*5-3-3*

 暗闇に包まれ、僅かな燐光のみが灯る玉座の間。

 この光景が感じさせる悲愴にも似た重たい空気は、きっと主君たる彼女の気持ちの表れなのだろう。

 言葉にせずとも分かる。長きに渡りすぐ傍で仕えてきた身であるのだから。

 空間の暗さに目が慣れると、スターライトによってのみ灯される玉座の間の景色もいつもとさほど変わらぬ程度に見て取れた。

 中央通路たるレッドカーペットの端に誘導灯が淡く光る。とはいえ、ほとんど全ての照明が落ちた暗闇の中だ。高き玉座の様子を窺うことは叶わない。

 しかし、上方から醸し出される重圧を纏う気配だけで確信できる。この道を歩いた先に敬愛すべき主君が座していると。


 第4海中ゲートから繋がる艦船格納庫より、主君の身を案じて一直線に玉座の間へと赴いたリカルドは理由なく逸る気持ちを抑えながら彼女の元へと歩みを進める。

 道中で得た情報によれば、既に機構、国連、ヴァチカンの一行を乗せた航空機がアンヘリック・イーリオン中央庭園へと着陸し、彼らが城塞へ足を踏み入れたという。

 2度目の邂逅も間もなくといったところであろう。だが、その前に確認しておかねばならぬことがある。


 我らの王の御心について。


 玉座へと至る階段の前に立ったリカルドは跪き、首を垂れて言う。

「テミスが一柱。リカルド・ランバス・ノームタニア。ただいま帰還いたしました」

 遮るものの無い空間に、低い声が響く。

 リカルドは身じろぎせず、ただじっと君主の声を待つが中々返事はない。

 ただ、それでも。彼女の声を聞き、彼女の意志を聞き、自らに求められる役目を仰せつかるまではこの場から離れないと決めていた。


 時間にして僅か1分にも満たない時間であったに違いない。

 されど、暗闇の中でただ焦がれ待ち続ける時間の何と長きことか。

 そうしてついに。求めた声が自らに与えられた時、リカルドは真に自らの心の内が充足していくのを感じた。

 頭上から甘く可愛らしい少女の声が響く。

「リカルドぉ~☆ おかえりぃ☆」

 とはいえ、いつものような明るく元気な声とは程遠い。どこか憂いを帯びたような、哀しみを背負ったような擦れた声だ。

 リカルドは伏したまま声に応える。

「アンジェリカ様、ご報告いたします。ネメシス・アドラスティアは第4海中ゲートよりアンヘリック・イーリオン艦艇格納庫へ収容を完了いたしました。予備パーツを用いた迅速な修理対応を施しておりますが、本戦線における復帰は厳しいかと。

 されど、既に戦の舞台は本城塞へと移行したものと見受けます。悲願達成に向け、城塞に侵入した者達の排除に向かおうかと考える次第ですが、その前にアンジェリカ様のご意向を伺いたく存じます」

「ネメシス直るぅ? お気に入りがボロボロになっちゃって、しょんぼりしてるんだー。直してくれると嬉しい´・・` ……うーん♪ それはそれとして~、それよりもー、状況は既に把握しているようで何よりぃ☆」

 アンジェリカはそこまで言うと一度言葉を区切った。そうして再び僅かな静寂を挟んでから言う。

「侵入者の迎撃というと~、既にシルフィーがエウロスに向かったんだけどね? ボレアースの守護をリカルドにお願いしたいんだー☆ 頼まれてくれるかなー? アンディーンの城塞防衛はもう望めないし、直接みんなに出向いてもらわないと^^」

「望めない、と。左様でございますか」

 リカルドはつい声の調子を落として口走った。

「知っての通り、もうあの子はこの世界にいないからねー。最後まであの子のことを信じていたリカルドには辛いお話かもしれないけど? そこはぐっと堪えて欲しい」

「お聞き苦しい発言をお許しください。此度の件について感傷に浸っていないと言えば嘘になりましょう。彼女も、我らテミスの一柱として長きに渡り共に同じ道を歩いてきた者ですから。しかして、主君に仇為す不穏分子には与えられて当然の罰が下されたまでのこと。どのような最期を迎えたのかに関わらず、今後そのことについて私情を以て物事を語ることもございません」

「良い良い☆ ではではー、改めてボレアースの守護をお願いしようかな^^」

「承知いたしました。元より、私に与えられた守護神域、神域聖堂なれば。アンジェリカ様の御手を煩わせることなく、侵入者を返り討ちにしてみせます」

 リカルドが言うと、特に意味のあるとは思えない静寂が再び訪れる。

 これが主君たる彼女の意志、その全貌であると考えたリカルドは頭を上げ立ち上がろうとするが、丁度顔を上げようとした瞬間にアンジェリカが言った。

「そうそうー☆ それなんだけど、特定の3人と遭遇したら見逃して欲しいんだなー」

「っと言いますと、件の姫埜玲那斗、イベリス・ガルシア・イグレシアス、フロリアン・ヘンネフェルトの3名でございましょうか?」

「さすがリカルドん! 話が早い^^ その3人は私が直接お話したいからー☆ 殺したりしたらー、めっ! なんだよ? 出会ったら、スルーしてほしい」

「はっ、御心のままに」

「でーも、私の予想、予感、未来視では貴方もシルフィーもその3人に出会うことはないんだー。物事っていうのはなんというか、うまくできていると思う☆」

 彼女の言葉の真意は読み解くことが出来ないが、エニグマの力による未来視ではそのような未来が捉えられているということなのだろう。

 リカルドは話に乗じて、先から気になっていたことをアンジェリカに尋ねてみることにした。

「アンジェリカ様。差し出がましく、無用な問いであるかもしれませんが、ひとつ宜しいでしょうか」

「もち☆ なんなりとー♪」

「神域の聖堂の守護について、ボレアースは私が、エウロスをシルフィーが、そしてノトスはアビガイルが配置に付きましょうが、本来アンディーンが担うべきゼピュロスの守護はどのようになさるのでしょうか?」

「気になるよねー・_・ やっぱり? んー、でもねー、特には考えてないんだー」

「では、ゼピュロスのみ空白のまま対処なさると?」

「うんー☆ その通り☆ 先に言った通り、私にはどこのクワイアを誰が尋ねて来るのか見当はついているんだー。相手の未来を読むのではなく、それぞれの場所における未来を読み取れば容易いことで~^^」

「なるほど。ボレアースとエウロスにて例の3人が姿を現さないということになれば、自ずと誰がどこへ現れるのかも予測がつくということですな」

「故に~、特に空位となったゼピュロスに拘ることは無しと考える☆ 多分そこを通過するのは玲那斗とイベリスだからー、せいぜいアムブロシアーを差し向ける悪戯をするくらいで丁度いいんじゃないかなー? んー? 悪戯ー…… もっと楽しいことしちゃおうか☆」

 言葉を言い終えるとアンジェリカはクスクスとした笑い声を上げる。

 対するリカルドは、頭上高くから響く笑い声を聞きつつも、それがいつもとは異なる類のものであると感じていた。

 同時に、今の発言によってアビガイルの守護するノトス、要は研究室へ誰が足を運ぶのかについては唯一明白になったと言えよう。

『ゼピュロスに姫埜玲那斗…… ボレアースとエウロスにフロリアン・ヘンネフェルトが足を運ばぬのであれば行き先はノトスということになる。奴が連れ立って行動を共にするというのならそれはおそらく――』

 それぞれの聖堂で誰と対峙することになるのか。その人物についてリカルドが思いを馳せていた時、ふいにアンジェリカの笑い声が途切れた。

 唐突に鳴り止んだ笑い声が気に掛かり、リカルドは顔を玉座へと向ける。だが、顔を上げた瞬間に視界に捉えたものを見て言葉を失い息を呑んだ。


 一体、いつの間に?


 燐光のみに照らされる玉座の間-スローネ-の暗がり故か。

 主君が目の前に近付いた気配をまったく知覚できなかったなどと。

 リカルドの目の前には先程まで確かに玉座に腰掛けていたはずのアンジェリカの姿があった。

 つい今しがたまで見せていたような無邪気さもなく、顔を俯けて佇む彼女は、リカルドの両肩にそっと手を置いて言う。

「貴方達3人にはとても大きな負担を強いることになるわね。理想成就に向けた最後の戦いが、よもやこのように難しい話になろうだなんて。

 もっと早くに全ての勝負を決することも出来たはずなのに、私のわがままに付き合わせてしまったせいで、結局こんなところまで来てしまった」

 暗がりの中でも分かる。

 彼女が身に纏う空気と気配。それは“紛れもないもう一人の彼女”のものだ。

「アン、ジェリーナ様…… お加減は宜しいので?」

 どういうわけか、とっさに出た言葉がこれだ。どちらの人格が表出していようと、これまで彼女達を直接的に呼び分けるなどということはしてこなかったというのに。つい、心の中で思った言葉がそのまま出てしまった。

 ただ、そのことに触れることなくアンジェリカは言う。

「ネメシス・アドラスティアでのこと、心配してくれているのね。でも平気よ。貴方の気にすることではないわ」

「はっ、申し訳ございません」

「だから、どうして貴方が謝るのよ?」


 なぜ謝ろうと思ったのか。その理由はリカルド自身でも表現できない。きっと、アンジェリカとアンジェリーナという2つの人格、存在について自身が直接口に出すなどおこがましいと、そう直感的に考えた結果なのだろう。

 これまでも幾度となく繰り返した会話。ただ、この時のアンジェリカの言葉にはいつもとは違う慈しみが込められているような感覚があった。


 彼女から香るとても甘い花の香りがリカルドの周囲を包み込む。愛を知らぬという少女から香るにしては、非常に心を蕩かすような優しく、そして深い慈愛に満ちた香りである。

 リカルドは主君の顔を見上げて言う。

「アンジェリカ様。我らテミスの―― いえ、私の願いとはただひとつ。貴女様の理想実現をこの目にすることだけにございます。それが即ち、共和国の悲願達成にも繋がると……」

 自身の中にある想いを告げようとするが、言葉に詰まる。

 違う。違うのだ。共和国の悲願の為ではなく、彼女の理想が実現することが重要なのではなく、自分はただ偏に――

 だが、後に続く言葉を口にするわけにはいかない。彼女が知らぬと言い、彼女が忌避するそれを口にするわけには、決して。

 歳というものなのだろうか。目の前に佇む少女を目にすると、どうにも大人が子供に抱くような気持ちが胸に沸くことがある。


 そうだ。私はただ、この御方に…… アンジェリカ様に笑っていて欲しいだけなのだ。


 目の前に佇む幼き少女。見た目の齢で考えるなら、自分に子供が居れば同等の年齢になっていたのだろう。

 心のどこかで、彼女という存在を君主以上の存在として見てしまっている。彼女が決して手に入れることの無かった、家族に向ける愛情を抱いてしまっているのだ。

 グラン・エトルアリアス共和国の総統という大きな地位を戴く彼女が幸福というものを実感できるのであれば、それがどのような形であっても構わないと思う。

 故にこそ、先の言葉は違うのだ。共和国の悲願などが重要なのではない。世界の破滅、世界の破壊、仕組みの破却や理想の実現は“彼女の幸福に必要なものだから”こそ願うものである。

 それだけなのだ。


 言葉を詰まらせたまま呆然とするリカルドを不思議そうな目で眺めていたアンジェリカであったが、ふいに穏やかな笑みを湛えて言う。

「貴方も、歳ね?」

 そう言ったアンジェリカはあろうことか、リカルドの両肩に乗せた手を背に回してふわりと抱き締めたのだった。

 思いも寄らぬ彼女の行動に面食らったリカルドは身動き一つ出来なくなった。


 これは彼女が強く忌避してきたもの。感情の示し方そのものではないか。


 狼狽えながらも、しかし心のどこかでは安堵していた。

 なぜなら、彼女はエニグマの能力によって他者の心の内を見抜く。要は、先に抱いた心情の全ては彼女へ筒抜けだったのだから。

 本来であればこの場で首を刎ねられても致し方ないほどの思考である。愚考というべきか。愛を知らぬと言い、愛を忌避し続けてきた彼女の前で親が子に抱くような“愛情”を示そうなどと――

 そして、ここに至ってようやく“なぜ目の前の彼女がアンジェリーナであるのか”について合点がいった。


『アンジェリーナ様。貴女様は、やはり――』


 真に愛というものを知らぬのはアンジェリカであり、アンジェリーナである彼女は“それを知っている”。

 知っているからこそ、もう一人の自分であるアンジェリカにその感情を“近付けたくない”のだ。

 フロリアン・ヘンネフェルトという青年がアンジェリーナによって殺されそうになった理由も然り。

 彼女は、アンジェリーナは彼をアンジェリカに近付けたくないと考えている。


 万一、アンジェリカという第一人格が真なる意味で“愛”というものを理解してしまえばそれはきっと――


 リカルドが溢れる感情に呑まれ、思考を真っ白に染めようとしていたその時、アンジェリカは言った。

「大丈夫よ。私は死なない。私はこの子を守る為に生まれてきたのだから。それと、貴方も死なないわ。いいえ、生きて私の元へ帰って来なさい。それがこの場で貴方に言い渡す、“私からの”最後の命令よ。リカルド」

 親が子に言い聞かせるように、彼女は耳元で囁きかけた。


 言い終えたアンジェリカはリカルドから両腕を離すと、くるりと後ろを振り返り、再び元いた玉座へと向かって階段を上り始めた。

 誘導灯の淡い光だけが照らし出す階段を、気品あるヒールの音を鳴らしながら上がる彼女は言う。

「貴方に伝えるべきことは伝えたわ。後をよろしくね」


 言葉に込められた真意は明白であった。

 リカルドはアンジェリカの言葉を胸に仕舞い、己の為すべきことを為すために立ち上がる。

「全ては、貴女様の御心のままに」

 いつもと変わらぬように深く礼をしながら言い残すと、リカルドも後ろへと振り返り玉座の間を後にすべく歩き出す。

 向かう先は神域聖堂ノースクワイア=ボレアース。そこへ足を運ぶだろう彼らと対峙する為に。


 アンジェリカとリカルド。

 互いに背を向け合った2人の足音だけが、暗闇で満たされた玉座の間の虚空へと響き渡った。



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