第4節 -決戦前夜-
*4-4-1*
グラン・エトルアリアス要塞
アンヘリック・イーリオン 庭園テラスにて
午後10時。
世界連合との最終決戦を控えた前夜。新月となり月が消えた空は暗く、星の瞬きすらろくに見通せない夜闇。
美しい庭園を一望するテラスに据えられたカフェテーブルの椅子にアンディーンは1人きりで座っていた。
空を見上げれば漆黒の帳が包む暗闇だが、視線を落とせば黄金色にライトアップされた庭園の絶景を堪能できるこの場所で、何を思うでもなく佇む。
それは偏に、自分の心の在り方を見つめ直したかったからなのかもしれない。
もしくは、単に様々なことが起こり過ぎる人生というものに疲れ切ってしまったからなのかもしれない。
意図しなかったもの、意図したもの。妹に対して、機構に対しなど、多くの裏切りを重ねて今自分はこの場に身を置いている。
共和国の最重要拠点、アンヘリック・イーリオンに身を置き、総統直下の親衛隊であるテミスに所属。加えて自分という存在は、長きに渡るエトルアリアスの歴史において連綿と受け継がれてきた“マックバロン家”の当主でもある。
だが、今やそうしたものの全てが自分の自由を奪うしがらみであると感じてしまっていた。
しがらみとは、水をせき止める為の杭と木材で作り出される堤防を指すらしいが、水の精霊の名を文字って名付けられた自分が“自由の剥奪”を指して言う言葉としてはこれほどまでに適当な言葉も他にない。
一方、半分同じ血を引いた妹である彼女は風の精霊の名を与えられた通りの自由を謳歌している。
振り返れば元々は逆の立場であったにも関わらず、名は体を表すとでもいうのか。いつの間にか制限と自由の立場は大きく入れ替わっていた。
アンディーンはライトアップされた、庭園に咲き誇る花々を眺めながら呟く。
「いいえ、いいえ。それで良いのよ。あの子は自由であるべきだわ。全ての重しは私が背負うべきであって、あの子はあの子の人生を歩むべきなのよ」
心からの本音である。〈妾の子〉という呪いの言葉によって辛い幼少期を過ごさざるを得なかった彼女が、今や何に気兼ねすることもなく楽し気な人生を謳歌している。素晴らしいことではないか。
過去の仕打ちや、約束を守ることが出来なかったことでどれほど自分が彼女から憎まれたって構わない。
彼女が最後まで幸せだと感じる人生を過ごすことができるのなら、それで満足というものだ。
「しがらみ、か。似合いの言葉であると同時に、似合いの境遇ね。行き場を失いせき止められた流水は、やがて溢れることを余儀なくされ、あらゆる束縛から身勝手に逸脱し、最後にはしがらみという名の堤防を決壊させる。きっと、私の迎える最期もそのようなもので十分なんだわ」
遠い目をしたままアンディーンはぽつりと呟いた。
瞬間、秋風が頬を撫でて通り過ぎていく。柔らかな風が運ぶのは冷たい冬の気配。
厳しい寒さに見舞われるセントラルの冬とは異なり、北大西洋の中でも温暖な地域に位置する共和国ではあるが、それでも冬を想起させる冷たい風というものは人の心に不思議と寂しさを沁み渡らせていく。
「風邪、ひかないようにしないとね。全てが決まる、大事な日の前日だもの」
明日の正午前には決戦が始まる。共和国近海は艦砲射撃による惨劇が繰り広げられるに違いない。
あの赤黒く燃える溶けた鋼鉄の塊が、海水と人命を蒸発させながら再び冷たい海の底に引き込まれていく。
脳裏に2週間前の光景が蘇る。自らの手で沈めた機構のラファエル級フリゲートの姿。仲間を殺した日のことが。
かつての仲間を、私が殺したんだ。
アンディーンは振り払うように静かに首を振る。考えたところで過ぎた現実を変えることなど出来はしない。
混沌から奇跡を生み出す最後の希望である“彼ら”の自由を守る為には、あのようにするしかなかったのだから。
そっと目を閉じ深い息を吐いた後に再び目を開く。
迷いを断ち切り、己の責務に忠実にある為に。先程までとは打って変わって力強い光を瞳に灯し、アンディーンは自室に戻る為にそっと椅子から立ち上がった。
だが、部屋へ帰ろうと振り向いたその時である。
振り返った先にはよく見知った姿が立っていた。
「シルフィー? 貴女どうしてここに?」
一体いつから?
いつから彼女はそこにいたというのか。
思いがけずに姿を見せた彼女に困惑の表情を浮かべながら言うと、彼女はいつもなら決して自分に見せることの無い穏やかな笑みを湛えて言った。
「このような暗がり、このような時間に何か悪だくみでもなされているのですか? お姉様?」
「違うわよ。ただ外の景色を見ながら風に当たりたかっただけ。自分の部屋だと余計なことを考えてしまうから、それでここに。貴女はどうして?」
「先ほどから繰り返しどうして、と。わたくしがこの場を訪れてはなりませんか?」
シルフィーは変わらぬ笑みを湛えたままに言う。
常に不満そうな顔を向ける彼女が自分に対して笑みを向けるなど、不気味なことがあるものだとアンディーンはかえって不安になった。
もしくは考えられることは一つ。心当たりを問う為にアンディーンは言う。
「いえ、そんなことはないけれど。貴女は私の姿を見れば嫌がるのが常でしょう。だから意外に思っただけよ。それとも情けない姿を晒す私を――」
「“嗤いに来たのか”とでもおっしゃいますか。実に、実に浅慮な。わたくしはただ、この月のない夜に照らし出された美しい庭園の景色を眺めながらお茶を頂こうと思っただけのこと。そうしたら“偶然”お姉様が先客としていらっしゃった。それだけのことにございます」
お茶?
怪訝な表情をしたまま、アンディーンは彼女の後ろに目を向ける。
すると彼女の後ろには、確かに紅茶の淹れられているであろうティーポットとカップ、お茶菓子であるクッキーの並べられた皿が乗せられたカートを押すアムブロシアーの姿があった。
殺戮の為に生み出された不死の兵隊。死の象徴か悪魔にしか見えない筋骨隆々の大男の姿をした化物に給仕をさせるなどと。
今のシルフィーが浮かべている笑みより不気味な光景である。
戸惑いがちな声でアンディーンは言う。
「貴女、アムブロシアーにメイドのようなことをさせるのは趣味が良いとは言えないわよ。適材適所というものがあるでしょうに。風情というものがまるで感じられないもの」
「華やかさや雅さに欠けるという点では致し方のないこと。確かに優美な紅茶がたくましい香りと味になってしまうやもしれません。ただ、この時間にふさわしい誰かに給仕を頼むなど気が引けますもの」
「自分ですれば良いでしょうに。見た所、その紅茶もクッキーも貴女自身が用意したものでしょう? であれば……」
アンディーンはそこまで言いかけて言葉を止めた。
シルフィーがアムブロシアーに運ばせたお茶セットの中に、カップが2人分用意されているのを目にしたからだ。
「シルフィー、貴女ここで誰かとお茶をする約束をしているのでしょう? であれば、私と長話している時間もないはず。失礼するわ」
「約束? いいえ。わたくしはどなたとも約束など取り付けてはおりません。今宵に限ってはアンジェリカ様をお誘いするなど恐れ多く、アビーは研究室に籠り切り。リカルドを誘うなど論外。イザベルや他の者を誘おうにも皆眠りの時間ですから」
約束していない?
ではなぜ2人分のカップの用意など。
アンディーンはますますもって不可解となった状況について、ある仮説に思い至って声を潜めながら言う。
「貴女、まさかそこのアムブロシアーとお茶をする気ではないでしょうね?」
すると、シルフィーは明らかに固まる様子を見せた。
呆気にとられたという風に真顔となった彼女であったが、一瞬の後に盛大に声を上げて笑い始める。
「ひひひひ……! あはははは! まさか、いくらわたくしがその手のことに無頓着であるからとて、彼らとお茶を嗜むなどあるわけがない」
先程とは異なる嘲笑の笑みを湛え、いつも通りの見下すような目をした彼女は言う。
「あぁ、このような夜に笑い声を上げるなど止さねばならないというのに。
えぇ、えぇ。確かに、アムブロシアーにはわたくしの脳神経や思考パターンをトレースしたニューロモルフィックチップが埋め込まれていますし、思考のリンク接続が確立されていることから状況に応じて、“対わたくし”という最適なお茶の相手も務めることはできるでしょうけれど? ただ出来るというだけであって、実践するなどもってのほか。
たった今、貴女自身が言ったようにそれではまるで風情がない。外見的に見ても情緒の欠片もない。それを分かっていながら、アムブロシアーと? 面白い冗談を言うものだから笑ってしまいました」
シルフィーの言葉を聞いたアンディーンは薄々と彼女がどういうつもりなのかを感じ取ってはいたが、内心で“それだけは絶対に有り得ない”とも考えていた。
しかし、彼女の口からは有り得ないと思っていたことが何気ない顔で語られたのである。
「それほどまでに驚愕の提案をわたくしから引き出したいというのであれば、そのようにして差し上げましょう。わたくしのお茶の相手をしてくださいませ。お姉様?」
正気なの?
思わず問いそうになった。
あれほどまでに嫌悪と憎悪を露わにしていた彼女が自分を誘ってお茶会?
実の妹に殺されるなど考えたくはないが、毒でも盛ってあるのではないかと訝しみたくもなる。
しかし、その内心を読み取ったかのようにシルフィーは言った。
「ご安心くださいませ? いくらわたくしとて、自らの手製焼き菓子と飲み物に毒を盛る趣味などありません。それこそ、CGP637-GGやUPG99-VXなど。
共和国には他の国々にとって未知の毒というべき代物は多数ありますが、今この場にそのようなものはどこにも。信じられないというのであれば、わたくしの誘い自体を断って頂くのも宜しいかと」
彼女はそう言って一枚のクッキーを手に取ると口に放り込んで食べて見せた上でにやりと笑った。
「どういう風の吹き回しか知らないけれど、良いわ」
アンディーンはそう言うと再び振り向いて先程まで座っていた椅子に腰を下ろした。
「えぇ、えぇ。それで良いのです。それで」
シルフィーはゆったりとテーブルに歩み寄ると空いていた椅子に腰を下ろした。
その間にアムブロシアーがティーポットとカップ、そしてクッキーの乗せられた皿を丁寧にテーブルの上に置いた。
そして2人のカップに温かい紅茶を注ぎ終えると礼をして後ろに下がる。
すぐ傍で、物腰柔らかく給仕を行ったアムブロシアーの姿を見ていたアンディーンは顔を強張らせながら言う。
「どう考えても“無し”だと思うわ」
「わたくしもそう思います。ですから、こういたしましょう」
シルフィーはそう言うと膝の上に置いた手を重ね合わせ叩き、一度だけぱんっと音を鳴らす。
するとアムブロシアーは黒い霧状の粒子となって一瞬で跡形もなく消え去ったのであった。
「便利ではあるのですが、見た目の問題というものはどうにもできないこと。アビーに伝えておきましょう」
「取り合うとは思えないけど。せいぜいあの不気味な頭に、メイドのホワイトブリムをかぶせるのが関の山でしょう? 想像したくもないわ」
「さて、見た目が人間心理に与える影響についての考察、などと言って食いついてくるやもしれません。そもそも、この手の題材の研究はお姉様が得意とされるものでは?」
「最低の題材ね。考えたくもないわ」
「そうですか。しかして、アビーにとっては興味が湧くかどうかが全てですし、或いは。あの子はいつも妙なところに関心を寄せて、常にこちらを困惑させてばかり。まったく、見た目もそうですが、何もかもが昔から変わらない」
シルフィーは口元に手を当てて上品な笑みをこぼしながら言い、カップに角砂糖とミルクを注いでミルクティーを仕立てた。
「成長を止める薬を自作して、自分で飲んで成長が止まったという話だったわね。自分で作った薬品なら解毒剤もなんとかできそうなものだと思うわ」
「遺伝子レベルか、細胞レベルで成長機能を阻害する薬品だと言っていましたし、あの子自身にもどうすることもできないのでしょう。身長だけはもう少し欲しかったとは良く。ただ、髪が伸びるのだけは止まらないから鬱陶しいと、よくそのような愚痴をこぼします」
「きちんと身なりを整えれば随分な美人だと思うわ。アンジェリカ様もそこが気に入っているのだと思うけれど、本人はまるで興味ないのでしょうね」
「皆が口を揃えて容姿に言及する様が面白いから、まとめて学会で発表しようなどと言っていた気が」
手元のカップを手に取ったシルフィーは一口ほど紅茶を飲む。
彼女の様子をつぶさに見ていたアンディーンもようやく角砂糖とミルクを紅茶へと入れ、同じように一口紅茶を飲んだ。
香りを楽しみ、口に広がる紅茶の風味を楽しんでからカップをテーブルに置いて言う。
「とても良い香り。ダージリンね。ストレートの方が良かったかしら」
「楽しみ方は人それぞれ。敢えて、わたくしと同じ飲み方にしたのでしょうに」
「そうよ。その方が良いと思ったから」
アンディーンに視線を向けていたシルフィーはふっと目を逸らして言う。
「宜しければそちらのクッキーも召し上がってくださいな。繰り返しますが、妙なものは仕込んでおりませんので」
「頂くわ」
勧められるがままにアンディーンは一口サイズのクッキーを手に取ると口に入れて食べる。
バターの風味が心地よい。とても優しい温かみのある味わいが口に広がっていく。
料理というものは人の心を映すというが、この味わいに抱く印象こそが本来のシルフィーが持つ人間性そのものなのだろう。
冷酷無慈悲な策士というのは後天的に作られた側面の一部に過ぎず、実質的な本質とは遠くかけ離れたものであることがよく分かる。
アンディーンはたった1つのクッキーを食べただけだが、すぐ隣に座る彼女のことを改めて理解出来たような気持ちになった。
ただし、直接言えば憎まれ口を叩かれるのだろうから言いはしないが。
アンディーンがクッキーを飲み込んだ丁度その時、黄金色に照らされる花々を見つめながらシルフィーが言う。
「この庭園に植えられた花々は、そのほとんどがイザベルの手によるものだといいます。春から冬に至るまで、この優美さが失われてしまわないように絶えず手入れを続けている。
――本当に美しい花。最初は疑問でしたが、アンジェリカ様がなぜあの子を自らアンヘリック・イーリオンへ連れて来られたのか今なら理解できる。
幼少期の住まいではそのようなものを楽しむ気にはなれませんでしたが、わたくしは彼女の作り上げたこの庭園をここで眺めることに一種の幸福を感じています」
アンディーンの脳裏にマックバロンの屋敷の庭園の景色が思い起こされる。
幼い頃、彼女の誕生日に会いに行っても良いかと問い掛けた時に彼女がじっと眺めていたあの場所だ。
確かに花は咲いていたし、綺麗ではあったが特に目を惹くものではなかったと思う。
それと比較すればイザベルの作り上げたこの庭園の花々は見事なものだ。魂や心が宿っているというのだろうか。まるで、景色を眺める人のことまで完璧に考え尽くされたような―― 花を植える位置や色合い、品種の選択なども完璧である。
この絶景には名高きセルフェイス財団の中央庭園だって及ばないに違いない。
アンディーンが庭園を見つめて物思いに耽る中、シルフィーは淡々と話を続ける。
「けれども、明日の戦が始まればこの場所も炎に焼かれて何も残らぬ地になるやもしれません。わたくしは戦争によって燃え盛る炎が美しいと思う。
穢れを浄化する至高の熱。人に流れる血と同じ色。罪を滅ぼす炎は実に鮮やかな赤色で世界を染めますから。
ただし、この庭園が炎に包まれ焼き払われてしまうことになるのは悲しきことであると考えます。
それは偏にイザベルの心を燃やす行為に等しく、彼女をこの場に導いたアンジェリカ様の意思をも燃やす行為に等しい」
直後、シルフィーはアンディーンへと視線を向けて唐突に問いを投げ掛けた。
「要塞の防衛はお姉様に一任されておりますが、策は万全で?」
物思いに耽る中から我に返ったアンディーンは事も無げに言う。
「任されたからには責務を果たす。我らテミスが担う役目に失敗など許されない。“要塞の防衛について”万全でないわけがないでしょう」
「失敬。先日のアンティゴネの一件を思い出して、つい。分かっていながら見逃すという愚行。アンジェリカ様は見過ごし、お許しになられたようですが、わたくしの中では今も晴れぬ思いがあります」
「そうでしょうとも。貴女ならきっともっとうまくやれたわ。機構の彼らを再びここへ連れ戻すことも容易かったでしょう。残念ながら私には、貴女のような作戦立案や艦隊指揮の智慧と才は無いのだから」
「いいえ、いいえ。迫りくる財団の艦船を即座に作戦に取り込む智慧の働かせ方は見事であったかと」
「貴女らしい皮肉ね?」
ここに来てようやくシルフィーらしい物言いを聞いたアンディーンは思わず笑みをこぼした。
アンディーンは再びカップを手に取り、紅茶に口を付けようとするが直前でシルフィーが言う。
「約束。忘れられないのでしょう? 遠き日の夢と幻想。わたくしの誕生日のこと」
突然、彼女の口から語られた思いがけぬ言葉にアンディーンはカップを顔から離し動揺を浮かべ言った。
「貴女……」
「あの日、果たせなかった約束のひとつ。わたくしは叶えて差し上げました。であれば、次は―― 今度こそ、わたくしの願いを貴女が叶えてくださいませ?」
「貴女の願い?」
渡すことのできなかったプレゼント。
果たすことのできなかった約束。
そうして彼女から告げられた言葉はただ一言。
“嘘つき”である。
あの時から自分達、姉妹は二度と意志を通わせることの叶わぬ関係になったと考えていた。
実際、今日この瞬間までは確かにそうであったはずなのに。
叶わなかった約束を叶えたから自分の願いを聞けと?
どういうつもりだというのか。
アンディーンは彼女が次に発する言葉に意識を集中して耳を傾ける。
対するシルフィーはゆったりとした所作でクッキーを食べ、紅茶を飲んでから言った。
「後にも先にも、わたくしの願いはただひとつ。全てはアンジェリカ様の御心のままに。
城塞の守護に関する策が万全であろうとなかろうと、わたくしから貴女に伝えたいこともただひとつ。
どうか、2週間前と同じ過ちを繰り返されませんよう。アンジェリカ様の寛大な御心も、一度きりでありましょう」
言い換えれば単純なことだ。
裏切るな。
要はシルフィーなりの言葉で語られた強い警告のメッセージである。
自らの信念を押し曲げ、自らの憎悪の心を押し込めてまで願う理想の実現。全ては尊ぶべき主、アンジェリカの為。
即座に意味を理解したアンディーンは彼女の顔を見つめたまま返事をする。
「言われずとも、使命は果たす。先に言った通りよ」
ちらりとシルフィーは視線を寄越すが、ふっと庭園を見つめながら言った。
「ですがきっと、お姉様は自らの心に従うのでしょうね」
分かっているなら、なぜ敢えて言うのか。
アンディーンはそこに彼女が自分に手向けた“最後の優しさ”があると理解しながらも、本質的な答えを避けるように言った。
「自分の運命は自分で決める。私はもう二度と、後悔したくないだけよ」
そう言って静かに深く息をすると、椅子から立ち上がり後ろへと振り返る。
ゆっくりと歩き出しながらアンディーンは言う。
「クッキーと紅茶、ごちそうさま。貴女とゆっくり話すことが出来て良かったわ。ありがとう、シルフィー」
そして、ごめんなさい。
私は貴女がただひとつ望んだ願いに応えることがやはり出来ない。
内心で思いながらもアンディーンは決して口に出すことは無かった。
彼女に対して謝罪の言葉を口にするということは、彼女の想い全てを愚弄することに繋がると考えたからである。
その後は互いに一言も言葉を交わすことなく、短い歓談の時間は幕を閉じた。
目の前で、変わらぬ黄金の光に照らされる花々をシルフィーは眺めながら再び紅茶に口を付けた。
『答えなど分かりきっている。しかし、しかしながら。互いに明日、落としてしまう命であるならばこのような気まぐれがあっても良いと。短い生涯の中に訪れた、ただ一度の一瞬の気の迷い。わたくしはただそのように考えただけのこと。私達というのはどうしてこうも―― ねぇ、お姉様?』
アンディーンが去り、一層の静けさに包まれたバルコニーに一人残ったシルフィーは内心で思う。
頬を撫でる秋風は冬の冷たさを運んでくるが、自分達姉妹に冬という季節が二度と訪れないことを悟っている。
刻限は明日。
互いが積み重ねてきた罪は、罰によって裁かれなければならない。
シルフィーはもはや視界の先に何も捉えず、意識をぼうっとしたままに囁くように口走る。
「愛しい、愛しいアンジェリカ様。この世には、どれほど憎悪を重ねようと断ち切れぬものもありましょう。“どれほど望んでも叶わぬ願い”もありましょう。
わたくしがどれほど彼女に怒りを向けようと、憎しみを募らせようと、この身体に流れる赤き血の中身が変わることなど無いのです。
であるならば、あの時叶えることのできなかった“約束”を叶えて差し上げた上で、わたくし達の死を以て全てを終わりにするのがせめてもの……
それがわたくしに与えられるべき、罰なのですから」
輝かしい庭園に向けた視線を暗い夜空に向け直して言う。
「でもせめて、許されるならせめて――」
愚かな姉の企てを承知していながら見逃すという大罪。
この一瞬の気の迷いに対して、貴女様の手による神罰が下されればと切に願うのです。
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