第十一部「粉雪」第2話 (修正版)

 その夜、太一たいちは事件が発覚する前に自首。

 即座に身柄を拘束された。

 絵留えるは里親が見つかるまでという条件で養護施設に入ることになる。

 元々縁戚とは関係の薄い家庭だった。妻である靖子やすこはすでに両親はなく、しかも太一たいちの実家での評判は夜の客商売をしていたというだけで悪く、その靖子やすこ太一たいちが守る形でほとんど付き合いは無くなっていた現実がある。

 もちろん法律上の問題で太一たいちの実家に連絡は行くが、太一たいちの両親を含め、親戚筋の誰もが絵留えるの引き取りを拒否した。

 靖子やすこと同じく、絵留える自身も評判は悪かった。

 異常なほどの〝勘の鋭さ〟が多くの人からの嫌悪感を生み出していたからだ。

 いわば、気持ち悪がられていた。

 逮捕された太一たいちにはすでにまともな判断能力も決定権もない。絵留えるの身柄は行政に委ねられることとなる。

 絵留えるは一度は元々の住所の行政区内にある養護施設に入れられ、そこから小学校に通い続けるが、当然のように家での事件のことは同級生に知れ渡ることになり、元々の孤立をさらに深めていった。

 やはりその〝体質〟からか、事件の前から絵留えるは友達を作ることが出来ていなかった。

 やがて事件をきっかけに、それはイジメへと発展する。

 それを重く見た学校側と行政は、絵留えるを他県の小中一貫校へと転校させた。それに合わせて養護施設も移ることになるが、これは行政としてはかなり異例のことでもある。

 通常ならば、命の危険性でもない限りは────まずあり得ない。

 そして、それが皮肉にも絵留えるを育てることになった。

 新しい土地、新しい学校で、絵留えるは孤立どころか、むしろカリスマ性を発揮していく。

 その能力は他者を従えさせるには充分なものだった。

 しかし同じ学校の生徒たちとは違い、大人たちは恐れた。とても子供とは思えないその立ち振る舞いや言動に、太一たいちの親戚筋と同じように恐れ慄いた。

 そのせいか、いつまで経っても里親は見付からないまま。

 六年間の前期課程を終えると、そのまま三年間の後期課程、いわゆる中学部へと進学する。

 一般的な中学校でいうところの三年生の夏。

 その事件は、来年の春には卒業を迎えようという頃に起こった。通常であれば高校への進路を考えなければいけない頃でもある。早い生徒ではすでに目標の進学先を決め、そのためのスケジュールも構築し始めていた。


 中学部三年生の生徒が、四階建ての中学部校舎から飛び降りる。


 時間は午前。

 各教室ではちょうど二時限目の授業の最中。その日その生徒は体調不良で休んでいるはずだった。

 甲高く、聞いたことのない音が外に広がる。

 各教室の校庭へ向かう窓は開いていた。最高気温まではまだ少し時間がある。穏やかな風と共に教室に入り込んだその音は、一瞬で空気を揺らした。

 建物から校庭に続く硬い地面。

 鈍い音ではない。

 甲高い音だった。

 授業中の生徒が一斉に顔を上げる。

 教師が言葉を止めた。

 生徒たちがそれぞれ左右に視線を配る中、教師が無言で窓まで足を運ぶ。窓から下を見下ろすと、しばらく下を覗き込んだ後、足を返して廊下に向かい始める。

「少し待っていなさい────外を見ないように」

 足早な教師の足音が廊下に響く。

 それはやけに重々しい。

 当然生徒たちは一斉に窓に集まった。ざわつきと同時に悲鳴が上がる。それに続くように別の教室からも叫び声が響き渡り、今度は生徒たちの声が建物を揺らしていく。

 やがてパトカーと救急車が到着し、生徒たちは早々に家に帰された。その日の夕方のニュースでは早速報道が流れる。

 自殺したのは女子生徒。絵留えるとは別のクラスだったが同じ中学部の三年生。

 その夜には翌日から三日間に渡って休校になる旨が連絡網に流れた。

 しかしその翌日、教師二名と警察関係者が一名、養護施設に絵留えるを訪ねてくる。

 担任の教師と教頭、黒いスーツに重そうな鞄を持った刑事。三人の表情は、応接室に物々しい雰囲気を作り出す。

 その年はそれほど暑い夏でもなかった。その日も穏やかな気温だった。湿度の高さはあったが、教頭が常に額の汗を拭わなければならないほどの暑さではないはずだった。小さなテーブルを挟んでソファーに腰を下ろしながら、隣の担任教徒と共に落ち着かない様子を繰り返している。決して絵留えるに向けて顔を上げようともしない。絵留えるが部屋に通された時に軽く目を合わせただけだ。

 絵留えるにはその二人の姿は怯えているように見えていた。それに対してソファーの隣に立ったままの刑事は常に絵留えるの姿から視線を外さない。

 施設関係者の同席は許されないまま、担任が最初に口を開く。

「……大変なことになったね…………牧田まきたさんも不安な時だとは思うけど────」

「いえ」

 あっさりと返答する絵留えるの言葉が続く。

「別に……友達でもないですから」

 その一五才とは思えない大人びた落ち着きが、目の前の二人の不安を更に掻き立てる。

「……そうか…………」

 呟くように応えた教師は、膝の上で微かに震えた両手の指を絡ませる。それでもその振動は膝に響く。それを隠すかのように、教師は解いた掌で膝を撫でた。

 そして続ける。

「実はね…………その生徒のことなんだが…………机に下に……遺書のような紙が貼ってあってね…………」

 すると、それまでほとんど動きすらしなかった刑事が膝を曲げ、床に置かれた鞄を開けた。引き離されるマグネットが僅かに擦れ、耳障りな音がやけに大きい。

 そして刑事が取り出したのは透明なビニール袋。マチのないその袋の中には長方形の小さな紙。刑事はその袋をテーブルの中央に置くと、ゆっくりと口を開いた。

「この紙に書かれている文字ですが…………読めますか?」

 刑事にどんな意図があったかは分からなかったが、少なくとも絵留えるにとっては嫌な口調に感じた。

「はい。読めますけど…………」

 そう応えた絵留えるは決して表情を変えなかった。

 刑事はすぐに返す。

「読んでいただけますか?」

「────読めないんですか? ご自分でどうぞ」

 即答する絵留えるに、刑事も顔色を変えずに絵留えるの目を見た。

 絵留えるも僅かに顔を上げ、上目遣いに目を合わせる。

 そして先に口を開いたのは刑事だった。

「…………〝Lのために〟とあります…………意味は分かりますか?」

 すると、絵留えるは何も応えないまま、そのまま刑事の目を見続けた。

 刑事も目線をそのままに続ける。

「〝L〟とは、あなたのことですよね…………あなたが学校内でカリスマ性を持った生徒さんだということは私たちも聞いています」

 すると、絵留えるは小さく視線だけを落としてテーブルの上のビニール袋を見返した。

「……カリスマとは────」

「よもや公式の団体だとは思っていませんが、私には一種の〝組織〟のように見えます」

「……まさか…………」

「そうですか? 先月も中学部の二年生の生徒さんが自殺されたことはご存知かと思いますが…………自宅で首を吊ったその生徒さんの足元にも同じようなメモ用紙が置かれていました。書かれている文字も同じです。それから調べていましてね。学校側も色々と苦慮されたようでして────」

 担任と教頭が僅かに視線を落とす。

「まるで……私が二人を殺したみたいな言い方…………」

 そう応えた絵留えるは、僅かに口角を上げる。

 その笑みに、刑事は確信を感じた。

 同時に、絵留えるの目の前に座る二人は恐怖心を抱く。

 そこに聞こえる刑事の声。

「まさか…………あなたは直接何もしてはいませんよ…………私は彼女たちがなぜ自ら命を絶ったのか知りたいだけです…………」

「それは二人に直接聞いてもらわないと────」

「あなたに心酔していたようですね…………」

「……へぇ…………それは知りませんでした…………」

 それから年が明けるまでの数ヶ月、さらに三人の女子生徒が自殺する。

 学校も事を重く受け止め、マスコミの格好の的となったが、年明けと共にその連鎖は突然終わりを告げる。

 警察の捜査の手が伸びていた。

 その警察からの報道規制の指示がマスコミに広がる。

 しかし何の具体的な証拠もないまま、絵留えるは養護施設から姿を消す。

 娘が行方不明になったという警察からの報告を、太一たいちは刑務所で聞いた。

 太一たいちが刑務所の壁に頭を打ち付けて自殺をしたのは、その日の夜だった。





 あれから三日。

 早い時間だけ、と言って、突然萌江もえ咲恵さきえの店を訪れていた。

 しかし何とはないまま、今夜は咲恵さきえの家に泊まる気にはなれない。三日前もそうだった。萌江もえ自身そう思う自分がなんとなく嫌だった。ただ、なぜか気持ちが落ち着かない。

 明らかに咲恵さきえとの距離が開いていた。

 壁を感じる。

 それは咲恵さきえも同じだった。

 お互いに決して求めている雰囲気と関係性なはずもない。

 しかし何かがズレ始めていた。

 お互いにお互いの見えない部分が膨らんでいく。

「どうしたの? 急に来るなんて…………」

 冷静を装いつつそう言いながら、咲恵さきえ萌江もえの前にボトルのセットを並べていった。最近は落ち着かない毎日だった。常に頭の中から萌江もえのことが離れない。しかしそれは決して以前の感覚と同じではない。

 やがて咲恵さきえの感覚を埋め尽くしていたのは、恐怖だけ。

 それはお互いの信頼の薄れていく感覚だけではない。

 何かを失う恐怖。

 大切な誰かを失う喪失感。


 ──……もう……味わいたくなかったのに…………


 その意識の中に見え隠れする不思議な想い。


 ──…………きっと大丈夫…………なんとかなる……………………


 ボトルのブランデーをロックグラスに注ぎながら、萌江もえがゆっくりと口を開いた。

「……これ、みっちゃんが奢ってくれたボトルだよね…………」

「……ん…………うん……」

 反射的に応えた咲恵さきえの中の不安感が、瞬時に大きく膨らむ。

 萌江もえの言葉が続いた。

「あと何本あるの?」


 ──……まだ…………


「……まだあるよ。五本も残ってる────」

 即座に、そして少し早口になっている自分を感じながら、咲恵さきえは少しだけ自分を嫌悪した。

「…………そっか……」

 咲恵さきえとは温度差の違う萌江もえの声が二人の間に浮く。

 ブランデーの温度でグラスの氷が甲高く音を立てた。

 そこに咲恵さきえの力の無い声が絡んでいく。

「……まだあるからね…………大丈夫だから…………」

 そう言いながら伏せた咲恵さきえの目が、僅かに潤んだ。

 すると今度はその目を見逃さなかった萌江もえが反射的に口を開く。

「……うん…………でもさ────」

 直後に萌江もえの言葉を遮ったのは、ドアが揺らした鈴の音。

 その音が二人の気持ちを揺らす。

 首を振った萌江もえの視界に入ったのは、いつもの分厚いカメラバッグを肩に掛けた杏奈あんなの姿だった。廊下からの明かりでその表情は影になっているにも関わらず、雰囲気から暗さが際立つ。

 いつもと違う空気を感じ取ったのは萌江もえだけではない。

 二人の間の微妙な距離感は杏奈あんなにも感じられた。

 何かが崩れかけていた。

 もはや、何かが、以前と同じではない。

 咲恵さきえは目を伏せたまま、最初に口を開いたのは萌江もえだった。

「開店前のこの時間に来るってことは…………」

「……ええ…………調べてきました」

 杏奈あんなは即答し、萌江もえの隣の椅子に腰を降ろす。いつもの声とトーンが違うことは萌江もえもすぐに気付いた。思わず杏奈あんなの表情に目だけを向ける。明るくはない。

 咲恵さきえがその目の前にコースターを出すと、すぐに杏奈あんなが左の掌を小さく見せて口を開く。

「──ごめんなさい……今日は…………」

 それだけ言うと、杏奈あんなは隣の椅子に鞄を乗せた。相変わらず二〇代の女性が好んで持つような鞄ではない。無骨な印象で機能性重視のカメラバッグ。色もベージュがベースでポイントにダークブラウン。数カ所にカナビナや金具も目立つ。カメラそのものや中にいつものように入れているであろうラップトップのことも考えると、全体の重さもかなりのものだろう。それでも使い古された印象を受ける。擦れや色褪せも一カ所や二カ所ではない。聞いたことのないこだわりがあるのか、萌江もえ咲恵さきえもそこは図れなかったが、萌江もえ自身は杏奈あんなのそんな姿勢が好きな部分でもある。

「……今回の件は…………すいません。これで終わりで…………」

 その杏奈あんなの言葉に、敢えて萌江もえは冷静に応えていく。

「……どうしたの? 何かあった?」

牧田絵留まきたえる……すぐに見付かりました…………彼女のいた養護施設から行方不明の届けが出てます。見付かっていないことになっていますが、別の課で捜査対象に上がっていました」

「捜査対象?」

 萌江もえのその声に、杏奈あんなは鞄から紙の束を取り出すと透明なクリアファイルごとカウンターの上に置いて返した。

「破壊活動防止法ってヤツですよ。その捜査対象の宗教団体のトップが彼女です。公安調査庁も法務省も認識しています」

 萌江もえはクリアファイルを手にすると、そこに見える文字を見ながら口を開く。

「へー…………思ったより物騒な話みたいだね」

「今回は抜けさせてもらいます。宗教絡みは嫌いなので」

 その杏奈あんなの声に、萌江もえは苛立ちのようなものを感じた。

 少しだけ考えて萌江もえが返す。

「そっか…………分かった。無理強いはしないよ」

 何かがあるであろうことは分かった。かと言って今の段階でそこを掘り下げるのは違うだろうと萌江もえは判断した。第三者的には影のなさそうな明るい性格。しかしそんなはずがないことは萌江もえにも想像が出来る。口がよく動くせいで明るい印象を周りに振りまくが、それは仕事柄のこと。仕事をする上で必要な技なのだろう。

 そして、杏奈あんなは驚くほどにプライベートを語らなかった。

 萌江もえ咲恵さきえも他人のプライベートに入り込むことを嫌うところがある。それは自分たちがプライベートを晒すことが嫌いだったからに他ならない。

 お互いに語らず、お互いに聞こうともしない。だからお互いに上手く付き合って来れたのだろう。だから今回も萌江もえはそうした。

 一番大事なものは、杏奈あんなの気持ちだけ。

 萌江もえにとってはそれだけだった。

「助かったよ……ありがとね」

 萌江もえは白い封筒をカウンターに滑らせ、杏奈あんなそばに置いた。いつ連絡があるか分からないままに用意していた物だった。

 杏奈あんなはその封筒に視線を落とすも、少し考えてからそれを鞄に入れる。そのまま椅子から降りると、小さく口を開いた。

「……もしも彼女に関わるなら……気を付けて下さいね……公安が動いてますから…………」

「うん……分かった」

 杏奈あんなは小さく頭を下げると、まるで逃げるように萌江もえ咲恵さきえに背を向けた。

 鈴の音が、やけに小さい。





 その女子生徒に絵留えるが出会ったのは、絵留えるが中学部二年生の秋。

 女子生徒の名前は横峰波瑠よこみねはる絵留えるより一つ下の一年生。絵留えるの噂を聞きつけた波瑠はるのほうからコンタクトを取ってきた。

 すでに小学部からカリスマ性を発揮して組織めいたものを作っていた絵留えるには、その能力に心酔する信者のような生徒が最低でも二〇人。絵留える自身もそうだが、誰にも正確な人数は分からないまま増え続けていた。決して絵留える自らが勧誘のようなことをしていたわけではない。しかし自然と増えていった。

 絵留えるは相手の内面を鋭く見通すことが出来た。しかも先のことまでも言い当てる。そしてそれはことごとく当たった。そんな絵留えるを生徒たちはあがめ始める。

 それは完全に〝宗教〟だった。

 宗教が生まれるには理由が必要だ。絵留えるのような人間は一つ間違えばただの特殊体質として気持ち悪がられるだけ。

 しかしその理由は学校にもあった。小学部からエスカレーター式に中学部に上がる小中一貫校。そこの間に試験を設けている学校もあるが、絵留えるのいた学校は違った。同じ学校でそのまま中学部に上がるだけ。同じ校舎。当然環境に違いは無い。生徒も変化なく同じ。しかし同時に、その多感な年頃の生徒たちには〝変化〟が必要だった。

 生徒たち自ら、無意識に大きな変化を求める年齢。自分が何者かを考え始めていた。多くの人間がそうであるように、自分が中心の世界観の中で自らの存在意義を模索し続ける。他人との違いを意識し、自分の優位性を求め、結果的に見付けた虚無を埋めるために他人にそれを求めていく。その拠り所の視野が狭いまま、多くの生徒たちが絵留えるに自分を求めていった。

 自分の求める〝力〟を絵留えるは持っている。自分の虚無を埋めてくれるのは絵留えるしかいないと思った生徒たちにとって、絵留えるは〝教祖〟そのものだった。

 決して明確な宗教というわけではない。学生である限り漠然とした集団でしかなかった。絵留える自身も何か教義のようなものを作っていたわけではないが、もはや学生たちにとっては絵留えるの存在そのものだけで充分だったのだろう。

 もちろん教師たちからも距離を置かれていた絵留えるの周辺に取り巻きが増えていくことは、学校としてもあまり気持ちのいいことではない。特別問題を起こすわけでもなく、決して学業に影響を及ぼしているわけではなかったが、教師たちにとっては生徒たちに神格化された絵留えるの姿は〝気持ち悪い〟存在でしかなかった。まるで宗教のような生徒たちの心酔の仕方に、いつか何かをするのではないかという漠然とした恐怖が教師の中に蔓延していく。

 そんな雰囲気の中で、波瑠はる絵留えるに心酔した生徒の一人に過ぎなかった。

 元々おとなしい性格で、口数も少ない。一人でいることのほうが多かったが、不思議と同じようなタイプの友達は出来るもので、友達が全くいないわけではない。決してイジメに遭っていたわけではなかったが、それは中学部に進んでから変化し始める。

 周りの同級生たちが自我を表現し始める中、波瑠はるは自分の中に湧き上がる虚無を表現することに戸惑っていた。自分が何者かという問いに翻弄されながら、完全に周りから出遅れ、いつしか小学部からの友達も離れていく。

 何かから解き放たれたかのように解放された同級生たちが大人に見えた。そんな同級生たちにとっては波瑠はるのような存在は子供にしか見えないのだろう。やがてその成長し始めた頃の幼い感情は、異質な対象への攻撃へと変化する。誰もが自分を大人と信じ込み、自分の考えは正しいと思い込み、それに疑問を持つほど知識も経験の蓄積も無い。自分と異なるものは劣っているように見えた。そして、それに疑問を持てるほど大人でもない。

 以前の友達が波瑠はるに牙を向ける。

 中学部一年の夏頃からそれは始まった。無言の圧力から始まり、やがてそれは物理的な暴力へと変化していく。直接的な暴力をぶつけてくるのは三人。そのほかの生徒は無言の暴力。

 その日も、下校直後、校舎を出たばかりの波瑠はるは背中に大きな衝撃を感じた。瞬時に波瑠はるの目の前に赤茶色の地面が迫る。反射的に手で顔を守るが、その体は大きく地面に叩きつけられる。

 一瞬で意識の総てを恐怖が包み込む。

 顔を上げることも出来ないまま、波瑠はるの頭上にいつもの薄ら笑いが降り注いだ。

 その声が遠ざかると急に膝に痛みを感じたが、やがてゆっくりと立ち上がる。気持ちを覆うのは屈辱感ではない。絶望感と諦めだけ。

 そこには、どんな希望もなかった。

「…………あなた…………横峰よこみねさんでしょ?」

 突然のその声に、波瑠はるは僅かに顔を上げる。そこには学校指定のローファー。細身の足。制服のスカートの裾が見えた。

 更に声が続く。

「あなたのお母さん…………新興宗教に入ってるんでしょ? あなたもそうなの?」

 波瑠はるは痛みの続く膝を着いたまま、さらに顔を上げた。

 そこに見えた絵留えるの姿は、まるで後光が射しているかのよう。

「私は牧田絵留まきたえる…………」

 もちろん知っていた。知らないわけがない。近付くことさえも痴がましいと思っていた絵留えるの姿が目の前。

 その絵留えるの声が続いた。

「……ねえ…………〝私のために〟…………協力してよ…………そうしたら、さっきの三人に仕返ししてあげる…………」





         「かなざくらの古屋敷」

      〜 第十一部「粉雪」第3話へつづく 〜

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