第一部「妖艶の宴」第2話 (修正版)
皮肉なのか、引き取った日は
少なくとも
限りなく自殺に近い事故。
そしてもうすぐ、
妻の
浮気と隠し子が発覚し、その子供を
しばらく
それでも、まさか
それは長い夜になった。
日曜日、適当に外をブラつき、車で家に帰った時は夜の七時を回っていた。いつもはもう少し遅く帰るのだが、なぜかその日は早目に帰宅することを選んだ。
久しぶりに
離婚をするとしても、しっかりと話そうと思った。
家に入ると、玄関からリビングまで電気が点いたまま。
そして静かだった。
こんな時間に買い物にでも出ているのだろうか。
──……こんな夜に、幼い子供を連れて…………
そう思いながら、
──……専業主婦だったらこのくらいのこと…………
そんなイライラを募らせながら、僅かに残っていたグラスに水を注ぐと、一気に飲み干した。そのグラスを乱暴にシンクの中に置くと、シャワーでも浴びようと風呂場へ足を向ける。
廊下からの扉を開け、脱衣所へ。
閉じられた浴槽への曇りガラス。
そこが真っ赤に染まっていた。
その全身と周囲は、至る所が真っ赤に濡れ、
そこに仰向けに浮かぶのは、
足が滑った。
転んで頭を打ち、顔を上げると、見開かれた
生きているのか死んでいるのかも分からないようなその目に、
直後、腕の中の
足を滑らせながら、
到着した救急隊員の通報で警察もやってくる。
事件の可能性があるために警察の捜査は入ったが、
一応警察からも事情を聞かれた。
「検死解剖の結果は自殺しか考えられないとの結果でした。つまり、包丁の刺し傷の角度とかから明らかに自分で刺したものであると…………しかし医者は言ってましたよ
警察が自分を疑っているのは口調から感じられた。
そしてその言葉に、
「最近奥様と喧嘩でも? 何かおかしな言動とかありませんでしたか?」
目の前の机の表面を眺めながら、いつの間にか
──……自分から、いなくなってくれた…………
「検死解剖の結果が結果ですから、警察としては奥様が娘さんと心中を図った、という形に納めるしかありませんが…………」
──……あいつのために…………俺がどれだけ苦労をしたのか…………
警察署から病院に戻った時にはすでに朝。
その日の内に
問題は警察の捜査が入ってしまったことで実家に事の顛末が知られた事だ。
愛人のこと。
愛人の死。
養子が愛人の子供だったこと。
そして
家にも立場というものがある。
父親は現職の地方議員。
スキャンダルは避けたい。
そして、
権力を使ってスキャンダルも揉み消される。
それと同時に仕事を失う。それも解雇という形だった。退職金は出ない。
それでもまだ貯蓄はあった。
しかし
──……こいつも…………一緒に死んでくれたら楽だったのに…………
いつしか、子供をマンションに置き去りにして職業安定所に通う日々が続く。
仕事はなかなか見付からなかった。
しだいに貯蓄もすり減っていく。
前向きな思考など、すでに忘れていた。
自発的な思考が何かも思い出せない。
少しずつ衰弱していく
何時なのかも分からない。
いつの間にか、前の会社の時によく使っていた駅に着いていた。
理由は分からない。
どこまでの切符を買ったのかも自覚がないまま、夜の閑散としたホームの椅子に腰を降ろしていた。明らかに様子がおかしいと思われたのだろう。周囲の人たちがチラチラと見る中、駅員も近くで様子を伺っていた。
アナウンスと共に、列車がホームに近づく。
「……お前の…………お母さんのところに行ってくるよ…………ごめんな…………」
そして、駅員の動きは間に合わなかった。
☆
「……ごめん…………」
ベッドで裸の
「そんな幼い頃の記憶まで…………」
本来なら物心がつく前の記憶。
しかしなぜか、
何かが
その〝何か〟が
しかしそんな
「大丈夫だよ
それを察したのか、
「今日の仕事…………断ろうか?」
「ダメ」
すぐに、はっきりと応えた
「……苦しんでる人がいる…………生きてる人と…………もう生きていない人たち…………」
☆
大正五年。
その二年後。
大正七年。
長男である
しかしその幸せも束の間、二才の長女が謎の奇病で死亡する。それはあまりにも突然だった。泣き叫ぶのではなく、まるで大人のように叫んでいた。病院でも原因は分からないまま突然死として扱われる。
そのまま数年が経ち、大正一〇年。
まだ三十代の若いその当主、と言うよりも、
「
目の鋭い男であることは
「ほう……これはこれは…………早速見せて頂きたい…………」
なぜか異常な程に、
いつの間にか
しかし、自分ではそれに気が付けなかった。
目の前に箱が差し出され、
大き目な物だ。
かなり古い物であることはすぐに分かった。
そして、
「……歴史のある逸品にございます」
なぜかは分からない。
しかし惹かれた。
その日本人形に、間違いなく
そして、毎日その人形を
その翌年、
しかし、なぜか
そしてなぜか、
それは二年後に次女が二才で亡くなっても続いていた。そして次女の症状は長女の時と全く同じだった。
翌年、昭和元年。
そのまま、
長男の
「もし
呼び出された暗い部屋の中で、ヨシが
しかし
「しかし母上……すでにキヨも若くはありません…………もう四〇近くては…………」
すると、ヨシは口元に笑みを浮かべた。
そして返す。
「……なに……
なおもヨシが続ける。
「若い
嫌な過去が頭を
「…………母上────」
「
そう言ったヨシは、
怯える
「すでに三人の内、二人が
妻のキエはすでに三九才。体は求めても、もう子供を産める年齢ではないと、キエには妊娠は断られていた。
すぐにヨシの見付けてきた若い
最初の夜。
裏山の別邸。
しかしそのすぐ側には、嫌な思い出しかないあの蔵。
複雑な感情はもちろんあった。
そして
その
それから毎日のように、
キエも面白くはなかったのだろう。その夜も
そしていつの間にか、キエもそこに向かっていた。
そこで何が行われているのかは分かっているのに、何故かキエは足を向ける。
ただの嫉妬心だけだったのか。
ちょうど事を終えた
突然の女の悲鳴に、
すると、突然手を止めたキエが顔を上げた。すると、みるみるとその顔は、あの
しかも鬼のような形相のまま。
──…………呪い…………
そのまま、キエは自分の腹に包丁を突き立てた。
大口を開けて笑い声を発しながら、何度も、何度も自分の腹に包丁を刺しては抜き、刺しては抜き、やがて、後ろに倒れるようにして息絶えた。
翌日二人の葬儀を早々に終わらせたキヨは、
「……お前は何も悪くない」
まるで洗脳するかのように言い続けていた。気が触れてしまうかもしれないと考えたからだった。
なんとか正気を取り戻した
しかし最初の夜から、
そして、張り詰めていた
そのまま
そこは、
☆
水曜日は朝早くに屋敷に行くため、火曜日の日中に
開店時間は一九時。とは言ってもバーというジャンル上、客が入り始めるのはいつも二一時くらいからだった。
そして開店の一九時ちょうどに
「来てやったぜ」
「出禁ですよお客さん」
あの一件以来元気になったとは聞いていたが、その笑顔は
「元気そうだねえ」
そう言って
最初から閉店までのコースが確定していた
そんな
「
「私はアドバイスをしただけ。
「なんだか色々話せてスッキリしたのかもしれませんね…………もう
「あれからは? トラブルはない?」
「はい、もうスッキリです。それでこれからは事前に対策をしようと思いまして、とりあえず玄関に盛り塩はしてみました」
すると、カウンターの端から
不思議そうな顔をする
「みんなやっちゃうんだよねえ」
「え? 何かやり方とかあるんですか?」
「違う…………意味が無いの」
「え?」
「お葬式に行くとさ、お清めの塩ってもらえるでしょ。あれはいいの。一つの作法みたいなものだから…………でもなんでお葬式から帰ったら家に入る前に体に塩を振りかけるか分かる?」
「? ……お寺に行ったから?」
「虫を落とすため」
「は⁉︎ 虫⁉︎」
「うん。今は棺に保冷剤入れるからいいけど…………遥か昔にそんな物がない時代って、出来るだけ早く葬儀を終わらせようとしてたみたいだよ。遺体って、思ったより早く腐敗するみたいでさ…………虫がワクわけよ。ウジ虫が。それが服についたまま帰ってしまうことがあるから、家に入る前に塩で落とすわけだ。幽霊なんか関係ないよ。盛り塩なんて話が広がった歴史も割と新しいしね。そもそも塩って昔は高価な物だったんだよ。盛り塩とか塩撒くとか、そんなもったいないこと一般庶民が出来るわけないよ。多分だけど、何かを勘違いしたどっかの飲食店が広げたんじゃないかなあ…………勘違いっていうより別の意味かな。結構店の入り口に盛り塩してる所ってあるでしょ。飲食店だと塩はあるだろうしさ」
「ああ……ありますね」
「あれにしたって、そもそもは幽霊を入れないためにやってるんじゃなくて、悪い物……つまり悪い客が入ってこないようにって意味合いなんだよ。だからさ、霊感ありますって言って塩巻いてる奴は…………私に言わせればただの嘘つき霊能者にしか見えない」
少し声のトーンが落ちた
「心霊スポットの帰りに背中に塩振りかけたりね」
それを
「ああ、ネットの動画とか」
そして
「
「確かに」
そう言って
そして
「もう呑む? まだ早い?」
「呑む。呑まないと頭が回らない。今日はコニャックをロックで」
「相変わらず好きねえ。今日は酔い潰れないでね」
「多分大丈夫! 任せてくれ!」
すると
「そんなに大変なんですか? 今回の話って」
そう言ってきたのは
「そうだね。我が家のリフォームが出来るかどうか…………そのくらい難しい仕事だね」
「よく分かりませんが…………」
「つまり…………分からないくらい難しい」
「さらによく分かりません」
「私も、分からない…………困ったねえ」
そこに呆れたような
「
☆
水曜日。
午後。
一四時。
前回と同じ和室で
その語り口に、残酷な話であるにもかかわらず二人は引き込まれた。
イトは取り立てて感情を表には出さない。もちろんここまでの話でイトが実際に出会ったことがあるのは、
「それから一〇年以上ですが、
「──なに? 戦争?」
歴史に興味のない
「太平洋戦争のこと」
それが聞こえたのか聞こえなかったのか、口元に軽く笑みを浮かべたイトが続ける。
「もし…………唯一の世継ぎである
「無事に血を繋いだ
「────もうやめよう、イトさん」
声を上げたのは
──…………この子は、誰?
しかしイトは話を止める気はない。
「いえいえ、面白いのはここからですよ…………」
「────何も面白くないよイトさん」
「その後に子供は出来ませんで────もう時代的に見つけるのは難しくはありましたが、
──…………誰かが、呼んでる…………
「まって……じゃあ
すぐにイトが返す。
「養子です…………私が引き取りました。しかし今は……先日見てもらった通りでございますよ…………娘も二才で死にました…………やっと
イトはそう言うと、二人の前で深々と頭を下げていた。
直後、
──……これは、だめだ…………
──…………おかしい……0.1%だ…………
そう思うのと同時に口を開いていた。
「
もしかしたら、
しかし
「そろそろ帰らないと、お店に間に合わないよ
「だから────」
「私は残る。まだ帰れない」
「
そこにイトの声。
「お帰りの時には…………運転手がお送り致しますよ」
「じゃ、お願いするよイトさん…………もう少し調べたいことがあるからさ」
☆
門の両脇にはまだ盛り塩が残っていたが、そんなものだろうと萌江も思っていた。ある意味、予想通りだった。
すでにだいぶ陽は傾き、この時期になると空気も冷たい。
そして、左手に握った水晶────〝火の玉〟が熱い。
それでも
まるで水晶に導かれるように、別邸を目指す。
この時期の陽の落ち方は早い。歩いている間にも周囲にはしだいに闇が広がっていく。
やがて目の前に現れた別邸は、異様な空気を纏っていた。それは言葉で表現出来るものではない。
──……あの子は…………誰?
──……ここにいるの…………?
当然のように鍵がかかったままだ。日頃使用されてはいない建物だ。
どうしても、人々は〝隠し事〟を作りたがる。秘密はなぜか気持ちを高揚させる。
それでも、
時代だから、ではなく、現在も形を変えて生き残っている〝影〟の世界。
──私が何をしても、何も変わらない…………
いつも
──……でも、あの子が、どこかで私を呼んでる…………
裏口に手をかけると、背中にはあの蔵を感じた。
中に
異常なまでの威圧感。
──……知らなければ、ただの蔵…………
途端に背中が軽くなる。
裏口を開いた。途端に外に
しかし、相変わらず水晶は熱い。
古い感情が波のように渦巻いて見えた。
息苦しさの根源が
──……どこ?
薄暗かったが、進む方向に迷いはない。
やがて辿り着いたのは、かなり奥の和室────仏間だった。
小さな仏壇。
しかしその仏壇の扉は閉じられたまま。一見すると使われていないから閉じられているようにも見えたが、扉の取手周りだけが
手の中の水晶がそれを告げていた。
しかし、そこには位牌も線香立ても無い。
一体の日本人形があるだけ。
綺麗な柄の真っ赤な着物はだいぶ
おかっぱの髪の毛はそれほど傷んではいない。
顔も綺麗なまま。
──……生きてる…………
「────やめてっ‼︎ 触ってはダメ‼︎」
背後からのその大きな声に、
振り返ると、そこにいたのは
「…………その人形には…………絶対に触ってはなりません…………」
「聞かせてくれる? …………〝あの子〟が私を待ってるの」
「かなざくらの古屋敷」
〜 第一部「妖艶の宴」第3話(第一部最終話へつづく) 〜
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