*3-2-4*

 マークתとマリア、アザミ達がサンダルフォンから出発して間もなく、アイリスは自室から彼らの乗った車が道なりに進む様子を見届けた。

 己のするべきことを成す時が来た。アイリスとアヤメは互いが心の中で想いを通わせながら静かに頷き合う。

 小さな窓のカーテンを閉め、部屋の入口へと向けて歩き出す。


 第8空母打撃群の件で負った心の傷について、未だ周囲は心配を寄せてくれていたのだろうが、実際のところは今朝の時点で深夜に精神に流れ込んできた人々の思いの残滓というものとはうまく折り合いをつけることが出来ていた。

 体調が良好であるにも関わらず、自分がここまで朝食の場にも、ブリッジでの最終協議にも顔を出さなかったのは偏に〈マリアとの約束〉があったからだ。


 機構のセントラルに到着するよりも前から、かねてよりマリアに言われていたことがある。

 単純に言うと、グラン・エトルアリアス共和国に関して出来る限りの情報を集めて欲しいということだ。


 となれば、自身の取るべき行動指針はただ一つ。

 その行為にどんな意図があるかなど関係ない。

 全ては〈親愛なるお姉様の為に〉。


 ミクロネシアの地で行ったことと、まるで同じようなことを共和国で行う。それがマリアの希望であった。

 人体などには何の影響も与えない特殊な電磁界で島全域を覆い、ありとあらゆる事象の変化、人々の行動、感情の動き、その他景色などを調べ上げる。

 自分達、アイリスとアヤメの2人が重なり合うからこそ可能な奇跡の所業。

 超常的なこの力をもってマリアの役に立てるというのであれば、それは何よりの喜びというものだ。


 調査などという行いは、本来機構の得意とする分野なのだろうが、彼らがこの場で調査行動を実施するのは現実的な話ではない。大量の機材の投入が必要であるというのが理由で、そのように動けば共和国側を無駄に刺激しかねない。現状では御法度な行いである。

 例えば仮に、今ここでミラーシステムを再稼働させるなどすればどうなるだろうか。この答えも実に明快極まる。


 結果としてこの船が撃沈されかねない。いや、される。


 照準されていないから火器管制レーダーは何も捉えてはいないのだろうが、遠くに見えた巨大な城塞の防御砲塔は既にこちらに向け構えられているのだ。

 港に入港する前から継続して観察していたので間違いない。あの城塞はいざとなれば、いつでもこの船を攻撃する用意がある。気付いて動き出した時にはもう遅い。

 マリアはそれを見越した上で、自分をこの船に残したのだから、船の護衛という重要な役回りもきっちりとこなさなければならない。


 アイリスは自室を出ると、すぐに視線を艦首甲板へ繋がる通路へと向けた。

 迷うことなく進路をそちらに向け、再び歩き出しながら思考を巡らせる。

『万一、あの要塞が直接攻撃をしてくるとすればミサイルかレーザーによる射撃。ただ、ミサイルの場合は自国の湾港への被害も免れない。存外にこの国のことを大事にしているアンジェリカがそれを認めるとも思えない。

 だとすれば、レーザーによる攻撃が主となるはず。他に考えられる手段としては、あの得体の知れない兵士を直接この船に送り込むか。

 仮にレーザー照射による攻撃であったとして、その照準を逸らす方法……イベリスのように直接干渉ができるわけでもないし、ブルーミング現象をうまく活用できればといったところかしら。

 それより、砲塔そのものに雷撃を見舞う方が……』


 近くを通りがかる隊員に気付くことも無く、ただひたすらに考え事をしながら歩くアイリスであったが、ふと目の前によく知った“気配”を感じて足を止めた。

 顔を上げた先にあったはここにいるはずがないと思っていた人物の姿である。彼女は言う。

「おはよう、アイリス。具合はどう?」

 淑やかで、気品溢れる穏やかな声。マリアとは別の意味で“理想の女性像”とも言うべき彼女の姿を見たアイリスはしかめていた顔をほころばせて返事をする。

「おはよう、アルビジア。おかげさまで元気になったわよ。ところで、貴女は皆と一緒に行かなかったの?」

「えぇ、貴女と一緒にここに残るべきだと思ったから、自分の意思で行かないことに決めたの」

「そう」

 彼女と言葉を重ねることは嬉しくもあるが、ただし今という状況については少し例外かもしれない。

 これから艦首甲板に向かって行うことを彼女は良しとしてくれるのだろうか。大小の差こそあれ、余計な軋轢や諍いなどを生む真似はしたくない。


 表情を曇らせたことに気付いたのか、アルビジアが言う。

「元気という割には、少し浮かない顔をしているわね。どこに行くの?」

「お姉様からの頼まれごとで、その……艦首甲板に行こうかなって」

 彼女に嘘はつきたくない。かといって全てを今ここで打ち明けたくもない。複雑な思いを抱きながら言葉を濁す。

 だが、アルビジアの口からは意外な言葉が返ってきた。

「マリアからの?では、きっと大きな意味と意義のあることね。邪魔をしないようにするから、一緒に行っても良いかしら?」


 てっきり、否定をされると思っていた。

 今は動くべきではないと、そう言われると思っていたアイリスは彼女の言葉の意外性を一瞬だけ受け入れられなかった。

「アイリス?どうしたの?」

「え?いえ、何でもないわ。少し、少しだけ寂しいと思っていたの。貴女が一緒に来てくれるなら嬉しいわ」

「マリアの代わりにはなれないでしょうけれど、話し相手くらいにならなることが出来るわ」

 とても温かく優しい笑みを浮かべるアルビジアを見て、アイリスはつい先程まで自身が内心で抱いていた〈邪魔されるのではないか〉という悪い感情に自己嫌悪した。

「ありがとう。行きましょうか」



 そうして2人は共に艦首甲板までの道のりを歩き出す。

 サンダルフォンの艦内は複雑なように見えて非常にシンプルな造りの為、目的地への道筋はほぼ一直線だ。

 真っすぐ歩いて行った先の突き当り、その脇に備えられた階段を上ればすぐに甲板である。

 横に並ぶアイリスとアルビジアは道中で特に会話を交わすことはなく、それでいて心持は穏やかに歩みを進め、共に階段を上って間もなく甲板へと繋がる扉まで辿り着いた。


 アイリスが扉を開けた瞬間、眩しい太陽の日差しが視界に飛び込んできた。

 曇ったり晴れたりと忙しい天気模様の最中、現在は雲の切れ間からどこまでも広がる青空がすっかりと顔を覗かせている。


 まるで自身の心の内を映す鏡のようだ。


 アイリスはそう思いながら甲板へ足を踏み出した。後をアルビジアがついて歩く。

 港に停泊する艦は波の揺らめきに合わせて僅かに上下に揺れ、潮風が2人の髪をなびかせた。

 甲板上に機構の隊員の姿はない。聞いた話では、現在は警戒態勢を取っていることから交代制で持ち場を離れることなく監視対応を行っているらしい。

 故に、甲板上で海風に当たって休息を取ったり、外に出て作業を行う隊員の姿が皆無なのだ。

 ただ、深夜にネメシス・アドラスティアから放たれたミサイルの影響で損壊したミラーシステムの残骸が散乱していたはずの甲板上は非常に綺麗に片付けがなされていた。

 この辺りの対応の素早さは機構ならではといったところだろうか。金属が甲板を抉った傷跡こそ残るものの、破損した金属片など一片も見受けられない。


 揺れる甲板上、海風に吹かれながら艦首まで歩みを進める2人だが、アイリスがふいに体勢を崩した。

 昨日からほとんど動かなかったからだろうか。アイリスは自身の身体――厳密にはアヤメの身体だが――の動きの鈍さを感じていた。

 船体の揺れ吸収機構が備わっている艦内部とは違い、波のうねりが直接伝わる甲板の揺れにアイリスは僅かに足を取られそうになるも、近くにあった手すりに掴まり耐える。

「まだ本調子ではないのね?」穏やかにアルビジアが言う。

「船の中ではずっと動かずにいたからかしら。少しふらつくみたい」

「無理はしないで。意思と身体は別なのだから。特に、私達のような存在はね」

 この言葉でアイリスははっとする。

 そうだ、いくら自分が元気であっても、元々が今を生きる人間であるアヤメはそうではないかもしれない。

 長きに渡って共に過ごしてきたことで、全ての事柄が当たり前であると感じていて大切なことを忘れるところであった。

 アイリスは自身の中のアヤメに問う。

『ごめん、アヤメは平気なの?その、えっと』

 考えがまとまらず、言葉がうまく出て来ない。しかし、アヤメはこともなげに返事をしてくれる。

『心配性ね、アイリスは。貴女のそういう優しい所、好きよ』

『そうじゃなくって!』

『アイリスの見えない所は私がきちんと見る。だから大丈夫よ。私達のすべきことに集中しましょう』

 何もかもお見通し。そのような返事をするアヤメにアイリスはそれ以上何も言えなかった。

 考え過ぎだろうか、それとも根詰め過ぎなのだろうか。

 マリアに対する自身の感情のせいで、アヤメに負担を強いてしまってはならないというのに。

 熱くなったり集中し過ぎると肝心なことをないがしろにしてしまうのは自身の悪い癖だ。この悪癖が致命的にならないように、うまく立ち回って支えてくれるのがアヤメである。

 申し訳ないと思いつつ、それでも彼女の“大丈夫”という言葉を心から信じて、為すべきことを為すためにアイリスは再び前を向いた。


 ややふらつきながらも艦首甲板まで2人は辿り着いた。

 港から見える共和国の景色は実に壮大だ。突如として姿を顕した遠方に聳え立つエトルアリアス要塞 アンヘリック・イーリオンは元より、周囲に存在する高層ビルを伴う建築群が立ち並ぶ都市や、遠目からでも栄えるその他の歴史的建築物の数々。

 現実を騒がせる戦争という話が無ければ、この国は世界でも稀にみる発展を遂げた立派な先進国であることに疑いの余地はない。

 反対に、この国のどこを見て“大国による従属の歴史を背負わされてきた”という見方ができよう。


 アイリスはこれから自身が“調べ尽くそうとする対象”をじっと見据えて深く息を吸い込む。

 そうして一息ついてからアルビジアへと言った。

「ねぇ、アルビジア。これから私達がすることについて、何も言わずに見ていてちょうだい」

 アルビジアはアイリスへと目を向け静かに頷く。


 そうしてアイリスはそっと瞳を閉じ、再び目を開けると無言のまま両腕を空に伸ばした。

 彼女の傍らに立ちアルビジアはそっと様子を見守る。徐々にアイリスのライトニングイエローの瞳が光を帯び始め、瞬く間に黄金色に輝いた。

 この瞬間、アルビジアは彼女から放たれる強力な力の波動ともいうべき気配を感じ取っていた。

 おそらくは人ではなくなっている自分だからこそ感じ取ることのできる類のものだ。

 機構に入構してから、彼女が起こしたと言われるミクロネシア連邦での事件の資料にも隅々まで目を通した。その際に見た“電磁の幕”という記載を思い出す。

 それは雷神ナーンシャペの加護を受けているとされるアヤメがもつ特別な力によって可能な奇跡だという。

 勘でしかないが、おそらくは機構が持つような専用の機材でしか観測することの出来ない電磁界でグラン・エトルアリアス共和国全土を覆ったのだろう。


 しばらく両腕を大空に伸ばしたまま静止していたアイリスであったが、しばらくすると両腕を下ろして言う。

「これで準備は完了ね。この島で起きることの多くを見ることが出来るようになったわ」

 呟くように言ったアイリスにアルビジアは言った。

「マリアからの頼まれごととは、この島で起きていることを注意深く見守って欲しいというところかしら?」

「貴女には何もかもお見通しよね。悪いことをするわけではないのだもの。隠すつもりも無かったのだけれど、行動に対して反対されたらどうしようって考えてさっきは言えなかったの。信じてないような振る舞いをしてしまってごめんなさい」

 するとアルビジアは不思議そうな表情をして言った。

「なぜ謝るの?貴女はマリアの為だけではなく、みんなの為を思ってこの行動をしていて、みんなの為を考えてそのように振舞った。そのことについて、私が咎める理由もなければ、貴女が謝る必要もないと思うわ」

「自己嫌悪というものよ。アルビジア、貴女の前では素直でいたいの。公国で生きていた頃の貴女はある意味では私と同じだった。イベリスやロザリアとは違う。もちろん別の意味でアンジェリカとも」

「そう。でも、仮に謝るべきだとすれば私の方ではないかしら。貴女に何かをしてあげられたことなんてこれまで一度たりとも無かったのだから」

「そんなこと」

 アイリスが言うと、アルビジアはアイリスの目線と同じ高さになるまで腰をかがめ、人差し指を彼女の唇に触れて言った。

「かつて私は、自然以外の全てがどうなったって構わないと、悪くいえばどうだって良いと思っていたのよ。

 その全てというものの中には貴女も含めて、リナリア公国で生きていた全ての人も含まれている。本当の意味での薄情な人でなしというのは、私のような人間を指して言うのだと思うわ。だから、私に謝ったりしないで」

 そうしてアルビジアは指先をアイリスから離すと、共和国の上に広がる空を見据えて言う。

「遠い昔、木陰に佇む貴女に手を差し伸べたのはマリアだけだった。対する私は“気付いていながら見て見ぬ振り”をしていた。自身には関係のないものとして、全てを」


 アルビジアの言葉尻には“あの時、もしも自分が手を差し伸べられていれば”という後悔にも似た感情が混ざっているようにアイリスには感じられた。

 彼女の声に、どことなく哀愁のような悲しみが込められていたからだ。アルビジアは続ける。

「そんな風に、昔はどうだって良いと思っていた世界。でも、今は不思議とそれが愛しいと思い始めている。機構のみんなや、千年ぶりに会った貴女達も含めて、みんなみんな。

 イベリスの言う、人の持つ可能性の先にある未来をこの目で見たいと思ってしまっているの。

 理想論ばかりの絵空事だと思ったけれど、彼女が真剣な目をして語ると“有り得なくもないのかも”と思ってしまうから不思議なものね。

 公国の王妃たる器をもつ、光の人。人々の先頭に立ち、民の行く道を照らす希望の光。そんな彼女が描く世界の先を私も見定めてみたいと思った。一度死した身で尚、傲慢にも」

 そう言って肩の力を抜いたようにふっと息を吐くと、アルビジアはアイリスを見て言う。

「アイリス。今、貴女はマリアの希望によって共和国の内情を調べようとしているのよね?」

「えぇ、そうよ」


 ふいに話を振られたアイリスはそう言うのがやっとだった。

 ここまで饒舌に語るアルビジアの姿などこれまで見たことも無かったから、意外性に驚いたというのもある。

 彼女が話した通り、昔のアルビジアというのは誰よりも大人っぽい空気を纏いながらもどこか冷めていて、全てに諦観を抱いたような眼差しをしていて、空虚であったことは事実だ。

 ただ、それは彼女自身が置かれた境遇、つまりは本人の意思とは関係なく第二王妃という立場に無理矢理置かれたということなどによるものだとこれまで勝手に思っていた。

 自由なようでいて自由など無い身。自分より遥かに辛かっただろう彼女の心の内は想像に難くは無い。

 それでも、その時代にあったものを“自然なもの”として一身に受け止めて生きていたアルビジアのことをアイリスは内心で尊敬していたのだ。

“こうでありたい”という欲望を示すことなく、“こうであったら良かったのに”という不満を言うこともなかった。

 そんな彼女相手だからこそ、直接言葉を交わす時には〈素直でありたい〉と思っていたのだが。


 アイリスの動揺を気にする様子もなくアルビジアは言う。

「差し支えなければ、で構わないのだけれど。感じたことや見たものを、私に教えてくれない?貴女の……いえ、貴女“達”が見たもの、感じたもの。それを私も、知りたいと思う」

 彼女の目をみたまま次に何をどう言うべきか迷っていたアイリスであったが、深く考えることをやめて気持ちに従い返事をする。

「分かったわ」


 アイリスは視線を共和国本土の都市部や城塞に向け直し、先ほど全域に張り巡らせた電磁界を通じて集められる情報を意識の中に呼び込むように神経を研ぎ澄ませた。

 見たままを、ありのままを、〈素直に〉彼女へ伝えるために。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る