第八部「記憶の虚構」第2話 (修正版)

 西沙せいさの街までは新幹線で一時間と少し。車で高速を使っても同じくらい。今回は西沙せいさに案内をしてもらう関係もあって新幹線を選んだ。

 杏奈あんなから西沙せいさに話を通し、その西沙せいさから母親のさきに確認を取ってもらうと、意外にも次の日曜日の午後なら空いているという。迷うことなく萌江もえは予約を取った。

 萌江もえは早起きをしてバスに乗り込む。迎えに来てもらっても良かったが、萌江もえとしては咲恵さきえの睡眠時間を削りたくなかった。昼過ぎに駅で咲恵さきえと待ち合わせをすると、二人で新幹線に乗り込んだ。

「…………大丈夫?」

 窓側に座った咲恵さきえが隣の萌江もえに声をかける。

 思った以上に萌江もえの返答は早い。

「大丈夫だよ。リビングのドアにも猫用のドアをDIYしたからね。空気の出入りを減らすために隙間に布を貼り付けてさ…………」

「どこでそんなこと調べるの?」

「ネットの動画。便利な時代になったよねえ。最近は工具にも詳しくなってきたよ」

「乗っておいてなんだけど、そうじゃなくて…………お母さんのこと…………」

 萌江もえも分かっていたかのように視線を軽く落とすと、ホットタイプの背の低いペットボトルの蓋を開けた。少しだけぬるくなった甘いコーヒーを軽く口に含んでから応える。

「……どうしてだろうね…………知ったからどうなるわけじゃないんだけどさ…………」

「正直……今回のことは私も驚いた…………偶然で片付けるにはあまりにも出来過ぎ…………」

「なんだかよく分からないんだけどさ…………まだ〝あの人〟が…………どこかで生きてる気がするよ…………」

 僅かに隣の咲恵さきえからは、そう言う萌江もえの目が潤んで見えた。

 咲恵さきえ萌江もえの膝の上の手に、自分の手を重ねる。まるで飛び付くかのように、萌江もえはその手を握った。


 ──……離さないで…………


 新幹線が駅に到着した頃、細かな雪が駅の外にチラついていた。

 ホームの空気もピリピリと肌を刺す。

 この季節になると、咲恵さきえはまるで口癖のように同じようなことを呟いていた。

「この歳になると肌の乾燥が嫌よねえ」

 そして萌江もえがいつものように返すのがお決まり。

「また言ってる……そういえば保湿クリームが残り少なかったな…………」

「年々化粧品代が上がってる気がするのよね」

「物価じゃなくて私たちの年齢がね」

「いえ、そこには異論があるわ…………そもそも原油価格の高騰が────」

「お、若くてピチピチしたのがお出迎えだ」

 駅のタクシー乗り場の前で待っていたのは西沙せいさだった。

 相変わらずの黒のゴスロリに、それに合わせた派手な白いコートの出立ちの西沙せいさが口を開く。

「そういうおばさん臭いネタやめてよね」

「だっておばさんだもん」

 そう返す萌江もえに、隣の咲恵さきえは溜息をいて呟いた。

「やめて……この季節が来る度に現実を叩き付けられてる気がするわ…………」

 そんな会話をしながらも、三人は西沙せいさの車で、西沙せいさの実家の神社へと向かった。

 決して街で一番の大きさを誇る神社ではない。全国的に有名なパワースポットというわけでもない。〝はらごと専門〟で有名な神社だった。更には全国の霊能力者から助言を求められる等、その界隈では信頼が厚い。

 西沙せいさはそんな神社を守り続ける家の三女として産まれた。三姉妹の末っ子である。二人の姉は母を継いで巫女となっていたが、西沙せいさだけは家を出て霊能力者として独立していた。

 そしてそれにはそれなりの理由があった。

「一通りの話は杏奈あんなから聞いたけど…………」

 西沙せいさが車を運転しながら続ける。

「最初は信じられなかったよ…………でもお母さんに聞いたら、確かに覚えてた」

 それに応えたのは萌江もえ

「……まあ、私も驚いたよ…………偶然にも程があるよね」

 萌江もえが無理をして平静を保とうとしているのが、聞いていた西沙せいさにも分かった。

 西沙せいさも動揺を隠しながら返していく。

「ただの偶然なのかな…………」

「そう言いたくなる気も分かるけどさ…………なんでもそうだけど、無理矢理に都合よく結びつけじゃダメだよ。私たちの界隈って狭いからね…………その狭い業界内だから私たちは知り合ったようなものでしょ」

「そりゃ、まあ…………」

「それよりどうなのよ。〝あそこ〟の工事」

 それは萌江もえたちと西沙せいさの出会いの一件だった。しかもこの街の事件。その仕事の依頼がなければ、三人は出会っていない。

 西沙せいさの声のトーンが少しだけ上がる。

「ああ……順調みたいだよ。本格的に電線の地中化工事が進んでるってさ。その工事が終わったら本格的に土地の再整地工事に入るみたい。春には電線の工事も終わるらしいから…………思ったより早かったね」

「行政にしちゃ早いね」

「会議でも〝今後の街の発展のため〟って連呼してやったからね」

「功労者だねえ…………その内街から表彰されるかもよ」

萌江もえ咲恵さきえの功績でしょ…………私は何もしてない。姉妹にもあまりよく思われてないし…………」

「そうなの? 二人いるんだっけ?」

「元からあまり仲良くはなかったけどね…………だから家を出たようなものだし…………でもお母さんは評価してくれた」

 御陵院ごりょういん家の関係性が垣間見えるような西沙せいさの口ぶり。

「……そっか…………」

 それを感じてか、返す萌江もえの声はどこか優しい。

 やがて車は神社の駐車場に到着する。

 車五台分のスペースがあるだけの小ぶりな駐車場だった。

 不思議と西沙せいさは運転席を降りてからもすぐには足を進めない。それでも、やがて何かを噛み締めるように進み始めた。

 鳥居を潜って参道に至ると、その雰囲気がそう感じさせるのか、空気の冷たさが僅かに和らいだようにも感じる。街一番ではないというだけで、決して小さな神社ではない。広い真っ直ぐな石畳の参道が大きな本殿へと向かっていた。

 西沙せいさは本殿正面ではなく、横の通用口へと二人を案内した。

 やがて通されたのは本殿の奥と思われる一室。一室と言ってもかなり広い。神事用の祭壇があることから、祭壇が一つだけではないことが伺えた。

 中心に萌江もえ。その左手に咲恵さきえ。右手に西沙せいさが並ぶ。いかにも神社らしく、厚めの立派な座布団。

 実家とはいっても、西沙せいさ萌江もえ咲恵さきえと同じく正座を崩さないことに違和感を感じながらも、萌江もえは高い天井を見上げた。祭事等で火を使うこともあるのだろう。高い天井はすすで僅かに黒い。

 とは言っても決して閉鎖的な空間ではない。扉も無い状態で奥の長い廊下と繋がっていた。やがてその廊下の奥から足袋たびる音が聞こえ、目の前に現れたのは三人の巫女だった。

 先頭に立つ中心の巫女が距離を取って萌江もえの前に膝を落とすと、すそを両手で素早く整えながら深く頭を下げた。

「大変お待たせ致しました…………当家、御陵院ごりょういん神社当主、さきにございます」


 ──…………この人か…………


 そう思った萌江もえは、隣の咲恵さきえと共に頭を下げる。

 その横で二人よりも深く頭を下げる西沙せいさの姿に、やはり萌江もえは違和感を感じた。その三人が頭を上げると、さきが続ける。

「いつも娘の西沙せいさがお世話になっております。後ろに居りますのは綾芽あやめ涼沙りょうさ…………西沙せいさの姉に御座います。本日はどうしても同席したいと申しまして…………構いませんでしょうか?」

「構いません」

 萌江もえはすぐにそう返しながら、軽く視線を落としたままの奥の二人に目を配る。

 改めて見ると、三人はいずれも冷たい板間にそのまま正座をしていた。しかも立ち振る舞いに隙は無い。


 ──……さすが西沙せいさの家族だ…………


 萌江もえはそんなことを思いながら口を開いた。

「私は恵元萌江えもともえ……と申します。隣にいるのはパートナーの黒井咲恵くろいさきえです」

 咲恵さきえが小さく頭を下げる。

 萌江もえが続けた。

「…………もうお気付きかと思いますが、私も黒井くろいも…………普通の人間ではありません。とは言っても、私は娘さんをお二人もお付きにする程の猛獣ではありませんよ。まあ、能力者同士、腹を割ってお話が出来たらと思ってお伺いしました。お忙しいところ……無理を言いまして…………」

 すると、すぐにさきは返す。

「いえいえ、本日は日曜日だと言うのにどういうわけか手隙てすきでございまして……午前中におはらい事が一件入っていたのですが…………何と言いますか…………必要がなくなりました」

 落ち着きを感じさせる声。

 それでいて、どこか〝壁〟を感じさせる。

「……というと?」

「ええ…………実はよくあることなのですが……〝きもの〟と本人や周りが思っていても、実はただの思い込みということがよくありましてね…………」


 ──……へえ…………


「まあ強いて申しますと、自分で自分に呪いをかけているようなもの…………もちろん形だけでおはらいの真似事をすることは出来ますが…………どうも好きになれません。いつも仏事ぶつじ説法せっぽうのようなことをして終わります。祈祷きとう料も頂けませんので……いつも娘たちには笑われている始末ですよ」

 そう言ってさきは口元にだけ笑みを浮かべた。

 それでもなぜか、萌江もえと目を合わせようとはしない。

 そのさきが続ける。

「……西沙せいさから、本日の御用向きは伺っております。正直…………私も驚きました」

「……そうですよね…………私もです」

 あくまで萌江もえは柔らかい口調で返した。

 しかし、さきはしだいに声色を変え始める。

「……あの時の……ことをお聞きになりたいと…………」

「ええ…………私を……救急車が来るまで抱いててくれたと聞きました」

「はい…………確かに私です…………」

 しだいにその声は震え始めていた。

「……私はその場におりました…………」

「ありがとうございます……おそらくその時の私は不安で仕方なかったでしょうから…………」

「…………違うんです」

「違う?」

「……はい」

「違うと、いうのは……?」

「…………守ろうと、思いました…………守らなければいけないと…………」

「……………………守る?」

 すると、さきは初めて萌江もえの目を見た。

「お母様は自殺ではありません」


 ──……………………


「……お母様は……目の前の〝異形いぎょうのもの〟から…………あなた様を守るために命を捧げました」

「…………〝異形いぎょうのもの〟…………?」

 呟きながら、萌江もえが視線を落とした。


 そして、空気が変わる。


 ──……かれる────!


 そんな言葉が咲恵さきえの頭に浮かぶ。

 直後、片膝を立てた咲恵さきえ萌江もえの左肩を掴んだ時、さきの後ろから綾芽あやめ涼沙りょうさが立ち上がる。

 そしてさきの横まで身を乗り出す。

 膝を立ててそこに立ち塞がったのは西沙せいさだった。

 右手を大きく広げててのひらを二人に見せながら絞り出す声は低い。

「…………私に……勝てるの…………?」

 全員が瞬きすら出来ない空気に包まれた。

 それを破ったのはさきの低い声。

「……双方とも…………ほこを収めなさい…………」

 綾芽あやめ涼沙りょうさがゆっくりとさきの後ろに足を滑らせると、さきの声が続く。

「座りなさい────これ以上客人の前で醜態しゅうたいさらす気か」

 二人が両膝をつくと、西沙せいさも右手を降ろした。しかしまだ片膝は立てたまま。

 そこにさき

西沙せいさ、失礼した…………それでもあなたも気が付いているはず…………その水晶が〝何者〟か…………」

 西沙せいさが振り返ると、萌江もえは俯いたまま、いつの間にか左手を前に突き出していた。手首を立てて見せるてのひらには、いつの間にか指にチェーンを巻いた水晶。

 その水晶に目を奪われたようなさきが言葉を繋げた。

「その水晶は……どこで…………」

 俯いたままの萌江もえが応える。

「……あの時…………私の体の上には水晶が二つ乗っていたはず…………」

 その萌江もえの言葉に、さきは眉を細め、唇を僅かに震わした。

「────いえ……私はその時は…………何も…………」

「どうしてどう巡ったのか…………二〇年以上経ってから私の目の前に現れたのは〝火の玉〟だけ…………対になる〝水の玉〟を探しています。ご存じありませんか?」

「……残念ながら…………あの時に水晶の存在には気が付きませんでした…………」

「すでに…………消えていたのかもしれない…………」

「私には、水晶の在り所より…………その水晶に宿る者のほうが気になります…………」

「……よほど……恐れていらっしゃいますね……」

 萌江もえの声に、さきは言葉を詰まらせる。

 仮にも〝もの専門〟の歴史の長い神社を継ぐ巫女。それだけの人物を恐れさせるものが何かと萌江もえは考えた。


 ──……それだけの〝誰か〟が……ここにいる…………


「娘の非礼はお詫びします…………」

「無理もありませんよ…………私にも少し見えました…………そして多分……この水晶を扱えるのは私か…………娘の西沙せいささんだけです」

 萌江もえはそう言うと、ゆっくりと顔を上げ、水晶を持ったてのひらを下げて続ける。

「あの時……母と対峙していた〝異形いぎょうのもの〟とは……………………〝何者〟ですか?」

 すると、ゆっくりとさきが応える。

「…………黒く…………大きな…………〝蛇〟でした…………」

 萌江もえは目を細めて応えるように呟く。

「……蛇…………」

「ただの偶然とは思えません…………どうやら私も、関わってしまったようですね……」

 そう言う咲の口元には、なぜか微かに笑みが浮かぶ。

 その咲の表情に何かを感じたのか、萌江もえはワザと声のトーンを上げた。

「……すいません……今後も……なにかとお願いすることになるかもしれません…………」

 そう言うと軽く頭を下げる。

 すると、さきは深々と頭を下げて返した。

「……とんでもございません…………私共わたくしどもで良ければ…………」





 萌江もえ咲恵さきえ西沙せいさから街に一泊するように進められるが、二人は帰ることを決断する。

 まだそれほど遅い時間でもなかった。

 あの神社で過ごした時間は、せいぜい三〇分程度。それでも萌江もえにとってはよほどの疲労があったのだろう。新幹線では咲恵さきえの肩に頭を預けて到着するまで目を覚ますことはなかった。

「ごめんね……私だけ寝ちゃってた? 咲恵さきえも少しは寝れた?」

 咲恵さきえの車の助手席で、萌江もえはそう言って咲恵さきえの横顔に顔を向けた。

 柔らかい笑顔を浮かべた咲恵さきえが応える。

「んー……色々考えてた」

「…………そうだよね……」

 そう言って前に視線を戻した萌江もえが続ける。

「分かったこともあったけど…………やっぱりよく分かんないね」

 その声に、ふと咲恵さきえ萌江もえの首元の水晶に目がいった。その中に何が宿っているのか、咲恵さきえでも見えたことはない。


 ──……誰にも、はっきりと姿は見せていない…………


 萌江もえから咲恵さきえに入ってきたイメージもぼんやりとしたものでしかなかった。しかし三人の巫女が揃って恐れるのも理解出来た。


 ──…………大きすぎる…………〝誰か〟がいる…………


 ゆっくり寝た割に元気の無い萌江もえだったが、家に着いて猫と戯れるとやっと笑顔が浮かぶ。

 いつの間にか外はだいぶ暗い。

 エアコンを切ってまきストーブに火をつけると、猫も眠そうに萌江もえ咲恵さきえに絡まってきた。猫は三匹とも萌江もえだけではなく咲恵さきえにもすっかり懐いていた。

「少し寝たらまた夜中に遊ぶんだもんねえ君たちは」

 猫にそんな言葉をかける萌江もえの肩に、ソファーで隣に座る咲恵さきえの頭が乗った。

「少しだけ…………」

「うん…………いいよ」

 いつも以上に、萌江もえの声は優しかった。

 そしてその萌江もえの中に、咲恵さきえの意識が入り込む。


 ──……ふーん…………ビスクドールねえ…………


 翌日の朝食はワンプレート。メインは卵入りホットサンド。炒めた生ウインナーとザワークラウト。いつものコーヒー。

 萌江もえは朝に猫と一緒に朝食をとる時間が最近は一番好きだった。しかも月曜日は咲恵さきえもいる。


 ──贅沢だなあ…………


 そう思いながら萌江もえがコーヒーを口に運んだ時、咲恵さきえが口を開く。

「いつ気付いたの? 話すか話さないか悩んでたのに……」

 ニヤニヤとした萌江もえが応えた。

「悩んでるからだよ。私に秘密がバレないとでも思った?」

「秘密にするわけじゃなかったんだけど…………断ったほうがいいかなあって思ってたからさ」

 咲恵さきえはそう言いながら、ザワークラウトをフォークでクルクルと弄りつつ続ける。

「…………人形って……萌江もえも苦手でしょ?」

 そう言いながら、咲恵さきえは少し前の人形のことを再び思い出していた。

 萌江もえも同じ気持ちなのか、少し歯切れ悪く応える。

「うーん…………まあ、ね…………みっちゃんからでしょ?」

「うん……無理しないで…………乗り気しないのに…………」

 そう返しながらも、咲恵さきえの中には昨日のこともあった。あんなに萌江もえが疲れるくらいのことがあったばかり。少し休ませるべきだと思っていた。

 しかし、萌江もえからの返答は意外なもの。

「でもさ…………会ってみてもいいかな…………その人形…………」

「ちょっと…………」

「というより…………その子が会いたがってるよ…………」


 ──……まさか…………呼ばれてるの…………?





 平日。

 その日は朝から大粒の雪。

 萌江もえが遅目の朝に目を覚ました時には、すでに外はうっすらと白い。

 エアコンでリビングが暖まった頃、ソファーの上で丸くなる三匹の猫に声をかけた萌江もえは、いつものサッチェルバッグを持って外に出た。

 僅かに雪の積もり始めた道。

 まだ凍ってはいなかった。しかも思ったより気温は低くない。肌に刺さるような冷たさは感じなかった。

 それでも緩やかな坂を下りながら舗装された幹線道路まで歩くこと三〇分。やっとびついたバス停が視界に入ってきた頃には、さすがに頬から耳までが冷たい。ニットタイプのキャスケットを深めに被り、イヤフォンを差し込んだ耳を半分程度隠していたがそれでも空気の冷たさを感じる。


 ──……今夜は泊まりになるかな…………


 まだ道路が凍結しているわけではないからか、それほどバスも遅れなかった。


 萌江もえは駅前に着くと、近くのコンビニでホットの缶コーヒーを三本買って咲恵さきえと合流する。ほどなく到着した満田みつたの黒いアウディに乗り込むと、三人でコーヒーを飲みながら満田みつたの説明が始まった。

「依頼主はあくまで着物ブランドの代表取締役の瑞浪裕子みずなみゆうこ。婿養子は同じ会社の副社長になってる。とは言っても財閥自体の四代目は裕子ゆうこの弟の祐也ゆうや。その祐也ゆうやには妻はいるが子供はいない。戸籍上の息子二人はいずれも養子…………という複雑な状況なんだが、他に質問はあるかな?」

 運転をしながらそう説明する満田みつたに、後部座席の萌江もえが返す。

「ノイローゼになってるっていうのは四代目で間違いないのね?」

「毎日のように夢に人形が出てきてうなされるそうだよ。今もこれから向かう本家に暮らしてるから会うことは出来るだろうけどね」


 やがて到着した瑞浪みずなみ家は本家というだけあって確かに豪邸だった。現在でも国内の経済に影響を与える財閥。しかし満田みつたが指定されていたのはその本家の裏口だった。

「あまりオープンにはしたくないようでね…………」

 そう言って満田みつたはエンジンを切った。

 裏口と言っても決して小さいわけではない。それなりの大きさの扉があり、そこから車ごと入ることが出来た。

「随分と小さな裏口だこと…………」

 そんなことを呟きながら咲恵さきえが車を降りる。つい愚痴をこぼしたくもなる。本来は断ろうかと思っていた仕事だ。萌江もえが話に乗らなければ自分のところで止めていた。しかし咲恵さきえ自身も不思議に思う。


 ──……嫌なら最初に私が断ればよかっただけなのに…………


 裏口の門を閉じた使用人が三人を屋敷の入り口に促した直後、そこに現れたのは着物を着た初老の女性だった。

 その女性にすぐに声をかけたのは満田みつただった。

「お疲れですね社長…………お待たせしました」

 確かにその女性の顔は疲れていた。六〇を過ぎているとはいえ、顔のシワを別にしても目の下のクマが目立つ。

「すいません満田みつたさん…………お恥ずかしながら、最近は会社にも顔を出せていない状況でして…………」

 見ると、女性の背後には使用人が一人、体を支えるように控えている。

 それでも、その女性の立ち振る舞いはプライドを感じさせるものだった。決して見窄みすぼらしい印象はない。

 女性は萌江もえ咲恵さきえに視線を送りながら口を開く。

「満田さんにこんな素敵な女性のお知り合いがいるなんて…………身長もお高いのでウチの会社でモデルでもお願いしたいくらい…………」

「社長、まずは…………」

 そう言って話を遮ったのは満田みつただった。

 女性は息苦しそうに軽く息を吐くと、続ける。

「…………失礼いたしました…………私は当家四代目の姉…………瑞浪裕子みずなみゆうこと申します」





 本家の広い座敷で一通り話を聞く過程で、数人の使用人が一人ずつ呼ばれた。

「物音と言いますか…………パタパタと歩き回る音と言いますか…………その部屋は板間なんですが、何度もそんな音を聞いています」

「最初は一人の声でした…………笑い声のような感じで……聞き間違いかと思ったんですが…………少し前は何人もの話し声が聞こえて…………」

 そして誰もが口を揃えて言う。

 〝中を覗いても誰もいなかった〟と。

 そんな証言が広まり始めたのは、どこのお寺や神社でも断られ、やがて四代目の瑞浪祐也みずなみゆうやが悪夢にうなされるようになってからだった。

「どこでも引き取りを断られたということですけど」

 隣の咲恵さきえとは違って座布団に胡座あぐらをかいて座っていた萌江もえは、そう言って続けた。

「断られる理由は聞きましたか?」

 すると裕子ゆうこが応える。どんなにやつれた表情でも、背筋を伸ばして正座する姿はりんとしたまま。

「どこも〝手に負えないから〟…………というばかりで、それ以上は語っては下さいませんでした…………」

「なるほど…………」

 萌江もえはそれだけ応えると、隣の咲恵さきえに顔を向けた。

 すると咲恵さきえもすぐに気が付いて萌江もえを見ると小さく口を開く。

「……何かは分からないけど、恐れた…………?」

「そんな感じだね…………それじゃ────」

 萌江もえはそれだけ言うと立ち上がった。

 裕子ゆうこが顔を上げる。

 そして小さくうなずいて立ち上がった。

「……分かりました…………ご案内いたします」


 〝人形屋敷〟と呼ばれる離れは本家の建物と隣接して建てられていた。離れとは言っても立派な平家だった。簡素な柵で囲われてはいるが、その部分だけでも狭くはない。離れというより別邸と言っても差し支えない和風建築。庭もしっかりと整えられ、現在でも管理されているのが見た目だけでも分かった。

 事実、人が住んでいないにも関わらず定期的に使用人が清掃に入るほどだ。古くからそれがこの家での仕事の一つだったのだろう。

「以前はこの家中が人形で溢れていました…………使用人一〇人ほどで週に一度は清掃をしていたのですが、だいぶ大変だったようですよ」

 裕子ゆうこが家の奥へ三人を案内しながら説明を続けた。

 数人の使用人が裕子ゆうこに続くようにしながら雨戸を開け、廊下に陽が差し込む。

 萌江もえ咲恵さきえはいつの間にか雪が止んで日が差し込んでいたことを改めて感じた。そんなことにも遅れて気が付くほどに集中していた。しかもそれは決して意識的ではない。屋敷で話を聞いていた頃から、頭に人形のイメージが浮かんで消えない。どうしてもそこに意識を集中せざるを得なかった。

 その部屋は外に面する廊下から更に奥に入った部屋。

 障子ではなく木の引き戸。

 その重そうな引き戸を開けると、その〝木箱〟はすぐ正面にあった。

 決して広い部屋ではなかった。部屋の壁の一つに古い箪笥たんすのような物があるだけで、中心に古い木製のテーブル。

 その上にそのきりの箱はある。

 しかし不思議なほどにその箱は古さを感じさせなかった。いくら素材がきりとはいえ、ここまで真新しいままなのは異常に感じるほどだ。

 全員でその木箱を囲むように近付きながら、最初に口を開いたのは咲恵さきえだった。

「この箱は最初からの物ですか? 何度か新しくされたことは……?」

 裕子ゆうこはすぐに応える。

「いえ……最初の頃は分かりませんが、少なくとも私の記憶では、ありません」

 裕子ゆうこきりの箱に手を添え、ゆっくりと蓋を開けた。

 古いビスクドールが姿を現す。

 しかしその歴史を感じさせるのは着ている青いドレスだけ。その色に鮮やかさはすでに無い。白かったであろうレース部分も僅かに茶色く変色していた。

 しかし顔だけは白いまま。

 陶磁器の上に塗料を塗っているとしても、長い間色せないということがあるとは信じがたかった。塗料のヒビ割れも見られない。

 金色の髪も、まるでくしで溶いたばかりのように滑らかだ。

 輝いて見えるほど。

 つやのある唇。

 深みのある瞳。

 誰もが目を奪われていた。

 しかし、萌江もえは両肩を掴まれて我に返る。

 咲恵さきえだった。

 その咲恵さきえの声が萌江もえの背後から響く。

「…………気を付けて…………この子は生きてる…………」

 すると萌江もえは右手を上げ、左肩に乗る咲恵さきえの手に乗せた。咲恵さきえがその手を握る。

 直後、萌江もえ咲恵さきえの視界が一瞬だけゆがむ。

 二人は同時に足に力を入れた。


 ──……入ってくる…………


 咲恵さきえがそう感じた直後、萌江もえは反射的に左手で首筋に下がる水晶を掴んでいた。


 ──…………会いにきたよ…………





             「かなざくらの古屋敷」

      〜 第八部「記憶の虚構」第3話(第八部最終話)へつづく 〜

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