。

 雪花も、静かにコーヒーを飲んでいる。


 どうにも間が持たない。


 そう思っていると、


「わたしからも、紅理子ちゃんに質問があるのだけれど、いいかしら?」


 雪花の方からそんな風に切り出してきた。


 すべてではなくとも質問に答えてもらっている立場だ。恩着せがましく交換条件のように切り出さず、あくまで質問してもいいか問いかけてくれているところに、雪花なりの誠意を感じる。


「いいッスよ」


 紅理子は、素直に応じることにした。

「紅理子ちゃんは、鐘太のことをどう思っているの?」


 間髪入れず平板な声で発せられた質問は、ある意味、予想していたものだった。

 だからこそ、答えも決まっている。


「好きッスよ」


 嘘は言っていない。

 ただ、ついついラブコメ定番の勘違いを招く表現になってしまっていると気づき。


「LOVEではなく、LIKEッスけどね」


 とつけ加える。


「あたしは、鐘太パイセンの小説のファンッス。そういう意味での好きッスね」


 これが、素直な気持ちだ。でなければ『楽しい文芸部活動』には参加しづらい。


「本当に?」


 雪花は、紅理子の目を真っ直ぐ見て問うてくる。表情の読めない目だが、それでも、真剣な問いであることは伝わってくる。


 ならば、素直に答えるのみ。


「本当ッスよ」

「……」

 しばし、紅理子の目をじっと見つめた後。

 無表情なまま、大きく息を吐き出しながら、


「なら、よかったわ。いらぬ気は使わなくていいのね」


 そんなことを、雪花は言う。

 顔には出ていないが、なんだかものすごく安心したような印象を受ける。


 どういう気づかいを想定していたは想像がついたが、それを一々言葉にするのは無粋だろう。


 今のやりとりで、確信した。この人は表情がないだけで、ごく普通の女子高生だ。こういうのは、直接話さないと解らないものだ。


 本題ははぐらかされたが、雪花の為人を知ることができたのは大きな収穫だった。

 雪花は一口コーヒーを飲んで区切りをつけ。


「最後に、紅理子ちゃんにどうしても言っておきたいことがあるわ」


 そう前置いて。


「ありがとう」


 頭を下げた。もちろん、表情も何もない。


 形だけにしか見えない言葉だが、言葉だけでなく形も加えて伝えようとするということは、雪花が本当に感謝しているからなのだろうと感じられた。


 だが紅理子は、その感謝の意味が解らない。

 どう応じていいか戸惑うばかり。


「何に対する感謝か、今はわからなくていいわ」


 言いたいことを言って、話はここで終わりと打ち切られる覚悟をしたのだが。


「この話の続きは来週の金曜日にしましょう」


 雪花はそんなことを言い出した。


「その日、鐘太の小説の完成にあわせて、わたしも最後の弾幕を完成させると決めたのよ。鐘太には、その日に最後までクリアしてくれるように調整する」


 意味がわからなかった。


「意味がわからないって顔ね? そういう顔ができるのは羨ましいわ」


 まったく羨ましそうには聞こえないのだが、雪花は言葉で感情を表現するらしいのは『楽しい文芸部活動』に従事していれば周知の事実。本当に羨ましいと思っているのだろう。


「でも、わからないならわからないでいいのよ。その日になれば、わかるから」


 そう言われても、気になるものは気になった。


「どういう意味ッスか?」


 聞き返したのだが。


「ネタバレはしないわ」


 とだけ。何を考えているかはさっぱりだが、確かにこうなると、わからないでいい、と割り切らないとどうしようもなさそうだ。


 再び沈黙が降り、お互い残っていたコーヒーを飲み干す。

 これ以上は何も話してもらえない。これでこの場は終わり、だろう。


 席を立とうとしたところで。


「あ、ここはわたしが出すわよ、紅理子ちゃん」


 そう言って、雪花は伝票を手に引き戸の方へ向かおうとする。


「いえ、あたしの都合で寄ったんスからそれは悪いッス」

「いいのよ。そうやって後輩風を吹かせられては、こちらも先輩風を吹かせたくなるのよ」


 感情は見えない。それでも、言葉の内容から冗談というか軽口の類のように感じられた。


 どうして急に距離を近づけたのか?


 わからない。だけど、悪い気はしなかった。


 最初の不気味さは、もうない。

 表情がなくとも、言葉で伝わるものがある。


 雪花自身も、そこにこだわっているように感じる。


 まるで、過去に言葉が伝わらなくて失敗でもしたかのように、というのは穿ちすぎにも思えたが、そんなこともあるかもしれない。


「ではまた、部活動で。来週の金曜をお互い楽しみにしましょう」


 淡々とそう言いながら無表情に手を振って、雪花はさっさと駅への道を歩き始めた。


 紅理子も駅へ向かうので帰る方向は同じなのだが、どうにも追いついて一緒に帰るような流れではない。


「ぶらりと歩いてから帰るとするッスかね。ちょっとした聖地巡礼ッスよ」


 『スペシャルな物語を、君へ』に登場した場所をいくつか巡ってから、紅理子は家路についた。

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