*5-3-5*

 永劫に続くかのように見える景色。絢爛たる白亜の芸術的回廊を歩む一行は、一歩ずつを慎重に踏みしめながら奥へと足を運ぶ。

 北西回廊=スキーローン。神域聖堂、ノースクワイア=ボレアースとウェストクワイア=ゼピュロスへと至る回廊だ。

 等間隔で立ち並ぶ大天使や神々の彫像の姿といった違いこそあれど、全景自体の色合いや見た目に大した差などない為、歩む者に無限に同じ道を進んでいるかの如く錯覚を覚えさせる。

 壮観なる景色とは裏腹に、いつ何が起きるとも知れない異様な空間。周囲を警戒しつつ、見渡しながら進むイベリス達一行の中でジョシュアが言う。

「こうも同じ景色が続くと感覚が狂うな。セントラルクワイアと呼ばれる場所から歩き始めて何分だ? イベリス、目的地までの距離はあとどの程度ある」

「歩き始めて丁度5分よ。目的地までの距離はあと600メートルといったところかしら。100メートルほど先に進めば北と西へと別れる岐路に差し掛かって、そこからさらに500メートルほど進めばそれぞれの目的へ到着といったところね」

「回廊からクワイアという場所に辿り着くまで丁度1キロか。パノプティコンから城塞正門へと走った時も随分長い距離を走らされたが…… やれやれ広い建物ってのは難儀だな。移動するだけで身体に応えるし、何より掃除が大変そうだ。あと、ここの住人たちはトイレに急ぐときはどうしてるんだ?」

 大溜め息を吐きながら言うジョシュアを見やり、玲那斗が苦笑気味に言った。

「隊長、運動不足なのでは?」

「任務に備えた普段のトレーニングはお前らと同じ程度こなしているだろう?」

「自主トレが足りないんですよ。フロリアンくらい張り切って行かないと」

「あいつは張り切り過ぎだ。国連の姫様に良い格好したいからだろうが、それにしてもな。お前さんたちだって、フロリアンと同じくらいトレーニングしろと言われたら謹んで辞退するだろうに」

「他の事務処理が忙しいもので」

「これだ。事務処理も事務処理で目にくるんだ。最近の機器は文字が小さくて敵わん」

「隊長、ぼやきが過ぎると老け込んで見えますよ。歳を取ると文句が増えるって言いますし」

「否定はせんよ。ぼやきが増えたのも歳だろうな。年々動きが鈍くなる自分の身体はもどかしいし、それだけでストレスになるってもんだ。人は老いに逆らうことは出来ん。目も霞むし、それと腰痛も増えた」

 絶えず繰り広げられる朗らかなぼやきを聞きつつ進む一行であったが、ふいにジョシュアが声の調子を潜めて言った。

「ところで、姫様…… いや、クリスティー局長はどういう意図を持ってチーム分けをしたんだろうな。不思議と理に適っているとは思う反面、妙な引っかかりを覚えることもまた事実だ」

 するとすかさずイベリスが答える。

「その点についてなら心配しなくても平気よ。マリーは物事を決定するときに意味のない判断を下すタイプではないの。見えない意図があるのは事実だとして、そこには必ず何かしらの意味がある」

 彼女の返事に玲那斗が言った。「イベリス、君はその意図について心当たりがあるんじゃないか?」

「どうかしら。分かるような分からないような。プロヴィデンスに問い掛けて答えが分かるものでもないし。けれど、私はあの子のことを“信じている”から」

「信じる、か。俺もそう思いたいが、信じ切ることが出来ない自分もいる。マリアは決定的なことを俺達に伝えていない。嘘は言ってはいないが、本当のことも言っていない。そんな気がしてならないんだ」

「同感だな。全てを語ることは自らの望む理想を叶えるにあたって不利になると踏んでいるか…… 総大司教ベアトリスですら読み解くことの出来ない心の深淵。もしかすると、今彼女の胸の内の全てを悟っているのは、最も心の距離が近いだろうフロリアンだけかもしれん」

 玲那斗に続いてジョシュアが言い、イベリスも2人の答えを否定せずに答える。

「その感想について、私も否定はしないわ。ただ、マリーが何を隠していようと最終的に辿り着く理想の未来は、私達が描くものと変わりないものであると願っている」

 その時である。それまで黙したまま何も言葉を発しなかったアルビジアが言った。

「もし仮に、その願いが叶わなかったとしたら? あの子の理想が貴女の描くものとまるで異なるものであったとしたら。その時にイベリス、貴女はどうするの?」

 イベリスは唐突に繰り出された難しい問いに足を止め、後ろを振り返りアルビジアへと向き直った。足を止めたイベリスに続き玲那斗とジョシュアも足を止める。

 アルビジアはじっとイベリスを見据え、不安げな表情を隠せずに躊躇いがちに顔を俯ける彼女に対し続ける。

「私は昨夜と一昨夜、アザミやアシスタシアといった、マリアやロザリアに忠誠を誓う者達の声を聞いた。直接言葉を交わして得た答えは今貴女が口にした希望的観測とは真逆の答え。つまり、マリアの理想は決して貴女が理想とするようなものでは有り得ないということよ」

「アルビジア、それはどういう――」

 言いかけた玲那斗を遮るようにアルビジアは言う。

「玲那斗、貴方は気付いているのでしょう? マリアが目指す理想の完成がどのようなものか。気付いたからこそ、あの協議の場でマリアにやり方に反対の意志を示した。人間では無い者による人類の統治と世界運営。核となるのは機構の持つプロヴィデンス。今で言えばイベリス、貴女よ」

 イベリスは無言のままアルビジアから視線を外した。だが、アルビジアは構わずに続けた。

「突き詰めて、あの子の理想は確かに人々に安寧と恒久的な平和をもたらすのだと思う。世界に未だ横たわり続ける大きな問題を一気に解決に導く唯一の方法であるかもしれない。けれど、それが本当に人々にとって幸福なものであるかは別の話であると思う。

 マリアの理想成就に向けた核が貴女である以上、貴女自身がこの問いから目を背けることは許されない。全て、理解した上であの子の要求を呑んだのでしょうに」

「愚かだと嗤う人がいるかもしれない。分かっているわ。けれど、それでも私はマリアのことも信じたいと考えた。やり方がどうであれ、根底で願う想いは共通であるはずだと、今でも信じているの」

「そうね。私も貴女の言う可能性というものを信じてみたいと心から思っているわ。けれど、信じて願うだけではどうにもならない現実があるということも考慮にいれるべきよ。

 マリアは千年に渡る長い時の中で、自らの抱いた理想の完遂だけを願って生身のまま生き抜いてきた子。ある意味、恐ろしい程の執念、執着ということが出来る。

 常に傍に寄り添い続けてきたというアザミの力を借りたにせよ、それほどまでに長い年月をただ一つの理想の為に生き続けるだなんて。常軌を逸するほどの強い意志が無ければ到底成し得ないことだと思うわ」

「故に、何がどうあってもここで理想の完遂を目指すべく動く。それが向こうの本心というわけか」

 考え込むようにジョシュアが言った。

「私はそう考えています。隊長が先に気にかけていたチーム分けにしてもそう。最も自らの願いが叶いやすいように、悪く言えば仕組まれていると言って良い。

 一見誰の目にも合理的に見える振り分けはその実、一番彼女にとって最も都合の良い分け方であったから。

 そして、明確な意図があるとすればひとつ。イベリス、貴女を直接アンジェリカに差し向けたいという一点。

 貴女がマリアに伝えた“自らの理想の為ではなく、世界の平和の為に尽くしてほしい”という願いは“既に彼女の中には無い”」


 そこまで言い終えたアルビジアは全員から視線を外し、前方に見える岐路を見据えた。

「右へ曲がればノースクワイア=ボレアース。左へ曲がればウェストクワイア=ゼピュロス。指示された通り、私と隊長がボレアースへ向かう。イベリス、玲那斗。貴方達は西のゼピュロスへ」

 言い終えるとイベリスと玲那斗の脇を通り抜け、彼女は再び1人歩き出す。だが、すぐさまイベリスが振り返りアルビジアへ言う。

「アルビジア。その先に待つのはきっと彼らテミスの内の誰かよ。くれぐれも気を付けて。それと、隊長を――」

「分かっているわ。ありがとう」

 一旦足を止めたアルビジアであったが、短く言い残すと足早に目的地へと向かって歩を進めた。

 ジョシュアは玲那斗とイベリスへ目配せし、言葉を発することなく力強く一度だけ頷くと急いでアルビジアの後を追う。


 白亜の回廊に2人残った玲那斗とイベリスは互いの顔を見合わせた。

「イベリス、俺達も行こう」

 そう言った玲那斗はそっとイベリスの手を握ると、引っ張るように歩き始めた。決心と躊躇いの狭間で揺れ動く心の迷いを断ち切るかのように。

 言葉にせずとも分かる。玲那斗の優しい仕草に癒されながらもイベリスは自責の念を抱いて言う。

「やっぱり私は、みんなのように強くはないわ。決心したはずなのに、今でも心のどこかに迷いを抱えたままここまで来てしまっている。アルビジアには見抜かれていたわね」

 2人きりになった途端、これまで耐えてきた苦しみや抱えてきた不安が一気に押し寄せてくるのを感じた。

 しかし、そんなイベリスに対して玲那斗はいつもと変わらぬ優しい笑みを湛えながら言う。

「迷わない人なんていない。迷うからこそ人間だ。迷って、悩んでも答えを見つけて前に進む。その結果が正しくとも、間違っていても、信じることを諦めてはいけない。そうした積み重ねを繰り返した先に、本当の幸せっていうものは待っているんだろう?」

「玲那斗?」

 いつかどこかで聞いたような言葉であった。とても懐かしいよな、それでいて親しみのある言葉。

「“汝、この一事を忘れてはならない。千年は一日のようであり、一日もまた千年のようである”。イベリス、君から教えられたことだ。君は間違ってなんかいない」


 イベリスははっとした。

 玲那斗の言葉は数年前、まだリナリア島へ自身の魂が縛られていた頃に彼らマークתに自らが贈った言葉のひとつであった。

 千年に渡り島外の事情を知らなかった自分。島から魂が解放され、彼らマークתについていく形でセントラルへと渡り、世界というものを知った。


 西暦2036年 ミクロネシア連邦 -聖母の奇跡-

 西暦2037年 イングランド -新緑の革命-

 同年同月 ドイツ -ミュンスター騒乱、ウェストファリアの亡霊-


 全てアンジェリカに仕組まれたものであったとはいえ、大きな事件の経験と目撃によって、輝かしいばかりだと思っていた世界がいかに混沌としたものであったのかを知った。

 繰り返される歴史は血に濡れた争いの歴史。そのことを証明するかの如く、先の事件でもたくさんの血が流れた。

 現実を直視するたびに自らの中の信念が揺らぎ、幾度となく自信を失いかけ、自分自身すら見失いかけたことも事実である。

 しかし、その度に彼は言ってくれたのだ。


『君は正しい』と。


 その言葉が救いであった。

 遠い昔、何一つ責務を果たすことなく、自らの願いの為だけにこの世を去った挙句、その願いの為だけに生き続けた愚かな女に与えられた唯一の光。

 光の王妃などと形容されることすら本来はおこがましい。だが、彼の言葉が、彼と共にある仲間の言葉が自らをそのようにしてくれる。


『私はまだ、この世界にいても良いのね』


 アンジェリカやマリアの理想が“人類の歩む歴史の行方を決める行い”という究極の意味において間違っているとは言い難い。

 ただ、人の選ぶ道としては完全なる過ちであると断じることはできる。

 諦めが人を狂わせる。全てを見放した先にある諦観を受け入れてしまえば、先に残るのはゆっくりと進みゆく衰退だけ。

 そんなものが“人”の生きる道であるはずがない。人が生きてきた道であるはずがないのだ。


 玲那斗の言葉を聞いたイベリスは、改めて自らの心の内にある信念を呼び起こして言った。

「迷わないと決めたのに。決心したはずなのに。いつも貴方に勇気づけられてばかりね、私は」

「その力を君が俺達にくれるんだ。可能性を信じ続けるという尊さを。まさに希望という“光”そのものをね。君がいなければ、俺達はみんな今回の出来事のどこかで心が折れてしまっていたかもしれない」

「いいえ、貴方なら最後までやり遂げることが出来るわ。私もその道に寄り添いたいと思う」

 そうして岐路の前に立ち、西を真っすぐに見据えて言う。

「気落ちしてしまってごめんなさい。行きましょう。あの子と…… アンジェリカと、今度こそ最後の決着を付ける為に。私達リナリア公国の忘れ形見が残した、誤った歴史を今度こそ終わらせる為に」

「世界中の人々に、温かな未来を残すために、な」

「えぇ、そうね」


 イベリスと玲那斗は互いの手を強く握り、揃って西の回廊へと歩みを進めた。

 神域聖堂に待つだろうテミスの一柱との邂逅を思いながら、その先にあるアンジェリカとの決戦を思いながら、一歩一歩、確実に。


 この時、イベリスと玲那斗はそれぞれが持ち身に着ける“王家の守護石”を繋いだ手とは反対の手で握っていた。

 互いの強い想いが、可能性を切り開く力になると信じて。



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