第十四部「憎悪の饗宴」第3話 (修正版)

 翌日。

 遅い時間の雑誌社の広い事務所内で、杏奈あんなは分厚いファイルに目を通していた。

 まもなく日付が変わろうとしていたが、もちろん常に誰かが常駐しているような職場だ。数は減ったとはいえ何箇所もデスクライトが灯され、もちろん何かあればすぐに動ける体制は整えているのが常。

 杏奈あんなむさぼるように調べているのは〝内閣府〟の資料。歴史が浅いにも関わらずその量は膨大だ。杏奈あんなも今まで特別関わったことはなかったが、改めて調べるとその広範囲に細分化された情報の量に驚いた。しかもブラックボックス的な部分も多い。現在のこの国の中枢になる部分だけに、その壁も厚かった。

 杏奈あんなは過去の資料の中に清国会しんこくかいの痕跡を探していた。

 もう一時間以上ソファーから腰を浮かせてはいない。テーブルにはそれこそ紙の束が山になったまま。簡単には崩せそうもない。

 さらにその隣に新しい書類の山が音を立てて現れ、その影から顔を出したのは編集長の岡崎おかざき

 その岡崎おかざきが疲れた溜息をいて口を開いた。

「まだあるぞ……綺麗にまとめてるわけじゃないんだからよ…………」

 杏奈あんなは資料に視線を落としたまま忙しなく返す。

「早くデジタル化すれば検索も楽になるって前から言ってるじゃないですか。この業界はアナログ過ぎるんですよ」

「ウチの会社が、だけどな。なんだか若い奴らが頑張ってるようだけどよ……内閣府関係の報道資料なんて人気ないから後回しなんだろ」

 岡崎おかざき杏奈あんなの向かいのソファーに腰を降ろすと、指に挟んでいた煙草を深く吸い込み、その煙を大きく天井に向けて吐き出した。そして手に持った灰皿に押し付ける。

 杏奈あんなは相変わらず顔を上げずに言葉を吐き出す。

「今時タバコの吸える会社って時点でやっぱりアナログですよ」

「煙草までデジタルの時代だってんだろ? 世も末だぜ。俺はハンフリー・ボガートがカサブランカで煙草を吸わなくなるまで電子タバコなんていらねえよ。最近はなんでもCGだのなんだのって……いつからこの国は英語の国になったんだ」

 しかし杏奈あんなは応えない。

 次の煙草に表面のかすれた古いジッポで火をつけた岡崎おかざきが続ける。

「こんな時間まで付き合ってやってるんだから年寄りの愚痴ぐらい付き合えよ」

「遠慮します。ま、父もヘビースモーカーでしたけど」

「そういやそうだったな…………あいつに最後に会った時に、このジッポもらってな…………不思議なもんだよ…………ああ、そういや…………」

 岡崎おかざきはそう言うと、体を反り返らせて背後の机に手を伸ばした。

 メモ用紙を何枚か手に、その中から目的の一枚を見付けて続ける。

「ああ、これだこれだ…………これ、お前の知り合いじゃなかったか?」

 そしてそのメモを、杏奈あんなが目を落としていた書類の上に滑らした。

 そのメモの上の名前に、杏奈あんなの手が止まる。

 岡崎おかざきが続けた。

「ウチの記者が昨日の夜中にたまたま現場に居合わせてな。パトカーが何台か集まってたらしいんだが…………知り合いの警官がいたから少しは情報もらえたらしいが、今日になっても警察からの発表が無い……殺人事件ってとこまでは分かってるんだが……なんだか嫌な予感がしてな…………だからウチの新聞のほうでもまだ載せていないネタだ」


 〝佐々岡亮一ささおかりょういち


 杏奈あんなが知らないわけがない。

 それは昨日電話で話した相手。

 背中に冷たいものが走った。

 思考が止まった杏奈あんなの耳に、岡崎おかざきの言葉が届く。

「県警の人間だって所までは聞いたらしい。だとしたら発表があってもいいと思うが…………その名前……確かお前の知り合いじゃなかったかと思ってな」

「いえ…………違います…………」

 そう応えた杏奈あんなは、決して気持ちを隠せてはいなかった。

 元々若い頃は現場を走り回っていた岡崎おかざきがその声の変化に気が付かないわけがない。

水月みづき…………お前なにかまずいネタに手を出してるわけじゃないよな…………」

「────まさか……」

「この業界にいる人間だったら内閣府の黒い噂ぐらい聞いたことはあるもんだぜ…………」

 それはもちろん杏奈あんなも同じだった。

 杏奈あんなはこの日、朝から忙しく動いていた。

 スマートフォンの電話番号を変更し、その足で市役所へ。満田みつた立坂たてさかの協力で母親の同意を偽装して、戸籍上の縁を切った。

 夜のうちにアパートの必要な荷物をまとめた。廃品業者に家電製品やベッドなどの大きな物を引き取ってもらい、そのままアパートを引き払う。お金は掛かったが、杏奈あんなに迷いはなかった。

 そして少ない荷物を車に乗せたまま、夕方からこの雑誌社にこもり続ける。

 岡崎おかざきの言葉が頭に刺さった。

「急に携帯の番号まで変えて…………何もないと思うほうが不自然だ」

「……一応番号教えましたけど…………しばらく仕事は受けられそうもありません…………」

 そう応える杏奈あんなの姿に、不思議と岡崎おかざきは問い詰めることをやめた。

 杏奈あんなの覚悟を感じたからだ。同じジャーナリストとして、例えそれが自分の理想通りではなかったとしても、むしろだからこそ、杏奈あんなの気持ちが分からないわけではない。

 岡崎おかざきは書類の山の上に手を置いて返した。

「全部目を通すのは朝までかかるぞ。俺は隣の部屋で寝てるから…………何かあったらいつでも起こせ」

 岡崎おかざきは立ち上がりながら煙草を灰皿で揉み消すと、ジャケットのポケットから取り出した缶コーヒーを杏奈あんなの目の前に置いて離れていく。

 杏奈あんなは改めてメモに視線を移した。


 ──……何かを信じたって…………

 ──…………誰もが幸せになれるわけじゃない…………


 ──……あなたはどうだった? …………亮一りょういち……………………





 清国会しんこくかいに関連のありそうなページは総て撮影した。

 そのまま萌江もえのアドレスに写真のデータを送る。

 朝日の差し込む雑誌社のソファーで二時間ほど仮眠を取っただけで、杏奈あんな萌江もえの家へ車を走らせた。車の一番後ろには大きなボストンバッグが一つと小ぶりな段ボールが二つ。その他にはアウトドア用の道具が元々乗せてあるだけ。決してアウトドアが趣味なわけではない。取材でどこにいくことになるか分からない生活をしているからだ。

 杏奈あんなは自分の持ち物がこれだけなのかと思い、不思議と笑みが浮かんだ。

 元々収集癖があるほうでもなく、私物は少ない。


 ──……残ったものはこれだけか…………


 萌江もえの家には昼前には到着しそうだった。

 出発予定は昼過ぎ。


 ──……少し仮眠とらせてもらおうかな…………


 いつもの駐車場で咲恵さきえの車の隣に停車すると、すぐに咲恵さきえの声が庭からかかる。

「お疲れさま」

 その柔らかい笑顔に、杏奈あんなの気持ちがゆるむ。

 そして車のドアを開けたまま、意識を失っていた。


 目を覚ましたのは数時間後。

 すでに夕方。

 寝室の隣の部屋で杏奈あんなは目を覚ました。

 その部屋は寝室をリフォームしてフローリングにした時点で一緒にフローリングにしていた部屋。元々は荷物置き場のように使っていたが、その部屋は最近になって荷物を動かして開けたばかり。

 そして杏奈あんなに架けられている布団は明らかに干したての柔らかさ。

 部屋がすでに薄暗くなっていたためか、開け放されたふすまのあった場所に見えるのは、ソファーに座った萌江もえ咲恵さきえ

 呆然と上半身を起こした杏奈あんな咲恵さきえが気が付き、顔を向けた。

「もう大丈夫?」

 その声に、咲恵さきえの隣の萌江もえが明るく顔を回す。

「よし、ご飯にするか」

 そう言って立ち上がると、萌江もえはキッチンに歩く。

 咲恵さきえが再び声を掛けた。

「荷物は降ろしておいたよ」

 杏奈あんなが横を見ると、部屋の隅に段ボール二つとボストンバッグ。その側にはいつものカメラバッグ。

 杏奈あんなはゆっくりと立ち上がりリビングへ。

「……あの……私…………」

 返すのは咲恵さきえ

「疲れてたのね…………頑張りすぎちゃったかな…………」

「…………あ……の……………………」

 なぜか、色々な感情が溢れた。

 自然に、それは涙となってこぼれ落ちていく。

 杏奈あんなが膝から崩れ落ちた。

 それを咲恵さきえが支える。

 杏奈あんなの嗚咽が空気を震わせた。


 ──……大人になって……こんなに泣いたことない…………


 まるで叫ぶかのように、大声を上げて杏奈あんなは泣き続けた。

 その体を、咲恵さきえが強く抱きしめる。

 杏奈あんなの耳元で、その咲恵さきえの声がした。

「何も言わなくていいよ…………分かってるから…………あなたには感謝しかない……私も萌江もえも…………西沙ちゃんだって…………一生かけて償わせて…………」

 杏奈あんなが一日をかけて何をしていたか、もちろん咲恵さきえにはその総てが見えた。そしてそれは萌江もえにも伝えていた。

 そして、二人で出した結論があった。

 少し落ち着いた杏奈あんなの耳に、キッチンの萌江もえの声。

「ここにおいでよ。咲恵さきえもいるけどさ…………三人のほうが賑やかだし…………」


 ──……私には…………何もなかったのに…………


 出発は翌日に変更された。





 時間はまだ朝。

 三人が杏奈あんなの車に乗り込んだのは九時を回った頃。

 咲恵さきえのスマートフォンが鳴った。

 画面には〝満田みつた〟の文字。

 車が動き始めると同時に、咲恵さきえは軽く溜息混じりに指をスライドさせた。

「久しぶり…………ごめんね、みっちゃん…………しばらく依頼は受けられそうになくて…………え?」

 その咲恵さきえの反応に、杏奈あんなは反射的に車を停める。

 咲恵さきえの声が続く。

「──どういうこと? そこなら分かるけど…………だって…………」

 その時、状況を理解した萌江もえが小さく呟く。

「いいよ。行き先を変更しよう」

 咲恵さきえ萌江もえの横顔に目をやり、その瞳を見てから、無意識に自らの目付きを変えて口を開いた。

「分かった。ここからなら三時間くらいはかかるよ…………うん…………分かった……」

 そして通話を切る。

「えっと…………」

 そう言い掛けた咲恵さきえを、萌江もえが遮った。

「大丈夫……状況は分かった。とりあえず、そこに行かなきゃ話が進まないみたいだね。問題は無いよ。総てのことには必ず〝意味〟がある…………」


 三人が指定された場所は山奥。

 その地元では有名な鉱山跡地。

 広大な敷地の中に、廃墟と化した建物が並ぶエリア。

 そのほとんどは居住のためだったビルだ。一つの都市のような機能がそこには存在していたという。映画館や学校、病院までもがあり、もちろんここで産まれた人間も多いだろう。

 その外れに、二階建ての大きな建物があった。

 建物としては大きいが、高さは二階まで。頃合いのいい心霊スポットとしても有名な場所だ。

 三人が到着した時はちょうどお昼時。

 雑草だらけの元駐車場に満田みつたの車を見付け、杏奈あんなはそのすぐ隣に車を停めた。

 車を降りて最初に口を開いたのは、満田みつたの車を見ながらの萌江もえ

「あの山道をこのアウディーで? ご苦労さんだねえ」

 建物は外壁のコンクリートのほとんどが剥き出しだった。窓のガラスもほとんどが残っていないように見える。

 その入口はドアすら外されたまま。あちこちに僅かに残された文字から、辛うじてここが図書館だったことだけが分かった。正面から少し進むと、大きな階段が見えてくる。三人は電話の指示通りに二階に上がった。

 広いホール状になっていた。おそらくかつてはここに大量の本棚が並んでいたのだろう。取り残された本棚らしき残骸がいくつか見える。

 そしてその中央に、満田みつたが待っていた。その隣には立坂たてさかの姿。元々先輩と後輩の仲とは聞いていたが、二人が揃うのを見たのは萌江もえ咲恵さきえにとっては初めてのこと。むしろ杏奈あんなのほうが二人とは関係が深い。満田みつたとは咲恵さきえの店で。立坂たてさかとは西沙せいさの絡みで。

 近付きながら萌江もえが声を上げる。

「みっちゃんからこんな所に呼び出しなんて珍しいじゃない。よっぽど大きな仕事?」

 もちろんそれが仕事でないことは萌江もえも分かっていた。

 そして満田みつたが応える。

「ああ……今までで一番デカいよ…………」

「にしても、こんな場所で?」

「ここなら見付からないだろうと思ってね。ここは世間に忘れ去られた場所だよ…………バブルの名残りとも違う…………歴史に放り出されたような場所だ。悪の組織がたむろするには丁度いい所だろ?」

「相変わらず悪い人だよ。正義ヅラするような人より好きだけど」

 そう言って萌江もえが笑みを浮かべると、満田みつたの表情も幾分和らいだ。

 すると、満田みつたの隣の立坂たてさかに顔を向けた咲恵さきえが口を開く。

立坂たてさかさんも、お久しぶりです…………西沙せいさちゃんのことでは…………」

 すると、立坂たてさかは少しはにかんだような笑みを浮かべて返した。

「いえ、なに…………そのことなんですけどね…………」

 その言葉に食いついたのは杏奈あんな

「何か情報でもあるんですか⁉︎ 教えてください」

 〝私をさがして〟という西沙せいさからのメッセージの意味が分からないままに、杏奈あんなは気持ちの焦りを抑えられずにいた。明らかに感情の乱れが感じ取れる声。

 それを抑えるためか、満田みつたはゆっくりと声のトーンを落とす。

「まあ……焦らずに聞いてほしい。とりあえずは我々の話からだろうね」

 そして、満田みつたが話し始めた。





 立坂たてさかが税理士として御陵院ごりょういん神社に入ったのは、西沙せいさがまだ高校に入ったばかりの頃。

 御陵院ごりょういん神社に税理士が入ったのは立坂たてさかで三人目だった。通常通りに前任の税理士から仕事を引き継ぐ。最初に立坂たてさかは過去の帳簿に目を通すことから始めたが、すぐにさきに疑問をぶつける。

 立坂たてさかの事務所に顔を出していたさきを奥の部屋に通し、立坂たてさかが口を開いた。

「毎年、他の神社に贈られているお金がありますね…………この〝御見舞い金〟というのは…………」

 するとさきは顔色ひとつ変えずに返す。

立坂たてさかさんは……神社仏閣は初めてでいらっしゃいましたね」

「ええ」

「恐らくは特殊な世界なのでしょう……私たちの世界はこの国の歴史と表裏一体です…………総ての神社には繋がりがあるのですよ……ですから現在は神社庁というものが存在しています。税金の面でも他の企業様とは相違があるようですが…………」

「はあ……まあ、それはそうなんですが…………しかしこの金額の大きさは……このままでは使途不明金と同じです…………」

 立坂たてさかとしても今回初めて神社を取引先とすることで、改めて古い書籍を何冊か読み漁っていた。確かに特殊な世界だ。一般的な企業とは大きく違う。

「今までの方々は〝特殊なやり方〟があるとおっしゃっていましたが…………」

 そのさきの言葉に、立坂たてさかの目付きが変わる。

 そしてそれは、さきに対しての見方を変えた最初の瞬間だった。


 ──……裏帳簿か…………


 同じ頃、高校に入ったばかりの西沙せいささきに祭壇へと呼び出されていた。

 夜。

 すでに遅い時間だった。

 家では基本的に西沙せいさ巫女みこ服だったが、それは修行の為。学業以外は基本的に修行の時間に当てられていた。プライベートな時間はほとんど存在しない。

 それでもその夜の務めはすでに終わり、西沙せいさも私服に着替えたばかり。相変わらずの派手な服装にさきも眉を細めた。

「相変わらず派手ですね…………まあ構いませんが…………」

 二人の姉は西沙せいさに言わせると地味な印象だった。というより西沙せいさだけがなぜか派手なものを好んだのも事実。さきも不思議だったが、決して巫女みこの修行に影響が出ているわけではないこともあり、それを個性としか見ていなかった。

「今夜はあなたに、大事な話をしなければなりません…………」

 さきはそう切り出すと、向かいに正座する西沙せいさに向かって語り始めた。

「我が御陵院ごりょういん家に伝えられる大事な役割についてです…………これは天照大神あまてらすおおみかみ様からの使命と心得なさい。我らはもとを陰ながら支えてきた〝清国会しんこくかい〟…………その中にあっても、我ら御陵院ごりょういん家は中核を成す存在です」

 そして雄滝おだき神社の滝川たきがわ家の真実。

 水晶の伝承。

 金櫻かなざくら家と唯独ただひと神社。

 しかしそれらを聞いても、西沙せいさは顔色ひとつ変えない。

 それでもさきが続ける。

「もちろんこのことは口外は許されません。すでにあなたの姉の綾芽あやめ涼沙りょうさにも伝えていること…………しかし西沙せいさ……あなたには特別なことを伝えなくてはなりません…………あなたは普通の〝御子おこ〟ではありません…………あなたはイザナギとイザナミの御子おこ────〝蛭子ひるこ〟の産まれ代わり…………これはあなたが産まれる前から決まっていたこと…………〝運命さだめ〟です」

 しかし、西沙せいさに驚いた反応はない。

 そればかりか、自分の目を黙って見つめる西沙せいさの目から、さきは目を離せなくなっていた。

 西沙せいさからこんな感覚を感じたのは初めてのこと。

 僅かながら、さき西沙せいさに〝恐怖〟を感じていた。

 西沙せいさの口角が僅かに上がる。

 そしてその口が小さく開いた。

「…………私は…………お母さんの子じゃないの?」

 それに、さきはすぐには返さない。


 ──…………私は……………………あなたの…………


「そうです…………あなたは…………この国の歴史を動かす運命の御子おこ…………」

「そう…………あまり興味ないけど…………勝手にやってよ」

 西沙せいさはそれだけ言うと、立ち上がって祭壇を後にする。

 なぜか、さきは取り残された気持ちだった。

 何かが胸の中にこびりつく。


 ──…………なんだ…………このザワつきはなんだ…………


 それから数ヶ月の間、立坂たてさか御陵院ごりょういん神社のことを調べ続けていた。

 季節はすでに秋。

 清国会しんこくかいの存在に辿り着くのは決して難しいことではなかった。もっとも、戦時中の資料まで漁ったのは事実。まるで都市伝説だった。もしくは古いB級映画か。

 しかしその資料の数々が表すのは、国を裏で支えてきた神道しんとうのいわば秘密結社。

 最初は立坂たてさかも信じられなかった。

 どう考えても子供じみて見えた。

 そして、清国会しんこくかいのことを調べているのは立坂たてさかだけではなかった。

立坂たてさかさんでしょ? 初めまして。御陵院ごりょういん家三女の西沙せいさです」

 気さくに話しかけてきた西沙せいさに、立坂たてさかも初めは何の警戒心も抱いてはいなかった。しかし突然事務所に訪れたことには驚いていた。立坂たてさかはただの税理士。高校生に興味がある世界とも思えない。

 応接室に通された西沙せいさは、すぐに口を開いた。

「少し確認したいことがありまして…………」


 ──……随分と大人びた言い回しをする子だな…………


 立坂たてさかの最初の印象だった。

 その西沙せいさが続ける。

清国会しんこくかいを調べてるのって、立坂たてさかさんですよね」

 後になってみると回りくどい言い回しをしない西沙せいさらしい直球だったが、さすがにこの時の立坂たてさかは驚いた。と同時に、向かいのソファーに座ったまま、身構えた。


 ──…………バレたか…………


 しかし、次の西沙せいさの言葉に立坂たてさか梯子はしごを外される。

「私も調べてるんですよ。色々と…………立坂たてさかさんの痕跡があったもので誰かと思って調べたらウチに出入りしてる人だったので来ちゃいました」

「調べてる…………?」

 そう言って僅かに身を乗り出した立坂たてさかに、西沙せいさが続けた。

立坂たてさかさん…………あちこちに手を伸ばして清国会しんこくかいに辿り着いたってことは、神社の帳簿に気になる部分があったからでしょ? 立坂たてさかさんが清国会しんこくかいの側だったらそんなことするはずがない。どうせ母に〝上手くやってくれ〟とでも言われたんでしょうけど…………私も母から清国会しんこくかいのことは聞きました…………でも正直胡散臭うさんくさくて」

 西沙せいさはなぜか笑顔だった。

 その笑顔にどう返していいか分からないままの立坂たてさかに、なおも西沙せいさが続ける。

「私は清国会しんこくかいを信じていません。まともな組織とは思えないからです。神社に産まれた娘がこんなこと言うとおかしく思うかもしれませんけど…………神様なんて会ったこともないし、古事記とか天照あまてらすとか言われても、それがリアルとは思えませんよ」

「まあ…………ええ…………」

「ですので……私は清国会しんこくかいを潰します」

 そこには変わらない西沙せいさの笑顔があった。

 西沙せいささきから伝え聞いた〝口外してはいけない話〟を、この時に立坂たてさかは総て聞くことになる。

 なぜ西沙せいさがそこまでするのか、この時の立坂たてさかには分からなかった。

 そして二人は清国会しんこくかいのことをさらに調べ続けた。

 御陵院ごりょういん神社の経理を誤魔化しながら。

 もしかしたら立坂たてさかは、西沙せいさに魅入られていたのかもしれない。立坂たてさか自身も感じる時がある。それでもいつの間にか、西沙せいさがしようとしていることが間違っているとは思えないと考えるようになっていた。

 しかしこうも思う。


 ──……色々な意味で、犯罪だけどな…………


 あくまで裏の活動。決してスピード感のある動きではなかったが、少しずつ清国会しんこくかいの実態が分かってきた。

 西沙せいさ美由紀みゆきに出会ったのはそんな頃だった。

 西沙せいさから見た美由紀みゆきは、特別な存在に見えていた。オーラなどという安っぽい表現ではない。しかし西沙せいさは遠くからでもそれを感じていた。

 美由紀みゆきの力は間違いなく自分と同等かそれ以上。

 しかし本人に自覚はない。

 目覚めてもいない。

 西沙せいさはしばらく声を掛けるようなことはしなかった。例え強い力を持っていたとしても、本人が自覚していないなら触れないほうがいいと思っていた。そのまま一生を終えられるならそのほうが幸せなのかもしれない。西沙せいさはそうも考えた。

 そして、ただ遠くから見守り続ける。

 しかし、やがてさきに見付かる。

 同級生と揉め事を起こした西沙せいさのために学校に呼び出されたさきは、生徒指導室でも当然のように説教を始めた。

「高校に入ってもこれでは…………私も暇な身ではないのですよ」

 そう言いながらも、こういう時は必ずさきが出向いた。それはさき西沙せいさの能力の〝質〟を理解していたからに他ならない。

 人を惑わせる〝幻惑げんわく〟。何の能力も持ち合わせていない父親では、西沙せいさに丸め込まれることが容易に想像出来た。

 教師になだめられる形で学校を後にしようとした時だった。

西沙せいさ……私はこの学校には初めて来ましたが…………どうやら能力者がいるようですね…………」


 ──…………マズい…………


 西沙せいさは反射的に思っていた。

 綾芽あやめ涼沙りょうさのものと間違うわけがない。

 それは、この学校で一番の能力者の力にさきが気付いたということ。

 そしてその西沙せいさの焦りも、さきに気付かれる。

 さきはそれまでとは違う柔らかい笑顔を西沙せいさに向けて続けた。

西沙せいさ…………一度、神社まで連れて来なさい」

 このままでは、いつかさき美由紀みゆきに直接接触しないとも限らない。

 西沙せいさは危険を感じながらも美由紀みゆきに近付き、そして美由紀みゆきを守り続けた。


 ──……絶対に…………清国会しんこくかいには利用させない…………


 やがて高校卒業間近、西沙せいさの力が大きなトラブルを起こす。

 そんな時、二人の姉からも神社からの西沙せいさの排除を提案されて困っていたさきに、自分を利用することを提案したのは立坂たてさかだった。

「私が身元引受人になりましょう…………西沙せいささんの居場所は私のほうで作ります…………いずれは普通に就職ともいかないでしょうから…………」

 やがて立坂たてさかの名義でアパートを契約し、やがて作られた心霊相談所に美由紀みゆきが就職することで、結果的に西沙せいさだけではなく立坂たてさか美由紀みゆきを守り続けた。

 この頃の立坂たてさかは、事がしだいに大きくなってきているのを感じていた。

 清国会しんこくかいのことを調べるほどに、その大きさに恐怖する。とても対峙出来る組織とは思えない。

 そして立坂たてさかは、学生時代の先輩でもある満田みつたに相談する。それが正しいことなのか分からないままに、それでも完全に立坂たてさかの手に負えるものではなくなっていた。

 やがて、西沙せいさを中心として満田みつた立坂たてさかが支えることになる組織が出来上がった。


  〝へびの会〟


 その組織もまた、世の中の裏で暗躍する組織だった。





 少し間を開けてから、最初に口を開いたのは萌江もえだった。

「みっちゃんに二つ目の裏の顔があったなんてね」

 それに満田みつたはあっさりと返す。

「年寄りにも絵になる舞台があったってバチは当たらないだろ。それに、秘密があったほうが人生ってのは面白い」

「さすがに言うねえ」

 そこに咲恵さきえが挟まった。

西沙せいさちゃんからもらった資料に立坂たてさかさんの名前があったのは…………そういうことだったんですね」

 それに立坂たてさかが返す。

「お金の流れは人の流れですよ…………表の顔も結構役に立つものです」

「でもどうして私たちの動きまで…………」

「総て西沙せいささんの予測通りでしたよ。いつ事務所とアパートを引き払うことになるかですら見立て通り…………それに────」

佐々岡ささおかって県警の刑事が殺された」

 そう言って立坂たてさかを遮ったのは満田みつただった。

 そしてその言葉に、杏奈あんなは身を硬くする。無意識に顔を伏せていた。

 満田みつたが続ける。

杏奈あんなちゃんの知り合いだろ。この際詳細は省くが……その絡みで追いかけさせてもらったよ。私はどちらかというと人の流れ専門でね。彼は少しばかり入り過ぎたようだ。まさか私たちも内閣府まで絡んでいるとは知らなかったよ…………相手は確かにデカい」

「でも…………」

 杏奈あんなは小さくそう返すと、言葉を飲み込む。


 ──…………私は引き返さない……………………

 ──……もう…………西沙せいささんだけじゃない…………亮一りょういちまで奪われた…………


 それを察した萌江もえが言葉を拾う。

「で? お互い〝探しもの〟は一緒ってことでいいのね?」

 それに返すのは満田みつた

 しかもその声は力強い。

「そうだ。まずはそこからだろ。そして体制を立て直す」

 その声に、杏奈あんなは小さく体を震わせていた。

 そして咲恵さきえが挟まる。

「人数増えちゃったね。車乗れる?」

 そして立坂たてさか

「なに…………私と満田みつたさんは別行動ですよ…………この歳になると裏方うらかたくらいが丁度良くてね。ですので…………西沙せいささんを……お願いします」

 そして立坂たてさかは、深々と頭を下げた。





          「かなざくらの古屋敷」

      〜 第十四部「憎悪の饗宴」第4話へつづく 〜

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