第十九部「夜叉の囁き」第1話 (修正版)

    長い歴史でつむがれてきた

    それは、間違った歴史

    それは、悪魔の系譜けいふ

    そして、神と悪魔は、いつも背中合わせ





 長い時の果てに、再び季節が訪れた。

 そして、再び過ぎて行く。

 どんなことも、過去になっていった。

 時は戻らない。

 分かっているのに、それを認識することは残酷だ。

 もしかしたら、自分は逃げてきたのかもしれない。

 そう西沙せいさは感じていた。

 やっと、美由紀みゆきを墓地に納骨することが出来た。

 小さなお寺の隣の、静かな霊園。

 決して大きくはない。それでも落ち着いて眠れる場所だった。まるで、ここだけは時間がゆっくりと過ぎているのではないかと思えるほど。

 街を見下ろせる丘の上。

 周囲の木々からは緑の匂いがした。

 すでに季節は夏。

 夜の空気にも湿度が増え始めた頃。

 しかしこの日は日中でもそれほど蒸し暑くはなかった。

「ごめんね…………色々と手伝ってもらって…………」

 線香の煙が周囲の空気に絡まる中で、墓石の前でしゃがんで手を合わせた西沙せいさがそう言うと、すぐに返ってきたのは背後の萌江もえの声。

「……美由紀みゆきちゃんのことは、みんなが責任を背負ってるからね」

 それをすくい上げるのは咲恵さきえ

「そうね……他人事じゃないもの…………西沙せいさちゃんが一人で背負っちゃダメだよ」

 それに西沙せいさは背中で応える。

「……でも…………お金までみんなに出してもらって…………」

「確かに最近の墓地の金額には驚いたけど、出さない理由にはならないよ。日頃の西沙せいさちゃんへの感謝の気持ち…………もう家族なんだから」

 その咲恵さきえの言葉に、西沙せいさはすぐに返す。

「……変な家族だね…………」

 その西沙せいさを、後ろから抱きしめたのは萌江もえだった。

 驚いた西沙せいさの耳元に、萌江もえの柔らかい声が響く。

「……人生ってさ…………何が起こるかなんて……分からないよね」

萌江もえがそれを言わないでよ」

 西沙せいさはそう返しながら、笑顔で背後から自分を包む萌江もえの手を握る。

 萌江もえはいつでも未来を見ることが出来るわけではない。それはまるで、変えられない未来と不確定な未来の両方が同時に存在しているかのようだった。どちらなのかは萌江もえにもそれは分からないまま。ただ、見えた時には従う。従いたくない未来が見えないことをいつも祈った。

 そんな萌江もえだからこそ、その言葉には重みがあった。

 三人の会話を一番後ろで聞いていた杏奈あんなの目には微かに涙が浮かんでいた。

 その時その時で、多くのことを選んできた。そのいくつのことが正しかったのかと、やはり杏奈あんなの脳裏にも浮かぶことはある。後悔が無いなどとは言えない。

 しかし、今の杏奈あんなは何度も繰り返し思っていた。


 ──……今、こうしてここにいることは、間違いじゃない…………


 もちろん予想など出来ていたわけではない。よもやこんなオカルト的な人生を歩むとは想像出来るはずもなかった。そして、それが想像していたものとは大きく違うものであることも学んだ。

 それでもそれは誰にとっても同じこと。杏奈あんなに分かっているのは、それだけ。

「これからも忙しくなると思うけど…………」

 そう言って言葉を繋ぐのは咲恵さきえ

「──ここが…………みんなが集まる場所になるといいね…………」

 その咲恵さきえの言葉を萌江もえが拾った。

「でもその前に────」

 そう言いながら萌江もえが立ち上がって続ける。

「〝蛇の会〟の拠点も作らないと…………」

 蛇の会は元々西沙せいさ立坂たてさかが〝対清国会しんこくかい〟のために立ち上げた組織だった。そこに満田みつたが関わる形で協力し、今は萌江もえ咲恵さきえまでも巻き込んでいるにも関わらず、その実態に中核になる部分が無い。拠点を作る必要性は立坂たてさかから出されたのが最初だった。情報をそこに集中させることで動きやすくなると考えたからだ。満田みつた立坂たてさかが個別に情報を持ち続けることは情報の漏洩に繋がる可能性もある。現在は確かに組織としてのネットワークが不完全なことも事実だった。

 そして萌江もえの言葉に咲恵さきえが繋げる。

「協力者も必要になるかもしれない」

 しかし西沙せいさがすぐに返した。

「でも…………これ以上誰かを巻き込むのは怖いよ…………」

 振り返った西沙せいさの目には明らかに不安が浮かぶ。西沙せいさには美由紀みゆきを巻き込んでしまった自責じせきがあった。

 咲恵さきえもそれは常々感じている。しかし最近の立坂たてさかの事務所への内閣府からの接触が気になった。明らかに脅しと取れるその動きからは、清国会しんこくかい側の焦りも感じられる。事実、清国会しんこくかいの拠点となる神社のいくつかが、萌江もえたちの動きによって清国会しんこくかいに背を向ける結果になった。これ以上荒らされては困るというのが本音なのだろう。

「……能力者が欲しい…………」

 声のトーンを落とした咲恵さきえが続ける。

「みっちゃんと立坂たてさかさんは、私たちでも守るのには限界がある…………後になって後悔するのは…………西沙せいさちゃんだけじゃなくて、みんな嫌でしょ?」

「……それは…………そうだけど…………」

 小さく返す西沙せいさの声に、萌江もえが返した。

「もちろん焦っちゃダメ。神社を潰しただけじゃ駄目なのは西沙せいさも分かるでしょ?」

「うん…………そんな簡単なことじゃない…………」

 それは、そう応える西沙せいさにも当然のように分かっていること。

 清国会しんこくかいはそんな根の浅い組織ではない。遥か昔からこの国の歴史に深く関わってきた。場合によっては国の歴史をも動かしてきたことだろう。

 清国会しんこくかい相対あいたいするということは、国を敵に回すようなもの。

 誰もがその覚悟を持っていた。

 そして、咲恵さきえ西沙せいさ萌江もえを守るためなら命ですら賭けるだろう。

 だからこそ、次の萌江もえの言葉が二人に刺さった。

「……もう誰も犠牲にはしないよ…………あなたたちもね…………」





 決して大きな神社ではない。

 それでも、その歴史は長い。

 しかし、国の表の歴史にはほとんど存在しなかった。


 毘沙門天びしゃもんてん神社。


 その神社は現在では地図にも存在しない。

 清国会しんこくかいがその神社を取り込んだのは明治元年。政府から神仏分離令しんぶつぶんりれいが出された直後。

 毘沙門天びしゃもんてんとは夜叉やしゃを率いる神。悪鬼あっき、もしくは鬼神きしんと言われる夜叉やしゃを、清国会しんこくかいは求めた。

 武闘派と言われる由縁ゆえんでもあり、その為か、清国会しんこくかいの中ですら他の神社から恐れられる場所でもあった。それもあり、入れる人間は少ない。清国会しんこくかいの人間でも容赦無く〝夜叉やしゃ〟の攻撃を受ける。いつの間にか清国会しんこくかいでも操ることの出来ない存在となっていた。

 神社を古くからまもってきたのは鬼郷おにさと家。

 現在の当主は宮司でもある鬼郷佐平治おにさとさへいじ。五才下の妻の結妃ゆいひ巫女みことして佐平治さへいじを支えていた。

 長男で六才の小富司こふじと、長女の妃富司ひふじはまだ一才。子供たちの名前はいずれも幼名ようめいだった。鬼郷おにさと家は代々一五才で成人と見なされ、その時点で新たな名前を与えられる。

 そんな特殊なしきたりを持った鬼郷おにさと家では、雄滝おだき神社の滝川たきがわ家でも歓迎されたことはない。

 それでも御陵院ごりょういん家の人間は何度か許されていた。しかも人によるらしく、その一人がさきだった。認められた人間でなければ二つ目の鳥居を潜ることは出来ない。一つ目の鳥居から続く階段までだった。

 その日、本殿の中央に位置する祭壇の前に通されたさきを、佐平治さへいじ結妃ゆいひが出迎える。

 最初に口を開いたのは佐平治さへいじだった。

貴女あなた様がいらっしゃるとは…………お珍しいことですな」

 佐平治さへいじはまだ二八才。一つの神社を任せられるには一般的には若い。しかし通常の神社ではない。普通に参拝客が訪れるような神社ではなかった。本来なら誰に知られることもない、まるで密教のような場所。

「最近、色々と騒がしくなっておりまして…………」

 正座しながらも気持ち的に身構えていたさきが低く返した。

 御陵院ごりょういん神社は清国会しんこくかいの中では雄滝おだき神社に次いで二番手。通常、清国会しんこくかいのしきたりで雄滝おだき神社、御陵院ごりょういん神社の人間に向かい合って座れる人間はいなかった。

 しかし毘沙門天びしゃもんてん神社の鬼郷おにさと家は違った。

 通常では真後ろに座ることすら許されない。斜め後ろで頭を下げ続けるのが通例だった。にも関わらず、佐平治さへいじ結妃ゆいひさきの正面に臆さずに座っていた。

 毎度のこととさきも今更気にすることもない。

 その佐平治さへいじさきに応えた。

「そのようですな……御上おかみからも伺ってはおりました」

 御上おかみとは、毘沙門天びしゃもんてん神社に於いては内閣府のこと。定期的に情報の報告は受けているのだろう。

 その佐平治さへいじが続ける。

「しかし…………我々には関わりの無き事…………」

 そして、それに返すさきの言葉が僅かに強くなった。

「いえ…………我らがしたうべき金櫻かなざくら家からの阻礙そがいを受けております」

 すると、それまで黙っていた結妃ゆいひ佐平治さへいじの隣で口を開く。

「それは清国会しんこくかいにとってのお話かと…………」

 結妃ゆいひは二三才。その若さを感じさせないような妖艶ようえんな落ち着きを持ち合わせていた。

 さきが前回結妃ゆいひに会ったのは数年前。十代の終わり頃だったが、その頃よりもなまめかしさが増している印象を受けた。

 それに対し、さらにさきの声が大きくなった。

「こちらにも清国会しんこくかいの武闘派としての責務を果たして頂きたい」

 言いながら、しだいにさきの目が鋭くなっていく。

 しかし、結妃ゆいひは口元に嫌な笑みを浮かべ、ゆっくりと返していく。

「武闘派ですか…………しかしその武闘派ゆえに…………どなたも近付けないではありませんか…………清国会しんこくかいが何を求めようと、我らは自分達の身は自らで守ります」

 その結妃ゆいひの言葉にさきは次の言葉を探した。

 しかしそれが見付かるよりも早く口を開いたのは佐平治さへいじ

貴女あなた様は礼儀を重んじる御方おかただ。だからこそ招き入れただけのこと…………清国会しんこくかい天照大神あまてらすおおみかみを信仰されるのは自由ですが、我らにそれを強要されるいわれは御座いません」

 事実、清国会しんこくかいの中で唯一独自の信仰を持ち、だからこそ毘沙門天びしゃもんてん神社は独立をつらぬいてこれたとも言える。

「しかし…………矛先ほこさきがこちらに向いている様子が御座います」

 そう返すさきの声は、微かに小さくなっていた。

「なに、ここまで辿り着くのも難しかろうて」

 小さく笑みを含めた佐平治さへいじのその言葉に、さきは気持ちを押される。

「相手は天照大神あまてらすおおみかみ様とそれを守る者…………」

 そのさきの言葉を、佐平治さへいじは鼻で笑った。

滑稽こっけいな話だ。ここをまもる真の神を知らぬわけではあるまい」





「この間は久しぶりに職務質問を受けてな、まあ深夜だったが…………ナンバープレートの照合をしてから声をかけろと言ってやったよ」

 そう言って運転席の西浦幸人にしうらゆきとが口角を上げた。

 暗い車内。

 さらには隣のビルからの大きな影で黒い車そのものが隠されていた。周囲に同じように路上駐車された車は見当たらない。街中からは距離があった。海に近い工業地帯の幹線道路。夜となれば通る車も少ない。

「お前は子供がいるからな。この時間なら大丈夫か?」

 そう言う西浦にしうらは総合統括事務次官の一人。内閣府が発足してからの古参でもあった。すでに四八才だったが家庭は無い。一〇年ほど前に離婚を経験してからは独りだった。前妻が引き取った息子が一人。離婚してからは会っていない。本人に言わせれば、仕事柄一人のほうが楽だということらしい。事実、離婚後に誰か特定の女性と付き合う素振りは見せなかった。

「そうは言っても夜ですよ。短時間なら構いませんが…………」

 溜息混じりにそう応える助手席の大見坂雫おおみざかしずくも総合統括事務次官の一人。

 しずくは人差し指で下にズレていた眼鏡を上げた。

 元々は警視庁のエリート監察官の一人だったが、その霊感体質を理由に三〇才の時に内閣府に引き抜かれる。それから六年の歳月が経っていた。

 産まれは代々政治家の家系。大学の政経学部を卒業後に自らの意思で警察学校に通った変わった経歴を持つ。キャリア組として通う必要のない警察学校。しかししずくは少しでも現場の世界を知っておきたかった。

 クールな印象に見られることが多いが、幼い頃から厳しく育てられてきたせいか寂しがり屋な一面もあった。そしてそれは自ら自覚もしていた。それを隠すかのように他人に対しては強気に接することが多く、周りからは冷たくキツい性格に見られていた。そのためか男性からは敬遠されることが多い。

 警視庁に入ってから付き合った同じ警視庁内の職員との間に一〇才になる娘が一人。しかし相手には家庭があった。実家の反対を押し切ってシングルマザーになることを選んだために、それ以来実家とは疎遠になったまま。もちろんシングルマザーとして妊娠と出産をしたことは警視庁内でも噂の的となり、実務にまで影響を及ぼしていた。

 清国会しんこくかいから声がかかったのは、ちょうど警視庁に対して窮屈さを感じて悩みを募らせていた頃。同時に、理不尽な居心地の悪さを感じていた頃。

 総合統括事務次官になってからは、主に毘沙門天びしゃもんてん神社を担当していた。

 そんなしずくでも、神社の詳細については知らないことのほうが多い。それだけ毘沙門天びしゃもんてん神社は清国会しんこくかいの中でも特殊で謎の多い場所だった。

「最近の清国会しんこくかいがピリピリとしてるのは報告の通りだが────」

 その西浦にしうらの言葉をしずくが遮る。

「警戒は強めています。ただ、簡単に内部にまで入り込めるわけでは…………」

「相変わらずの言い方だな。確かに簡単に手の内を見せるような相手でもない…………まともな人間じゃないしな」


 ──……それを言うなら、私だって…………


 しずくは物心がついた頃からの霊感体質だった。そのせいで変な目で見られ続け、親友を失ったことさえある。

 総合統括事務次官の職員のほとんどは、いわゆる霊感体質と言われる人間が多かった。少なくとも直接担当の神社を受け持っている職員は能力者と決まっている。その七名は〝裏七福神〟と呼ばれた。職員の中で西浦にしうらのように、能力を持ち合わせていない者は少ない。

 そして西浦にしうらは時々皮肉めいた言葉を使った。本人的に悪意はない。周りの職員は口が悪いだけだと思うようになっていた。

 その西浦にしうらの言葉が続く。

御陵院ごりょういん家のスパイはまだ泳がせているが、重要拠点ばかりが狙われているのは事実だ。次はお前の所の可能性も高い」

 御陵院ごりょういん家のスパイ────御陵院ごりょういん家の税理士である立坂たてさかの事務所に内閣府が〝税務調査〟として立ち入ったのは少し前のこと。立坂たてさか西沙せいさと共に〝蛇の会〟を立ち上げていることはすでに内閣府も掴んでいた。しかしそれで立坂たてさかの身柄を押さえるつもりはない。脅しに過ぎなかった。

「分母が減れば必然的にパーセンテージは上がります。理系の人間でなくても分かることですよ」

 その冷ややかさに、西浦にしうらは一瞬だけ背中が冷たくなるのを感じた。

「まあ、何か動きがあれば報告を頼むよ」

 西浦にしうらはそう応えるのが精一杯だった。

「あそこは私でも管理し切れる所ではありません…………裏が見えないからです。立ち入ることですら難しい時もあります…………」

 僅かに緩むしずくの口調に、西浦にしうらは入り込む。

「お前は、そのための人間だろ? 裏七福神の一人として…………」





 化粧台の鏡の前に、西沙せいさは小さな骨壷を置いた。

 中には〝喉仏のどぼとけ〟だけ。

 首の第二頚椎けいついにあたる部分の骨。まるで座禅ざぜんをして両手を合わせている姿に見えることから〝喉仏のどぼとけ〟と呼ばれ、地域差もあるが仏教の世界では分骨されることもある部分だ。

 その喉仏のどぼとけだけを西沙せいさは手元に置くことを選んだ。


 ──……結局…………生きてる人間の自己満足なんだよね……………………


 最初から分かってはいた。

 それが宗教というもの。

 一神教と多神教の違いこそあれ、神道しんとうの中で生き、宗教と接し続けてきた西沙せいさに分からないはずがない。

 背後からの足音に振り返ると、そこに立っていたのは咲恵さきえだった。

「置き場所も考えないとね」

 咲恵さきえはそう言って西沙せいさの隣に膝を降ろした。その手にはおこうてとガラスのお猪口ちょこ

 その咲恵さきえが続ける。

「とりあえずお線香立ての代わりになるかなって思って…………萌江もえもお水あげて欲しいって…………」

 萌江もえ咲恵さきえも、死者をとむらうことの意味は西沙せいさと同様に分かっていた。

 それでも、不思議なほどにこういうことを大事にしたがる。だからこそ西沙せいさを受け入れたとも言える。

 宗教は人間が作ったもの。その認識は変わらない。それでもその必要性も意味も理解していた。

 二人は死者を粗末に扱うのを嫌った。

 だからこそ西沙せいさ萌江もえ咲恵さきえに着いてきた。

 咲恵さきえの言葉に微笑みながらも、西沙せいさの目に小さく涙が浮かぶ。

 咲恵さきえ西沙せいさの肩に手を置いただけで立ち上がった。

 そこにリビングの杏奈あんなの声が聞こえる。

萌江もえさん、竹の子ってそれ以外にもまだあるんですか?」

「あるある。食べ過ぎなきゃ来年の春まではいけるよ」

 その萌江もえの声に、リビングに戻りながらの咲恵さきえが返した。

「みんなで頑張ったもんねえ」

 家の裏は竹林。

 普段入ることはないが、そこも家の敷地の一部。そのため、春には竹の子採りが出来た。

 もちろん萌江もえが一人の頃は採れる量もたかがしれていた。自分の食べる分だけ。他に食べるとしても咲恵さきえだけだった。もちろん保存用の分もある程度は採取したが、そもそも一人では取れる量が限られる。思った以上に重労働だ。しかし今年は四人で一週間に分けて採り続けた。小さい物は残して次の日以降に回す。竹の子は一晩で大きく伸びるからだ。だからこそタイミングを逃すと旬まで逃す。

 茹でた竹の子の皮を剥き、すぐに食べる物以外は瓶に小分けして塩漬け。食べる時には塩抜きをする。

「皮付きの炭焼き美味しかったなあ」

 気持ちを切り替えたような西沙せいさの声がリビングに流れてくる。同時に西沙せいさはリビングのソファーに腰を降ろした。

 皮に切れ目を入れただけで七輪で炭焼きされた竹の子は旬でしか味わえない。縁側で七輪を囲んで四人で食べた日はほんの少し前のこと。それなのに西沙せいさにはなぜか懐かしくさえ感じられていた。

 ソファーで両腕を上げて背を伸ばした西沙せいさに、台所の萌江もえが返す。

「来年また食べれるよ。採るのは大変だけどね」

 それに応えるのは咲恵さきえ

「腰が痛くなるのよねえ。もう若くないし」

 そう言って咲恵さきえはコーヒーメーカーへ。マグカップにコーヒーを注ぐと西沙せいさに手渡した。

 その西沙せいさが返す。

「おばちゃん臭いこと言わないでよ…………でも楽しかったよ」

 その笑顔を杏奈あんなすくう。

「そうですね、しかも美味しいし。今日もやっぱりマヨネーズですよね」

 杏奈あんなは台所に足を向けた。

 萌江もえは納骨に出かける前に、竹の子の塩抜きをしていた。水を張ったボールに入れて何度か水を取り替える。再度茹でれば塩は抜けやすいが、茹ですぎると食感が変わる危険もあった。帰ってきてからすでに何度目かの水の交換を繰り返していた。そのためか、今夜の夕食はいつもより少し遅い。

「今日はどうする? ワサビマヨ? カラシマヨ? オリーブ醤油にマスタードもありだね」

 そう言いながら笑顔で調味料を出す萌江もえは、心底料理を楽しんでいた。しかも今は食べてくれる家族も増えた。

 萌江もえも、一人の時の寂しさを知っていた。

 それは咲恵さきえ西沙せいさ杏奈あんなも同じ。二人にとっては毎日がご馳走だった。もちろんそれは料理の質だけではないだろう。新しい家族で食卓を囲めることが幸せだった。

 普通の関係ではない。

 もちろん本当の家族でもない。

 しかし繋がっていた。

 誰かと一緒に飲むお酒も美味しかった。

 それでもそんな夕食を楽しんだ後は現実に戻される日々。

 それはいつも全員でお酒のツマミ以外の皿を片付けてから始まる。


 次のターゲットは〝毘沙門天びしゃもんてん神社〟。

 最初の頃は場所も踏まえて近場から選んでいたが、今回は萌江もえの判断だった。なぜ毘沙門天びしゃもんてん神社を選んだのかは萌江もえ自身にも分かっていない。


毘沙門天びしゃもんてんってそもそも、神とは言っても背後に〝夜叉やしゃ〟を従えてる存在なわけよね」

 ウィスキーのロックグラスを片手に、咲恵さきえがそう言って紙の資料を覗き込んだ。西沙せいさ立坂たてさかの作った〝蛇の会〟の清国会しんこくかいに関する最初の資料。四人にとっては重要な手掛かりの一つでもあった。

 すると萌江もえもロングネックの瓶ビールを片手に応える。

夜叉やしゃってことは〝鬼〟か…………穏やかな相手と考えないほうが良さそうだね。しかもあまりにも分からないことが多過ぎる」

「総合統括事務次官に担当がいることが分かってるだけなんて…………」

 そこに冷酒を飲みながらの西沙せいさ

立坂たてさかさんの話じゃ、他の清国会しんこくかいの人間ですら滅多に近付かないみたいだよ。しかもなぜか〝武闘派〟って呼ばれてるみたい…………」

 それに返すように萌江もえが呟く。

「武闘派かあ…………」

 武闘派という言葉をどう捉えたらいいのか、全員が戸惑った。清国会しんこくかいに所属している神社で物理的な武力とも思えない。

 すると咲恵さきえ杏奈あんなに顔を向けた。

杏奈あんなちゃん、やっぱり地図はダメ?」

 杏奈あんなもすぐに返す。

「ダメですね。どの地図サイトを見ても黒く塗り潰されてます。衛星の画像データ自体が修正されていると考えたほうがいいでしょうね。依頼をすれば要望には応えてくれるみたいですから珍しいわけではないですけど…………軍事施設とか…………」

 その杏奈あんなの言葉を拾ったのは萌江もえだった。

「でも神社で地図からの削除依頼なんて、理由が考えにくいな…………そう考えたら場所が分かっただけでも立坂たてさかさんは大したものだよ。そもそも神社庁に登録すらされていない神社なわけだし…………そもそもの情報源は何?」

 萌江もえはそう言って西沙せいさに顔を向ける。

 西沙せいさはすぐに返した。

清国会しんこくかいの人間…………小さな神社にいる人みたい…………でも、もうその人とも連絡が取れなくなったみたいでさ…………」

立坂たてさかさんの事務所に調査が入ったのはそこからだろうね…………しばらくは私たちだけで動くしかないか。それでいいよね」

 そう返した萌江もえが全員の目を確認してから続けた。

「それより前から思ってたんだけどさあ……総合統括事務次官って、なんの部署か全く分からない名前なのはどうしてかなあ?」

 その萌江もえは溜息混じり。

 すぐに返したのは咲恵さきえだった。

「元々公表されてる内閣府の組織図には存在しないし、他の内閣府の人間にも気付かれにくくしてるんでしょうね。長過ぎて読みにくいし」

 それを西沙せいさが拾う。

「だったら内閣府である必要も無いのに…………どうして内閣府の中にひっそりと置いてるんだろ…………」

「リクルートのしやすさ?」

 その咲恵さきえの言葉に、萌江もえがさらに疑問をぶつける。

「内閣府は政府の指示で動いてるようで、いざとなれば政府を動かすことの出来る組織だよ…………その内閣府を作ったのは、誰なんだろうね…………」

 そう言った萌江もえに、杏奈あんなが新しいビールを手渡した。





           「かなざくらの古屋敷」

      〜 第十九部「夜叉の囁き」第2話へつづく 〜

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