第十一部「粉雪」第2話 (修正版)
その夜、
即座に身柄を拘束された。
元々縁戚とは関係の薄い家庭だった。妻である
もちろん法律上の問題で
異常なほどの〝勘の鋭さ〟が多くの人からの嫌悪感を生み出していたからだ。
いわば、気持ち悪がられていた。
逮捕された
やはりその〝体質〟からか、事件の前から
やがて事件をきっかけに、それはイジメへと発展する。
それを重く見た学校側と行政は、
通常ならば、命の危険性でもない限りは────まずあり得ない。
そして、それが皮肉にも
新しい土地、新しい学校で、
その能力は他者を従えさせるには充分なものだった。
しかし同じ学校の生徒たちとは違い、大人たちは恐れた。とても子供とは思えないその立ち振る舞いや言動に、
そのせいか、いつまで経っても里親は見付からないまま。
六年間の前期課程を終えると、そのまま三年間の後期課程、いわゆる中学部へと進学する。
一般的な中学校でいうところの三年生の夏。
その事件は、来年の春には卒業を迎えようという頃に起こった。通常であれば高校への進路を考えなければいけない頃でもある。早い生徒ではすでに目標の進学先を決め、そのためのスケジュールも構築し始めていた。
中学部三年生の生徒が、四階建ての中学部校舎から飛び降りる。
時間は午前。
各教室ではちょうど二時限目の授業の最中。その日その生徒は体調不良で休んでいるはずだった。
甲高く、聞いたことのない音が外に広がる。
各教室の校庭へ向かう窓は開いていた。最高気温まではまだ少し時間がある。穏やかな風と共に教室に入り込んだその音は、一瞬で空気を揺らした。
建物から校庭に続く硬い地面。
鈍い音ではない。
甲高い音だった。
授業中の生徒が一斉に顔を上げる。
教師が言葉を止めた。
生徒たちがそれぞれ左右に視線を配る中、教師が無言で窓まで足を運ぶ。窓から下を見下ろすと、しばらく下を覗き込んだ後、足を返して廊下に向かい始める。
「少し待っていなさい────外を見ないように」
足早な教師の足音が廊下に響く。
それはやけに重々しい。
当然生徒たちは一斉に窓に集まった。ざわつきと同時に悲鳴が上がる。それに続くように別の教室からも叫び声が響き渡り、今度は生徒たちの声が建物を揺らしていく。
やがてパトカーと救急車が到着し、生徒たちは早々に家に帰された。その日の夕方のニュースでは早速報道が流れる。
自殺したのは女子生徒。
その夜には翌日から三日間に渡って休校になる旨が連絡網に流れた。
しかしその翌日、教師二名と警察関係者が一名、養護施設に
担任の教師と教頭、黒いスーツに重そうな鞄を持った刑事。三人の表情は、応接室に物々しい雰囲気を作り出す。
その年はそれほど暑い夏でもなかった。その日も穏やかな気温だった。湿度の高さはあったが、教頭が常に額の汗を拭わなければならないほどの暑さではないはずだった。小さなテーブルを挟んでソファーに腰を下ろしながら、隣の担任教徒と共に落ち着かない様子を繰り返している。決して
施設関係者の同席は許されないまま、担任が最初に口を開く。
「……大変なことになったね…………
「いえ」
あっさりと返答する
「別に……友達でもないですから」
その一五才とは思えない大人びた落ち着きが、目の前の二人の不安を更に掻き立てる。
「……そうか…………」
呟くように応えた教師は、膝の上で微かに震えた両手の指を絡ませる。それでもその振動は膝に響く。それを隠すかのように、教師は解いた掌で膝を撫でた。
そして続ける。
「実はね…………その生徒のことなんだが…………机に下に……遺書のような紙が貼ってあってね…………」
すると、それまでほとんど動きすらしなかった刑事が膝を曲げ、床に置かれた鞄を開けた。引き離されるマグネットが僅かに擦れ、耳障りな音がやけに大きい。
そして刑事が取り出したのは透明なビニール袋。マチのないその袋の中には長方形の小さな紙。刑事はその袋をテーブルの中央に置くと、ゆっくりと口を開いた。
「この紙に書かれている文字ですが…………読めますか?」
刑事にどんな意図があったかは分からなかったが、少なくとも
「はい。読めますけど…………」
そう応えた
刑事はすぐに返す。
「読んでいただけますか?」
「────読めないんですか? ご自分でどうぞ」
即答する
そして先に口を開いたのは刑事だった。
「…………〝Lのために〟とあります…………意味は分かりますか?」
すると、
刑事も目線をそのままに続ける。
「〝L〟とは、あなたのことですよね…………あなたが学校内でカリスマ性を持った生徒さんだということは私たちも聞いています」
すると、
「……カリスマとは────」
「よもや公式の団体だとは思っていませんが、私には一種の〝組織〟のように見えます」
「……まさか…………」
「そうですか? 先月も中学部の二年生の生徒さんが自殺されたことはご存知かと思いますが…………自宅で首を吊ったその生徒さんの足元にも同じようなメモ用紙が置かれていました。書かれている文字も同じです。それから調べていましてね。学校側も色々と苦慮されたようでして────」
担任と教頭が僅かに視線を落とす。
「まるで……私が二人を殺したみたいな言い方…………」
そう応えた
その笑みに、刑事は確信を感じた。
同時に、
そこに聞こえる刑事の声。
「まさか…………あなたは直接何もしてはいませんよ…………私は彼女たちがなぜ自ら命を絶ったのか知りたいだけです…………」
「それは二人に直接聞いてもらわないと────」
「あなたに心酔していたようですね…………」
「……へぇ…………それは知りませんでした…………」
それから年が明けるまでの数ヶ月、さらに三人の女子生徒が自殺する。
学校も事を重く受け止め、マスコミの格好の的となったが、年明けと共にその連鎖は突然終わりを告げる。
警察の捜査の手が伸びていた。
その警察からの報道規制の指示がマスコミに広がる。
しかし何の具体的な証拠もないまま、
娘が行方不明になったという警察からの報告を、
☆
あれから三日。
早い時間だけ、と言って、突然
しかし何とはないまま、今夜は
明らかに
壁を感じる。
それは
お互いに決して求めている雰囲気と関係性なはずもない。
しかし何かがズレ始めていた。
お互いにお互いの見えない部分が膨らんでいく。
「どうしたの? 急に来るなんて…………」
冷静を装いつつそう言いながら、
やがて
それはお互いの信頼の薄れていく感覚だけではない。
何かを失う恐怖。
大切な誰かを失う喪失感。
──……もう……味わいたくなかったのに…………
その意識の中に見え隠れする不思議な想い。
──…………きっと大丈夫…………なんとかなる……………………
ボトルのブランデーをロックグラスに注ぎながら、
「……これ、みっちゃんが奢ってくれたボトルだよね…………」
「……ん…………うん……」
反射的に応えた
「あと何本あるの?」
──……まだ…………
「……まだあるよ。五本も残ってる────」
即座に、そして少し早口になっている自分を感じながら、
「…………そっか……」
ブランデーの温度でグラスの氷が甲高く音を立てた。
そこに
「……まだあるからね…………大丈夫だから…………」
そう言いながら伏せた
すると今度はその目を見逃さなかった
「……うん…………でもさ────」
直後に
その音が二人の気持ちを揺らす。
首を振った
いつもと違う空気を感じ取ったのは
二人の間の微妙な距離感は
何かが崩れかけていた。
もはや、何かが、以前と同じではない。
「開店前のこの時間に来るってことは…………」
「……ええ…………調べてきました」
「──ごめんなさい……今日は…………」
それだけ言うと、
「……今回の件は…………すいません。これで終わりで…………」
その
「……どうしたの? 何かあった?」
「
「捜査対象?」
「破壊活動防止法ってヤツですよ。その捜査対象の宗教団体のトップが彼女です。公安調査庁も法務省も認識しています」
「へー…………思ったより物騒な話みたいだね」
「今回は抜けさせてもらいます。宗教絡みは嫌いなので」
その
少しだけ考えて
「そっか…………分かった。無理強いはしないよ」
何かがあるであろうことは分かった。かと言って今の段階でそこを掘り下げるのは違うだろうと
そして、
お互いに語らず、お互いに聞こうともしない。だからお互いに上手く付き合って来れたのだろう。だから今回も
一番大事なものは、
「助かったよ……ありがとね」
「……もしも彼女に関わるなら……気を付けて下さいね……公安が動いてますから…………」
「うん……分かった」
鈴の音が、やけに小さい。
☆
その女子生徒に
女子生徒の名前は
すでに小学部からカリスマ性を発揮して組織めいたものを作っていた
それは完全に〝宗教〟だった。
宗教が生まれるには理由が必要だ。
しかしその理由は学校にもあった。小学部からエスカレーター式に中学部に上がる小中一貫校。そこの間に試験を設けている学校もあるが、
生徒たち自ら、無意識に大きな変化を求める年齢。自分が何者かを考え始めていた。多くの人間がそうであるように、自分が中心の世界観の中で自らの存在意義を模索し続ける。他人との違いを意識し、自分の優位性を求め、結果的に見付けた虚無を埋めるために他人にそれを求めていく。その拠り所の視野が狭いまま、多くの生徒たちが
自分の求める〝力〟を
決して明確な宗教というわけではない。学生である限り漠然とした集団でしかなかった。
もちろん教師たちからも距離を置かれていた
そんな雰囲気の中で、
元々おとなしい性格で、口数も少ない。一人でいることのほうが多かったが、不思議と同じようなタイプの友達は出来るもので、友達が全くいないわけではない。決してイジメに遭っていたわけではなかったが、それは中学部に進んでから変化し始める。
周りの同級生たちが自我を表現し始める中、
何かから解き放たれたかのように解放された同級生たちが大人に見えた。そんな同級生たちにとっては
以前の友達が
中学部一年の夏頃からそれは始まった。無言の圧力から始まり、やがてそれは物理的な暴力へと変化していく。直接的な暴力をぶつけてくるのは三人。そのほかの生徒は無言の暴力。
その日も、下校直後、校舎を出たばかりの
一瞬で意識の総てを恐怖が包み込む。
顔を上げることも出来ないまま、
その声が遠ざかると急に膝に痛みを感じたが、やがてゆっくりと立ち上がる。気持ちを覆うのは屈辱感ではない。絶望感と諦めだけ。
そこには、どんな希望もなかった。
「…………あなた…………
突然のその声に、
更に声が続く。
「あなたのお母さん…………新興宗教に入ってるんでしょ? あなたもそうなの?」
そこに見えた
「私は
もちろん知っていた。知らないわけがない。近付くことさえも痴がましいと思っていた
その
「……ねえ…………〝私のために〟…………協力してよ…………そうしたら、さっきの三人に仕返ししてあげる…………」
「かなざくらの古屋敷」
〜 第十一部「粉雪」第3話へつづく 〜
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