第2節 -アンディーン-
*5-2-1*
『荷電粒子砲、目標を逸れるも第2標的に直撃。敵艦船の被害は甚大なり、被害は甚大なり』
『敵空中艦船、アンティゴネ1番艦轟沈。ネメシス・アドラスティア沈黙、中破。後退しつつ、共和国東海岸に向け降下中。アンティゴネ2番艦、先行しネメシス・アドラスティアの前へ』
『敵水上艦船群、及び航空戦力はネメシス・アドラスティアの防衛へ回る模様。連合艦隊への攻撃は希薄である。一斉射用意、この機会を逃すな! ラッシュ、ラッシュ!』
時が来た。
艦内放送にて告げられる報告の全てが待ちに待った時が訪れたことを告げている。
マリアは外で何が起きたのかを明確に読み取り、発進の時を待ち侘びる航空機内で1人不敵な笑みを浮かべた。
唖然とした表情を浮かべるマークתの一行の中で、いの一番にルーカスが首を横に振って言う。
「おいおい、嘘だろ? 本当にやったのか? どうやって?」
言葉の後に続く者はない。誰も彼もが空中艦隊の突破は不可能であると思っていた。しかし、現実は今聞こえてきた放送のとおりらしい。
極限に追い込まれた状況の中で不確定、不明確な情報を流すわけはなく、ましてやこれほどまでにはっきりとした調子で報告を上げるなどあるはずがないのだから。
「イベリスがやったのか」
不安げな面持ちで玲那斗が言うが、言葉に含まれた不安の真意を測ったようにマリアは言った。
「荷電粒子砲による敵艦船の掃討。確かに、そのことでアンティゴネを討ち、ネメシス・アドラスティアに後退を強いることに成功したのはイベリスの力によるものだろうが、それによって彼女が誰かを殺したり傷つけたなどということはないだろう」
簡単に言い切ったマリアに対して玲那斗に代わりジョシュアが問う。
「なぜそう言い切れる?」
「なぜと? 君達は気付いていないかもしれないが、連合艦隊の目の前に展開する共和国の水上艦船及び航空艦船の内、ネメシス・アドラスティアを除くその全てが無人操舵されているものだからだ。考えてみたまえよ。僅かな人口しか持たぬ共和国が、どうしてあれだけの軍事兵器の数々をあれほどの精度で運用することが出来ていると思う?」
「それは……」
「大国の兵力を例に出せば、アメリカ軍はおよそ150万人の兵士が在籍しているという。欧州諸国も10万人から40万人の兵士を抱えている。軍隊所属の人間だけで、だ。対するグラン・エトルアリアス共和国は、軍に関わりを持つ持たないに関わらず、全国民の総数がおよそ20万人。大国に匹敵するほどの軍事力を抱えているあの国が、まともな兵器運用をする為にはその全てを投入したとしても賄うことはできないだろうさ」
押し黙るジョシュアへ視線を向け、マリアは続ける。
「先の問いに関して答えを導くことは簡単だ。進んだ科学技術を活かし、共和国は軍事に関するそのほとんどにおいて無人運用が可能なように設計した。共和国国民、いわゆる無辜の民の一切を巻き込むことなく軍事行動が可能なようにね。
故に、目の前に展開する艦船や航空機は無人か、或いはアムブロシアーのような人工的な兵士による運用が行われていると考える方が自然だろう」
「だが、2週間前のアンティゴネには彼女が乗艦していた」憂鬱そうな面持ちで玲那斗が言うと、マリアは軽く息をつきながら声のトーンを落として言った。
「やれやれ、君も心配性だね。言及した“彼女”とはアンディーンのことだろうが、テミスに属する人間やアンジェリカ本人が戦場に出てくる時だけは例外中の例外だ。その時だけは人間の手による直接的な艦艇指揮が行われているのだと私も考えている。けれど、2週間前と今を同一状況とみなすことは出来ない。今そういった状況にある艦船はただ1隻のみ」
「ネメシス・アドラスティアだけか」
「無論、共和国艦隊旗艦であり、総統であるアンジェリカの座乗艦だからね。要はネメシス・アドラスティアを撃沈していないのであれば、何が沈もうと墜ちようと、誰を殺したことにも成り得ないということさ。
同じ理屈で付け加えるならば、アイリスだって誰一人として殺めてはいない。それと、アンディーンに関しては別の観点からも今回は例の艦船群に乗艦していないことは明白だが―― 諸々、気になるならもうじきこの場に現れるだろう本人に直接尋ねてみると良い。ほら、頃合いだよ?」
マリアが静かに目を瞑りながら言うと、航空機の入り口ドアが勢いよく開き、その奥に2人の少女の姿が見えた。
ブリッジで艦体総指揮を執っていたイベリスと、甲板上で敵の迎撃に当たっていたアルビジアがやってきたのだ。
2人の姿を捉えた玲那斗は安堵の息を漏らしながら言う。
「イベリス、アルビジア、大丈夫か?」
「えぇ、私達は平気よ」
安堵と同時に不安げな表情で言う玲那斗に、イベリスは視線を向けつつ短く言った。
「艦内放送で聞いた。ネメシスとアンティゴネの話は本当か?」
念を押すようにルーカスが言うが、その言葉に対してもイベリスは短く返事をするにとどめる。
「アンティゴネの1隻は墜ち、ネメシス・アドラスティアは後退した。共和国の艦船や航空機は着水に向けて降下するネメシスの援護で手一杯の状況といったところね」
「それは重畳。いよいよもって我々も動き出すことが出来るというものだ」
マリアが話に横やりを入れて言う。
「そうね。ブリッジの指揮はゼファート司監に任せ、防衛の補助はアイリスへお願いしているわ。ネメシスが後退した状況であれば何も問題ないと思うけれど、貴女の感想を聞かせてちょうだい」
「感想も何も、時が来たときにアイリスをサンダルフォンに残し、指揮をフランクへ預けろというのは私の願いによるもの。アイリスの魂をその身に宿すとは言え、彼女の宿主たる本来の身体の持ち主はアヤメだ。両親から彼女の身を預かる者としては、アヤメをこれ以上の危険に晒すわけにはいかないからね」
「マリア、私が聞いているのは共和国の動きについてよ。アイリスについてではないわ」
「おや、質問の趣旨を取り違えたかな? すまないね。共和国の動きについては今君が言った通りだろう。アンジェリカが海戦から身を退いたのであれば、海上での戦いにこれ以上の重きが置かれることはない。互いに拮抗状態を維持する程度の規模に収束するだろうね。主要な戦いの場は共和国本土、アンヘリック・イーリオンへ移ると考えるのが妥当だと思う」
「そう」
イベリスはマリアを横目に言った。
冗談を言っているのか。彼女ほどの人物が単純な質問の意図を読み間違うなど考えにくい。趣旨の取り違えは明らかにわざとだ。
これからアンヘリック・イーリオンへと向かい、生死を賭けた戦いをアンジェリカとしようという矢先、余裕の笑みを崩さないマリアの様子はどこか不気味ですらある。
静かに口を閉ざしたまま、空いた席に着席してシートベルトを締めるアルビジアを見やると同時に、イベリスは視線をロザリアへと移した。
彼女も彼女で黙り込んだまま言葉を発する様子もない。むしろ、この場では敢えて何も話したくはないといった風にすら見える。それは隣に座るアシスタシアも同様だ。
プロヴィデンスから流れ込む未来予測において、この後のことについては“未知数”という答えしか返されない。
アンジェリカという不確定要素が相手なだけに、至極真っ当な結論ではある。だが、このことは言い換えると未来視の力を持つマリアにも当てはまることで、彼女の目にもこの先の未来についての確定的事項は映されているはずがないのだ。
であるにも関わらず、まるで全てが自らの思う通りに事が運んでいるといったような振る舞い、態度、余裕。
見せかけの虚勢か、或いは本当に何も気にしていないということか。いいや、断じて違う。
マリアはまだ何かを隠している。
繰り返し頭をよぎる感覚。彼女自身、嘘は吐いていないが、本当のこと全てを言っているわけではない。
ロザリアもアシスタシアも、そしてアルビジアもそういった感覚を抱いているのだろう。
自分と同じ考えに至っているからこそ、彼女の動向を見極めるために敢えて言葉で語ろうとしないのではないか。
加えて、フロリアン。マリアと心の距離が最も近く、また最も勘の優れた彼もきっと同じように考えているはずだ。
先程からマリアとロザリアを観察するように眺めている様子からも間違いない。
各々が考えているのは、もはやアンジェリカとの決戦のことについてではない。
その“後のこと”に考えが向けられている。
こうした考え方が慢心を生み、取り返しのつかない事態を招かなければ良いが――
イベリスはそのような思案を終えると航空機の正面に向き直って言った。
「すぐに出発しましょう」
そう言うと、手元の通信スイッチを押してサンダルフォンのブリッジへと繋いだ。
「こちら第二航空格納庫。イグレシアス隊員よりブリッジへ。航空機の発艦許可を願います。ゲートを解放してください」
間もなく、ブリッジから発艦許可の伝令が返る。
『了解、第二航空格納庫ゲートを解放します。発艦用意。航空機の操縦は……』
「不要です。私が行います」
管制が言いかけた言葉を遮ってイベリスが言う。
『しかし……』
「オートコントロールも突き詰めてプロヴィデンスの演算によるものです。それならば、状況を目視しながら同様のことが可能な私が直接操舵を担う方が良いかと」
管制担当の隊員がフランクリンに指示を仰いだのだろう。しばしの間の後、返事が返った。
『申告を許諾します。第二航空格納庫ゲート解放。発艦タイミングは貴官に委ねます』
「感謝します」
イベリスはそう言って通信を切り、徐々に口を開くゲート正面を見据える。
その時、航空機に乗り込んでからというもの、張り詰めた姿勢を崩さないイベリスにジョシュアが言った。
「発艦直前に言うのも難だが。イベリス、背負い過ぎだ。少し肩の力を抜くと良い」
「一度飛び立てば後戻りも出来ない。隊長の言う通りだと思う」
彼女への思いやりを込め、遠慮がちに玲那斗も続いた。
するとルーカスが言う。
「なぁ、イベリス。航空機の座席ってのは普通あれだぞ。進行方向に対して正面を向いてるもんだと思うんだ。こう、対面式ってのも珍しい。妙な不安を覚えるんだが」
仲間たちの優しい声を聞いたイベリスは振り返り、ようやく穏やかな笑みを見せて言った。
「大丈夫よ。プロヴィデンスはこう言っているわ。“何も問題ない”と」
彼女らしい愛嬌のある声が空気を和ませる。
再び正面へと向き直ったイベリスは深呼吸をして続けた。
「それにね、私は今が一番充実した気持ちなの。気負っているといえば確かにそうなのかもしれない。だって私は、千年前に最後まで“己の責務から目を背けられたら良い”なんて思っていた女よ。だからでしょうね。過去の甘えた考えを払拭する為ではないけれど、今この瞬間に目の前の困難から目を背けず、誰かの役に立てているのなら、私にとってはこれ以上に誉なことはない」
「たとえそのことで、かつての同胞を討ち果たすことになっても、かい?」
声色を潜めて言ったマリアの言葉によって場に緊張が走る。だが、イベリスは彼女の言葉を正面から受け止めて返事を返す。
「私は“貴女の考え方”と違って、アンジェリカを討ち果たそうなどと思ってはいないの。先にブリッジから通信越しにあの子と話した時に伝えたわ。“自らの行いを反省するまでお説教をするだけ”と」
「言葉で言って聞くのなら、戦争など起きたりはしない」
「そうね。アンジェリカは私を“正しさの奴隷”だと言って敵がい心を向けて来たわ」
「ならば覚悟を決めて討つしかない。そうしなければ、君は本当に大切なものを失いかねない。今度こそ、永遠に」
マリアの言葉に玲那斗は反論しようとするが、目にしたマリアの表情が先程まで一切見られなかった真剣なものであり、刺すような眼差しでイベリスを見据えていた為に言葉を呑み込むしかなかった。
マリアは言う。
「先に玲那斗が言った通り、ここから飛び立てば引き返すことは出来ない。この先の未来がどのようなものになるか、選び取るのは君自身の決断だ。どんな結末になっても、後悔しない道筋を選ぶと良い」
「そうさせてもらうつもりよ。それに――」
イベリスはそこまで言って言葉を区切り、右手を前に差し出す。
直後、彼女の髪が金色に染まり、真に能力を発現させる時と同様の煌めきに包まれると、航空機の航行制御システムが自動で作動し、機体のエンジンに火が灯された。
『航空制御システム:プロヴィデンスコントロール。目標、グラン・エトルアリアス共和国城塞 アンヘリック・イーリオン。間もなく、本機は急速発艦します。乗組員は規定に従い、着座したまま衝撃に備えてください』
無機質な自動音声に続くようにイベリスは言う。
「アンジェリカは自らの心の在り方について揺れている。自らに内在する2つの精神の狭間で迷いを見せているわ。あの時、私に敵がい心を向けてきたのはアンジェリーナであって、アンジェリカではなかった。あの子の心が最終的に何を選ぶのか――」
「まさかその“可能性”とやらに賭けると?」この期に及んで不確定要素に賭けるというイベリスに、呆れたと言わんばかりにマリアは言った。
「言ったでしょう? 私は“貴女とは考え方が違う”と」
己の信念を貫く。イベリスはある意味において、決意とも受け取れる言葉を言い終えると同時に右方向に腕を薙いだ。
その動きに合わせて航空機は急加速を開始、一瞬でサンダルフォンの発艦ゲートを潜り抜けると砲火飛び交う空へと飛び出した。
戦闘機が発艦する際と同程度の重力加速度が航空機を襲う。
ルーカスの懸念通り、全員が横向きに衝撃を受けるかと思われたがしかし、イベリスの力によるものなのだろうか。まるで旅客機が離陸を開始するのと同程度の感覚しか乗員に伝わることは無かった。
飛び立つ際の衝撃に覚悟を決めていたマークתの一行は、その心構えが肩透かしに終わったことに安堵しつつも、改めて今のイベリスの凄みというものを感じることとなる。
「貴女も信頼を寄せるプロヴィデンスは変わることなく、こう言っているわ。“何も、問題ない”、と」
全員の心の声を汲み取ったかのように、マリアへの中て付けも兼ねるかのように先と同じ言葉を繰り返してイベリスは言った。
そんな彼女の後姿に視線を送りながらマリアは囁くように言う。
「好きにするが良いさ。私も世界の安寧が守られるよう、好きにさせてもらう」
直接聞こえてはいなかったはずだ。だが、イベリスはしっかりとした口調でマリアへ言った。
「お互い様ね」
こうしてマークתの一行とリナリアの一行を乗せた航空機はサンダルフォンから飛び立った。向かう先は決戦の地、アンヘリック・イーリオン。
ネメシス・アドラスティアから戻ったアンジェリカが待ち受けているであろう城塞へと決意を決めて向かう。
行き着く未来は生か、死か。可能性は、どちらにでも転がり得る。
急発進した航空機が上空で安定姿勢に入った時、アルビジアはマリアの隣に座るアザミへと目を向けた。
この場で無言を貫く彼女は今、何を考えているのだろうか。分かることはただひとつ。状況がどう転がろうと、彼女はマリアの理想成就の為だけにその力を振るうに決まっている。
二晩続けて言葉を交わしたからこそ理解できる。彼女の行動理由、突き詰めてしまえば存在意義には“それ以外のことが存在しない”のだから。
しかし視線に気付いたのか、ふいにアザミがアルビジアへと顔を向け、首をかしげる素振りを見せる。
『訝しむことなど、何もないということね』
アルビジアはアザミの言わんとすることを汲み取ると視線を逸らした。
さらにその隣ではロザリアとアシスタシアが静かに佇むが、彼女達もやはりこの場において特別に意志を示そうなどということは考えていないようである。
全てはアンヘリック・イーリオンに辿り着いてから。
協力する者同士でありながらも、各々の思惑が複雑に絡み合う中、飛び交う砲撃やカローンの攻撃を交わしながら航空機は空気を切り裂き進む。
この調子であれば3分もかからずに目標まで到達するだろう。
運命の歯車が音を立てて回り始めるのは数分後からということになる。
そうしていよいよ、第三次世界大戦の結末を決める最重要な戦局を迎えようとしている中、航空機内でフロリアンだけは過去の記憶を呼び起こし、今の自分達にとっての最大の敵であり、障害となる“彼女”のことについて思い返していた。
『アンジェリカ。彼女が本当に欲しかったものは無償の愛であり、ただ愛が欲しいと一言口に出すだけで良かったはずなのに。アンジェリーナはずっと昔からそのことに気付いていたはず。気付いていたからこそ……』
イベリスの言い放った“心が揺れている”という真意にただ一人気付いていたフロリアンは目的地に到着するまでの数分間、アンジェリカに対する思いを巡らせるのであった。
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