*4-1-6*

 柔らかな橙の照明が蒸気を染める。

 湯気が立ち昇る自室のシャワールームで、頭上から注がれる温水に打たれたままアンディーンは視線を落として俯く。


“嘘つき”


 遥か昔。最愛であった妹から自分に向けて放たれた一言がどうしても頭から離れない。

 あの日、あの時、あの瞬間が全てであった。

 人生にやり直しがきくのであれば、迷うことなく過去に戻って“あの日”をやり直すことだろう。


“嘘つき”


 繰り返される言葉。頭に注がれるシャワーの流水はあの日の雨のようだ。

 彼女につきまとう呪いを洗い流すはずであった雨。祝福となり得なかった過去の記憶が走馬灯のように頭を駆けた。


〈妾の子〉


 この言葉は彼女にとって呪いの言葉である。

 マックバロンの正統な後継者たる資格の血筋を持ちながら、正妻との間に生まれなかったいう一点が彼女の人生を曇らせた。


「シルフィー……」


 アンディーンは彼女の名を呟くとシャワーを止め顔を上げた。

 視線の先には虚ろな目をした、まるで生気の感じられない女の顔が映り込んでいる。

 周囲が持て囃すような凛とした気高さなど微塵も存在しない、酷い顔だ。


 これが自分か。


 顔と髪からこぼれる水滴をぼうっと見つめ、再び物思いに耽る。

 世界にたった一人だけの最愛の妹。少なくとも“自分にとっては”という条件付きではあるが。

 無論、対する彼女は自身がそう思われているなど微塵も考えたりはしないだろう。なぜなら彼女にとって、マックバロンの当主である自分は憎むべき血筋の後継者であり、恨むべき姉であり、約束を反故にした愚かな人間であるのだから。

 才能に溢れ、あらゆる学問を修め、智慧を有し、芸術だろうと何だろうと完璧にこなしてしまう才女。それがシルフィーという女性だ。

 端麗な容姿も、蕩かすような声色も、あの眼差しも、出会うもの全てを虜にするだけの魅力にあふれている。

 そうだ、マックバロンの当主は本来あの子が引き継ぐべきであった。

 あの子が選択の自由を与えられ、例えば機構に入構するという未来を選んでいたのならどれほどの利益が世界にもたらされていたことか。

 誰よりも痛みを知るあの子の優しさが、どれほど多くの人間を救ったのだろうか。

 だが、どれほど空想したとしても、そのような未来が訪れることはもはや有り得ない。

 彼女は自らの意思でマックバロンの当主となることを拒み、自らの意思で外に出る自由を拒み、ただひたすらに自らの理想と共和国の王の理想に殉じることを選び取った。


 その理想とは“世界の破壊”或いは“世界の破滅”である。


 理想の果てに、生命が残ろうが残るまいが関係なく、この世界にある〈仕組み〉というものを全て破却し、王と共和国の一存によって一から歴史を作り直す。

 アンジェリカという少女の理想に殉じること、それだけがあの子の望みだ。

 翻せば、それがあの子なりの世界に対する復讐でもあるのだろう。



 アンディーンは意識を現実に引き戻すとシャワールームから出て、用意していたバスローブに素早く身を包んだ。

 そのままテーブルに置いたボトルへと歩み寄り、少量の水をコップに注ぐと一気に飲み干した。

 小さな溜め息をついてコップをテーブルに置くと、その脚でまっすぐにソファへと向かい崩れ落ちるように座り込み天を仰いだ。


 心地よい温度に設定された室内。

 北大西洋の比較的温暖な気候に恵まれている共和国は、年間を通じて非常に過ごしやすい気温にあるが、それでも季節が冬に近付くにつれて外は少しだけ肌寒くなる。

 ただ、アンヘリック・イーリオン内部は常に居心地が良い気温や湿度が一定に保たれるような設計となっている為、そうした肌寒さを感じるのはあくまで外に出た時のみだ。

 久しぶりに機構の支部から里帰りした自分としては、この共和国での“当たり前”が少し新鮮に感じられるようになっていた。

 シャワー上がりとはいえ、この分ならすぐに風邪をひくこともないだろう。


 アンディーンは天井を見据えた視界を左腕で覆い、そっと目を閉じるとさらに溜め息を重ねて再び空想の世界へと思いを馳せた。

 遠い昔の記憶が蘇る。

 あれは自分が幼き時分に、マックバロンの使用人にシルフィーのことを尋ねた時のことであった。


『ねぇ? 今シルフィーはどこにいるの? お話しに行きたいのだけれど』

 妹と会話がしたい。会って話がしたい。幼心の単純な動機だった。しかし、尋ねた使用人から返って来た返答は冷たいものであった。

『申し訳ございません、アンディーンお嬢様。シルフィー様の元へはご案内出来かねます。お父様からの言いつけですので』

『どうして? シルフィーは私の妹よ。会って何が悪いというのかしら』

『なりません』

『それは貴方の意思なの? それともお父様の意思でそう言うように命じられているからというだけの理由かしら?』

 尚も食い下がってはみたが、返る言葉に変化はない。挙句、信じられないことを使用人は口にした。

『お許しください。ただ、マックバロンの屋敷の中で“シルフィー様のことを良く思う者などいない”ことは確かでございます』

 その言葉を聞いた瞬間、アンディーンは自身の中で怒りが弾ける音を聞いた。

『口を慎みなさい。先に言ったはずよ? あの子は私の妹だと。世界にたった一人の私の妹よ。貴方達がどう思うかなど聞いていない。それ以上、あの子を貶めることは許さないわ。以後、あの子に対する侮辱は私に対する侮辱と同義であると心得なさい』

 激しい非難と軽蔑の眼差しを使用人に向け、静かな怒りを湛えて言った。


 悲しかった。

 なぜ、なぜなのか。

 貴族にとって世間体や体裁が重要であるということは理解しているつもりだった。それでも、彼女は紛れもなく同じ血を分けられた自身の妹だ。

 その彼女と言葉を交わすこと、それ以前にどうして彼女に会うことが禁じられなければならないのか。

 正式な婚姻関係にある母から生まれた自分と、愛人関係にあった女性から生まれた彼女。

 そんなこと、私にとってはどうだっていいのだ。


 会いたい。会って話がしたい。

 たった1人の妹のことが愛おしかったこともあるが、それ以上に幼少から才覚を発揮し、何でもこなすことが出来た彼女のことを私は……

 憧憬と羨望の眼差しで見ていたのだから。



 そんな出来事から年月が経ち、私が13歳となっていた時の記憶である。

 幼少時と比べて屋敷の中を自由に歩き回れるようになったことで、シルフィーと直接言葉を交わすことも随分と多くなっていた。

 彼女から声を掛けてくることは一切無かったが、屋敷の中の道すがら彼女の姿を見かける度に自分から声を掛けるようにしていたからだ。

 今にして思えば、あの行為は迷惑だと思われていたに違いない。ただ、当時の私にはその瞬間が何よりの喜びであった。


 あれは今と同じような、いや、もう少し季節が進んだ秋のことだっただろうか。

 私は偶然、庭園に1人座り佇む彼女の姿を見つけた。

 特に何をするでもなくただぼうっと遠くを見つめていた彼女の目は空虚だったが、私には彼女の姿がとても美しいと感じられた。

 そんなシルフィーの姿に吸い寄せられるように歩み寄った私は、静かに彼女の隣に腰を下ろして言った。


『ねぇ、シルフィー。確かもうすぐ貴女の誕生日よね?』


 彼女は訝し気な目をこちらに向けはしたが、何か言葉を言うことは無かった。

 そうだろうとも。ここで口を聞けば使用人たちから何を言われるか分かったものではない。彼女にとって、本来は私が傍に歩み寄って言葉を掛けるということ自体が迷惑でしか有り得ないのだ。

 私は何も言わない彼女の美しい目を見つめて言う。


『今年は貴女に贈り物がしたいの。もし、もしも私がプレゼントを用意したら、受け取ってくれる?』


 彼女は私の言葉を聞くと視線を逸らし、無言で立ち上がると静かにその場を立ち去ってしまった。

 離れていく後ろ姿を見つめながら私は言った。

『お返事、聞かせてちょうだい。いつでも良いから』

 それからシルフィーは立ち止まることも無く、振り返ることもなく真っすぐにどこかへと歩き去った。


 やはり迷惑でしかなかっただろうか。わかっている。これは単なるエゴに過ぎない。

 自分がそうしたいからそうするというだけのエゴ。

 彼女にとって私は煙たがられて当然の存在なのだ。

 常に比較の対象となり、血の呪縛がある限りは何をどうしても越えられない存在であり、自分という存在がある限り彼女は常に陰の存在となる。

 どれだけの努力を重ねても評価されることは無く、どれだけ悔しい思いをしても誰に不満をぶつけることも出来ない。

 私という存在があるから。

 だからこれはエゴなのだ。ただ私の中にある憧憬と羨望という欲が、彼女から何かしら反応が得られることを期待して働きかけているだけに過ぎない。

 実に卑しいことであると。



 その日から何日か過ぎたある日のこと。屋敷の廊下を歩いている時に前から歩いてくる彼女の姿を見た。

 私は数日前に自身の卑しさから言った言葉を彼女に謝罪しようと思っていた。

 私から贈り物をするなど、受け取る側の彼女にとっては迷惑この上ないに違いないのだから。

 彼女が丁度私の真横を通り抜けようとした時、私は慌てて彼女に話しかけようとした。

 しかし、私が言葉を言いかけた時に彼女はそれを遮って、通り過ぎ様にこう耳打ちしてきたのだ。

『誕生日の日、私の部屋で待っているから』

 短い言葉だったが、私は嬉しかった。初めて、生まれて初めて彼女から“待っている”と言ってもらえた。

 生まれて初めて、彼女から期待していると言ってもらえたような気がした。

 姉妹でありながらこれまで持つことすら許されなかった“繋がり”。


 それからだ。彼女の誕生日という〈約束の日〉に向けて私は脇目も振らずに贈り物の準備に励んだ。

 まず何を贈るのかが肝要だ。自分に用意できるものなどそう多くはない。

 お菓子作りなども頭をよぎったが、それは彼女が得意とすることであり、作ったとしても遠く彼女の作るものに及ぶはずもないために早々に案を却下した。

 目立つものを贈れば使用人たちの目に付くし、彼女も受け取りづらいだろう。

 身に着けるアクセサリー、小物を入れるポーチ、使えば無くなるアロマキャンドルなど、あらゆるものを考えるがどれもしっくりと来ない。

 そもそも、何を贈れば彼女が喜ぶのか分からなかった。

 この時、姉でありながら妹の趣向すら掴めていないなど恥であると思ったものだ。


 結局、悩み考えた末に贈り物は〈ミサンガ〉にすることを決めた。

 自室で製作中も容易に隠すことが出来、常に袖の下に隠れる為目立つことも無いから贈られるシルフィーも扱いに困ることはないだろう。

 身に着ける、着けないは彼女の意思によるところではあるのだが。

 ミサンガはポルトガルのボン・フィン教会で作られたフィタと呼ばれる紐状のお守りが発祥とされている。

 ボン・フィンはポルトガル語で〈美しい結末〉を意味し、それ故にフィタを起源とするミサンガが自然に切れると〈願いが叶う〉という思想に結び付いたとも言われる。

 そもそも、私のエゴで始まった贈り物の話だ。私の〈願い〉を込めても良いだろう。

 これは私の欲望による願いでしかない。それでも、彼女がもしそれを身に着け、いつか自然に千切れることがあればその時は……

 私達が“姉妹である”と互いに誇れる日が訪れて欲しいと願う。

 そう考え、贈り物にするミサンガと、自身用のミサンガの2本を用意することに決めた。私達姉妹にとって唯一となるお揃いのアクセサリーだ。


 こうして私は一心不乱にミサンガ作りに励んだ。

 彼女に似合う色は何色か考えたり、紐を編み込むだけでなく何かアクセントになるビーズを織り込むなどした方がいいのか考えたり。

 当時、緑色の服を着ることの多かった彼女のことを考え、ミサンガの色合いはやはり緑色を基調とすることを決めた。彼女の美しいオパールグリーンの瞳が印象的であることも理由の一つだ。

 あとは、プレゼントの制作以外にも気を配るべきことは多い。何より、周囲には常に目を光らせておかなければならない。勘付かれないように慎重に。両親や使用人に知られれば止められるだろう。だから誰にも言わず、内密に事を進めた。

 材料の調達は全て自身で行い、誰かが自身の部屋を訪れる可能性のある日は見つからないように隠し通した。

 本当は夜も作業に勤しみたかったが、夜中遅くまで部屋の明かりを点けていればなぜかを問われる為、制作は出来なかった。

 様々な理由によって完成するまでにかなりの月日を要したが、結果として満足いく仕上がりのものを彼女の誕生日までに作り上げることが出来たのである。



 けれど、私はその贈り物を彼女に手渡すことが出来なかった。



 シルフィーの誕生日当日、私は部屋に隠していた贈り物を持って彼女の部屋を訪ねようとした。

 しかし、隠していたはずの場所に贈り物として用意した小包は無かったのだ。

 この時点で私は察していた。私がそわそわとしていることに勘付いた使用人が、何故なのかを突き止めた上で“先回り”して贈り物を手渡せないように細工したことに。


 私は焦った。

 彼女との約束が、私達の初めての交遊が断たれようとしている。

 ただ、事が事だけに使用人に直接事情を尋ねることなど出来はしない。両親に対しても同じだ。

 私は1人であちこちを探し回るしかなく、その探しているという行動すら勘付かれないようにする必要があった。

 窓の外を打ち付ける激しい雨の音が私の焦燥をさらに掻き立てた。

 どこを探しても見当たらない、見つからない。

 分かっている。恐らくは既に捨てられて処分されてしまっていることを。


 結局、夜まで探したが贈り物は見つからなかった。


 私は絶望に満ちた気持ちで彼女の部屋を訪ねるしかなかった。

 どのように謝ろうか、どのような言葉で謝ったら良いのか。

 思いを巡らせながら当日の夜、使用人たちに見つからないように彼女の部屋を訪ねた。


 彼女の部屋を訪ね、ゆっくりと扉を開けて中へと立ち入る。

 この瞬間に私は大泣きしてしまっていた。

 何を言ったのかすらあまり記憶にはない。ただ泣きながら彼女に謝罪と、贈り物が用意できなかったことを伝えたと思う。


 その時の彼女は静かに私の話を聞いていた。いつものように虚空を見つめる美しい瞳で、無言のまま。

 いつもと違ったといえば、その視線がしっかりと私に向けられていたことであった。

 聡明な彼女のことだ。おそらく、私の様子から全ての事情は察していたに違いない。

 それでも、彼女は言わずにはいられなかったのだろう。

 悲し気な表情を見せ、真っすぐ私を見据えるシルフィーから言われた一言。それが決して頭から消えることの無い“あの言葉”だ。


“嘘つき”


 言われても仕方がない。私は約束を守ることが出来なかったのだから。

 自分から言っておきながら、彼女との約束を果たすことが出来なかった。

 彼女は最初から最後まで、決してそのような態度こそ見せなかったものの、自分の申し出を心のどこかで喜んでいてくれた節があったことも知っている。

 あの日、彼女の部屋に立ち入った時に部屋のテーブルに並べられた“2人分”の焼き菓子がその証だ。

 共和国では自身の誕生日に、自身の誕生日を祝う人々をもてなす為に焼き菓子を用意するという風習が昔からあった。

 彼女がその日にわざわざ焼き菓子を用意する理由などひとつしかない。

 つまり彼女は、自身の部屋に訪れる自分の為に、誕生日を祝うと約束した自分と話をする時間を作ろうとお菓子を焼いて待ってくれていたのである。


 それなのに、それなのに、それなのに!


 窓の外で絶えず鳴り響く雨の音と、彼女が私を見据える空虚な眼差し。

 たった一言発せられた言葉を忘れることが出来ない。


 私の願いが、二度と叶うことが無くなった瞬間だった。

 約束を反故にしてしまった彼女の誕生日以来、私は彼女と言葉を交わすことが無くなった。

 嫌いになってしまったというわけでは決してない。ただ後ろめたかったのだ。

 彼女に言われた〈嘘つき〉という言葉が常に頭の中に残り続け、挽回する機会すら持ち合わせない私はもはや彼女の迷惑にならないように振舞うしかなかった。


 その日から3年後。

 私は16歳になった時に世界特殊事象研究機構へと入構した。

 独自研究を続けていた科学技術の知識と才能を見込まれてのことである。


 両親から常々、外の世界のことも知っておきなさいと言われていた私は迷うことなく機構のスカウトに応えて入構することに決めた。

 ただひとつ心残りだったのは、結局最後までシルフィーと言葉を交わすことなく共和国を後にしてしまったことである。


 彼女を傷付け、二度と戻ることの叶わぬ関係になってしまった。

 元より、幼い頃から何一つとして彼女の助けになることも出来なかった。

 そうだ。たった1人の妹を守ることも出来ず、自分だけはのうのうと機構へと去った報いを今受けている。


 自らに与えられた解けることのない呪い。

 この業を背負って私は生涯を生きなければならない。

 それでも、もしもがあればと願う。

 願わず、考えずにはいられないのだ。


 もしも、もしもあの日あの時。

 彼女が望んでくれた贈り物を手渡すことが出来ていたならば、私達の“今”はどのような未来となっていたのだろうか、と。

 ミサンガに込めた願いが叶う日が訪れていたなら、と。



 以後、数年に渡り共和国へ戻ることも無く、私は心残りを抱えたまま機構での研究の日々に明け暮れていた。

 そんな私の元にある日、突如として当主である父の訃報が舞い込んだ。父は自室で倒れ、発見された時には既に還らぬ人になっていたという。

 死の原因は心室細動による急性心臓死によるものであったらしい。

 緊急の報せを受けた私は手を付けていた研究を置き去りにし、急いで共和国へと戻った。

 なんとか父の葬儀に間に合った私は、心に穴が空いたような喪失感に苛まれながらも父の最期を見送ることが出来た。


 シルフィーと数年ぶりの再会を果たすことになったのは、この予期せぬ里帰りをしたときのことだ。

 今でも鮮明な記憶として残っていることだが、父の葬儀の日の彼女はこれまで誰にも見せたことのないほど穏やかな笑みを浮かべていた。

 まるで、これまで自身を縛り付けていた呪縛から解き放たれたように穏やかな表情をしていたのである。

 父の葬儀後、間もなく次期当主を決定する為の緊急貴族会議が開かれた時もそれは同じで、彼女は始まりから終わりに至るまで穏やかに微笑んでいた。

 そのような彼女を見た私の母は、恐怖に怯えたように肩を震わせていたことをよく覚えている。


 マックバロンの当主を継ぐ者はマックバロンの血を引く者でなければならない。

 この定めに従えば当主の継承権は私の母には無く、自分かシルフィーにしかないことになるが、私はシルフィーこそが次期当主を継ぐに相応しいと考えていた。

 使用人の長や母、他の貴族たちが私を次期当主に推そうとしている中で、私はシルフィーこそが当主であるべきだと主張しようとした。

 私は機構へ去った身であり、常時共和国に滞在する身でもない。優れた才覚、智慧を持ち合わせる彼女の方がよほど共和国の未来の為に相応しいと考えた結果だ。

 だが、私がそのことを口にしようとした時に先んじてシルフィーが言った。


『わたくしは、次期当主はアンディーンお姉様こそが相応しいと考えます。この場にお集まりいただいている皆様方も同じお気持ちでしょう?

 故に、わたくしは今この時点をもって、マックバロン家当主の継承権を永劫に放棄することを宣言いたします。

 何も話し合う必要などございません。お姉様を次期当主へ。仮に、この申し出に異議を唱える者があればこの場で挙手を』


 誰も手を挙げようとはしなかった。

 本当は拳を突き上げながらでも挙手をしたい気持ちであったが、当の私も何を言うこともすることも出来なかった。他でもない、彼女の口から継承権を放棄するという発言が出たからだ。

 彼女が、昔では考えられないほど自身の意見を明確に口にするようになったことに驚いたのもあったが、何よりもその意見を“最後まで笑いながら口にした”ことに驚愕した。

 考えれば、母との繋がりもなく、父の死去に合わせて自ら当主継承権を放棄したことで、彼女が本当の意味での〈自由〉を手にした瞬間でもあったのだろう。

 名前にマックバロンの名は残るものの、その実効的な意味などなくなった。

 長年に渡り彼女を苦しめてきた血の呪縛を、彼女が自らの手で葬った瞬間である。


 あっという間に終わりを迎えた会議の直後、私はシルフィーに声を掛けられた。

 なぜだろうか。この時ばかりは嬉しいという気持ちよりも恐怖の方が勝っていたと思う。

 彼女はやはり穏やかな笑みを湛えながら言った。


『久方振りの里帰りと再会の折に、重ねてお話するのも難ではありますが“あのお方”よりお姉様をアンヘリック・イーリオンへ連れてくるよう申し付かっております。わたくしめに付いてきてくださいませ。お姉様?』


 アンヘリック・イーリオン?

 どうして彼女がそのような場所へ私を?

 そうして戸惑い、わけもわからぬまま、彼女の後について辿り着いた先――


 そこは玉座の間であった。


 シルフィーは高い階段の先にある玉座で腰を下ろす幼い少女に跪く。

 空間が放つあまりの異様と、彼女が取った行動に驚きを禁じ得ないまま、言葉を発することさえ出来ない私に桃色髪の少女が嬉しそうな笑みを湛え、甘く可愛らしい声で言った。


『貴女がアンディーン☆ マックバロンの正統なる後継者。先程、明確にその責務と権力を引き継いだ現当主! 宜しい、全て承知しておる^^ 貴女はこれよりあの情けない父君の代わりとなって〈不変なる掟 -テミス-〉の一員となってもらうなり☆ もちもち、隣にいる“貴女の妹”シルフィーも同じくね? きゃははははは☆』


 そう言った少女は無邪気な声で嗤い続けた。


 思い返せばその瞬間からだったのだろう。

 妹の代わりに私が背負うことになった血の呪いというものがより顕著になったのは。

 容姿こそ同じ、いや、或いは成長して尚も美しいものとなってはいたが、昔とはまるで別人のように変化を遂げたシルフィーと、どこから来たのか知れぬアンジェリカと名乗る幼い姿の王。


 私が人生において常に心残りとしている罪の清算は、彼女達と共に長い時間をかけてじっくりと行われるのだ。


 そう、今この時代で――



 アンディーンが過去の記憶を辿っていると、テーブルの上に置いたスマートデバイスが緊急の通知を受信した音を響かせた。

 はっと我に返ったアンディーンはソファから立ち上がると受信したメッセージの内容を読み取った。


〈テミスは午後10時に、玉座の間に集合せよ。〉


 アンジェリカからの通達である。

 世界に対して意志を示す刻限と定められた2週間が間もなく過ぎ去ろうとしている。

 このタイミングで呼ばれるということは、何かしら行動を起こす為の招集である可能性が高い。


 もしくは、もう一度この手で機構の艦船群を沈めてみせろと言われるのかもしれない。

 だが、たとえそうなったとしても受け入れるしかない。


 それこそが自らに与えられた罰であり、己の引いた血がもたらした呪いであるのだから。



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