*4-2-5*
月が消えた夜。絢爛たる玉座の間を照らすは蝋燭台を模した電子的な光。
『雰囲気が出るから』というアンジェリカの要望によって据えられた照明だが、確かにこの場における空気の重厚さを表現するには相応しいものに違いない。
午後10時前。本来であれば誰もが休息をとっている時間ではあるのだが、今日という日に限っては事情が異なる。
機構、国際連盟、ヴァチカン教皇庁の連合艦隊との最終決戦が近付いているからだ。
アンジェリカは己の瞳に映る短期間的な未来予想図の中に、戦火が巻き起こる風景を見取っていた。
世界に対して態度を示す為に与えた猶予は2週間。刻限は明後日の正午。しかし、ここに至って尚も降伏の意を表明しない国々はきっと、自分達共和国に対して最後の武力行使を仕掛けて来るに違いない。
彼らが行動を開始するD-DAYは明日。X-DAYは明後日の正午前といったところだろう。
アンディーンが機構から離れた今となっては“自らの目に映る未来”のみが彼らの動きを正確に予期する頼み綱である。そして、今頼みの未来予知、未来予想図がいかなるものかは先に挙げた通り。
であるならば、事前の対応協議にほんの僅かでも時間を費やしておくのも悪くは無いというものだ。
玉座にて。
アンジェリカは頭上に輝かしい光輪を浮かばせ、背後に絶対の法による光で合成された天使と悪魔の羽を顕現させたまま沈黙を貫く。
光輪から突き出る棘が回転しながら不規則に伸縮を繰り返す。神々しい輝きをもつ背中の光の羽は、時折羽ばたきを見せるように動きながら眩いばかりの威光を放つ。
足組をして不敵な笑みを浮かべる彼女は、口を閉ざしたまま階下に佇む者達をじっと見下ろし、ただひたすらに刻が訪れるのを待った。
静まり返る玉座の間の中央で、煌々と照らされる者達の姿。
頭上の玉座に座る小さな支配者に首を垂れて伏したまま、身動き一つとらぬ共和国の重鎮達。
アンヘリック・イーリオン玉座の間に敷かれた赤絨毯の上で、テミスの4人は伏して主君の言葉を待つ。
広大な空間の両端には銃剣を縦に構えた漆黒の不死兵アムブロシアーの隊列がある。彼らもまた、自らに命令が下される瞬間が訪れるのを微動だにせずに待ち続ける者だ。
やがて、時代に似つかわしいとは呼べないアナログ的な時計の針が午後10時を打刻した。玉座の間に大小異なる重厚な鐘の音が22回鳴り響く。
時が来た。理想を叶える為の最後の戦い、決戦に向けた“集会”の始まりだ。
厳かな空気が空間を包み込む。
これまでに積み上げてきた“歴史”が試される時が来た。
これまでに重ね上げてきた“歴史”に対する審判の時が来た。
響き渡る鐘の音が鳴り止むと同時に伏していたテミスの4人は顔を上げて静かに立ち上がった。
その後、再び静寂が訪れるかと思いきや…… 唐突に玉座の間の大扉が勢いよく開かれ、この場に招かれていた最後の人物が姿を顕す。
実年齢よりずっと若々しさを感じさせる髪を整髪料できっちりまとめ上げ、見開かれた目には野心と共に、彼方に佇む王に対する憧憬の火が灯されたような輝きが宿されている。
威勢よく、高らかに、何者をも恐れぬといった有様で、大統領アティリオ・グスマン・ウルタードは猛るように言った。
「おぉ、偉大なる我らの主君! 我らの尊ぶべき、崇拝すべき神よ! 貴方の理想こそが我々国民の悲願である!
英断を下されよ! 我らの道標となる貴女様のお声で、貴女様の御意思による英断を!」
世界に向けて演説をするかの如く、けたたましいばかりの声を張り上げ、速足で玉座へと繋がる階段のたもとへ向かい彼は言う。
「共和国に栄光あれ! グラン・エトルアリアス共和国よ、永遠なれ!
我らの神はついに世界が背負った罪に対する裁きを下される。傲慢なる大国の傀儡よ、目を見開き、瞳の奥に焼き付けるがいい。
これが我々の意思だ! これが我々の怒りだ!
ヘリオスの炎に焼かれるが良い、冥界の渡し守に連れ去られるが良い、裁きの女神の怒りによって燃え尽きよ!
おぉ、アンジェリカ様、アンジェリカ様。我らに、我らか弱き民に道を与え給え――」
そうしてテミスの4人が並ぶ中央を通り抜け、玉座へと至る階段のたもとへ辿り着いた彼は両腕を広げたかと思えばすぐに胸の前に組み、祈りを捧げる姿勢をとって首を垂れ、地に伏して叫ぶ。
「我らの魂よ、主を誉め讃えよ!
我らの内にあるべき全てのものよ、聖なる聖名を誉め讃えよ!
我が魂よ、主を誉め讃えよ!
主の与えたもうた喜びを、恵みを何一つとして忘れるな!
アンジェリカ様が、我々を祝福してくださいますように……!」
旧約聖書 詩篇 第103章1節から2節の言葉を引用して言うアティリオに視線を下ろしながら、アンジェリカはようやく口を開いて言う。
「アティリオ~☆ 今日も元気元気ぃ♪ 元気が取り得の貴方には良きことかな☆ でぇもー、真剣なお話の場を掻きまわす物言いはー、めっ! なんだよ?」
主と崇める少女から言葉を賜ったアティリオは喜びに胸を打ち震わせながら言った。
「恐れながらアンジェリカ様、私は今この胸に湧き上がる衝動というものをどうにも抑えられませぬ。長きに渡り夢見た理想の終着点が目前となった今、この眼で貴女様と同じ景色を見ることが叶うやもしれぬという喜び。それだけで今! 私の心は満たされているのですから」
涙混じりで熱く語るアティリオを見て、何とも言えない表情を浮かべるしかないアンジェリカは玉座から立ち上がると、階段を自らの脚で一段ずつ下りながら言う。
「叶う。貴方の夢は間もなく叶う。私達が叶える。西暦1748年のあの日からずっと、この手で温め続けてきた理想が間もなく実現する」
ヒュギエイアの杯が刺繍された黒衣を翻し、小さな身体に巨大に過ぎる重圧を纏う少女は階下の5人全員を視界に捉えて続ける。
「夢とは、目覚めと同時にやがて潰えて終わるもの。終わってしまえば誰の記憶に残ることも無い。自身の記憶にさえも。されど、終わりなき夢を見るということは、自らの命を永遠に失うということと同義であると私は規定する。
此度の夢の結末はどのようになるのでしょうね? 夢の結実と共に生を取り留める者。夢を追い求めたまま、終わりなき夢の世界へ囚われる者。ここに集う私達の行く末はいかなものか。
ともかく。良き夢であれ、悪き夢であれ、同じ夢ならもちろん。結末は最高に幸せなものになる方が良いに決まっている。
私は貴方達に約束した。貴方たちだけではなく、過去を生きた貴方達の先人にも同様に、この国が抱いた理想を必ず実現させてみせると。
良かったわね? 良き夢が間もなく叶う。願いは届く。理想は実現する。この場に集う者達は、歴史の証人となる権利を得たのだから」
「然り。我ら共和国国民の意思は、アンジェリカ様と共に」
階段を下るアンジェリカに首を垂れ、アティリオは言った。
すると、階段を下っていたアンジェリカは紫色の煙を霧散させて姿を消し、次に5人の後ろに広がる空間の中央に立ち尽くした。
アンジェリカは頭上の光輪と背中の光の羽を輝かせ、小さな身体で両手をいっぱいに広げながら言う。
「明日の正午、彼らは動き出す。楽しい楽しい物語の結末が訪れようとしている。私達が何をしようと、何をすまいと結論は変わらない」
アティリオとテミスの4人は後ろへと振り返り、アンジェリカの後ろ姿を見つめた。アンジェリカは続ける。
「では、変わらぬ結論をより一層楽しむ為には何をすれば良いか。今宵、私は貴方達に問おうと思う。各々の意思を聞かせて欲しい。
私はそれを否定しない。私はそれを無下にしない。さぁ、聞かせてちょうだい。貴方達の言葉で」
そうしてくるりと振り返ったアンジェリカは両腕を下ろし、掌を上に向けた右腕を前に突き出して各々に発言するように求める。
彼女の表情は実に楽しそうな笑みで満たされていた。
対する5人の表情は様々であった。
固い意志を宿す者。
同じように楽し気な笑みを湛える者。
つまらなさそうに視線を逸らす者。
心の迷いが浮かぶ者。
その中にあって、はつらつとした表情のまま、やはりというか真っ先に名乗りを上げたのはアティリオであった。
「ではでは、私から申し上げましょう」
と、その時。アンジェリカは上方へ向けていた掌をくるりと返し、前に突き出すと制止の動作を示して言う。
「ちょぉっと待ったぁ~。アティリオは十分に喋ったと思うからー、この場はテミスのお話を聞きたいなって☆ 私はそう思うんだなぁ´・・` ごめんね?」
「よもや発言すら許されぬとは。少々、言葉が多すぎましたな。なんたる不覚、不覚!」
「積もる話があるなら後で個人的に聞いてあげよう☆ それで満足ぅ? でもでもー、貴方にはまだ重大なお仕事が残っていることだしぃ?」
「明後日の正午の声明ですな。心配は無用にございますれば。共和国の意思も、貴女様の意思も世界に伝えて見せましょう。ただし“その時が訪れるなら”の話ではありましょうがっはっはっはっはっは!」
言葉尻に嘲笑を滲ませた声を上げながらアティリオは言った。
その頃に至れば、当に世界は終わっている。声明の必要すらないほどに。彼は言いかけた言葉を敢えて言わず、アンジェリカに一礼をして後ろへと下がった。
ただ、騒がしかった彼が黙り込んだ後に発言をしようという者がいない。
確かに、熱意の籠った話の後とあっては何かと発言しづらい。他のテミスの面々の空気を察したか、まとめ役でもあるリカルドが前に歩み出た上で跪いて言う。
「何をすれば良いかを問われ、このように申し上げるのは少し解釈が異なるものとなりましょうがお許し頂きたい。
何せ、私には提案すべきものがございません。故に、我が心の内を鮮明にお伝えすることで代わりといたします。
どういう状況、どういう未来が訪れようとも我が意思に変わりありませぬ。貴女様と共に、貴女様が描かれる未来の実現の為だけに。この身の全てを賭して計画の完遂を望むだけでございます。
しかし、願わくば。計画の完遂が叶う時に貴女様の御傍に立たせて頂ければと」
「良い、許す☆ 貴方は私の隣で、世界の崩壊する瞬間を見届けなさい」
そう言ったアンジェリカは次に視線をシルフィーへと向ける。
いつもと変わらず、うっとりとした表情を浮かべるシルフィーは彼女の視線が向けられたことを確認するや否や、甘い吐息を漏らしながら嬉々として言った。
「アンジェリカ様、アンジェリカ様。最高の計画には最高の見世物が必要にございます。どうか、わたくしめに水上艦隊の指揮を預からせてくださいませ?
きっと、きっと貴女様の求められる享楽を提供してみせましょう。相手は世界連合艦隊。規模はおそらく百隻以上から成る大艦隊。
仮に、貴女様がネメシス・アドラスティアに乗艦され、アンティゴネを率いて前線に向かわれるのであれば、その艦船群が出航するまでの共和国本土防衛の任、つまりは水上艦隊の指揮はわたくしめが引き受けます。主要な標的の相手をなさる上で、障害となる要素、いわゆる事前の露払いを任せて頂きたいのです。
水平線の彼方に燃え盛る紅蓮の炎。立ち昇る大火にて彩られる至極の景色を提供いたします。彼らにとっては地獄、我らにとっては理想への架け橋。貴女様の、わたくし達の理想成就に際して、華やかな舞台を彩る装飾が必要でしょう。
求めるものは一つ。求めた結末はただひとつ。絶望の内に見る彼らの最期は、貴女様の手で沈めて頂ければ尚のこと幸いであると」
アンジェリカは二度ほど頷いて言う。
「貴女には何もかもお見通しね。ネメシス・アドラスティアで前線に出たいだなんて、私は貴方達の誰にも一言も伝えていないのだけれど。けれど、その考えは確かに私の中にあって、貴女の言うように水平線の彼方が赤黒く燃え広がる景色を見たいと望んでもいる。
良いわ。シルフィー、貴女に水上艦船群の指揮は全て任せる。未だ実戦投入の無い、例の3隻も好きなように使いなさい。私達の前に立ちふさがる邪魔者への対処、任せたわよ?」
「身に余る光栄。そのご命令、有り難く頂戴いたします」
その後にアンジェリカは視線をアビガイルへと向けるが、彼女が喋るよりも先にくすくすと笑いながら言った。
「アビー、貴女はそうね。この計画に特に興味はないのでしょう?」
「分かっているならさっさとお開きにしてくれないか。ボクは食事の途中だったんだ。シルフィーがせっかく作ってくれたシチューが冷めてしまった。パンも焼き立てだったというのに、どうして今日に限ってボクまで強制参加だったのか」
「そう言わないの。貴女と言葉を交わすのも、もしかしたらこれが最期になるかもしれないのよ?」
アンジェリカの言葉に一同が凍り付く。
「お止めください、アンジェリカ様」
リカルドが言うが、アンジェリカは身振りで強制的に言葉を断ち切って続ける。
「いいえ、いいえ。本当のことよ。彼らだって必死なことに違いはない。もし、彼らが明後日の決戦で敗北を喫することになれば、彼らの未来は無くなったも同然。つまりは死と同じ。
私は彼ら全員を見逃すという機会を与えた。しかし彼らは降伏を未だに示してはいない。この意味が示す結論はひとつ。
彼らは死を覚悟して私達に向かってくる。殺すつもりがなくても殺してしまうでしょうし、“殺されるつもりがなくても殺されてしまうかもしれない”。
ただの軍隊が相手であればそうね…… 気に病むことなどないのだけれど、向こうにはとびきりの切り札がいくつかある。私の同郷と、真に神なる者と、あとはそう。最も神に近い存在となり得る光の王妃様がね」
「イベリスという子のことかい? ここに尋ねて来たときに観察した限りでは、大した脅威には思えなかった。既にプロヴィデンスによって開示されたデータと照らし合わせて、ボクの見立てでも彼女が力を発揮し続けられるのはせいぜい15分か20分といったところだと思う。ミクロネシアの一件でも実際そうだったのだろう?
であれば、アンヘリック・イーリオンの隠匿に力を使わなくて済むようになった今、君は百パーセントの力を十全に発揮できるのだから恐れるに足らない相手じゃないのかい?
今の君であれば、たとえリナリアの全員がまとめてかかってきたとしても返り討ちにできるだろうに」
「研究するときは常に、不測の事態にも備えておくべきだと思うわ。科学の実験と同じで絶対はないのよ。あの子の傍には彼がいる。リナリア公国を統べるはずであった王の意思を継ぐ者が。彼の助力が得られたとすれば、イベリスや他の子も十全に力を振るうこともできるのだから私とて或いは。あくまで戒めとしての感想でしかないのだけれど」
アビガイルの問いにアンジェリカは答えた。それでも納得できないという表情でリカルドが言う。
「姫埜玲那斗。彼が一体何だと言うのです? 彼には公国に所縁を持つ人物が発揮する異能と呼べる力はありません。いえ、未だ確認出来ておりません。貴女様を除く他の5人はともかくとして、彼を脅威の対象に加えることに意味があるとも思えませんが」
「あら、貴方には言ってなかったかしら? リカルド。いいえ、途中で言うのを止めたのだったわね。ひとつ言うと、私のもつ異能は“リナリア公国に所縁を持つ人物達が持つ異能を限定的に扱うことが出来る”というもの。これが意味するところが理解出来て?」
押し黙る一同に反して、思い当たることがあったという風にシルフィーが言う。
「絶対の法。貴女様しか持ち得ぬはずの異能でありましょうが、全てを照らし合わせて考えるのであれば、その上位に当たる異能が他に存在すると?」
「私はそう考えている。法と裁きを司るインファンタの血を継ぐ私に与えられた力は〈自らの定義する法則を現実世界に顕現させること〉。全ての物理法則を無視して、頭に描いた空想を現実に引き出す力。罪を裁く為の、愛を与える為の罰を示す力。
しかし彼が王であるというのなら、私の考える空想を〈紛い物〉として、間違ったものだとして打ち消す権限が備わっていても不思議ではない。
私達が生きた当時には存在しなかった言葉で例えるなら…… 〈絶対王政〉。王の権威と権力の前には何人であろうとも反抗することは許されない。たとえ貴族諸侯であったとしても。
彼は個人である前に王であった。王とは国である。もし仮に彼にそのような力が備わっているのだとすれば、リナリア公国に所縁を持つ人物は全ての力を剥奪されてしまうでしょうね。対公国出身者に対する絶対の切り札になり得る。
だから私はかつて、ミクロネシアの地で彼を殺そうと思い至った。結局は、いけ好かない司教と、彼女が連れている愛玩人形に邪魔されて失敗したのだけれど」
「王が認めぬ力は剥奪し、王の傍で王を支える者に対しては、絶対的な力の供給を約束する。つまり、彼の内に眠るというレナトと呼ばれる王の魂が顕現すれば、貴女様の力は無効化される上に王妃であるイベリスという少女の力、加えて彼に味方する公国出身者の力は無限大に増幅されることに繋がると。そのような危惧をされていらっしゃるのでしょうか」
「然り。万が一にでも形勢をひっくり返されるとすればそれしかない」
アンジェリカとシルフィーのやり取りを聞いて、ようやく納得したリカルドは過去のことを思い出して言った。
「なるほど。アンジェリカ様がミクロネシア連邦の地で彼を亡き者にしようとしたというお話は以前にも伺いましたが、今のお話を聞き理由について合点がいきました」
「それだけの脅威になると分かっていたなら、どうしてイングランドで彼を殺さなかったんだい?」
アビガイルが言うが、アンジェリカは嬉しそうな笑みを湛えて返事をする。
「良いのよ。“私にとってだけ脅威になるのなら”殺したでしょうけれど、よく考えてみればそうというわけでもないと理解したのだから。ものは使いよう、よ?」
クスクスと笑いながらアンジェリカは言った。
そんな彼女を見やってアビガイルは大溜め息をついて言う。
「分かった、分かったよ。そこまで言われて、仮にこのやり取りが最期になるだなんてことになれば寝覚めが悪い。ボクの研究に悪影響が出かねない。だからこの場は最後まで聞き届けることにしよう。
でも、だからとてボクから君に提案することなど何もない。元より期待もしていないだろう? なぜなら、ボクは既に与えられるものを全て与えて、使えるものは全て提供しているのだから。
せいぜい面白おかしくなるように、ボクの研究成果を試してみると良いさ。良いデータが集まるのなら歓迎するよ」
「そうさせてもらいましょう。心置きなく、ネメシス・アドラスティアもアンティゴネも、あれらに積んだ兵器も使わせてもらうわ。事と次第によっては貴方の父君が遺した遺産であるヘリオス・ランプスィもね」
「父は関係ない。だが、彼の研究が無意味なものでなかったと、この世界で証明できるのならそれで良い」
「素直に復讐とは言わないのね?」
「人間の感情論に振り回されるのはごめんだ。あぁそうだ。そのせいでプロヴィデンスもあのような惨めな代物に成り果ててしまった。人間の意思に寄り添う世界最高のAIなど、結局は人間の都合でしか答えを返さないただの機械奴隷だ」
「そこまで。この場でする話ではないわ」
人差し指を柔らかな唇に当て、しーっという所作を見せながらアンジェリカは言う。
アビガイルはそれ以上に何を言うでもなく押し黙り、ついにはそっぽを向いて自分の中で考え事を始めたようであった。
いつものことだ。子供っぽい仕草を見せたアビガイルを微笑ましく眺めつつ、アンジェリカはこの場において〈最も意思を確認しておきたかった人物〉にいよいよもって心を問うことにした。
「さて、残るは貴女だけよ? アン。貴女の心の内を聞かせてちょうだい。この2週間、考えを巡らせたことで気持ちの整理はついたのでしょう?」
発言を求められたアンディーンは毅然とした態度で言う。
「はい、お気遣いに感謝しております。申し上げますと、私には決戦に花を添える策や案を提示することは適いません。敢えて意見を述べるならば、攻め以外の守りについての考慮を進言いたします。
先の姫埜玲那斗の内に眠るレナト王の魂については重大な懸念事項であると考えます。彼らが万一にでもネメシス・アドラスティアとアンティゴネの前線を掻い潜り、アンヘリック・イーリオンに辿り着くことにでもなった場合でも万全の対処が出来るようにすべきかと」
表情を険しくし、奥歯を噛み締めながらシルフィーが小言を言おうとするが、アンジェリカはそれを制止して言った。
「シルフィー、控えなさい。私は言ったはずよ。私は意見を否定せず、無下にしないと。それに、アンの言うことも尤もだわ。全てのリソースを攻撃に割いて足元を掬われかねないという発想は実に正しい。リスク管理はすべきだし、堅実に事を運ぶアンらしい意見には好感が持てる」
「有難きお言葉、恐れ入ります」
頭を下げ、深々と礼をしながらアンディーンは言った。
シルフィーは一瞬だけ、アンディーンを横目に睨みつけたがすぐに視線を逸らして微かに息を吐いて不満を露わにする。
アンジェリカは彼女の行動に気付いたがそれを咎めることはせず、あくまでアンディーンとの会話に注力して言う。
「結構よ。アンヘリック・イーリオンの防衛に関しては貴女に一任しましょう。中央指令の指揮を預ける。うまくやってみせなさい?」
「はい、全てはアンジェリカ様の理想の為に」
「私だけではない。この国が長きに渡り夢にみた悲願達成の為にも、ね」
全員の意思を確認したアンジェリカは満足そうな表情を浮かべ、ゆっくりと5人の方へと歩み寄る。
彼女の無邪気で愛らしくもあり、気品と上品さも感じられるヒールの音だけが玉座の間の広い空間に響き渡る。
その音が目の前で止まった瞬間、5人は再び地に跪いてアンジェリカに首を垂れた。
アンジェリカは視線を落とすと、ふいに憂いのある表情をして小声で言う。
「貴方達の命を預かる。決戦に向けた覚悟は大事だものね」
そうして一度目を閉じ、深く息を吸い込み再び目を開くと、真剣な表情をして続けた。
「リカルド、貴方にはネメシス・アドラスティアへの乗艦を命じるわ。私と共に来なさい。
シルフィー、アンディーン、貴女たちに与える任は先に伝えた通り。各々が攻撃と守備に専念すること。間違っても作戦行動中に仲違いなどしないように。
アビー、貴女は…… そうね。好きになさい。
最後にアティリオ。出番が来るかどうかはさておき、宣言の準備は抜かりないように」
アンジェリカは言い終えると上方を見上げ、先程まで自身が腰掛けていた玉座の間を視界に捉えて言う。
「話は以上よ。決戦に向けた出航は彼らが共和国領海との接続水域に近付く前で良いでしょう。明後日の午前、彼らが共和国接続水域に差し掛かった頃にアンヘリック・イーリオンを出る。それまでは各々のするべきことをしつつ、好きなようにしなさい」
テミスの4人とアティリオは首を垂れたまま口を揃えて力強く言った。
〈全ては、アンジェリカ様の御心のままに〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます