*6-3-3*

「ねぇ? すっごく暇なんだけど~。待ち続けて、待ち続けてかれこれ2週間。ようやく出番だっていうのにさ。いつになったらここから飛び立てるのさー」

 間の抜けた声でホルテンシスが言う。

「こーら。物事には適切な時機というものがあるのよ。」

「わかってるけど~。でーもー! ふっ、待ち続ける人生は辛いぜ☆ なんて」

 シルベストリスは駄々をこね続けるホルテンシスを窘めたが、どうやら効果は皆無らしい。

 いつもの調子といえばそうなのだが、しかし特別な計画の遂行前とあってか浮ついた感覚を拭うことは出来ない。

 シルベストリスは、不安げな表情でおろおろとするブランダの肩にそっと手を置き励ましつつ、ホルテンシスには改めて気を引き締めるように言おうとする。

 だが、シルベストリスが言葉を発するよりも前に、冷静な口調でアイリスが言った。

「慌てなくても、その時は必ず来るわよ。それより、やっぱり私は貴女の操縦技術の方が不安だわ。浮ついた様子が丸わかりだし、お姉様のところに辿り着く前に海へ落ちるだなんてことはやめなさいよ?」

「そう言われたって、私が操縦桿を握ることは仕方ないじゃんか~^^ 免許的に必然なんだし? んでも、でも☆ もう、可愛いってば☆ アイリスの心配性~☆ そこは、ホルスちゃんの腕前を信用してくれていいんだぞ?」

「子ども扱いしないでちょうだい」

「えー、だって子供じゃんかー´・・`」

 誰が何を言っても効果はない。

 ただ、懸念を抱く程度の物言いこそすれど、はっきりと厳しい口調で窘める者はここにはいない。

 なぜなら、この緊張感の欠片すら無い、独特のゆるさがホルテンシスの一番の魅力であることは否定できないし、誰もが彼女の“ゆるさ”に心を救われていることだって間違いないからだ。

 今、この瞬間だって彼女の存在が無ければ爆発しそうなほどの不安と緊張感に苛まれて、冷静さを保つことがかえって難しくなっていたかもしれない。

 そうした事情も有り、誰もが彼女を強く叱ることができないのである。

「やーい、子供子供ー☆」

 数か月後には自分が20歳を迎えるという余裕からか、いつもにも増してアイリスを可愛がるホルテンシス。そんな彼女に、スナギツネのような表情をしつつ苦み走った視線を送るアイリス。

 しかし、そこに不穏な空気があるわけではなく、学校の友達か、或いは姉妹が日常的に繰り広げているやり取りを思わせるようなやりとりである。

 その時、アイリスを煽るホルテンシスにブランダが控えめに言った。

「ホルス、アイリスは一応、ほら、その……」

「あ、そっか。アイリスってば実年齢で言うと千――」

「誰が婆よ」

「言ってないじゃんか~´・・` まだ」

「まだって…… 言う気があったってこと?」

「えへへ~♡」

「褒めて無いし、照れるところでもないわよ」

 ブランダのフォローも虚しく、完全にホルテンシスのペースに引きずられるアイリス。

 そんな3人のやり取りを眺め、呆れつつも微笑ましい気持ちを抱きシルベストリスは思った。

『はぁ…… アヤメも大人びてるし、比較してもまったくどっちが子供なんだか』

 すると、シルベストリスの脳内にホルテンシスの大きな声が響き渡る。

『子供じゃありませんー><』

『はいはい、分かってる分かってる』

『ぜぇったい分かってない! 今、ぁたしのことすっごく子供っぽいって目で見てた~』

 3姉妹の間だけで交わすことの出来る会話。いわゆるテレパシーによる会話で自身に向けられた視線にホルテンシスは不満を言う。

 自身の中にも入ってくる2人の会話を聞きながら、ブランダがやはり控えめに言った。

『それは、だって。ホルスがさ?』

『だっても何も、もうすぐ私達20歳なんだよ? 10が20になるってすっごく大人だと思う☆』

『そういうところよ』

『うん、そういうとこ、だと思う』

 漆黒の機体に乗り込む4人は何だかんだと喋り倒しつつ、ひたすらに“その時”が訪れるのを待った。


 姉妹が“内輪の会話”を楽しんでいることを察したアイリスは航空機内を見渡し、自身の中にいるかけがえのない存在に話し掛ける。

『ねぇ、アヤメ。この飛行機、音速で飛ぶものっていうイメージは凄く覚えてるんだけど、具体的にどういう飛行機か知ってる?』

 擦り切れるほど本を読み込む博識のアヤメであれば詳しく知っているだろうと踏んだアイリスが彼女に問い掛けると、その期待に応えるようにアヤメはすぐに回答を提示してくれた。

『縦長で黒い見た目の音速飛行機。アメリカだけが所有するマッハ5以上の速度で飛行できる最新型航空機で、型式はSR-73。この機体はアメリカと機構における協定に基づいて、運用条件付きで譲渡された機体だと思う。機構が持っているものは輸送機としての運用に限定された仕様になっているはずだから型式名を正確に言うとSR-73TPね』

 その後も自らが知る限りの情報をひとつずつ丁寧にアヤメはアイリスに説明していった。


 4人が乗り込んだ黒色に染まる飛行機は非常に縦長の機体で、かつてアメリカ軍において“ブラックバード”という名の愛称で呼ばれていた機体の後継機のさらに派生機であり、現在は【ソニックホーク】という愛称で呼ばれている。

 ハイパーソニック飛行と呼ばれるマッハ5を超える速度での航行が可能な本機体のオリジナルはタンデム複座式の2人乗りだが、彼女達が乗り込む派生機は最大10名までの搭乗を可能とした小規模の航空輸送機だ。

 ソニックホークはアメリカ軍主導の元、各航空機メーカーが第5世代戦闘機や第6世代戦闘機で培われてきた飛行制御システムが進化したものを取り込み、世界に類を見ない速度を維持したまま、究極の安定飛行が可能という唯一無二の機体として仕上げられた。

 では、なぜ戦争とは無縁であったはずの機構がアメリカ軍の作り上げた機体を所有しているかと言えば、アヤメの言う通り協定に基づく結果というのが真実であり、アメリカ軍がソニックホークの開発を依頼したメーカーリストの中に世界特殊事象研究機構の技術開発部門の名が含まれていたからでもある。

 要は機構が、航空機開発における“ある分野”におけるデータ提供の役割を担い、実質的な共同開発を担っていたということだ。

 アメリカ合衆国が目を付けたのは機構が持つ超高度な未来予測技術であった。

 試作機ひとつの設計から開発、試験飛行までの過程においても莫大な費用が投じられる航空機開発において、“実際に飛行させてみなければ分からない結果が、飛行させなくても分かる”というメリットは計り知れない。

“超高精度の未来予測”が得られるなら、例えば設計開発の段階で何をどのようにすればより理想に近付くのかという点を精査しやすく、無駄な開発コストを抑えることが可能となる。

 機構が持つ超高精度未来予測演算の助力を何としても得たかったアメリカは、開発が成功した暁には機構で運用するアレンジ機体を格安で譲渡するという条件を提示して協力を取り付けようとした。

 もちろん、表面的には〈非常災害時の人命救助における協力の一環として〉という協定に基づく建前付きで。

 協力を求められた機構は当時、この申し出が【一国に対する利益供与の為の活動】や【戦争行為に対する間接的な加担】になるとして断っていたが、名目として戦闘機開発ではなく、あくまで〈次世代旅客機開発への協力〉という体であるならばということで、最終的に要請を受け入れたのである。

 加えて、この協力取り付けが成功した理由の一端には、機構が災害有事の際に被災地に向けて誰よりも早く救助活動や支援活動に赴けるようにする体制構築という側面も含まれていた。

 何のことはない。アメリカが建前として提示した条件をそのまま呑んだということだ。

 当然、この動きを察知した国際連盟の機密調査においては、建前であったはずの趣旨をそのまま報告として取りまとめて提出している。

 もちろん、機密保安局 局長であるマリアには事の真相全てが視通されてはいたものの、ソニックホークの開発自体が世界平和の秩序を乱すものでもなく、恒久的な平和安全維持に努めるという機構の理念に背いたものではないとして見逃された。

 そうした大国と機構との間における密約によって完成した機体は、各セントラルに数機ずつ配備されている他、シオン計画によって生み出された〈サンダルフォン〉〈メタトロン〉〈ミカエル〉にも2機ずつ艦載されている。

 その内の1機こそが、今アイリスたちが乗り込んだ機体であり、通常であればまず使用されることの無い第四航空格納庫に本機が収容されている理由も、そのような経緯によるものだ。


 自分達が乗り込んだ飛行機にまつわる話をアヤメがほとんど全て話し終えると、アイリスは感心した面持ちで言った。

『飛行機そのものというよりは、やけに開発背景に詳しいのね?』

『お姉様から教えてもらったのよ。〈それについて知りたければ、この資料に目を通すと良い〉って。山のようなデータを渡してもらったわ』

 アヤメが言うと、過去を思い出しながらアイリスは言った。

『あぁ、あの時の。それで私も妙に見覚えがあるはずだわ。夜中に起きて何を熱心に読んでいるのかと思っていたけれど、そういうことだったのね』

『うん、そうよ。あの時はただ自分の知識欲を満たしたくて資料を読み進めていたのだけれど、その途中で不安になったりもしたの。だって、今話した内容は全て本来“機密”として扱われるはずの情報でしょう?』

『そういえばそうね』

『だから、なぜお姉様はそのような重大な機密情報を簡単に私に渡したのかって。でも、今日この機体を格納庫で目にした瞬間に察したわ。というより、全てに合点がいった。これは全てお姉様の予言によって導かれたことなんだって』

 アヤメの言いたいことを理解してアイリスは言う。

『全てはこの時の為に、ということね?』

『間違いなく、その通りよ。だからちょっとだけ怖いとも思った。お姉様には、どれだけ先の未来が視えているんだろうって』

 その言葉に、アイリスは何も言うことが出来なかった。

 プロヴィデンスを用いた世界統治の実現。マリアの思い描く理想の終着点とはつまるところそれだ。

 理想実現に向け、人類には突破不能と言われる厳重なセキュリティで防御されたプロヴィデンスを掌握すべく、セキュリティの穴となる存在を意図的に作り出すことに奔走し、今やその努力は同システムとリンク接続されたイベリスという形になって実現されている。

『遠い未来のことまで全て視通した上で、哀しみの連鎖を断ち切るために冷たい理想を叶えられようとなさっているのであれば……』


 それは悲しいことだと、アヤメは言いたかったに違いない。

 しかし、彼女は続きの言葉を発することなく呑み込んだようであった。


 アイリスはこの期に至ってもアルビジアの言った言葉が頭から離れなかった。

 どうしてイベリスを信じるのか。その答えを教えてくれた彼女の表情があまりにも解放に満ちたものだったから。

 それが正しいのではないかと、僅かにでも思ってしまった自分に対する歯がゆさも込めて。


 そのようにアイリスが物思いに耽っていると、ふいに強く肩を揺らされた。

「アイリス? 大丈夫? ずっとぼーっとしてるけど」

 きょとんとした表情で声を掛けるホルテンシスの後ろで、シルベストリスとブランダが心配そうな表情を浮かべている様子が視界に入り、慌てて笑顔を取り繕って言う。

「え? 大丈夫、ちょっと考え事をしていただけ。さっきまでブリッジで別の黒いのをずっと相手にしてたから疲れたのかもしれないわね」

 詭弁だ。能力の行使で、かなり精神的な消耗をしていることは事実ではあるが、能力の発動に関してだけを言うのなら、アザミを通じてほとんど無限に近い時間の行使を可能にしてもらっているのだから。

 2週間前、サンダルフォンが共和国から離脱する最中でアンティゴネに追撃を受けた際、能力の使い過ぎによる過度の消耗を引き起こしたことをきっかけに、その後マリアから提案を受けてそのようにしてもらっている。

 他の公国出身者や隊員には口外していないことだが、能力行使についてだけを考慮するのであれば、過去に存在した時間的な制約はもはや気に留める必要すらない。

 せいぜい、自分自身の精神的な疲れを考慮することを忘れないよう気を付ける程度でいいのだ。

 苦しい言い訳だと思ったが、ホルテンシスは笑顔の花を咲かせて言った。

「ふーん、そっか。なら安心☆」

 ゆるい笑みを見せるホルテンシスに釣られてか、背後の2人も安堵の息を漏らした。

 彼女達に僅かな嘘を吐いたことに心苦しさを感じつつ、アイリスも同時に安堵の息をついた。

 3姉妹は他人の心の痛みや感情というものを直接感じ取る力を持っている。下手な誤魔化しは通用しないし、かといって本当のことを話せば根が自分以上に心配性な彼女達のことだから、長い追及は避けられなかっただろう。

 優しい彼女達の隙を突いて言い逃れをしたことに罪悪感を覚えはするが、ここで心の内を悟られるわけにもいかない。

 懸念した追及を逃れたアイリスは、さらに仕上げの取り繕いとして話題を自分のことから逸らしにかかった。

「ところで、貴女達はこの2週間どこにいたの? まさかずっと格納庫に閉じこもってホラー映画の真似事をしていたわけではないでしょう?」

 真っ先にこの話題に食いついたのはホルテンシスであった。

 渾身のドヤ顔をしながら、したり顔で言う。

「ふっふーん♪ よくぞ聞いてくれました! 私達の華麗なる潜入の舞台裏を語る時がきちゃったかー☆ そっか~☆ えへへ」

 アイリスは話題の振り方を間違えたかもしれないと思いつつも、しかし彼女達がどのように身を潜めていたのかが気になっていたことは事実なのでそのまま耳を傾けることにした。

 ところが、自分達の功績について景気よく語り始めると思った彼女の口から出た言葉は実に意外なものだったのである。

 ホルテンシスは人差し指を唇に当て、やや困ったという表情で言った。

「でもなー、普通に隊員として働いてたっていうのが真相だし? 特別なことをして潜入してたっていうわけでもないんだよねー」

「どういうこと?」

 アイリスは予想外な答えに思わず聞き返したが、当のホルテンシスは腕組みをして力強く頷きながらにこにことするだけでその先を言おうとしない。

 しかし、ホルテンシスがおもむろに機構の隊員服のポケットに手を入れて取り出したものを見て、彼女の言葉が嘘偽りや冗談の類でないことだけはすぐに理解出来た。

 ホルテンシスの手に握られていたもの。それが機構の隊員しか所持することの許されない携帯型情報通信端末〈ヘルメス〉であったからだ。

「じゃじゃーん☆ この端末が目に入らぬかぁ~♪」

「目に、入れたら痛いと思うよ」

 お調子者のホルテンシスを見かねて、困り顔のブランダが言う。

 その後、話が進まないことに軽く業を煮やしたのか、咳ばらいをしたシルベストリスがホルテンシスに代わって事の経緯を説明し始めた。

「アイリスもアヤメも聞かされてなかったと思う。私達はマリア様から『2人には言うな』と言われていたから。」

「お姉様が?」

「そうよ。私達は正規の手順に則って機構に入隊したの。とはいっても、職場体験的な短期入隊なのだけれど」

 シルベストリスの言葉を捕捉するようにブランダは言う。

「形式的には国連を通じての体験入隊。互いに、不干渉の原則を持つ国連と機構との間であっても、互いのことを知るために、交流を深めようっていう名目で行われていること」

「その体験入隊に参加したのが貴女達3人っていうわけ?」

「そういうこと~☆ きゃるん♡」

 左目にピースサインを翳し、可愛らしくウィンクして見せながらホルテンシスが頷いた。

 シルベストリスが話を続ける。

「もちろん、体験入隊とは言ってもただ交流を深めるために機構へ入構したわけではないわ。目的はただひとつ。マリア様の理想を叶える一助になる為に。そう、今この瞬間の為に」

「相手を欺くには、まず、身内からって。お姉様はそうおっしゃった。でもそれはきっと、アイリスに隠し事をしようとしたわけではなくて、あの……」

「総大司教ベアトリス。あの御方への対策と言った方が正確じゃないかしら」

 申し訳なさそうに言うブランダを庇うようにシルベストリスが話を引き取って言った。

 ロザリアの名前が出たことで、アイリスはマリアの真意を悟る。

 ただし、完全に納得できないという思いが思わず口をついて出る。

「そっか。でもロザリアは感情共有の力を持つ私の記憶を完全に読むことはできないはずだし、アヤメと意識を共有しているからそれは尚更のはず。特に隠すことでもないような気がするのだけど」

 少し寂しげな表情で言ったアイリスに身を寄せてホルテンシスが言う。

「マリア様の優しさ、じゃないかな? アイリスもアヤメもさ、知っていることを“隠せ”って言われたら変に意識しちゃうタイプでしょ? だから、無理な気を遣わせたくなかったんだと思うよ」

 それは間違いのない真理だ。マリアがそういう人であることをアイリスはよく知っていた。

 ロザリアのように、他者の記憶を読み取った上で掛けて欲しい言葉や行動を選ぶのではなく、他者の仕草などから内面と性格を見極めた上で、その者がもっとも行動しやすいように取り計らう。

 ある意味、このことは予言や預言を代表とするマリアに備わった全く別の特別な力と言って差し支えない。

 とにもかくにも、マリアという人物は“人”をよく見ているのだ。

 ホルテンシスの言葉で溜飲を下げたアイリスはようやく頷いた。が、すぐに浮かんだ次の疑問を姉妹達に投げかける。

「ひとつ不思議なんだけど、貴女達がヘルメスを通じてプロヴィデンスに生体認証登録されているなら、なぜイベリスに勘付かれなかったのかしら? プロヴィデンスと直接リンクしているイベリスには、途中で見破られていてもおかしくはないわ。今だってそう。貴方達がここにいることはサンダルフォンの監視網に捉えられていなければおかしい」

「それは簡単なお話。イベリスさんは私達のことを知らないから。それと、私達の仕事としての持ち場がここだから、むしろここにいないとおかしいからよ」

 なるほど。非常に単純な話であった。

 ミュンスター騒乱の件について、イベリスは直接的な関わりを持っておらず、彼女達の存在自体を知らない。

 故に機構の人間で3姉妹の素性を知る者はフロリアン以外に存在しないことになる。

 つまり、たとえ堂々とデータ登録されていたとしてもイベリスが彼女達に気付くことはまずないし、機構の中で堂々と振舞っていたとして、そもそも“気付くことができる者”がいなかったというわけだ。後者については語るべくもない。

 納得しつつも、アイリスは新たに浮かんだ疑問を言う。

「で? そうなってくるとフロリアンと如何に遭遇しないかが全てになってくるんじゃない?」

 この問いにはシルベストリスが答えた。

「アザミが気配隠匿の力を私達に行使したのよ。特に、彼に見つからないように」

「本っ当に便利だよね~。神様の力ってさ。都合良すぎて笑っちゃうほどに」

 深く頷きながらホルテンシスは言う。しかし、すぐに何もない空間へ視線を移すと遠い目をしてこう続けたのだ。

「でもなー、実のところロザリアさんには初日にばれちゃってるんだよね~」

「は? 貴女、馬鹿なの?」

 ロザリアに勘付かれない為に身内にすら隠していたことを、あろうことか初日に本人に勘付かれるとはどういうことなのか。

 呆れ顔でアイリスは言ったが、ホルテンシスはまるで気に留める様子もなく満面の笑みを湛えて後ろ頭をさすった。

「えへへ~☆」

「褒めてないってば。それじゃ、お姉様が私達にそのことを伝えなかった意味もないじゃない」

「むぅ~。あれは仕方ない。どう考えても事故なんだよなー。あの時間のあのタイミングに、あの場所を通るだなんて聞いてなかったし」

 アイリスの辛辣な指摘に膨れ顔を見せながらホルテンシスが言い、気休めのようにブランダが話を逸らした。

「でもでも、アシスタシアさんは気付いてなかったと思う」

 ただ、その気休めの一言にアイリスの中でアヤメが反応した。

『どういうこと? 総大司教ベアトリスは3人に気付いていたのに、無視したっていうの?』

 アヤメの指摘にアイリスははっとした。

 言われてみればそうだ。もし仮にロザリアが初日の段階で気付いていたのであれば、この3人がマリアの差し金によって機構へ忍び込んでいるなどということは容易に想像が及んだはず。

 しかも、ロザリアは彼女達が常人には持ち得ぬ特別な力、大天使の加護をその身に宿していることを知っている側の人物だ。

 マリアが自らの理想成就の為に、何らかの意図を持って機構に送り込んできたと、そう認識しない方がおかしい。

 にも関わらず、そのことを側近中の側近であるアシスタシアに告げた様子でもなく、他の誰に口外した風でもない。

 気付いたという事実をマリアにも伝えていないのだろうところからして、“ただ目撃したという事実を自分の中だけに留めている”ことになる。

 普通、懸念すべき敵になり得る相手の身内がこそこそと他所に忍び込んでいたら、もう少し別の行動をとるものではないだろうか。

 例えばそれとなく動きを探ってみたり、或いは顔見知りなのだから折をみて直接話をしに来たりなど。

 だが、ロザリアはそういう動きを最後まで見せることは無かった。

 こういった普通の考えでは計ることの出来ない思考の深淵が、ロザリアの底知れない不気味さを感じさせる所以でもある。

「アシスタシアが気付いていないってことは、ロザリアは誰にも貴女達のことを言ってないってことよね。どうしてかしら」

 アヤメから指摘された疑問をアイリスはそのまま口に出して言った。

 ただ、ホルテンシスの口から返された答えは至極当然のものに帰結する。

「ロザリアさんは読めないからなー。何を考えていらっしゃるのやら」

「まぁ、それはそうよね。なんか、ごめん」

 ロザリアが何を考えているのか当ててみろなど、酷にもほどがある。

 そんなことが叶うとすればおそらく、やたらと彼女といがみ合っている機構の彼、マークתのルーカスという男くらいのものではないか。

 妙な申し訳なさを感じたアイリスはホルテンシスに謝った。

 すると、そのことで先程軽く罵られたことを思い出したのか、こちらも妙に真剣な表情を浮かべながらホルテンシスが言ったのである。

「あと、馬鹿と言われて傷付いた名誉回復の為に付け加えると、お姉様が私達の行動についてアイリスとアヤメに伝えなかったのは、もしかするとアンジェリカ対策ってこともあるのかもしれない。あの子はロザリアさんと同じ力が使えるんでしょ? だったら、もし仮にアイリスがアンジェリカの前に立つようなことがあった時、貴女を通じて私達の情報が彼女に伝わる恐れだってある。どちらかというと、マリア様はそっちの方を懸念したんじゃないかなって」

 言葉の最後まで、至って真面目な表情で言ったホルテンシスの言葉にアイリスは深く納得した。一理ある、と。


 本来、精神感応の力を有する自分達に対して、アンジェリカはその心の内を読み取ることは難しいはずだ。

 しかし、それは単に“難しい”というだけの話であって不可能というわけではない。

 マリアやロザリアに対する未来視や過去視の行使が“不可能”であることと、自分に対してそれが“難しい”というのはまったくの別の話である。

 力を最大限まで取り戻している今のアンジェリカであれば或いは――

 また、“本来の意味”におけるノアの箱舟計画において、3姉妹が担っている役回りは非常に大切なものだ。

 もし万一、彼女達の存在が事前にアンジェリカへと伝わっていたとしたら、危険な存在として既に消されていた可能性もある。例えばサンダルフォンを沈めるという行為によって。

 他に、姉妹達の存在に関する情報漏洩の懸念として考え得るのはプロヴィデンスを経由した情報の漏洩であるが、これは気に留めることの程でも無かっただろう。

 アンジェリカは共和国のシステムからプロヴィデンスに登録されている情報閲覧の権限を持っていると言っていたが、そこで姉妹の情報が登録されていることを見つけたとしても、そのことについてはミュンスター騒乱に彼女達が深く関わっていたことから不思議には思わないだろうし、特に気にも留めないはずなのだから。

 加えて、数十万人という莫大な情報量を誇る隊員情報データベースから彼女達の登録だけを見つけるのも至難の技である。そのことを目的とし、意図して調べない限り見つけられる可能性はゼロに等しい。

 要は、例えプロヴィデンスに姉妹達の情報が登録されていようとも、“確実に姉妹達が機構に存在する”という証明が誰かしらからアンジェリカ本人に伝わらない限り、身の安全は確かなものとなるわけだ。

 と同時に、先程まで疑問に感じていた“なぜロザリアが誰にも姉妹の話を口外しなかったのか”について納得のいく仮説が浮かんできた。

「そうか。ロザリアもアンジェリカを懸念して――」

 もし、ロザリアが誰かに姉妹達のことを話してしまえば、話を受けた人物によって彼女達の存在が間接的にアンジェリカに伝わってしまう可能性が高い。

 しかし、自分だけが心に秘めておくなら、自身と同類の能力を行使されたとしてもアンジェリカにこの情報が伝わることはまず有り得ない。

 要は何らかの意図を持って姉妹達を守る為に敢えて秘匿としたのだろうという結論だ。

「理由が分かったような分からないような、釈然としない気持ちは拭えないけれど、妥当なところね」

 一人で納得したアイリスを不思議そうな目で見つめる姉妹達は、それぞれが互いの顔を見合わせた。


 と、ちょうどその時。

 サンダルフォン格納庫内に猛烈な勢いの警報音がけたたましく鳴り響き、焦燥感を募らせた隊員の声で伝令が発せられた。


『緊急伝令、緊急伝令。インド洋上空に出現したヘリオス・ランプスィがセントラル3を標的として進行中。各員は情報の精査に尽力せよ。繰り返す――』


 繰り返される伝令を聞いた4人は真剣な表情を浮かべ、ついに“その時が来た”ことを悟った。

 マリアの予言通りなら、間もなく滅びの光がインド洋に輝き、セントラル3は跡形もなく消滅することになる。

 その時こそ、自分達がサンダルフォンを離れるタイミングだ。



“無限の太陽が一斉に空へ光を放つなら、それは神の如く万能の輝きとなるだろう”



 現代科学が生み出した最大の罪が洋上に光を生み出す時。

 巨大な地獄の門が開かれ、全ての希望は瞬く間に絶たれゆく。


 だが、自分達が狂信する“予言の花”が描く理想は、やがてその地獄絵図すらも塗り替えて、人々に永劫に続く平和と安寧をもたらすこととなる。

 自分達はその一助となる為に、これまで身を潜めていた“預言の大天使”を去らねばならない。

 刻一刻と、“その時”が訪れようとしていた。



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