第四部「罪の残響」第3話(第四部最終話) (修正版)

 日曜日。

 その日も朝から暑い一日が始まっていた。

 夜形の萌江もえにとって午前の九時に起きることは珍しい。余程の理由がなければあり得ないほどだ。決して咲恵さきえの生活スタイルに合わせているわけではない。自分の家にいると言っても、毎日咲恵さきえに電話をするほど若くもない。

 萌江もえはこの家の夜の静けさが好きだった。

 近所と言っても車で移動したくなるほどの距離。周囲に人の気配など感じるはずもないままに木々の葉のこすれる音に耳を澄ます。時折聞こえる動物の声がいとおしく感じるのはなぜだろう。

 野生動物との共存は決して綺麗なものではない。相手によってはお互いに命の危険を感じることもある。

 しかし、なぜかこの家にはその心配はなかった。少なくとも萌江もえ自身が危険な目に遭ったことはない。そして萌江もえには、最近その理由がなんとなく分かってきていた。

 珍しく萌江もえは冷蔵庫から炭酸飲料のペットボトルを取り出すと、汗ばんだ喉に押し込む。

 ビール以外の炭酸飲料を飲むことはそれほどない萌江もえだったが、そんな萌江もえでもたまには飲みたくなることもある。それでもその仕様比率の多くは洋酒を割るため。

 定期的にネット通販で箱買いするペットボトルの飲み物の内容は多岐に渡った。

 緑茶、紅茶、コーヒー、スポーツドリンク。コーヒーはほとんどドリップ派の萌江もえだが、缶コーヒーもそれなりに飲む。また別の物だと考えていた。そのため、ドリップはブラックでしか飲まない萌江もえでも缶コーヒーになると甘い物が多い。

 萌江もえは炭酸飲料のポットボトルを片手に縁側に腰を降ろした。

「日差し、強いなあ…………」

 それでも家の構造的に風通しはいい。

 未だにエアコンは取り付けていなかった。萌江自身、エアコンが嫌いなわけではないし、事実として咲恵さきえのマンションにいる時はエアコンが無いと生きられないと思っている。

 それでも、この家を通る風が好きだった。


 ──風が弱い日はキツいけどねえ


 ペットボトルを横に置くと、足元のサンダルを引っ掛ける。立ち上がると、外のジョウロを手にして玄関のそばの水道まで歩いた。

 最近は雨が降っていなかった。ニュースでは水不足の話題が多い。

 使用する水の半分を地下水で賄っているこの家では、不安が全くないわけではない。

 そして、もっと不安なのは庭の草木のほうだろうと萌江もえは思っていた。ジョウロに水を張り、だいぶ背の伸びてきた畑の野菜たちに水を撒く。土に集中的に水を染み込ませるように優しく水を広げていった。

「美味しいキュウリとジャガイモが食べたいなあ」


 ──……最近独り言が増えたな…………


 萌江もえがそんなことを思いながらジョウロを元の場所に戻した時、急に外の道路が騒がしくなる。

 聴き慣れた咲恵さきえの車の音と、初めてここにくる杏奈あんなの車。


 ──……賑やかになったなあ…………


 最初に車を降りたのは西沙せいさだった。

萌江もえ!」

 叫んで駆け寄った西沙せいさが、萌江もえの前で立ち止まって更に叫んだ。

「なんなのよその格好!」

「何が?」

「下着くらい着けなさいよ!」

 萌江もえは昨夜から真っ白なロングTシャツ一枚。

「分かった? 透けてる?」

「透けるっていうか分かるでしょ⁉︎ 首から水晶下げる時間あるなら下着だって履けるでしょ⁉︎」

「いいじゃん自分の家なんだから」

「見てるこっちが恥ずかしいのよ!」

「それよりこの暑い日にゴスロリなんてよく着てられるよねー」

「夏服バージョンなんだけど…………」

 そして、そこに歩み寄ってきた咲恵さきえ萌江もえの目の前で冷静に口を開く。

「この間はごめん。気持ちがフラついてた」

 そして萌江もえの体に抱きつく。

 驚いた顔の西沙せいさ杏奈あんなを無視し、咲恵さきえの言葉が続いた。

「……私も…………あなたから逃げないよ…………でもごめん萌江もえ…………今日は私だけじゃないの…………服を着て……今の私には刺激が強過ぎる…………」

「わ、分かった……ごめん」

 大人しく寝室に入っていく萌江もえを無視し、咲恵さきえは縁側からリビングに上がるとまっすぐキッチンの冷蔵庫を開ける。

「そっから入っていいわよ二人とも。何飲む? えーっと、ああ、色々冷やしてあるね」


 ──……結構準備してるじゃない…………


「紅茶ある?」

 そう言った西沙せいさ咲恵さきえはすぐに応える。

「ストレートティーならあるよ」

「じゃ、私はコーヒーとかあれば…………」

 そう言ったのは杏奈あんなだった。

「甘いのだけどいい?」

 冷蔵庫の扉から顔を出して聞き返した咲恵さきえに、杏奈あんなもすぐに返す。

「あ、そのほうが嬉しいです」

「じゃ、私は緑茶で」

 三人がリビングのテーブルを囲むと、そのテーブルの上には大量の紙の束。一緒にあるのはあの夜に杏奈あんなが撮影した現場写真。いずれも杏奈あんなが数日前にこの家宛に郵送した物だった。

 それを見ながら咲恵さきえが口を開いた。

「これはこのままのほうが良さそうね。萌江もえなりにまとめてるはず…………杏奈あんなちゃんの用意してくれた資料?」

 そして杏奈あんなが返す。

「はい…………あの屋敷の歴史です…………」

「あれから新しい情報は?」

「…………分析結果が出ました」

 そして、すぐ隣の寝室のドアが開いて萌江もえが姿を表す。

 ダメージジーンズに薄手のトレーナー。いつもラフで緩い服装を好む萌江もえらしい印象だった。それでも首の水晶だけは外さない。

「分析結果を聞く前に、まずは私の推測から…………かな」

 そう言いながら縁側に置いてあった自分のペットボトルを持ち上げたところで、西沙せいさが声を上げた。

萌江もえっていつも首元が緩い服ばっかりだよね。なんかそのイメージがある」

「ああ、これ?」

 咲恵さきえ西沙せいさの間に腰を降ろした萌江もえが続ける。

「首周りがキツいのって苦手なんだよね…………タートルネックとかダメ。ネクタイも嫌い」

「そうなんだ…………」

 不思議そうに萌江もえの首筋に視線を送る西沙せいさ萌江もえがからかう。

「触りたいの? どちらかというと舐められるほうが好き…………」

「そういうのは興味ないってば」

「それは残念。首が窮屈きゅうくつなのが嫌いなのは子供の頃からだったけど…………産まれた時にへそが首に巻きついてたって知ったのは最近…………」

「そんなこともあるんですね…………」

 呟くように言ったのは杏奈あんなだった。

 萌江もえが、自分が産まれた時のことを知ったのは、もちろん咲恵さきえから流れ込んできたもの。

 おかしなものだと萌江もえ自身も思った。まるで覚えていない母親。まだ赤ん坊だった自分が覚えているわけがない。まして自分が産まれる時の光景など、普通の人間には決して見ることが出来ないものだろう。まるで自分が自分ではないような、そんなおかしな感覚だった。

 しかし、萌江もえ咲恵さきえの能力が無ければ、萌江もえが母親に会うことが出来なかったのも事実。例え記憶の中だけだったとしても、それには必ず意味があると思えた。

 そう、思いたかった。

 そして、その萌江もえが始める。

「さて、それじゃ、初めよっか…………その前に一つだけ…………ここでの会話はここだけのものにしてくれる? みんなこのままじゃモヤモヤしたままだろうから今日はハッキリさせるけど、この家を出たら総て忘れること。だから杏奈あんなちゃんには悪いんだけど、ブログの話も無し…………そのほうがいいと思う…………で、杏奈あんなちゃん、さっきの分析結果見せてもらえる?」

 そんな萌江もえの言葉に、杏奈あんなは複雑な表情を見せた。そしてゆっくりと、いつものバッグに立てかけてあった大きな封筒を手に取る。

 そして萌江もえに渡した。

 萌江もえはゆっくりとその中身を取り出すと、眺めながら続ける。

「これはあの夜に、あの屋敷の敷地内にあった井戸の組み上げ機の蛇口…………にこびり付いていた水垢みずあか…………やっぱりね。咲恵さきえ…………あなたの予測は正しかった」

 すると咲恵さきえが小さく息を吐く。

 萌江もえが説明を繋いだ。

「みんな予測しているように、あの屋敷の最初の住人であるイギリス人家族は病死じゃない…………殺されてる…………問題は、誰に殺されて、誰によってあの屋敷の地下に隠されたのか…………西沙せいさ、あなたがキャッチした〝念〟って、誰のものか分かってるんでしょ?」

 そう言って萌江もえは隣の西沙せいさに顔を向ける。

 西沙せいさは一瞬だけ驚いたように、それまで見惚みとれていた萌江もえの顔から目線を外すと、ゆっくりと応えた。

「イギリス人の…………要人を殺した人…………」

「…………やっぱり……そうだよね…………これで繋がった…………みんな、もう一度現場の写真を見てくれる?」

 全員がテーブルの上の現場写真を覗き込んだ。

 そこにはあの手彫りの地下室。

 その何枚かを指差しながら萌江もえが続ける。

「ここに明らかに何かの箱状の物が置いてあった跡がある…………手彫りの隠されていた地下室…………この中に置かれていた物はきっと秘密にしておきたい物なはずでしょ? イギリス人が日本に持ち込んで……かつそれを〝許せなかった〟人物が殺人を犯した…………西沙せいさ…………あなたが残した言葉から、私の推測を交えて杏奈あんなちゃんに調べてもらったことがある」

 萌江もえは小さく息を吐いた。

 そして資料の一枚を手に取ると続ける。

「明治政府外国事務総監、井上実美いのうえさねとみの秘書官、大隈武揚おおすみたけあき…………本人が行方不明になった後で一家は取り潰し、家族全員が離散してる…………でも行方不明になる前、本人の遺書とも取れる手紙がある新聞社に持ち込まれた」

「はい…………」

 杏奈あんなが口を開き、続ける。

「私が記事を書いてる雑誌社の親会社です…………見付けるのは大変でしたが…………」

 そして杏奈あんなはバッグからクリアファイルを取り出した。

 そこには宛名の書かれていない色褪せた茶封筒が一つ。

「残念ながら誰がこれを持ち込んだのかは分かりません。本人かどうかも記録を辿ることは出来ませんでした」

「上等だよ杏奈あんなちゃん。これでだいぶ話が繋がる」

 その萌江もえの声に、杏奈あんなの顔が少しだけ明るくなった。

 萌江もえは続ける。

「そしてさっきの分析結果…………〝モルヒネ〟だよ」





 その洋館に大隅武揚おおすみたけあきが呼ばれたのは寒い冬の夜だった。

 微かに雪がチラついていたが、幸いにも積もる程でもないようだ。

 運転手でもある通訳と洋館に到着したのはすでに夜の一〇時を回っていた。急な呼び出しだった。

 大隅おおすみが秘書官として仕えていた明治新政府外国事務総監の井上実美いのうえさねとみには内密とのこと。何かしらの緊急事態かと大隅おおすみは駆けつけた。

 使用人に通された部屋は屋敷のかなり奥の部屋だった。決して大きい部屋ではない。中の小さな裸電球が点いてはいたが、明るいとも言い難い。その大き目のクローゼットのような狭い部屋には、いくつかの木箱が壁際に積まれていた他は中央の小さなテーブルと、そのテーブルを挟んだ向かい合わせの椅子が一つずつあるだけ。

 部屋の奥側にイギリス政府外交使節団所属であるアルグレンが座っていた。明治新政府の相談役という立ち位置で来日していた人物だ。明治維新を裏から支えたイギリス政府は明治新政権が樹立した後も日本を支え続けていた。それは技術や知識だけではない。日本に軍隊を作り上げるための武器供与と教育にも熱心だった。

 近代化を急いでいた日本にはイギリスを断る理由は存在しなかった。

 もちろんそのイギリスからの使者であるアルグレンの待遇は相当なものだった。

「今日は……何か緊急な御用向きですかな」

 大隅おおすみの言葉を通訳が英語にしてアルグレンに伝える。

 アルグレンの英語を通訳が日本語にして大隅おおすみに伝えた。

「どうしても大隅おおすみ様に内密でお願いしたいことがあると…………」

「内密ですか…………」

 それは、日本国内での麻薬の密売だった。

 日本国内で当時一番流通していた麻薬と言えばアヘン。しかしそれは明治維新前から禁止され、新政府が樹立してからも法律で厳しく取り締まっていた。それでも流通していたのは外国からの密輸に他ならない。

 イギリスは過去にしんに対して大量のアヘンを密輸していた過去があった。それを危険視した清によって厳しく取り締まわれ、結果的にアヘン戦争が勃発する。

「せっかく世界の国々の仲間入りを果たした我が国に────しんと同じ道を辿れと言うのか⁉︎」

 大隅おおすみは声を荒げていた。

 通訳も困惑した表情のままアルグレンに伝える。

 もしも日本での流通に手を貸してくれたらそれなりの報酬とこれからの立場を保障するということだった。確かにこの頃のイギリスは日本政府に対しての強力な権限を有していた。

「買収か⁉︎ どこまで愚弄ぐろうするか!」

 大隅おおすみは立ち上がっていた。

 アルグレンも思わず立ち上がり、笑顔で大隅おおすみいさめようとする。しかしそれは当時の日本人にはまだ相容れない感覚であり、大隅おおすみは自然とアルグレンの手を払い除けた。それがアルグレンの神経を刺激し、二人は揉み合い始めた。

 そして制止しようとする通訳を弾き飛ばしたアルグレンは拳銃を抜いた。

 その手に掴みかかり、懸命に大隅おおすみは抵抗を繰り返す。


 ──……井上いのうえ様に伝えなければ…………この日本国は…………


 銃声が響く。

 アルグレンが倒れた。

 震える大隅おおすみの手には拳銃。

 慌てて通訳が部屋を飛び出す。

 使用人に顛末てんまつを伝えて電話を借り、井上実美いのうえさねとみへ繋いだ。

 井上いのうえは一時間程で駆けつけた。情報が錯綜したのか、軍用車両が数台後ろについている。

 そこに走り寄る通訳の案内で井上いのうえと陸軍兵士が数名中へ。

 部屋を覗くと、そこには胸から血を流して倒れるアルグレンと座り込む大隅おおすみ

 大隅おおすみ井上いのうえの姿を見るなり、体を震わせながら、頭を床につけて土下座をしていた。

「申し訳ありません! 申し訳ありません!」

 一時的に陸軍が占拠した屋敷の中で、井上いのうえ大隅おおすみから事の一部始終を聞いた。

「確かに…………これは見過ごせない事案だ…………しかし…………」

 井上いのうえが呟くように言葉を吐き出した直後、兵士が報告にやってくる。

 殺害現場の部屋の地下に、大量のモルヒネとヘロインが見付かる。どちらも不純物の多いアヘンの粉末から精製される物。確実にアヘンの粉末よりも高値で取引される純度の高い物だ。

「こんな物を密輸して…………日本人を愚弄ぐろうして…………二度目のアヘン戦争でこの日の本を自分たちの物にするつもりだったのか!」

 井上いのうえも声を荒げていた。

 自然と体が怒りで震え始める。

 アルグレンの家族が広い部屋に集められた。

 それからの井上いのうえの命令は非情だった。

 家族は全員銃殺され、地下室に。

 井上いのうえも冷静ではなかったのだろう。イギリスと一戦交えることもやむなしと考えていた。

 しかし、翌日、井上いのうえが報告した政府の判断は違った。

 地下室と、その地下室の入り口のあった部屋は大量の土で埋められ、その部屋の入り口は分厚い板を当てられ、一見すればただの壁。その奥に部屋があるようには見えない。

 イギリスには病死したとの連絡をし、火葬された死刑囚の骨を送る。流行はややまいだったために、感染の危険性を懸念して火葬したことにした。

 その二日後、井上いのうえに降格の辞令が降り、大隅おおすみは通り魔を装った男に刺し殺される。

 僅かな遺恨いこんは残したが、日本はイギリスを捨てることは出来なかった。外交問題に発展することを一番恐れた。

 日本は、まだ、小さな国だった。





「その後…………あの土地と建物がイギリスから日本に売却されたのは明治八年です」

 そう説明するのは杏奈あんなだった。

 杏奈あんな大隅武揚おおすみたけあきの手紙をゆっくりと、そして丁寧に封筒に戻すと、入れてきたクリアファイルに挟んだ。

「多分、日本はあの建物が欲しかったんでしょうね。何度も売却の申請をイギリスに出しています。所有がイギリスの内は何かのタイミングでバレないとも限らない。事実隠し続けました。代わりに来日した大使は別の屋敷を作ってまでそっちに住まわせています」

 その杏奈あんなの言葉を受けて萌江もえが呟く。

「日本を守るためか…………立場を悪くしたくないから何かを隠すって……今の時代でも変わらない気がするけどね…………」

 それをすくい上げたのは咲恵さきえだった。

「過去の話だからって……今でも隠したい気持ちも分からなくないけど…………警察が遺体と一緒に回収したのはやっぱりモルヒネかヘロイン?」

 萌江もえが応える。

「そうだろうね。それでどういうことなのか捜査を開始したら…………国からの圧力で捜査は中止って流れじゃないかな。最悪のことを考えて工事が再開されるまでは山の中に警備をつけてまで守ってる。麻薬の痕跡を見付けられるわけにはいかない…………多分政府には代々、そうやって隠し通さなきゃならないことが他にもあるんだろうね。マスコミに圧力をかけてでも…………」

 そして小さく呟いたのは西沙せいさ

「あの人は…………本気でこの国を守ろうとした…………あの人の悔しさが入り込んできた…………でも秘密にしたい気持ちもあって…………だから私の中に入るのを躊躇ちゅうちょした…………」

 西沙せいさは膝を抱いて肩を震わせ始めた。

 表面的な言葉や文章ではなく、西沙はダイレクトに入り込んできた人の感情を感じていた。

 萌江もえ西沙せいさの肩に手をおきながら、どれだけ辛い体質だろうかと考えていた。


 ──……よく耐えたね…………国に対する想いなんて…………大き過ぎる…………


「その後は、モルヒネが地中に染み込んで地下水にってことで間違いないんでしょうか」

 その杏奈あんなの質問に、分析された資料を見ながら萌江もえが応える。

「間違いないだろうね。地下室を埋めた時に入れ物が瓶だったとすれば、割れたりすれば…………この結果だと90%以上の確率でモルヒネが検出されてる。少しずつ摂取し続けて…………病院の死亡診断書までは見付からなかった?」

「さすがにそこまでは古すぎて…………」

 そこに刺さったのは咲恵さきえ

「イギリス家族の後に暮らした二家族はどちらも全員が病院で亡くなってる。問題は最後の家族よね…………どうしてもあそこで死んでるからイメージが強かったんだけど、体調を全員が崩していたのは事実みたい。でも家族を惨殺した主人のイメージで気になるのがあって…………」

 咲恵さきえ眉間みけんしわを寄せて視線を落とした。

 すると萌江もえが優しくささやく。

「大丈夫? ゆっくりでいいよ」

「うん……大丈夫……ごめん…………あの家で西沙せいさちゃんの口から出た言葉…………多分、イギリス人を殺した人じゃなくて、最後の主人の言葉…………その光景が見えた…………」

「ああ…………分かった…………」

 突然そう声を上げた萌江もえが続ける。

「どうしてリンクするのか分からない部分があったんだけど、もしかしたらその最後の主人って、最初の大隅おおすみと血縁関係にあったんじゃないかな…………その人を経由してでも伝えたかったのかもしれない…………だとしたら、同じように血縁関係にあった人が大隅おおすみの手紙を新聞社に持ち込んだ。でもそれも政府に握りつぶされた…………」

 そこに咲恵さきえの声が重なる。

「この間……西沙せいさちゃんに入ろうとした人って…………」

 萌江もえはテーブルの上の資料を漁り始めた。そして辿り着いた一枚を見ながら続ける。

「やっぱり…………最後の主人の実家、財産を失って破産してる…………国に土地を徴収されて…………それでも推測の粋は出ないけど…………」

 それをすくい上げたのは咲恵さきえ

「いえ、間違っていないと思う…………大隅おおすみとあの主人って、私も何か繋がって見えてて…………そっか…………すごい〝念〟だね」

 杏奈あんなが反射的に挟まった。

「幽霊とは、違うんですか?」

「100%の答えじゃないとは思うけど、意思を持った幽霊が何かをしてるって感じじゃないんだよね。何か〝想い〟のようなものって言ったほうがいいのかな…………でも、それがなんなのか、それは私でも萌江もえでも、まだ辿り着いてないの…………」

「分かりようがないこともあるもんだよ」

 そう繋ぐ萌江もえが続ける。

「世の中には、説明の出来ない不思議なことが確かにあるよ。そこに逃げるのは嫌いだけど、なんでも幽霊だの呪いだのっていうのはちょっとね…………事実あの屋敷の〝呪い〟って思われてた部分も〝呪い〟なんかじゃなかった。みんな麻薬で死んだだけ。ただ……大隅おおすみの〝念〟だけは残ってた…………大隅おおすみは麻薬で人を呪い殺すような人じゃないよ。もしも幽霊になって関わるなら、あの人なら全力でみんなを助けようとしたと思うよ。それなのに、その強い〝念〟ですら権力の圧力に屈しなきゃいけないんだね…………」

 すると杏奈あんなが大きく息を吐いて口を開いた。

「かなり昔のことなはずなのに、今でも政府が圧力をかけるなんてことホントにあるんですかね?」

 応えるのは萌江もえ

「真実は墓まで持っていくって言って死んでった政治家もいるよ。あの世界に足を踏み入れるって、そういうことなんじゃないのかな」

「じゃあ、今回のこの件は…………」

「完全に手を引いて…………私たちのことも、この家のことも…………全部忘れて…………デジタルデータは総て消すこと。ここの資料は私が処分しておく。にも手を引くことは伝えて。それがあなたを守る事になる」

「じゃあ大隅おおすみの〝想い〟はどうなるんですか⁉︎」

「私たちが受け取った…………それで終わり」

「嫌です! 私は相手が国だって────」

「やめて!」

 そう叫んだのは西沙せいさだった。

「あの人は、そんなことは望んでいない…………あの人は国のことを思っていたのに…………その国に裏切られた…………もう…………終わりにしてあげて…………」

 その西沙せいさの言葉は、まるで、大隅おおすみからの〝想い〟のようだった。





大隅おおすみの…………大隅おおすみさんの、お墓だけは探します。お墓参りだけはしたいです」

 帰り際、車に乗り込む前に杏奈あんなはそう言って唇を噛み締めていた。

 萌江もえが応える。

「うん…………もうすぐお盆だしね…………」

 すると杏奈あんなの隣の西沙せいさがすぐに萌江もえに食いついた。

「あれ? だって前に、お盆って…………」

「だからだよ。風習は〝想い〟から生まれるもの…………だから必要なんでしょ」

「やっぱり萌江もえとは一生の付き合いになりそうだ」

「なぜ」

 その萌江もえの返答を無視するかのように、西沙せいさはハンドバッグから三つ折りにした紙を取り出し、萌江もえに渡して続ける。

萌江もえへのメッセージを預かってた……今日はこれを渡すために来たの…………後で見て…………」

「メッセージ? ……誰…………?」

 不思議そうに折られた紙を見続ける萌江もえに、さらに西沙せいさが声をかける。

「それと…………これからも呼び捨てでいいから…………じゃあね」

 西沙せいさは逃げるように杏奈あんなの車の助手席に乗り込むと下を向く。

 それを見た咲恵さきえささやく。

「そう言えば…………いつから?」

「…………覚えてない」

「ふーん…………これも西沙せいさちゃんの〝想い〟か」

「跳ね返す」

「そんな可哀想」

 杏奈あんなが車のドアを開けながら声を上げる。

「お世話になりました!」

 萌江もえが軽く手を振り、咲恵さきえが応える。

「元気でね」

 何かを言いかけた杏奈あんなが、黙って車に乗り込んだ。


 ──……もう会えないかもって思ってるの…………嫌だな…………


 咲恵さきえがそう思った直後、杏奈あんなの車が遠ざかって行く。

 だいぶ陽が傾いていた。

 陽の長いこの時期。時間もすでにそれなり。

 萌江もえは無意識の内に手の中の紙をポケットに押し込み、縁側からリビングへ。

 テーブルの資料をまとめ始めた。

「…………明日には処分しておくよ」

 そう言った萌江もえの声は、どこか寂しげだった。

 その声が続く。

「今夜はビールが飲みたいねえ」

 その後ろから、咲恵さきえが両腕を回した。

 まるで時が止まってしまったかのような瞬間。

 そして萌江もえの耳元で咲恵さきえささやく。

「……よく耐えたね…………大隅おおすみの〝想い〟を一番ダイレクトに感じてたのはあなただったのに…………」

「…………気付いてたの?」

 気持ちのどこかを突かれたのか、途端に萌江もえの声はどこか甘えたものに。

「私が気付かないと思ったの?」

 その柔らかい咲恵さきえの声に気持ちのどこかを動かされたのか、萌江もえの目から涙が溢れ出す。

「…………悔しかった…………許せない…………」

 そんな震える萌江もえの声に、咲恵さきえも言葉が溢れる。

「昔〝愛国者は国を政府から守れ〟って言った人の言葉を見たことがあるけど…………綺麗事にしか聞こえない…………世界は、そんなに単純じゃない…………私たちには、私たちが生きれる世界がある…………そこで生きて行こうよ…………」

 萌江もえ咲恵さきえの指に手を絡めながら応えた。

「…………うん」

「気晴らしにアレ見る?」

 咲恵さきえ萌江もえから離れると縁側へ。

 萌江もえは涙を拭いながら背中を追いかけた。

「さっき杏奈あんなちゃんがお礼にって置いていってくれた写真集。見てみない?」

「風景写真?」

「ポートレートって言うの? 詳しくないけど、元々はこっちが本職だって言ってたからね」

 表紙の写真は細かな葉で埋め尽くされ、その奥から逆光の日光が所々覗いていた。葉の色は緑だけではなかった。赤、黄色、茶色、それぞれが複雑に折り重なっていた。

 まるで動画でも見ているような感覚を萌江もえは受ける。

 でもそれは、萌江もえだからかもしれない。

 萌江もえはそんな感覚を隠すかのように言葉を吐き出した。

「なんか、こちゃこちゃとして見にくいなあ。芸術ってよく分からないから…………」

「そう? 芸術って元々は娯楽のことなんだから、無理して崇高な物を求める必要もないと思うよ。芸術ってもっと気楽なものでいいと思う。映画でも音楽でも、芸術と娯楽を切り分けて考える人って面倒な人ばっかり。もっと感じたままでいいのに」

「感じた通りって言っても…………同じデザインでも料理とは違うね」

 料理好きの萌江もえは、常々料理を〝デザイン〟するという考え方で作っていた。

 それは見た目だけではない。萌江もえの中では味もデザインの一部。そのデザインを形にするまでの過程が好きだった。

 咲恵さきえが返していく。

「まあ、好みの問題って言えばそれまでだけど、確かに総てが細かすぎて一見しただけなら何が描かれているのか分からない。でも────だからこそ見ようとする。全体に目を配って、細かい部分を注視する。萌江もえの考えに似てる。だから私は好き」

「どっちが? 写真? 私?」

「さあ」

「こら」

 その萌江もえの柔らかい笑顔が、咲恵さきえは何より大好きだった。

 その咲恵さきえが、笑顔を返しながら言葉を繋げる。

「そう言えば、西沙せいさちゃんからのプレゼントはなんだったの?」

「ああ、忘れてた」

 萌江もえはポケットからしわのよった紙を取り出して開いた。

 萌江もえの動きが止まる。

 写真集を開いていた咲恵さきえが声をかけた。

「ん? どうしたの?」

「…………ごめん…………」

 萌江もえの手が、咲恵さきえの手を探す。

 咄嗟に咲恵さきえはその手を掴んだ。

 握り返す萌江もえの力は強い。

「……ごめん…………だめだ…………」

 萌江もえの横顔に、涙が溢れていた。まるで音が聞こえるかのような大粒の涙がデニムに染み込んでいく。

 咲恵さきえは震える萌江もえの体を抱きしめるしかなかった。

 萌江もえの首に下がる水晶が暖かい。


 ──……どうしたの⁉︎ 教えて…………


 萌江もえの手の中の紙が視界に入る。


 ──……じゃあ…………あの二人って…………



    〝

       男の子も女の子も

       二人はいつも近くにいます

       水の玉を探しなさい

       私はそこで待っています

                     〟





        「かなざくらの古屋敷」

      〜 第四部「罪の残響」終 〜

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