*3-4-6*

「座標が示すポイントはここで間違いない。この壁の向こうに准尉とロザリアがいる」

「承知しました。少々手荒に振舞いますので、どうかお下がりを」


 フロリアンが言って間もなく、光速一閃。

 巨大な鎌が何の変哲もない壁面を切り裂いた。


 見た所、真っ白な壁は傷がついたかどうかも分からぬといった具合だったが、アシスタシアが大鎌を手元に引き戻した瞬間に青白い炎が切り裂かれた隙間から噴き上げ、確かに“切断されていた”というのが見て取れる。


 コンマ数秒の間に4か所を直線で切り裂く。

 人間業では有り得ない。


 どんなものか触ってみたから分かる。触れた印象としてはかなり強度の高い材質で作られたとみられる壁であったが、彼女はそれを指して『紙と同じ』と言い放っていた。

 ミュンスターでアンジェリカと対峙した時もそうであったが、これでもまるで本気を出していないのだろうから、末恐ろしさを感じずにはいられない。


 フロリアンがアシスタシアの行動に圧倒されていると、間もなく何もなかったただの壁面に大きな穴が穿たれた。

 通路側に倒れ込んできた壁を、アシスタシアは再び手に持った鎌を用い、目にも留まらぬ速さで切断して吹き飛ばす。

「お見事。はは、ははははは……」フロリアンは手際よく大穴を空けてみせたアシスタシアに賛辞を送った。

 若干、顔が引き攣ってしまっていたかもしれない。

 しかし、アシスタシアと一瞬目が合っても彼女は表情一つ変えず、真顔のまま何を気にする風でもなく、つかつかと自身が空けた穴の中へと進み室内へと足を踏み入れていった。

 フロリアンも通路の前後に妙な気配が無いかを確認してすぐに後を追う。


 室内に立ち入って間もなく、たおやかな少女の声が耳に届く。

「あら、随分と早い到着でしたわね。現れるとすれば、貴方がたであろうとは思っていたのですけれど」

「よぉ、フロリアン。ヘルメスの双方向通信が生き残ってて助かったぜ」

 フロリアンは元気そうなロザリアとルーカスを見て安堵の息をついた。

「お二人とも無事で何よりです」

 そう言いながらちらりとルーカスに目を向けたフロリアンだが、彼が明らかに動揺した様子を浮かべていることに気が付いた。


 無理もない。アシスタシアが自身の持つ力を他者の目の前で披露するなどという場面は滅多にあるものではない。

 機構の中でも、実際にその光景を目にしたのは未だに玲那斗とイベリス、そして自分の3人だけである。

 つまり、ルーカスは今この瞬間に初めて彼女が人間離れした力を行使するのを目の当たりにしたのだ。

 付け加えるならば、冷静沈着で淑女然りとした彼女が完全な力業で壁を切り裂いて現れようなどとは想像していなかっただろう。


 フロリアンは先ほど目の当たりにして、“知っている自分でも驚いた彼女の行動”をルーカスが今どのように思っているかを察して再び苦笑した。


「さて、首尾は上々といったところでしょうか。残るは1部屋。機構にとっても、わたくしどもにとっても重要な方の収容されているであろう部屋に参るとしましょう」

「出遅れて迷子にならないようにな」ルーカスがロザリアに軽口を叩く。

「お言葉をそっくりお返し致しますわ」


 険悪なムード、とは言い難い。

 罵り合うような会話を繰り広げる2人を見て、フロリアンは何故だか満ち足りた気持ちになった。

 やはり、ミュンスターで自身が考えていたことに間違いは無かったのだ。

『言ったでしょう、准尉。彼女ともっと話せば、分かり合えると』

 内心で思いつつ、笑みをこぼす。

 その様子を不思議に思ったのか、アシスタシアが声を掛けてきた。

「フロリアン、どうかしましたか?」

「いや、ミュンスターで言ったことが現実になったな、と。そう思ってね」

 アシスタシアはフロリアンが視線を向ける先、ロザリアとルーカスへと視線を送り、未だに罵り合いを続ける2人を見やって頷きながら言った。

「えぇ、確かに」


 悟ったような表情を浮かべて眺める視線が伝わったのか、ルーカスがフロリアンとアシスタシアへ言う。

「そこの2人。妙ににやにやしているが何か言いたいことがあるのか?」

「いえ、互いに交流が深められたようで何よりだと思っただけです」

 フロリアンが言うとロザリアが言った。

「後でお話があります。宜しいですね?」

「数か月前に言った通りじゃないか。話すことなんてないよ」

 不満そうな表情を浮かべる2人に言うフロリアンを他所に、アシスタシアは一足先に室内から通路へと出て言った。

「お三方、先を急ぎます。いつ、アンジェリカが手を出してくるかもわかりません」

 4人の中で一番しっかりしていたのはアシスタシアであった。

 彼女の言葉を受けてフロリアンが先に通路へと出て、何とも言えない表情を浮かべたロザリアとルーカスも続く。



 通路の前後に敵の気配が無いかを探り、4人は最後の座標に向けて走り出す。

「3人がいるとされる部屋はもう1階層上にある。通路は緩やかな傾斜で、このまま走って行けば自然と1階層上に上がるはずだが、どうにも座標の示す位置が中途半端に感じるんだ。フロリアンはどう思う」

 ルーカスはヘルメスより投影する3Dモデリングを確認しながらフロリアンへ問う。

「その中途半端な位置というのは見せかけのもので、実際はきちんとした位置に収まるように作られていると考えています。この建物は基本的に外部から誰かが入ってくることを想定していない上に、内部から誰かが出ていくということも想定していない。ですが、収容される人々を除き、この建物に立ち入ることを許される例外となる人物が5人だけ」

「アンジェリカと、先の話し合いに出てきた4人組か。確かテミスとか言ったな」

「絶対の法を用いた瞬間移動、転移が可能なアンジェリカは例外として、他の4人は間違いなく現代を生きるただの人です。そんな彼らがこの施設で、例えば囚人に働きかけを行うなどといった何らかの目的を達成しようとするなら、人の常識による、人の感性に添った作りでなければなりません」

「であれば、そこには必然的に“俺達にも理解できる構造上のルール”があるってわけか」

「勘ですが、部屋の配置というのが必ずしも“今目にしている壁の向こう側”にあるわけではないと思っています。“目に見えるものが全てではない”。

 アイリスが教えてくれたことですが、今この場の謎解きに非常に有意な言葉であると考えます」

「つまりどういうことだ?」

 ルーカスが問い掛けるとフロリアンは唐突に足を止めると、先頭を走るアシスタシアを呼び止めて言った。

「アシスタシア、目的地はこの辺りだ」

「おい、座標はここよりまだ先の、しかももう少し……ん?通り過ぎてる?」

 立ち止まってしっかりと座標を目にしたルーカスは、既に自分達が目的の場所を通り過ぎた上方に来てしまっていることに気付いた。

「本当の通り道がどこにあるのかは知る由もありませんが、僕の勘が正しければここから隊長たちの元に辿り着く為の新たな道が開けるはずです」

「新たな道?」怪訝な顔をして言うルーカスに頷き、フロリアンは再度アシスタシアへ言う。

「はい。アシスタシア、ここだ。この通路の“床を切り裂いてくれ”」

 一同の視線が足元に集まる。

「床?」ロザリアも首を傾げながら不思議そうな顔で言う。

 アシスタシアはフロリアンへ歩み寄り、どこからともなく巨大な鎌を出現させると指で差された場所目掛けて一直線にそれを振り下ろした。

 僅かな間の後、正方形を象った青白い炎が床から噴き上げ、やがてそれは沈み込んでいき穴の中に落ちていった。

 フロリアンは言う。「二重螺旋構造です。この施設はひとつの通路が斜め上方向に向かって一直線に伸びているだけに感じられますが、実のところは通路は上下で2つあって、それぞれの通路ごとに辿り着ける部屋が異なっているんです」

 意図を理解したルーカスは手元の3Dモデリングの構造物をまじまじと見つめて感心したように言う。

「なるほど。随分と高さに余裕を持たせた通路の設計だと思っていたが、この“高さ”っていうのは実は二重螺旋を構築する為の余分なわけだ。安定性を高めるために高さを持たせたのではなく、この間にもうひとつの通路を作ることを前提にしていた」

「はい。なのでひとつの入り口しか知らなければ絶対に辿り着くことの出来ない部屋というものが生まれるわけです。

 隊長たちが収容されている座標は丁度通路と通路の中間地点の中途半端な位置にありました。

 でも、仮に通路と通路の間にもうひとつの通路が存在するとすれば、そこは中途半端な位置ではなく、まさしく“正しい位置”になります」

「でかしたフロリアン。さすがだ」

 言うや否や、ルーカスはぽっかりと口を開いた穴の中を見やり、下にも自分達が今立っている通路と同じような通路が存在することを確認した。

「私が先に降りて安全の確認を致します」

 アシスタシアはそう言って穴の中に飛び込み、階下の通路の前後を確認する。安全を確かめると、上にいる3人に向けて大丈夫である旨の合図を送った。

 合図に従ってルーカス、フロリアン、そして最後にロザリアという順番で穴の中へと飛び込んでいく。


「床に天井の残骸が広がっている以外、見た目の変化は何もないな。何の変化も無さ過ぎて逆に気が狂いそうになる」

「どこまで行っても何も変わらない景色。平衡感覚を狂わせるということも設計における重要なコンセプトの1つなのでしょう。脱獄を企てたとしても今自分がどこにいるのかすらわからなくなるという効果を狙っている。ただ、まず部屋の中から自力でこの通路に出られる囚人がいるのかといえば、答えはNOであると言えますが」

 ルーカスとフロリアンが言葉を交わす中、アシスタシアは付近の様子を探る。

「座標が示す位置はもう少し先だ。ここからだと、10メートルってところだな」

 ルーカスの言葉を聞き、アシスタシアは言われた通り10メートルほど歩みを進めた。3人も彼女に付いて移動する。

 しばらく壁に手を当てて、何かを感じ取るようにしていたアシスタシアだが、再度どこからともなく巨大な鎌を現出させると無言のまま振りかざす。

 そうして青白い炎を鎌に纏わせたかと思うと、それを一瞬の内に壁に叩きつけて元の位置まで手繰り寄せた。


 一同が壁面に注目する中、やがて壁から青白い炎が噴き上がり、先ほど目にしたものと同じような大きな穴が瞬時に繰り抜かれた。

 手前に倒れ込んできた壁をアシスタシアは事も無げに鎌で切断し、塵に変えて吹き飛ばすと通路の3人へ向き直り目的を達したという表情で合図を送った。

 ルーカスとフロリアンが壁に穿たれた穴へと向かって走る。


 2人が室内に入ってすぐ目にしたのは、警戒の色を浮かべて身構えるジョシュアと玲那斗の姿であった。

 部屋に立ち入ったのがルーカスとフロリアンであると確認したジョシュアは警戒の色を解いて言った。

「ルーカス、フロリアン!無事だったのか」

「はい。フロリアンとアシスタシアが助けてくれました。隊長と玲那斗も無事で何よりです」

「突然に壁が割れた時はここで死ぬかもしれないと覚悟したがな」

 安堵の息をつき、感慨深いといった様子でジョシュアが言う。

 ジョシュアと玲那斗の無事を見て取ったフロリアンは、1人足りないことに気付いて言う。

「イベリスは?」

「あぁ、それなら気にすることはない。いつものことだ」

 玲那斗はそう言ってフロリアンの背後を親指で指し示す。

 すると、ふいにフロリアンの後ろから甘いキャンディのような香りが漂い、人の気配が感じられた。

「私はここよ。万が一ということもあるでしょう?壁が斬られた瞬間に姿を隠したの。襲われても奇襲出来るように」

 後ろから茶目っ気ある笑みを湛え、顔を覗き込むように言ったイベリスに面食らいながらフロリアンは言う。

「なるほど、君らしい。悪戯好きの成せる業かな?」

「違うわ。そうしろって言ったのは玲那斗なの。いざという時、自由に動き回ることが出来るのは私だけだからって」


 イベリスとフロリアンが言葉を交わす中、ふと穿たれた穴に目を向けた玲那斗はそこに佇む2人の聖職者に向けて言った。

「ロザリー、アシスタシア、ありがとう。力を貸してくれて」

「礼ならアシスタシアへ。今回、わたくしは特に何もしておりませんわ」

「迷子にならなかったことが功績だな」すかさずルーカスが言う。

「あら、フロリアンの勘による機転が無ければこの部屋の存在を発見できなかったお方がよくも言ったものですわね。一歩違えば貴方こそ迷子になっていたというのに」

「あんたも気付いてなかったんだから、お互い様だろ?」

 2人して嘲笑うように言うが、それはどこか楽し気な様子でもあった。

 これまでと違う罵り合いをぽかんとした表情で眺めながらイベリスがフロリアンへ問う。

「ねぇ、あの2人。何かあったの?口が悪いことに変わりないとして、随分と打ち解けたように見えるのだけれど」

「さぁてね。実のところ何も知らないんだ。僕とアシスタシアが2人のところに行った時には既にあの調子だったからね」

「へぇ、意外や意外。怪我の功名ってのもあるもんなんだな」

 感心したように玲那斗が言うと、すぐにルーカスとロザリアが振りむいて言う。

「「どこが!?」」

 2人の間に割って入るようにフロリアンが近付き言う。

「まぁまぁ、2人とも。ようやくこうして全員が再度合流できたということを今は喜ぶべきでしょう」

「問題はここから先、どうやって外に抜け出すかだな」

 ジョシュアが考え込むように言うが、ルーカスはあっけらかんとした風に答える。

「それなら心配ありません。自分の手元にこの構造物の詳細なデータがあります。抜け出す為のルート確保は既に確認済みです」

「何?この構造物ってことは、パノプティコンのデータがあるというのか?」

「はい。匿名希望のある人物から自分宛にデータが届きました。それを元に3Dデータと全員の座標を解析し、アシスタシアと共に行動をしていたフロリアンにヘルメスを経由して助けを求めて今に至るという具合です。

 プロヴィデンスを経由した情報が共和国側に伝わっている可能性は非常に高いと思いましたので、フロリアンにしかデータ送信をしませんでした。そのことについては申し訳ありません」

「気にしなくて良い。的確且つ最良の判断だ。結果として、俺達はこうして顔を揃えることが出来たわけだからな」ジョシュアはルーカスに歩み寄り、肩を手で叩きながら言った。

 続けて玲那斗が言う。

「機構とヴァチカンの合流は果たしましたが、国連の2人、マリアとアザミさんは?」

「その2人の座標データは受信したメッセージには含まれていなかった。仮定でしかないが、2人に関しては敢えてこの構造物とは別の場所に移動させられたんじゃないかと推測している」

 ルーカスが仮説を述べると、珍しくロザリアが同意して言った。

「アンジェリカにとって最も忌避すべき存在というのがマリアと、彼女に付き添うかの御仁ですわ。故にわたくしも彼の意見に同意します。

 貴方がたも玉座の間で、アザミ様が見せた規格外の力の一端をご覧になったでしょう?あれは真正の神の成せる御業。彼女のような存在をこの建物に置いては、建物ごと潰されかねない。

 故にマリアとアザミ様はアンジェリカの意思によって、敢えてアンヘリック・イーリオンの外部へ飛ばされたとみて間違いないかと」

 話を汲み取ってフロリアンが続ける。

「アンジェリカの唯一の誤算は、アシスタシアが思う以上に行動派であったことでしょう。彼女は出来れば僕達機構とヴァチカンについてはこのまま手元に置いておきたいと考えていた。でも、予想外に早くアシスタシアが内部で行動を起こした為に思惑が外れてしまったのかと」

「このメンバーの中で、硬質な素材で作られたこの壁を物理的に破壊できるのは彼女だけだろうからな」ルーカスが頷きながら言う。

「アンジェリカにしては実に珍しい。いえ、思慮不足で軽率なミスであるとみなすべきかと。本当の意味で貴方がたとわたくしたちを要塞内に閉じ込めておきたいのであれば、わたくしはともかくアシスタシアはマリア達と共に早々に外部へ飛ばすべきであったはず。それを間違えるなど」

「ロザリアの命令が無ければアシスタシアは動けないと考えたか……もしくは、俺達全員にこの監獄を脱獄されても問題ないという計算が残っているか、だな」

 思考を巡らせる様子を見せていた玲那斗であったが、ふいに何かに思い至ったという風に言った。

「結局のところ、俺達はこの監獄を突破してアンヘリック・イーリオンから脱出したとしても、例の赤い霧で満たされた正門を潜り抜け、さらに港まで辿り着いた後は早々にサンダルフォンで後退をしなければならない。

 そのいずれもがアンジェリカにとっては再び捕縛する、或いは簡単に殺害する為の好機となる。見逃してもらえるとは考えづらい」


 玲那斗の言葉の後、少しの間を置いてジョシュアがルーカスへ言う。

「ルーカス。先にお前さんは“匿名希望の人物から”データが送信されたと言ったな?その人物に心当たりがあるのか?」

「もちろん。メッセージの署名にはこう記されていました。〈Subject A〉と」

「対象A。アンジェリカ?」疑問を呈するように玲那斗が言うが、ルーカスは首を横に振って続ける。

「当然ながら違う。だが俺達は全員が知っているじゃないか。機構のことを良く知り、共和国のことも良く知るイニシャルAを持つ人物のことを。共和国の中で唯一、特定個人のヘルメスに向けてメッセージを送りつけることが可能な人物だ」

「そうか、彼女だな」

 敢えて名前を口に出さないようにしながら、納得したという風に玲那斗は頷いた。

「筋の通る話ではあるが、それだと彼女は共和国を裏切っていることになる。自らの意思で俺達の元を去り、話し合いの場においては明確に敵対する立ち位置に身を置いた彼女がそんな危険なことを?アンジェリカに知れればどうなるか」

「それは俺も危惧することではある。だが、とにもかくにも彼女は俺達に道を示してくれた」

 玲那斗の懸念に対してルーカスは同意をしながらも事実を受け止めるべきだという返事をする。

 だが、一方でロザリアはこのこと自体が仕組まれたものではないかという疑念を口にした。

「罠であるという可能性も考慮にいれるべきかと。ひとつ、わたくしはまだ彼女を本当の意味で信用に値するとは考えておりません。この点についてはわたくしだけではなく、おそらくはマリアも同意見だったでしょう。

 わたくしは彼女の心の内や過去の出来事を直接読み取った。その上で申し上げます。彼女の心は非常に不安定で揺れている。

 機構を裏切りたくはないという思いと、それでいて共和国の、しかもテミスの一員であるという責務から行動を示さなくてはならないという事情の狭間で。

 最終的に彼女がどちらの側に立って、どちらの意思を尊重して行動を起こすのかまではわたくしには分かりません。

 偏に仲間を信じたいという准尉さんの想いは尊重いたしますが、以上のことから真なる意味で彼女へ信頼を置くのは軽率であると断じましょう」

 ロザリアの言葉に対し、ルーカスは何かを言いかけたがすぐに呑み込んだ。


 フロリアンは沈黙したロザリアとルーカスの様子を見ながら心情を慮った。

 これまでの2人であればここで言い合いになるのだろうが、今の言葉の中にはロザリアなりのルーカスに対する気遣いが見て取れたのだ。

 そして、ロザリアの言うことは決して間違いではない。むしろ今の状況に置いては絶対に目を逸らすことの出来ない大きな懸念材料のひとつでもある。


 意見をまとめるようにジョシュアが言う。

「誰の言うことが間違っているわけでもないということを先に伝えておく。その上で、今はメッセージの送り主に謝意を示しつつも、その人物の疑いを晴らすことも出来ない状況だ。

 脱出の道筋が示されているというのなら素直に沿って行くしかないだろう。だが、道中の警戒は厳にして行くべきだ。

 ヴァチカンの御二方には申し訳ありませんが、先陣と殿を務めて頂きたい」

「断る理由など微塵もありはしません。元より、わたくし達はそのつもりでここに立っているのです」

「感謝いたします。それとイベリス。お前さんも2人の助力に回ってもらうぞ。残念ながら俺達、男衆4人は敵襲を退けるだけの力が皆無だからな。代わりに進むべき道の提示は全力でさせてもらう」

「分かっています。ロザリー、貴女の隣に立たせてもらうわ」

 イベリスはジョシュアの指示に承諾を示し、ロザリアへ助力を申し出る。

 対するロザリアも彼女の申し出を快く受け入れるのであった。

「えぇ、その方がわたくしも安心です。先陣はアシスタシアに切らせます。敵と認識できるものは何であれ構いません。その場で斬り伏せるように」

「承知いたしました。では、先陣を預かりますので進むべき道を示してくださいますよう」


 話がまとまったところでマークתの5人は互いの顔を見合わせて一度だけ頷いた。

 ルーカスはヘルメスから立ち上げている3Dモデリングデータをもとに、これから進むべき道筋を説明した。


「道筋といっても実に単純なものだ。まず通路に出たらさっきと同じ要領で床に大きな穴を開けてくれ。そうすれば1階層下の元居た通路側に戻る。あとは下に向かってただひたすらに走っていくだけで良い」

 アシスタシアはルーカスの指示を聞くや否や、すぐに通路に向かうと大鎌を手にして迷うことなくそれを床に向けて振り下ろした。

 コンマ数秒後にはこれまでと同様に青白い炎が噴き上がり、見事なまでの穴が床に繰り抜かれていた。

「現状、付近に敵とみられるものの気配はありません。参りましょう」

 アシスタシアはそう言って自らが開けたばかりの穴へと降り立って行った。

 続けて室内からマークתのメンバーが次々と階下へ降り立ち、最後にロザリアとイベリスが降り立つ。


 階下の通路で一旦全員が足を止め周囲の状況を見るが、特に異常は見当たらない。

 皆が視線を交わし、言葉なく頷くと進むべき道を見据えて真っすぐに走り出した。

 先頭をアシスタシアが行き、後ろにジョシュアとルーカス、玲那斗とフロリアンが並び後方にロザリアとイベリスが続く。


 全周囲展望型電子監獄 -パノプティコン-


 その監獄が持つ“本来の意味”を知らぬ一行は、鳥かごから抜け出す為にはばたく鳥のように、抵抗を示しながらアンジェリカの手の上から逃れる為に走った。



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