*4-3-5*
「コード:AOC C1M 0018 ツァディーより中央管制へ伝達。識別名アドナイ・メレク。旗艦サンダルフォン、ノアの箱舟計画遂行の為に出航する」
『こちら中央管制。貴艦の出航シグナルを確認。航行管制システムシグナル異常無し。オートコントロール、ファイン』
「定刻。ノアの箱舟計画を開始する。艦隊旗艦サンダルフォンより全艦隊へ通達。目標、グラン・エトルアリアス共和国。進行を開始せよ。繰り返す、ノアの箱舟計画を開始する。進行を開始せよ」
緊張に包まれるサンダルフォンのブリッジでは、通信を担当する隊員達が矢継ぎ早に計画開始の号令を発信する。
「アメリカ合衆国海軍 第七艦隊旗艦 LCC-19 ブルー・リッジより通信を受領。〈貴艦の指示に従い行動を開始する〉。以上です」
「日本、ドイツ、スペイン、イタリア、英国海軍も続きます」
「監視衛星より共和国の動きを受信、領海内に海上艦隊を配置している模様ですが動く気配はありません」
「先遣艦隊からの報告も同じです。周囲索敵異常無し、敵軍に動き無し」
各報告を聞き、此度もサンダルフォンの艦長を務めるフランクリンは号令を発した。
「微速前進、進行速度を他艦艇と合わせろ。第七艦隊旗艦ブルー・リッジへ返信、〈協力に感謝する〉。
両舷のラファエル級フリゲートに通達。距離を保ったまま本艦へ続け。歴史上に類を見ない大艦隊の航行だ。距離には十分注意しろよ」
「はっ。ブルー・リッジへ返信。及び、ラファエル級フリゲートへの司令伝達」
ついに始まった。
世界連合軍とグラン・エトルアリアス共和国の最終決戦に向け、死地に向けて世界中の艦隊が進撃を開始する。
未来の保証など無い。元より勝算などなく、負ければ彼ら共和国の言う破滅が待ち受けるという現実。
しかし、立ち向かわなければならない。万にひとつの可能性に賭け、戦乱を終息させた未来を掴み取る為に。
フランクリンは艦長席に堂々と座し、眼前に広がる水平線の向こう側へと目を向けつつ、同時に今回の作戦において最重要要素である“彼女”も同時に視界に捉えた。
白銀の美しい長髪が、ブリッジへと差し込む陽光に照らされて輝いているように見える。
人の姿をしていながら、人の力を凌駕する力を秘めた神域に達する光の少女、イベリス。
〈神が万物を視通す目〉と呼ばれる世界最高の能力を持つAI、プロヴィデンスと直接リンクされた今の彼女の目には何が見えているのだろうか。
自分と同じように彼女もまた水平線の彼方へと視線を向けている。
その場に立ち尽くして以後、何一つ言葉を発しないイベリスの様子が気になってフランクリンは言う。
「イグレシアス隊員、何か見えるか?」
問いを受けて尚、彼女は黙りこくったまま反応を示す様子はない。
何かに集中して敢えて聞かぬ振りをしているのか、或いは今の彼女に自身の言葉は届かなかったのか。
だが、しばしの間の後に彼女はゆっくりとした口調で言った。
「いいえ、とても穏やかな海が広がっている。みんなと同じ景色を見ているだけよ。プロヴィデンスが見せる近未来には悪意を持った現象は起きないと出ている」
「そうか。何か変化があれば教えて欲しい。負担をかける言葉しか言えないが…… 今の我々にとっては、君の力が頼りだ」
イベリスは静かに頷くと、再び口を閉ざしたまま反応を見せなくなった。
プロヴィデンスとのリンクを確立してからというもの、彼女がこれまでに見せていた少女らしい無邪気さは影を潜めてしまった。
周囲を明るく照らす光のような笑みも、日光のような温かさも同じくである。
まるで、リナリア島でただひとつの願いを成就させる為に千年の時を待ち続けていたという、当時の彼女が見せていたような姿だ。
気負っているのではないか。
公国出身者と呼ばれる者の中で、彼女は自らの力が誰の役にも立っていないと考えていた節がある。
国連を実質的に統括するマリアや、ヴァチカン教皇庁の要職に就くロザリアとは違う。
また、アイリスやアルビジアといった者達とも違う。
彼女は、彼女がこれまで見せていた無邪気な笑みの裏側でどれほどの重圧を抱え込んでいたというのだろうか。
遠い昔は王妃として立つ者という期待を一身に受けていたというが、今の時代に至っても尚、その特異性から同じような期待を周囲から浴びせられ続ける彼女の心的重圧とは如何なものであるだろう。
いくら特別な力を持っているとはいえ、精神的には人間が十数年生きてきたものとほとんど大差ないもののはずだ。にも関わらず、自分達現代を生きる人間達は彼女という存在に“世界の命運”などという、とても個人で負うべきでないものを負わせようとしてしまっている。いや、負わせてしまっている。
なんと情けないことか。
フランクリンは内心で思いながらも口には出さないように努めた。艦隊指揮官である今の立場でそのようなことを口走ることなど出来るはずがない。
しかし、そのような思いをフランクリンが抱く中でふいにイベリスが思いを見透かしたかのように言った。
「艦長。お気遣いは不要です。私は私の為すべきことを為すためにここに立っています。為すべきことが現代科学の粋を結集した人工知能とのリンクによる未来予測と、予測に基づいた艦隊指揮、付随する行動であるというのなら私はそれを忠実に遂行するまでのこと。
マリアに提案されたとはいえ、最後に決断を下したのは私です。貴方や、貴方がたが責任を感じるようなことではありません」
ともすれば、彼女らしくない冷たい物言いにも聞こえてしまう言葉である。
ただ、裏返せばその言葉というのは彼女なりの優しさの表れでもあるのだろう。
ブリッジにいる皆が彼女の言葉に聞き入る中、彼女は何かに気付いた様子で言う。
「3時の方向、艦隊隊列に乱れが生じ始めています。座標軸アルファに位置する3隻を座標軸シグマに移動させてください。
他艦隊の動きはこのまま継続を。ただし、41分と20秒後に左方より大きな波がきます。左舷外側の艦隊には注意勧告を」
「は、指示を伝達します」
イベリスの命令を受けた通信隊員は即座に言われた通りの指示を艦隊群へ伝達した。
伝令を受けた座標軸アルファの艦隊がすぐに行動を開始し、座標軸シグマへと移動していく。
無邪気さを潜め切った物静かな声で淡々というイベリスの背を見やり、フランクリンは囁くように言った。
「すまないな。負担を強いる」
今のイベリスには、どんな小声で言った言葉だろうと届くはずだが、彼女は特別反応を示すことは無く、微動だにせずに立ち尽くしたまま水平線の向こう側を見据えていた。
太陽の光で白く光る波間は穏やかなうねりを見せ、サンダルフォンに続く大艦隊は艦首でその波を切り裂きながら大西洋の中心に位置するグラン・エトルアリアス共和国を目指し進む。
穏やかでありながら、海上一帯は緊迫した空気が支配しているように感じられる。
向かう先に何が待ち、何が起きるのかなど誰にも分からないし、自分達が生きてこの地に帰ってくることが出来るのかすらわからない。
それはまるで、大規模な連合艦隊の船それぞれに乗り込む兵士たちの思念が目の前に見え、体感として感じることが出来るかのようであった。
イベリスが言葉を言い終わって間もなくのこと。
フランクリンは自身の背後にそれまで知覚していなかった気配を感じて振り返る。
振り返った先には、先程までは確実に存在していなかった黒いゴシックロングドレスに身を包む長身の女性の姿があった。
フランクリンは突然のことに息を呑みじっと彼女を見据える。
そんな様子を見たアザミは、顔をいつも通りの黒いベールで覆ったまま静かな口調で彼に言う。
「驚かせてしまったのであればお詫びいたします」
「いえ、そのようなことは。何かありましたか?」努めて冷静にフランクリンは言った。
「計画は開始されたばかり。航海が落ち着くまでブリッジの様子を見ていて欲しいとマリアから頼まれた次第です」
「局長ご本人は?」
いつもであれば、そういうことは本人が直接見に来るはずだろうに。
不思議に思ったフランクリンの口からは自然に言葉が漏れていたが、次にアザミの口から語られた理由は実に“彼女らしい”至極真っ当なものであった。
「自分がいると“彼女の気が散るだろう”と。本人ですら意識しない程度の気兼ねも、今という状況下では避けるべきだとも」
「なるほど」
相槌を打ってフランクリンは納得を示した。
「しばし、隣で状況を観察させてもらっても?」
「答えるまでもないでしょう。我々は貴女方、セクション6の指示に沿って動いているのです」アザミの問いにフランクリンは答える。
「確認という礼儀は必要であると、あの子から教わったものですから。それに、わたくしがこの場にいることで機構の皆様方の任務の障害となるのであれば、事情はあの子に伝えた上で身を引きます」
「いえ、私としてはむしろこの場に留まって頂きたい。貴方の素性については概ねマークתから報告を受けました。凡人である我らだけでは手に負えないことが起きる可能性もある。そういったときに、我々とは違う力を持つ人物が1人はいてくださった方が心強い」
「ヴァルヴェルデ隊員にはお願いしなかったのでしょうか?」
「断られました。先程、貴女がおっしゃった理由とまったく同じことを述べましてね。他にヴァチカンの彼女達は出航前にブリッジを後にしたきり、その後は姿を見ていませんし会話をすることも出来ませんでした」
「御二方には何か思うこともあるのでしょう。彼女達は国際連盟の職員でも世界特殊事象研究機構の隊員でもない。この大艦隊において唯一、まったく別の指揮系統に基づいて行動することが許された御仁ですから」
「そうですか。私には、彼女達が意図的に“貴女を避けている”風にも見えましたが」
フランクリンが言うと、アザミは首をかしげる素振りを見せながら言った。
「さて? そのようには感じておりませんが、何のことでございましょう」
なるほど。“2人には何か思うことがある”という理由がそれだ。
フランクリンは考えた。
マリアが抱く理想の世界の実現とやらに対する懸念。目の前に迫ったアンジェリカ率いる共和国との決戦も重要だが、彼女達ヴァチカンにとってはその先のことも重要であるということだろう。
今頃、セントラルの総監執務室では総監とセルフェイス財団の2人、加えてミクロネシア連邦の使者がその件について話し合っているはずだ。
人間ではない者による人類の統治
そんなことが可能か否かはさておき、言葉尻だけを捉えて聞いたとしても看過できるような話では確かにない。
看過できない話だが、機構としては棚上げにせざるを得ない。つまり、この場で彼女達国際連盟セクション6の面々と余計な軋轢を生むことは避けるべきだ。
なんともやりづらいことである。ただし、条件は目の前にいる彼女も、局長を務めるマリアも同様であろうが。
フランクリンは顔を再び正面に戻し、目の前に広がる大海原を見つめた。
この輝かしい大自然の先に待つ1つ目の地獄。その先に待ち受けるかもしれない煉獄。
自分としては、何も変わらない日常こそが天国であると思いたいが…… 変わらない世界を許さないと、理想を掲げて機会を窺っているのであろう国連の彼女達が目指す天国とは如何なるものか。
この計画に加担した全ての人間が、艦船の出航と共に“門”を潜り抜けたのだ。
“哀しき都に行かんとする者は我が門を潜れ
永遠の悲しみを背負わんとするものは我が門を潜れ
失われた民に会わんとするものは我が門を潜れ
創造主は正義に揺り動かされ
聖なる御業 至高の智慧を以て
大いなる愛により我々を造り給うた
この先に創造されたものはない
しかし私は“永遠”の前に立っている
我が門をくぐる者、一切の希望を捨てよ”
始まりのD-DAY。
遂行される計画の終わりに待ち受けるもの。
自分達が辿り着く先には、何が待ち受けるのだろうか。
答えはまさに“神のみぞ知る”。
神と呼ぶ者。隣に佇む黒きドレスに身を包む彼女か。
或いはプロヴィデンスの目を手にした――
会話を全て聞いていたであろう彼女は両手を握り、胸の前に組んだまま、ただただ前方に広がる海原の先を見据え続けていた。
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