第3話 襲撃 ②
要たちが裏口から出るのと、金田たちが正面の入口から入ってくるのはほぼ同時だった。一瞬のタッチの差で、奴らに悟られる前に出られたのはよかった。
「急ぐぞ」
要たちがいた痕跡は可能な限り消してきたが、完全に消すことができないことはわかっている。普通の人間なら気付くことはないだろうが、相手はあの狡猾な金田だ。油断はできない。
ここに来た時に使った地下道は使えない。金田が真っ先に思いつくのが地下道だろう。とにかく少しでも遠くへ。あそこに見えるビルに隠れるのがいいか。
バサバサッ。
クソッ。こんな時に。
正直カラスを相手にしている時ではないが、避けては通れない脅威だ。
ブンッ。
先頭を走る明菜がバドミントンのラケットを振り回すと、近づいて来たカラスに見事にヒットした。なかなか筋がいい。打ち落とされたカラスは、地面で倒れてピクピクしているが、気絶しただけで傷もなく、ウイルスをまき散らす心配もなさそうだ。
悠人は重い荷物を抱えているせいで明菜から少し遅れているが、難なく倒れたカラスを飛び越える。ここまでは順調だ。
よし、あと少しだ。なんとかビルの入口にたどり着いた。
三人は、ビル一階のオフィスに駆け込む。カラスも金田たちも近づいてくる様子はない。なんとか撒けたようだ。
はあ、はあ。三人が荒い息を整える。要はここに来て、昨日から寝ていないのが地味に堪えている。おでんを食べていくらか回復したが、不眠から来る疲労感はなかなか消えるものではない。眠ろうとした矢先に現れやがって。
「あいつら何なんですか!」
悠人は憤る。
「あいつら、沖村さんと一緒に物資探しに行ったはずですよね? 避難所に帰らず何やってるんですか!」
「自分さえ良ければいいと考えればああなる。仲間意識なんてあったもんじゃない」
「な!」
要が苦い顔で答えると、悠人は絶句する。
「何があったの。ただの自分勝手でやってる奴らだったら、慌てて逃げる必要なんてないでしょ」
アキ、この娘は鋭い。たったあれだけのことで、違和感を的確に突いてくる。気が進まないが、この状況になれば話すしかない。
「一週間前、俺たちが八人で物資探しに出ていったのは覚えているよな」
二人が黙って頷く。
「出ていってすぐ、目的の物資は見つかったんだ。しかし、帰り道にカラスの集団に襲われた。その数は三十ほど。二人やられた。逃げるしかなかったよ」
三十羽のカラス。その光景を想像して、二人が息を呑む。
「とにかく近くにあった倉庫に逃げたが、そこは出入口が一つしかなかった。体のいい牢獄だよ。食糧はあったので、カラスがいなくなるのを二日間待った。しかし、俺たちに狙いを定めたカラスたちは、昼も夜も、一向に立ち去る気配はない。恐怖だったよ」
要は淡々と話す。問題は、ここから先のこと。口にするのもおぞましい。
「問題なのはここからだ。香澄のこと、わかるよな。物資隊の唯一の女。お前らも可愛がってもらったと思う」
香澄さん。悠人はその名を刻むように口に出す。さばさばした性格で、僕たちにもたくさん世話を焼いてくれた綺麗な人。沖村さんが迎えに来てくれた時、生きているなら一緒に来ていたはずの人。支えにしていた人がいなくなったのが、何よりも悲しかった。
「信じられないことに、金田がいきなり香澄を襲ったんだ。意味はわかるな。もちろん俺たちは殴りつけて止めた。そして、柱に縛り付けた。奴はわめいたよ。『こんな状況でしたいことをして何が悪い』、『物資だって、避難所の奴らのことなんか知るか。俺たちで独り占めすればいい』等とふざけたことばかり言いやがった。だが、ある連中にとっては説得力のある魅力的な言葉だったんだ」
要は目をつぶる。
「それを知った時には後の祭りだ。グルになった奴らが、俺と香澄を締め出しやがった。カラスの群れが待ち構える出入口にな。閉められた扉は開かない。走って逃げたが、襲い掛かるカラスには追いつかれる。そこで俺は死んだと思った。だがその時、香澄がかばってくれたんだ」
要は悔しさを滲ませる。
「香澄のおかげで、俺は奇跡的にも無傷だった。その代償は、香澄が全て受けてくれた」
「もう、いいよ……」
明菜が涙を浮かべながらつぶやく。聞いたことを後悔した。
「金田たちは、俺たちに群がるカラスを見ながら、悠々と倉庫から逃げていったよ。笑いながらな」
「もういいよ!」
明菜は叫ぶ。悠人も涙を浮かべている。
「信じられない。これが大人のすることですか!」
「大人も子供も関係ない。大人が立派なんてことはない。俺も、お前らを騙しているかもしれない。見捨てるかもしれない。信用できないと思えば、黙っていなくなればいい」
「そんなこと言わないでください!」
悠人が要をきっと睨む。
「僕は、あなたを信じています。あなたは、そんな人じゃありません」
その目はまっすぐだった。
「そう、簡単に信じるなよ……」
要は苦笑しながらも、その言葉の持つ力に救われる。香澄と同じことを言いやがる。
明菜は、要の語った悲しい話を聞いて気付く。本性を現した人間は恐ろしい、ということともう一つ。要がここに逃げて来た理由。
「……あたし」
要ははっと明菜を見る。本当に賢い子だ。知らない方がいいこともあるだろうに。
「あたしがいるからなんだね」
要はゆっくりと頷く。悠人は突然の明菜のつぶやきに怪訝な顔をする。「あたし」ってどういうことだ? 思案する顔が次第に怒りに変わる。気付いたようだ。
「アキ。心配するな。お前には指一本触れさせないから」
大事な妹を奴らに渡すものか。そんな決意が滲み出ている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます