*3-3-3*

 一歩、二歩……この後、彼女なら〈お散歩〉などと言って笑うのだろう。

 ボクは知っている。彼女の考えそうなことなら手に取るように分かる。

 けれど分からないこともある。


 なぜ、アンジェリカという少女はボクにこうも自由を与えているのか。



 アビガイルは研究室から玉座の間へと至る回廊を、やや息を切らせながらのんびりと歩く。

 機構と国連とヴァチカン。世界に名だたる3組織の重要人物が玉座の間に訪れるというから興味本位で覗いてみることにしたのだが、道中なぜか頭の中に普段考えもしないような疑問が沸いては消え、沸いては消えを繰り返していた。

 グラン・エトルアリアス共和国総統 アンジェリカ・インファンタ・カリステファス。

 振り返れば彼女は自身の祖父の祖父の祖父の……もはや何代前からその地位に就いているのかよく分からないが、遠い昔からこの国の実権を裏で掌握して発展させてきたという。

 そんな彼女に自分が初めて会ったのは今から十数年ほど前のはずだ。まだ、自分がテミスの一員になるよりも昔の話である。


 当時から自分は父の影響でありとあらゆる研究に明け暮れていた。その父がある日、唐突に自分を呼び出して不思議な建物の中へ案内してくれたのだ。

 それがこのアンヘリック・イーリオンであったのだが、父はなぜこの場所に自分を連れてきたのかについては道中で語ろうとはしなかった。

 十歳になるよりも前の話だ。1人で歩けば確実に迷子になるだろう巨大な宮殿の中を、父の手に引かれて進んでいく。

 父は背が高かったから、手を繋ぐとなると常に腕を上げるような状態であった。故に段々と腕から血流が引いていき、段々と腕の感覚が鈍くなっていったことを今でもよく覚えている。

 ただし、繋いだ手を離すことは即ち迷子になることを意味していたので我慢するしか無かった。


 そうして血の気の引いた手を引かれて辿り着いた先にあった空間。それが〈玉座の間〉である。

 煌びやかな装飾の施された聖堂のような空間で、天井を見上げれば美しいステンドグラスから陽光が淡く差し込み、まるで天界の風景を目にしているような錯覚に陥った。

 共和国の中において、あの場所に類似する空間など他には存在しない。空想と現実の狭間に出来上がったと言って差し支えないような場所である。


 そこに彼女はいた。


 ヒュギエイアの杯を用い、世界の真理を嘲笑うような紋章が施された黒衣を纏う、桃色の髪と赤紫色の瞳がとても印象的な、人形のように美しく愛らしい少女。

 長い階段を上った先にある、荘厳な玉座に彼女はちょこんと座って穏やかに微笑んでいた。

 初めて目にした瞬間、自分とそんなに歳も変わらないだろう“あんな小さな子”がどうしてこんな場所にいるのかという疑問を強く抱いたものだ。

 だが、父は玉座へと至る階段の前に立つと突然に跪き彼女に首を垂れた。


 意味が分からなかった。


 どうして大の大人である父があのような小さな女の子にこれほどまでに頭を下げるのか。

 訳も分からぬまま呆然と立ち尽くしていると、先程まで玉座に座っていたはずの彼女はにこりと笑って黒衣のマントを翻した。そして次の瞬間にはボク達の前に姿を現していたのである。

 瞬間移動。それ以外に目の前で起きた出来事を形容する言葉は無い。そうした彼女の動きにさらに唖然としたままボクは立ち尽くすしか無かった。

 そんなボクに構うことなく彼女は父と二言三言ほど言葉を交わし、その後に父は彼女へボクを紹介した。

 彼女の第一声はこうだ。


『貴女がアビガイルね☆ところで、睡眠足りてるぅ?良い子はー寝ないと、めっ!なんだよ?^^』


 それほどやつれた顔をしていたのだろうか。

 日々、研究が楽しくて確かに寝ることなどすっかり忘れてはいたが、顔に出る程だとは考えてもいなかった。

 直後、彼女はボクに名を名乗った。


『初めまして、アビー。私はアンジェリカ。アンジェリカ・インファンタ・カリステファス。これから長い長ーい付き合いになると思うから、今ここで覚えてね☆アンダースタン?』


 長い付き合い?

 何を言っているのかはよく分からなかったが、とりあえず適当に言葉を返したと思う。

 自分があの時彼女へ何を言ったのかは既に記憶にはない。何しろ十数年も前の記憶だ。覚えている方がおかしい。

 しかし、彼女の言う〈長い付き合いになる〉という言葉の意味を、ボクはそう月日をあけることなく知ることとなった。


 父が死んだのだ。


 原子核融合炉の性能実験の最中に起きた事故死だという。

 正直、意味がわからなかった。


 父が死んだ?なぜ?

 事故?有り得ない。


 その研究や実験において、1人の人間だけが都合よく死ぬような工程などないはずだ。

 母に聞いても首を横に振って泣くばかりで話にならなかった。


 別に父のことが好きで好きで仕方なかった、などという話ではない。

 両親、家族、友、自然、日常生活、ありとあらゆることを含めて研究以外のことなど、今でもどっちでも良いと思っている。

 この世界に生きる人間、動物、自然環境、そういったもの全てがどうなろうと自分の知ったことではない。

 ただ研究する環境が無くなるのは困るので、地球環境と実験用動物だけ担保されることは望むが。


 とはいえ、研究者の性というものなのだろうか。“本当のこと”が知りたかった。

 解き明かせない疑問を放っておくことが出来なかった。

 きっと、思いとしてはそれだけのことだったのだ。


 ボクは手をつけていた研究を一旦取りやめ、父の行っていた研究と実験、関わりのあった機関や人物、さらには国家の情報を洗いざらい調べ上げた。

 そこで辿り着いた結末はこうだ。


 父は、新型の原子核融合炉の革新的な技術情報を握っていた。

 エネルギー不足が深刻に叫ばれる時代の中で、世界における大国は日常生活の為、或いは軍事開発の為にその情報を欲しがった。

 だが、父は彼らからの要求をことごとく断った。

 研究の成果が荒らされるように使われることに我慢ならなかったのだろうか。その辺りはよく分からないが、とにかく父は頑なに技術供与を認めなかった。

 そのことで、どうやら大国の大使達から強力な圧力をかけられていたらしい。大国としては、グラン・エトルアリアス共和国という国家機関に問い合わせたところで拒絶されるのは目に見えている。

 だからこそ、父個人へアプローチをかけて技術を盗み取ろうとした。亡命を持ち掛けた国もあったという。

 しかし、父は共和国に歴史をもつ御三家の一家、サラマドラスの当主であり、裏で政治的な糸を引くテミスの構成員でもあったから、当然ながら亡命などという選択肢は有り得なかった。


 結局、追い詰められた父は死んだ。


 事故死なのか自殺なのか、それとも他殺なのか今でも分からない。

 けれど、ボクは父の死がそのいずれであるのかについてはまったくもって興味がない。

 結論は一つだ。父は大国の傲慢さによって殺された。


 それだけのことである。


 父を突然失ったボクは、父が遺した研究データの全てを引き継いだ。

 というより、父はボクだけが研究の中身を知ることができるような細工を自らの研究施設やコンピュータに施していたのだ。

 共和国政府でも中身が分からないように、巧妙に隠匿された技術情報の全てをボクは手に入れた。


 その時に決めたのだ。

 ボクは彼の意思を引き継いで、彼が成し遂げられなかった研究を完成させると。

 人としてではなく、研究者として彼の無念を晴らす。


 それだけのことである。


 しかし、この話にはまだ続きがある。

 父の研究を引き継ぎ、彼が完成させることが出来なかった研究を完成させて無念を晴らそうと決めたその時、“彼女”が突然ボクの目の前に現れたのだ。


『あちゃー><前に会ったときよりやつれてない?大丈夫ぅ?睡眠ちゃんと取ってるぅ?』


 可愛らしく甘美な声で言う彼女の名前をボクは知っていた。

 前触れもなく突然ボクの自宅の研究部屋へ現れた彼女へこう言ったと思う。


『アンジェリカ?なんでここに?』


 誰だってそう言うに決まってる。まず第一にどこから入ったのかと。

 外部からの進入など虫一匹許さぬ鉄壁のセキュリティを敷いていたはずだ。

 にも関わらずどこから?よもやあの瞬間移動というのは物理的な壁を超える力も秘めていたというのだろうか。

 しかし、彼女はボクの困惑する様子など微塵も気に掛ける素振りを見せず、質問に答えることすらなく言う。

『貴女はー、今日から私のところに来てもらうことに決めたんだー☆これ、貴女の父親との約・束♪だからね?』

 彼女はそう言うとボクを優しく抱き締めながら頭を撫でてくれた。


 彼女が父との約束という言葉を発した時、ボクは父と共に初めてアンヘリック・イーリオンへ立ち入って、初めて彼女と言葉を交わした日のことを思い出していた。

 そうか、あの時父は既に大国からの圧力を受けていて、間もなく自分が死ぬことを知っていた――或いは決めていたのだ。

 だからその後継者として娘である自分を選び、報告をする為に彼女の元を訪ねたのである。


 父との約束。

 その言葉を聞いたからなのか、不思議とボクの目からは生理現象的な液体が溢れていたと思う。

 この現象に名前があるとしたらそう。

 現象とは言い難いが、確か眼科的用語に〈流涙〉と呼ばれるものがあったはずだ。それだろうか。


 違うことは分かり切っている。


 これまで遠ざけてきた温かさを小さな女の子から与えられた気がした。

 ボクの頭を優しく撫で、にこやかに笑って見せていた少女は、しかし唐突に不敵な笑みを浮かべて声色をやや変えて言った。

『今日という日に、貴女は不変なる掟-テミス-の一員として私達に迎えられる。加えて、アンヘリック・イーリオンの中にある研究施設の全てを貴女にプレゼントしましょう。

 そこで存分に父親の無念なり何なりを晴らすと良いわ。ねぇ?アビー。これから楽しい毎日が待っているわよ?』


 あの時彼女が見せた目を、未だに忘れることは出来ない。

 優しい声とは裏腹に、この世界の全てを憎み、恨んでいるかのような目。それでいてどこか、空虚さを感じさせる目。

 あれはそう。〈愛を知らない人間の目〉だ。

 きっと、アンジェリカという少女はどこかしらでボクと同じ境遇を味わったに違いない。或いは想像を絶する苦痛を乗り越えてきた。そういうことが会話をしなくても何となく感じ取ることが出来た。

 感じたからこそ、ボクは……



 テミスの一員となり、研究に没頭し始めてかれこれ十数年の歳月が流れた。

 父の遺した核研究のデータを昇華させ、アンヘリック・イーリオンへの電力供給を担う大型炉心や、空中機動戦艦ネメシス・アドラスティアの動力とする小型炉心の開発を成し遂げることに成功し、他にも戦争にまつわる兵器開発に精を出し続ける日々を過ごしてきた。

 そう、先日太平洋上に着弾したヘリオス・ランプスィが灯した輝きは、これまで自身が積み重ねてきた研究の総仕上げともいうべき“希望の光”であったのだ。


 まったくもって、シルフィーの言う通りだった。


 順風満帆な研究生活において唯一の失敗といえば、体の成長を永久に止めてしまう薬品の試作品を自ら飲んだことで、体の発育が12歳のまま止まってしまったことくらいだろうか。

 なぜ自分で飲もうと思ったのか。正直、身長はもう少し欲しかった。なぜなら高い棚に仕舞ってあるものが取れない。

 その為だけに〈高い所にあるものを的確に持ってくるドローン開発〉を行ったくらいだ。

 この話をアンジェリカにした時は随分と笑われたものだが、彼女も彼女でほとんど同じような年齢のまま体の発育は停止してしまっているからどっちもどっちなのではと思わなくもない。


【The pot calls the kettle black.】(鍋がやかんを黒いと言う)

 あの時は思わず言いそうになった。


 最初の疑問に立ち戻り、アンジェリカが自分を野放しにしているというのは、何かしら気に入るところがあったのではないかというのが仮説のひとつだ。

 何が気に入られたのかは知らないが、そういうことにしておこう。自由にさせてもらえるのであれば甘えさせてもらうまでのことである。


 さて、そろそろ歩き疲れた。

 慢性的な運動不足の研究者に長い回廊を歩かせるなど正気の沙汰ではない。こんなことならアムブロシアーに自分を運ばせれば良かった。

 或いはシルフィーに連れて行ってもらった方がましであった。シチューのお代わりも欲しかった。


 もうすぐ、もうすぐだ。

 この回廊の先に目指すべき場所、玉座の間がある。

 きっと今頃は機構と国連、ヴァチカンの人々が彼女と静かなる論争に花を咲かせていることだろう。

 退屈そうにするシルフィーと、生真面目に状況を見守るアンディーン、そして仏頂面のリカルドもそこにいるに違いない。


 そういえば、機構の中には“マイスター”などと呼ばれる天才科学者なる男がいたのではなかったか。

 名を何と言ったか。アンディーンが寄こした情報の中に記載があったと思うがいまいち思い出せない。

 この際だ。あのプロヴィデンスをアンディーンと共同であったとはいえ、完成まで導いた人物がどんな人間なのか拝ませてもらうとしよう。



 今後の研究の為に。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る