第四部「罪の残響」第3話(第四部最終話) (修正版)
日曜日。
その日も朝から暑い一日が始まっていた。
夜形の
近所と言っても車で移動したくなるほどの距離。周囲に人の気配など感じるはずもないままに木々の葉の
野生動物との共存は決して綺麗なものではない。相手によってはお互いに命の危険を感じることもある。
しかし、なぜかこの家にはその心配はなかった。少なくとも
珍しく
ビール以外の炭酸飲料を飲むことはそれほどない
定期的にネット通販で箱買いするペットボトルの飲み物の内容は多岐に渡った。
緑茶、紅茶、コーヒー、スポーツドリンク。コーヒーはほとんどドリップ派の
「日差し、強いなあ…………」
それでも家の構造的に風通しはいい。
未だにエアコンは取り付けていなかった。萌江自身、エアコンが嫌いなわけではないし、事実として
それでも、この家を通る風が好きだった。
──風が弱い日はキツいけどねえ
ペットボトルを横に置くと、足元のサンダルを引っ掛ける。立ち上がると、外のジョウロを手にして玄関の
最近は雨が降っていなかった。ニュースでは水不足の話題が多い。
使用する水の半分を地下水で賄っているこの家では、不安が全くないわけではない。
そして、もっと不安なのは庭の草木のほうだろうと
「美味しいキュウリとジャガイモが食べたいなあ」
──……最近独り言が増えたな…………
聴き慣れた
──……賑やかになったなあ…………
最初に車を降りたのは
「
叫んで駆け寄った
「なんなのよその格好!」
「何が?」
「下着くらい着けなさいよ!」
「分かった? 透けてる?」
「透けるっていうか分かるでしょ⁉︎ 首から水晶下げる時間あるなら下着だって履けるでしょ⁉︎」
「いいじゃん自分の家なんだから」
「見てるこっちが恥ずかしいのよ!」
「それよりこの暑い日にゴスロリなんてよく着てられるよねー」
「夏服バージョンなんだけど…………」
そして、そこに歩み寄ってきた
「この間はごめん。気持ちがフラついてた」
そして
驚いた顔の
「……私も…………あなたから逃げないよ…………でもごめん
「わ、分かった……ごめん」
大人しく寝室に入っていく
「そっから入っていいわよ二人とも。何飲む? えーっと、ああ、色々冷やしてあるね」
──……結構準備してるじゃない…………
「紅茶ある?」
そう言った
「ストレートティーならあるよ」
「じゃ、私はコーヒーとかあれば…………」
そう言ったのは
「甘いのだけどいい?」
冷蔵庫の扉から顔を出して聞き返した
「あ、そのほうが嬉しいです」
「じゃ、私は緑茶で」
三人がリビングのテーブルを囲むと、そのテーブルの上には大量の紙の束。一緒にあるのはあの夜に
それを見ながら
「これはこのままのほうが良さそうね。
そして
「はい…………あの屋敷の歴史です…………」
「あれから新しい情報は?」
「…………分析結果が出ました」
そして、すぐ隣の寝室のドアが開いて
ダメージジーンズに薄手のトレーナー。いつもラフで緩い服装を好む
「分析結果を聞く前に、まずは私の推測から…………かな」
そう言いながら縁側に置いてあった自分のペットボトルを持ち上げたところで、
「
「ああ、これ?」
「首周りがキツいのって苦手なんだよね…………タートルネックとかダメ。ネクタイも嫌い」
「そうなんだ…………」
不思議そうに
「触りたいの? どちらかというと舐められるほうが好き…………」
「そういうのは興味ないってば」
「それは残念。首が
「そんなこともあるんですね…………」
呟くように言ったのは
おかしなものだと
しかし、
そう、思いたかった。
そして、その
「さて、それじゃ、初めよっか…………その前に一つだけ…………ここでの会話はここだけのものにしてくれる? みんなこのままじゃモヤモヤしたままだろうから今日はハッキリさせるけど、この家を出たら総て忘れること。だから
そんな
そして
「これはあの夜に、あの屋敷の敷地内にあった井戸の組み上げ機の蛇口…………にこびり付いていた
すると
「みんな予測しているように、あの屋敷の最初の住人であるイギリス人家族は病死じゃない…………殺されてる…………問題は、誰に殺されて、誰によってあの屋敷の地下に隠されたのか…………
そう言って
「イギリス人の…………要人を殺した人…………」
「…………やっぱり……そうだよね…………これで繋がった…………みんな、もう一度現場の写真を見てくれる?」
全員がテーブルの上の現場写真を覗き込んだ。
そこにはあの手彫りの地下室。
その何枚かを指差しながら
「ここに明らかに何かの箱状の物が置いてあった跡がある…………手彫りの隠されていた地下室…………この中に置かれていた物はきっと秘密にしておきたい物なはずでしょ? イギリス人が日本に持ち込んで……かつそれを〝許せなかった〟人物が殺人を犯した…………
そして資料の一枚を手に取ると続ける。
「明治政府外国事務総監、
「はい…………」
「私が記事を書いてる雑誌社の親会社です…………見付けるのは大変でしたが…………」
そして
そこには宛名の書かれていない色褪せた茶封筒が一つ。
「残念ながら誰がこれを持ち込んだのかは分かりません。本人かどうかも記録を辿ることは出来ませんでした」
「上等だよ
その
「そしてさっきの分析結果…………〝モルヒネ〟だよ」
☆
その洋館に
微かに雪がチラついていたが、幸いにも積もる程でもないようだ。
運転手でもある通訳と洋館に到着したのはすでに夜の一〇時を回っていた。急な呼び出しだった。
使用人に通された部屋は屋敷のかなり奥の部屋だった。決して大きい部屋ではない。中の小さな裸電球が点いてはいたが、明るいとも言い難い。その大き目のクローゼットのような狭い部屋には、いくつかの木箱が壁際に積まれていた他は中央の小さなテーブルと、そのテーブルを挟んだ向かい合わせの椅子が一つずつあるだけ。
部屋の奥側にイギリス政府外交使節団所属であるアルグレンが座っていた。明治新政府の相談役という立ち位置で来日していた人物だ。明治維新を裏から支えたイギリス政府は明治新政権が樹立した後も日本を支え続けていた。それは技術や知識だけではない。日本に軍隊を作り上げるための武器供与と教育にも熱心だった。
近代化を急いでいた日本にはイギリスを断る理由は存在しなかった。
もちろんそのイギリスからの使者であるアルグレンの待遇は相当なものだった。
「今日は……何か緊急な御用向きですかな」
アルグレンの英語を通訳が日本語にして
「どうしても
「内密ですか…………」
それは、日本国内での麻薬の密売だった。
日本国内で当時一番流通していた麻薬と言えばアヘン。しかしそれは明治維新前から禁止され、新政府が樹立してからも法律で厳しく取り締まっていた。それでも流通していたのは外国からの密輸に他ならない。
イギリスは過去に
「せっかく世界の国々の仲間入りを果たした我が国に────
通訳も困惑した表情のままアルグレンに伝える。
もしも日本での流通に手を貸してくれたらそれなりの報酬とこれからの立場を保障するということだった。確かにこの頃のイギリスは日本政府に対しての強力な権限を有していた。
「買収か⁉︎ どこまで
アルグレンも思わず立ち上がり、笑顔で
そして制止しようとする通訳を弾き飛ばしたアルグレンは拳銃を抜いた。
その手に掴みかかり、懸命に
──……
銃声が響く。
アルグレンが倒れた。
震える
慌てて通訳が部屋を飛び出す。
使用人に
そこに走り寄る通訳の案内で
部屋を覗くと、そこには胸から血を流して倒れるアルグレンと座り込む
「申し訳ありません! 申し訳ありません!」
一時的に陸軍が占拠した屋敷の中で、
「確かに…………これは見過ごせない事案だ…………しかし…………」
殺害現場の部屋の地下に、大量のモルヒネとヘロインが見付かる。どちらも不純物の多いアヘンの粉末から精製される物。確実にアヘンの粉末よりも高値で取引される純度の高い物だ。
「こんな物を密輸して…………日本人を
自然と体が怒りで震え始める。
アルグレンの家族が広い部屋に集められた。
それからの
家族は全員銃殺され、地下室に。
しかし、翌日、
地下室と、その地下室の入り口のあった部屋は大量の土で埋められ、その部屋の入り口は分厚い板を当てられ、一見すればただの壁。その奥に部屋があるようには見えない。
イギリスには病死したとの連絡をし、火葬された死刑囚の骨を送る。
その二日後、
僅かな
日本は、まだ、小さな国だった。
☆
「その後…………あの土地と建物がイギリスから日本に売却されたのは明治八年です」
そう説明するのは
「多分、日本はあの建物が欲しかったんでしょうね。何度も売却の申請をイギリスに出しています。所有がイギリスの内は何かのタイミングでバレないとも限らない。事実隠し続けました。代わりに来日した大使は別の屋敷を作ってまでそっちに住まわせています」
その
「日本を守るためか…………立場を悪くしたくないから何かを隠すって……今の時代でも変わらない気がするけどね…………」
それを
「過去の話だからって……今でも隠したい気持ちも分からなくないけど…………警察が遺体と一緒に回収したのはやっぱりモルヒネかヘロイン?」
「そうだろうね。それでどういうことなのか捜査を開始したら…………国からの圧力で捜査は中止って流れじゃないかな。最悪のことを考えて工事が再開されるまでは山の中に警備をつけてまで守ってる。麻薬の痕跡を見付けられるわけにはいかない…………多分政府には代々、そうやって隠し通さなきゃならないことが他にもあるんだろうね。マスコミに圧力をかけてでも…………」
そして小さく呟いたのは
「あの人は…………本気でこの国を守ろうとした…………あの人の悔しさが入り込んできた…………でも秘密にしたい気持ちもあって…………だから私の中に入るのを
表面的な言葉や文章ではなく、西沙はダイレクトに入り込んできた人の感情を感じていた。
──……よく耐えたね…………国に対する想いなんて…………大き過ぎる…………
「その後は、モルヒネが地中に染み込んで地下水にってことで間違いないんでしょうか」
その
「間違いないだろうね。地下室を埋めた時に入れ物が瓶だったとすれば、割れたりすれば…………この結果だと90%以上の確率でモルヒネが検出されてる。少しずつ摂取し続けて…………病院の死亡診断書までは見付からなかった?」
「さすがにそこまでは古すぎて…………」
そこに刺さったのは
「イギリス家族の後に暮らした二家族はどちらも全員が病院で亡くなってる。問題は最後の家族よね…………どうしてもあそこで死んでるからイメージが強かったんだけど、体調を全員が崩していたのは事実みたい。でも家族を惨殺した主人のイメージで気になるのがあって…………」
すると
「大丈夫? ゆっくりでいいよ」
「うん……大丈夫……ごめん…………あの家で
「ああ…………分かった…………」
突然そう声を上げた
「どうしてリンクするのか分からない部分があったんだけど、もしかしたらその最後の主人って、最初の
そこに
「この間……
「やっぱり…………最後の主人の実家、財産を失って破産してる…………国に土地を徴収されて…………それでも推測の粋は出ないけど…………」
それを
「いえ、間違っていないと思う…………
「幽霊とは、違うんですか?」
「100%の答えじゃないとは思うけど、意思を持った幽霊が何かをしてるって感じじゃないんだよね。何か〝想い〟のようなものって言ったほうがいいのかな…………でも、それがなんなのか、それは私でも
「分かりようがないこともあるもんだよ」
そう繋ぐ
「世の中には、説明の出来ない不思議なことが確かにあるよ。そこに逃げるのは嫌いだけど、なんでも幽霊だの呪いだのっていうのはちょっとね…………事実あの屋敷の〝呪い〟って思われてた部分も〝呪い〟なんかじゃなかった。みんな麻薬で死んだだけ。ただ……
すると
「かなり昔のことなはずなのに、今でも政府が圧力をかけるなんてことホントにあるんですかね?」
応えるのは
「真実は墓まで持っていくって言って死んでった政治家もいるよ。あの世界に足を踏み入れるって、そういうことなんじゃないのかな」
「じゃあ、今回のこの件は…………」
「完全に手を引いて…………私たちのことも、この家のことも…………全部忘れて…………デジタルデータは総て消すこと。ここの資料は私が処分しておく。警察の情報屋にも手を引くことは伝えて。それがあなたを守る事になる」
「じゃあ
「私たちが受け取った…………それで終わり」
「嫌です! 私は相手が国だって────」
「やめて!」
そう叫んだのは
「あの人は、そんなことは望んでいない…………あの人は国のことを思っていたのに…………その国に裏切られた…………もう…………終わりにしてあげて…………」
その
☆
「
帰り際、車に乗り込む前に
「うん…………もうすぐお盆だしね…………」
すると
「あれ? だって前に、お盆って…………」
「だからだよ。風習は〝想い〟から生まれるもの…………だから必要なんでしょ」
「やっぱり
「なぜ」
その
「
「メッセージ? ……誰…………?」
不思議そうに折られた紙を見続ける
「それと…………これからも呼び捨てでいいから…………じゃあね」
それを見た
「そう言えば…………いつから?」
「…………覚えてない」
「ふーん…………これも
「跳ね返す」
「そんな可哀想」
「お世話になりました!」
「元気でね」
何かを言いかけた
──……もう会えないかもって思ってるの…………嫌だな…………
だいぶ陽が傾いていた。
陽の長いこの時期。時間もすでにそれなり。
テーブルの資料を
「…………明日には処分しておくよ」
そう言った
その声が続く。
「今夜はビールが飲みたいねえ」
その後ろから、
まるで時が止まってしまったかのような瞬間。
そして
「……よく耐えたね…………
「…………気付いてたの?」
気持ちのどこかを突かれたのか、途端に
「私が気付かないと思ったの?」
その柔らかい
「…………悔しかった…………許せない…………」
そんな震える
「昔〝愛国者は国を政府から守れ〟って言った人の言葉を見たことがあるけど…………綺麗事にしか聞こえない…………世界は、そんなに単純じゃない…………私たちには、私たちが生きれる世界がある…………そこで生きて行こうよ…………」
「…………うん」
「気晴らしにアレ見る?」
「さっき
「風景写真?」
「ポートレートって言うの? 詳しくないけど、元々はこっちが本職だって言ってたからね」
表紙の写真は細かな葉で埋め尽くされ、その奥から逆光の日光が所々覗いていた。葉の色は緑だけではなかった。赤、黄色、茶色、それぞれが複雑に折り重なっていた。
まるで動画でも見ているような感覚を
でもそれは、
「なんか、こちゃこちゃとして見にくいなあ。芸術ってよく分からないから…………」
「そう? 芸術って元々は娯楽のことなんだから、無理して崇高な物を求める必要もないと思うよ。芸術ってもっと気楽なものでいいと思う。映画でも音楽でも、芸術と娯楽を切り分けて考える人って面倒な人ばっかり。もっと感じたままでいいのに」
「感じた通りって言っても…………同じデザインでも料理とは違うね」
料理好きの
それは見た目だけではない。
「まあ、好みの問題って言えばそれまでだけど、確かに総てが細かすぎて一見しただけなら何が描かれているのか分からない。でも────だからこそ見ようとする。全体に目を配って、細かい部分を注視する。
「どっちが? 写真? 私?」
「さあ」
「こら」
その
その
「そう言えば、
「ああ、忘れてた」
写真集を開いていた
「ん? どうしたの?」
「…………ごめん…………」
咄嗟に
握り返す
「……ごめん…………だめだ…………」
──……どうしたの⁉︎ 教えて…………
──……じゃあ…………あの二人って…………
〝
男の子も女の子も
二人はいつも近くにいます
水の玉を探しなさい
私はそこで待っています
〟
「かなざくらの古屋敷」
〜 第四部「罪の残響」終 〜
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