*6-3-2*

 一方、激しくぶつかりあう殺気の中で睨み合いを続けるアンジェリカとロザリアの2人は、どちらが先に動くかという静かなる神経戦を繰り広げている最中であった。

 蒼炎を纏ったまま、目の前に立つアンジェリカを見据えるロザリア。対するアンジェリカもじっとロザリアへ視線を向けたまま微動だにしようとはしない。

 全ての罪を浄化する蒼炎と、全ての罪を裁く紫炎。互いが一歩たりとも譲らないという不抜の意志を示し立ち、幾ばくか。


 一見すれば、両者譲らずに膠着状態に陥っているかのように見える光景だが、実のところ状況は圧倒的にロザリアに不利であった。

 生命に対する絶対の裁治権を有するロザリアという存在。不死殺しの異能を持つ彼女は、本来アンジェリカにとっては天敵中の天敵であり、これほどまでに距離を詰めて接近するなどということは忌避すべきことである。

 にも関わらず、アンジェリカはわざわざ自ら間合いを詰めて彼女の前に立った。離れていれば、天の弓による投擲だけでいずれは決着がつくはずであったはずなのに。

 それどころか、敢えて死地に―― 遠き昔に潰えるはずであった生命に対する救済という名の死神を前に、アンジェリカは余裕の嘲笑を湛えて言った。

「目に見えるものが全てではない。この言葉はアイリスがよく口にする言葉だったわね」

 剥き出しにした敵意を潜め、手向ける視線にかかる重圧を緩めて言ったアンジェリカに対し、怪訝な心情を抱きながらロザリアは返事をする。

「それが、何か」

 何を言っているのか。そう思いたかったし、意図を悟りたくなど無かった。

 例え記憶を読み取ることが出来ず、何を考えているのか直接的に理解することは出来なくとも、ロザリアは目の前に立つ“天使のような悪魔”の考えることが手に取るように理解出来たのだ。

 いや、アンジェリカはわざと“悟らせようとした”。そうして得られる反応を元に、次に自分が何をすべきかについて決めようとしたに違いない。

 焦燥感を募らせるロザリアを他所に、アンジェリカは楽し気に言った。

「“私達は見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。目に見えるものはやがて忘却されるが、この目に見えないものは永遠に存続するからである”」

 聖パウロがコリントの民へ向けた手紙、第4章18節に綴られし言葉。この言葉をアンジェリカが口にした瞬間、ロザリアは目の前の悪魔が何をしようとしているのかを確信した。

「本心が目に見えぬ不可視の薔薇。そう言われていた貴女の方が余程…… 私達にとっては忌避すべき強大な敵で有り得たというのに。

 マリアを亡き者にする為に、フロリアンをあの子に引き合わせたのは貴女の差し金でしょう? だというのに。

 運命の悪戯とでも言うのかしら。誰に差し向けられたわけでもない彼との巡り合わせによって、他者に仕向けたことと同じような形で自ら弱点を作り出すことになるだなんて。総大司教様も落ちるところまで落ちたものだわ」

 そう言ったアンジェリカはにやりと歪んだ笑みを浮かべ、ぐっと愛らしい顔を寄せて言ったのだ。

「貴女がそうまでして守りたいものをこの目で確かめなきゃ。その為にはまず、蒼炎の向こう側で、こそこそとしている誰かさん…… いえ、当人にご挨拶しなきゃ、ね?」

 そう。むしろ、この場において心情を悟られてはならないのはロザリアの方だったのである。

 張り巡らせた蒼炎による防壁の奥で、イベリスと玲那斗を助けるために動くルーカス。

 アンジェリカに勘付かれないよう、彼女の視線をアシスタシアと自身に向けさせることだけを目的としていたが、どうやら全て見通されていたらしい。

『彼が危ない!』

 甘く囁くような声で耳打ちされたロザリアは、展開していた蒼炎でとっさにアンジェリカへ攻撃を仕掛けようとした、が。僅かに遅かった。自らの右脚を突如として襲った激痛に怯み、顔を歪ませる。

 その光景を楽しむかのように、くすくすと笑い歪んだ嘲笑を浴びせながらアンジェリカは言う。

「作り物の体でも痛みを感じるのか、前々から興味があったの。でも、安心したわ。人としての肉体を失ったとしても、その身に痛みは走るのね。それはとても、とても素敵なことだと思う。人間でなくなった者が人間であるという、いわゆる生を実感する為に必要なこと。その答えを貴女に教えてあげるわ」

 アンジェリカの言葉を聞きながら、ロザリアは自身の右脚へ視線を落とす。すると、大腿部にはいつの間にかアンジェリカの左手に掴まれていた長身のアイスピックが、刃先の半分ほど突き立てられていたのだ。

「痛みは強ければ強い程、自らが生きているという証明が強く得られる。だから、貴女にも与えましょう。私からの愛を。貴女の犯した罪に対する裁きを」

 そう言ったアンジェリカは、手に力を籠め、突き立てたアイスピックをゆっくりとロザリアの脚にねじ込み、柄が肌に触れるまで深々と突き刺していく。

 刃は皮膚を抉り、血管と神経を破壊し、筋肉を貫きながら奥へ奥へと押し込められる。

 その度にロザリアの口からは声にもならない嗚咽が漏れるが、その音はアンジェリカを喜ばせる一因にしかなり得ない。

 柔らかな肌に突き立てられたアイスピックが最奥に達した時、ついにロザリアのか細い脚の皮膚を突き破って鋭利な刃先が反対側へと飛び出した。

 そうして右脚から全身に走る痛みについに耐えきれなくなったロザリアは、その場に崩れ落ちるように倒れ込んだ。

 瞬間、彼女の目に湛えられていた青色の輝きは消え去り、辺り一面を覆っていた蒼炎は燃え尽きるように瞬時に消滅してしまう。

 倒れ込んだロザリアを見下しながら笑うアンジェリカの表情は晴れやかで、これまで辛酸を舐めさせられた相手に対する復讐を完結したとでも言うようである。

 ただ、そうした感慨も達成感も、今のアンジェリカにとっては“取るに足らないこと”であり、理想実現を目の前に控えた過程における些事でしかない。

 相手が誰であろうと、指先ひとつで捻り潰すことができるほどの絶対的な力。未だ全力を見せているようには見えない恐るべき王。

 彼女は目の前で痛みに全身を震わせるかつての同胞を前に、満面の笑みを浮かべて言った。

「防ぎ切ることが出来なかった天の弓。光の矢を左脚にも受けていたのでしょう? 死に損ないの憐れな男の為に、貴女のような人が自らを犠牲にして庇うだなんて。何がそうさせるのか、何がそうさせたのか。確かめてみないわけには…… いかないわね?」

 にたりとした嗤いをこぼしながら言ったアンジェリカは、視線を離れた場所で玲那斗とイベリスに寄り添うルーカスへと向け、彼に対して可愛らしい笑みを見せる。

 蒼炎が消え去り、ロザリアの身に何が起きたのかを見たルーカスの表情が恐怖に包まれていく様子を楽しむかの如く。

「アン、ジェリカ…… お止めなさい、貴女は……」

 必死の形相をしたロザリアは渾身の力を振り絞り、左腕でアンジェリカの右足首を掴むと、彼女を彼の元へと行かせまいと懸命に引っ張った。

 だが、再びロザリアへ視線を向けたアンジェリカは小さな溜め息をつきながら言ったのだ。

「貴女こそ。そういうのはみっともないから止した方が良いわ」

 そう言った直後、ロザリアの右足に突き立てたアイスピックの柄を思い切り蹴り上げたのである。

 当然、蹴り上げられたことによって刃の根元まで刺さっていたアイスピックの柄までもが皮膚を突き破り、その柔らかな脚を抉ることになった。

 呼吸も出来ないほどの痛みにもがくロザリアに嘲笑の一瞥を送ったアンジェリカは、満を持して足先をルーカスに向けて歩き出す。



『来る……』

 ルーカスはゆっくりと自身に向かって歩み寄るアンジェリカの姿に戦慄した。

 悪寒が全身を襲い、抑えきれない恐怖心が感情の全てを支配する。額から噴き出る脂汗が頬を伝う感覚がさらに落ち着きと呼吸を乱し、心拍数の上がり切った心臓の鼓動を早めようとした。

『アシスタシアと、ロザリアが作ってくれた道。その先で俺は何も出来ずに死ぬのか』

 目に映るアンジェリカの姿は“死そのもの”だ。輝かしい光輪と黄金の翼を顕現させた、天使のように愛らしい少女は死の使い―― いや、この場においては彼女自身が命の結末を審判する神そのものであるのだろう。

 瞳に捉えられたが最後、その者の未来は永劫に閉ざされる。

 垂れる冷や汗に気を乱し、呼吸を荒くし、生唾を飲み込みながらアンジェリカの姿を直視し続けたルーカスであったが、しかし。

 ふと気付けば彼女の姿はすぐ目の前にあった。

『いつの間に!?』

「いつの間に、目の前まで来たのか。なんて野暮なことを考えているのかしら。静的な恐怖と動的な恐怖の狭間で、色々な表情を見せてくれる可笑しな人ね」

 そう言ってアンジェリカはくすくすと笑う。

 彼女が嗤う間にルーカスは玲那斗とイベリスの盾になるように体を前に突き出し、両手を広げて2人を庇う姿勢を見せた。

 この行為が彼女の中で何かを思わせたのか、アンジェリカは笑うことを止めてきょとんとした表情を一瞬見せ、すぐにまた満面の笑みを湛えたのである。

 その後、これまで見せていたような静寂の殺意が唐突に影を潜め、無邪気な悪意を放つように言ったのだ。

「良い良い☆ そういう心配りぃ、気遣い~、違うな。こういうの何て言うんだっけ? 知らない、知らない。あ、そうそう! 仲間想い!>▽< 知ってた!

 恐怖に満ちた表情を浮かべ、真顔で脂汗を噴き出しながら? 自分はどうなっても良いから、この2人はどうか助けてくださいとでも言うように! その心意気は買った☆ 滑稽すぎて鶏が鳴きそうじゃないか、君♪」

 彼女の変貌にルーカスは身を竦ませて怯えた。何をされるのか想像がつく恐怖とは違い、今のアンジェリカには“何をしでかすか分からない恐怖”というものがある。

 これが彼女が持つ二面性のひとつ。プロヴィデンスのデータベース上で見た資料曰く、こちらこそ元々のアンジェリカという人格の大きな特徴であるらしい。

 無邪気な笑みを湛えている彼女だが、人を殺めることに躊躇などはないだろう。この子供らしい笑みを浮かべたまま殺戮を行うという意味では、もうひとつの人格と言われるアンジェリーナより恐怖だ。

 そうした予感が的中したとでもいうのだろうか。或いは想像の斜め上を行ったのかもしれない。

 次にアンジェリカが紡ぐ言葉にルーカスは絶望することとなる。

「ロザリアのお気にである君がどんな顔をして私を見るのか興味があったんだけどさー? でも、思ったより表情豊かで面白かったから特別に“君という個人”は見逃してあげよう☆ この場で玲那斗を殺すと面倒だし、貴方一人を殺したところで得られるものもないわけだし? ただし……」

 不穏にも言葉を区切ったアンジェリカは愛らしい笑みを浮かべたまま目を見開いて言った。

「今度はその代わりとして、君が心から大切に思うもののひとつを奪うことにしようと思う★ 代わりというよりは頃合いなだけだけどー? 具体的に言うとー、私はもう一度あの輝きを見たい。太平洋に燦然と輝いた太陽神の威光、君と同類の科学者が生み出した罪の具現。私達の可愛い仲間が生み出した奇跡の産物」


 あの輝き、太陽神の威光、科学者の罪――


 彼女の言葉が示すものの意味を悟ったルーカスは呼吸が止まるほどの衝撃に襲われた。

 アンジェリカが名前を呼ぶことを焦らしながら言うものとは、つまり。

「そして、神の裁きたる奇跡は既に“打ち上げられている”んだなー、これが★」

 そう言ってアンジェリカは右手の指を弾いた。

 すると、玉座の間中央に巨大なホログラフィックモニターが投影され、とある海上の様子が映し出され、上空を飛翔するミサイルの姿が捉えられている。

 と同時に、別視点を移した映像には機構の隊員であれば誰もが知る場所の姿が映されていたのである。

「これは核。紛うことなく核ミサイルである! グラン・エトルアリアス共和国が理想を叶えるために生み出した史上最強の威力を持つミサイル兵器【ヘリオス・ランプスィ】。炸裂すれば1200キロメートル以上離れた場所からでも爆発を観測できるという代物なり★ 落ちれば災厄が撒き散らされ、撃ち落とせば電磁パルスぅによる災厄が上空から降り注ぐ。絶対防御不能な私達の切り札なり★」

 アンジェリカが両手を広げ、その場でくるりと一回転して見せると次の瞬間には彼女の姿はホログラフィックモニターの前に移動していた。

 にこやかな表情でアンジェリカは続ける。

「この映像を見よ! これはマリアナ海溝からおよそ7,730キロメートル離れた場所にある絶海の孤島。インド洋に浮かぶ巨大なギガフロート。君達機構の人間には非常に馴染み深い場所、だよね?

 世界特殊事象研究機構が誇る3大拠点のひとつ。その名をセントラル3-ティファレト-という。んだっけ? ともかく、今からここに私達の怒りが注がれようとしている★」

 インド洋方面司令、世界中から数十万人もの隊員が集まる機構の大拠点。アンジェリカはセントラル3への核攻撃を既に行っているという。

 彼女の言葉にルーカスだけではなく、離れた場所でアルビジアを庇いながら抱きかかえるジョシュアの表情もみるみる凍り付いていった。


 誰も彼もが絶望の表情を浮かべる中、ただ一人だけ状況を愉しみながらアンジェリカは言う。

「でもでもー、これをただ落としてどか~ん★ だけだと味気ないし、君達にも不公平だと思う。だ・か・ら、ゲーム形式にしてー、君達にとっての惨劇を食い止めるチャンスをあげよう^^ それが面白い君を見逃す代わりの提案である★ 私は優しいし、誰かさんと違って嘘は吐かないから安心してくれたまえ! 何を? もとい!」

 核を用いて多くの人々が集う場所を狙い撃つ。しかも、狙われた場所は世界特殊事象研究機構である。

 自然災害の脅威や人為災害から多くの人々を救う為に活動し、危機に備える為の調査に勤しむ者達へ対する理不尽且つ非道な行い。もはや理念や感情に対する冒涜といって差し支えないだろう。

 国連の実質的な命令によって急遽戦線投入されたサンダルフォンなどと違い、基本として機構には自衛を目的とする武装しか備えがなく、ましてや核兵器を撃ち落とすだけの備えなどあるはずがない。

 核に限らずミサイルに狙われたら最後、無抵抗のまま落下してくるミサイルの直撃を受けるのみ。それを回避する術など持ち合わせていないのだ。


 アンジェリカは、数十万人もの命が掛かっている状況をゲームだと言った。その言葉に怒りを沸き上がらせたルーカスであったが、しかし。

 武器を所持しない機構の隊員であり、リナリアに所縁を持つ彼女達とは違い特別な力もない自分にこの場で今すぐに出来ることなど何もない。

 食い止める方法があるのか否かについて―― あとはゲームであると公言したアンジェリカ自身がどういった“勝利条件”を出すのか。それが全てだ。

 自分を見逃す代わりと言ったのだから、それを差し出すことで食い止められるなら望むままにしよう。

 他に条件を出すというのなら、おそらく今の自分達ではおよそ達成し得ない難題であるに違いないのだから。


 恐怖と不安と怒りが満ち溢れ、ますます息苦しさを増す玉座の間でただ一人、はつらつとした有様で無邪気にアンジェリカは言う。

「ではでは、とりあえずゲームのルールを説明するね★ まず前提として、ヘリオス・ランプスィがセントラル3に落下するまでの時間はおよそ残り10分! その間に、君達が“私に傷一つでも負わせること”。それが出来たなら、打ち上げられた核ミサイルは私の力で永劫炸裂することの無い不発弾として海に沈めて差し上げちゃう★ どう? 出来るかな~^▽^」


 やはり。そんなこと、出来るはずがない。


 ジョシュアとルーカスは内心で瞬時にそう判断せざるを得なかった。

 そもそも、この場にいる全員が万全な状態で、且つ束になって彼女にかかったところでそれが叶う確率などほとんど無きに等しいというのに、今や頼みの綱であったイベリスもアルビジアも、ロザリアもアシスタシアも動くことすらままならないという状況に追い込まれているのだ。

 アンジェリカもそれは分かった上で言っているはず。

「乗るしかないよね? 乗って賭けてみたら良いんだよ♪ そうして私に証明してみせるがいい! 貴方達の言う“可能性”というものが真に存在するのかどうかを、ね?」

 無邪気な笑みを湛えたまま、アンジェリカは続ける。

「本当だったらこんなゲームはせずに無言で炸裂させるはずだったんだよ? 今、時計の針は11時40分を回ったけれど、私達が降伏するか否かの刻限として定めたのは、共和国標準時における今日の正午丁度。

 にも関わらず、大国の指導者たちは己の利益ばかりを重視して未だに求められた決断が出来ずにいるときた!´・・` 国が無くなっちゃえば利益も何も無いのにね?

 そこで、優しい私は決断できない無能な政治家たちの首が嫌でも縦に振られるように、最後通告の意味合いも込めてこれを放ったんだ~。アストライアーから、堂々と。

 システム・ハーデスを起動した状態のミサイルはどんな探知機能を使ったとしても捉えることは不可能。だからさ、本当はこのまま何事もなく、セントラル3でだけ何事か起きるはずだったんだ、け、ど」

 アンジェリカは言葉を区切ると、射貫くような視線をルーカスへ向け、左手の人差し指で彼を示しながら言った。

「でも、私の気が変わった。なぜなら、存外に貴方が面白い人間だったから。力を持たぬ無力な存在であると知った上で、認識したうえで、それでも尚! 力を持つはずの仲間2人の前に歩み出て私の前に立ちはだかった。勇敢なり、勇敢なり。敬意を表する!

 アンが貴方を特別だと思うのも不思議はないというか、なんとやらー。だからして、こ・れ・は。アンの特別だった貴方の行動が生んだ奇跡。

 故に! そこで無様に寝転がっている王妃様が常に口にするように、可能性を掴み取って見せよ、そして証明してみせよ! 若人よ! ということ! きゃはははははは★」

 ふいにアンジェリカの口から出たアンディーンの名前を聞き奥歯を噛み締めた。

 エウロスでシルフィーの語った言葉が脳裏へ鮮明に蘇る。


『アンジェリカ様にお仕えするテミスの一柱でありながら、主君と共和国に対してこれ以上ない程の背信を行った彼女は、アンジェリカ様の手によって直々に裁きを受けました。わたくしとて、最期を見届けたわけではありませんから詳細までは把握しておりませんが、おそらくはその身ひとつ、一片たりともこの世には残っていないでしょう』


 ルーカスは幾度か首を振って嫌な考えを振り払った。

 アンディーンの仇。アンジェリカは自分の仲間を、自分の臣下を自らの手で殺したという。

 どういうやり方だったのかは知らない。本当にアンジェリカが手に掛けたのかすら定かではない。

 だが、彼女の話を過去形として自らの口から語ったところから察するに、シルフィーの言ったことは全て事実だったのだろう。

“自身に傷をひとつでも負わせたなら攻撃を中止する”

 無念を晴らす機会であると言って良いのかもしれない。しかも、わざわざこちらに視線を向けて語ったところからすると、何か言葉以上の意図が含まれている可能性だってある。

 だが、自分が迂闊にアンジェリカへ近付けば待ち受けるのは死だ。猪騎士のように突進して縊り殺されたのでは、自分を守る為に奮戦してくれたロザリアとアシスタシアの想いまで裏切ってしまうことになる。


 セントラル3を失うことも出来ない

 アンディーンの無念を晴らしたい思いも拭えない

 ロザリア達の想いを無駄にすることも出来ない


 しかし何より、アンジェリカに対抗する力がない


 結局、何も出来ない自分に残された可能性など端から存在しないのだと、ルーカスはそう認めて固く目を閉じ顔を伏せた。



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