*2-3-3*

 部屋の照明よりも明るいホログラフィックモニターから放たれる光が2人の男女に当たる。

 スカイブルーの瞳は真っすぐにモニターに向けられ、そこに映し出された膨大な解析結果を捉えた。ルーカスはプロヴィデンスが弾き出した演算結果を真剣に吟味し、要求した分析内容に対する答えが導かれたかどうかを確認する。


「やっぱりダメか。どんな条件を捕捉してやっても分析不能って返すだけ。機械といえど、分からないものを分からないと返す辺りは実に人間臭い」

 大溜め息をつくルーカスのすぐ傍で、先ほどから自身のヘルメスに視線を落としたままのアンディーンが言う。

「当然といえば当然ね。いわゆる神秘の解明に挑んでいるようなものなのだから」

 つい先程、どこからか送信されてきたであろうメッセージを確認し終えたアンディーンは一度ヘルメスから視線を外し、ルーカスと同じモニターを見つめて続ける。

「映像だけでは限界がある。“実物はきっとこうだろう”という私達の仮定が分析要求に留まり続ける限り、プロヴィデンスは“証明できない”と返事を繰り返すだけよ」

「おう、んなこと分かってるよ。ただ、証明は出来なくてもヒントくらいは見つかるかと思ってな」


 重苦しい雰囲気の会合が終わった後、ルーカスはアンディーンと共にセントラル中央管制付近に置かれている分析室へと足を運んでいた。

 所狭しと分析機材が置かれた室内。研究の為に山積みにされた資料。作業に集中できるようにと、敢えて他の部屋に比べて一段照明が暗く設定された室内はある種の独特な空気感を醸し出している。


 2人はプロヴィデンスに接続された端末へ、先程の会合で国際連盟から提供を受けた映像データを送信して検証を続けていた。

 しかし、プロヴィデンスから返される答えはどれも役に立たない回答ばかり。

 思う以上の収穫の無さにただただうなだれているところであった。


「まったくもって冗談にもほどがある。銃撃を目視で回避する無敵の兵隊?そんなの、解析や分析でどうにかなるってもんじゃない。あぁ、分かってる。アンジェリカの絶対の法とやらが関与しているのだとすれば尚更の話で、そもそもこの分析処理に意味を見出せるのかどうかすら怪しいってな。けど、“しないわけにもいかない”」

「意味を見出すことが出来ないかと言えば、全てのカテゴリーでそうというわけでもないでしょう?貴方の言うように、怪物じみた兵士はさて置いて、ね。でもほら、少なくともケルジスタン駐屯地襲撃時の昆虫型ドローン。これらがどういった動きをするのかについてはデータの分析保管は出来そうよ」分析中の映像データを一時停止しながらアンディーンが言った。

 ルーカスは大あくびをした後に、停止された映像を見やってぼやくように言う。

「そうだな。蜘蛛型、蜂型のドローン。こいつらの特性くらいはデータ保管しておかないと、か。今度は、こいつらに仲間がやられる可能性があるんだ」

「蜂型のドローンに刺された兵士は平均10秒以内に正気を失い、さらに30秒から1分以内には例外なく絶命している。内部にはおそらくグレイ、或いはCGP637-GGに類する毒薬じみたものが搭載されていたのではないかしら」

「そのものではなく“類する”ねぇ。アンがそう考える理由は、要は針で刺された後の兵士の症状から見れば、グレイやグリーングッドの禁断症状が発生するにしては早すぎるという見解だな?」

「えぇ、私はそう思っている。グレイもグリーンゴッドも、体内への投与量を増やしたからといって、効果発現までの時間がそれほど大きく短縮される物だとは思えない。ましてや、全身症状を誘発するともなれば相応の時間が必要なはずなのに、この映像からはおよそ10秒以内には当該の症状が完全な形で発現している。

 症状の表れ方がデータベースにある情報と一致しているから、アナフィラキシーショックによる過剰反応という線も除外濃厚ね」

「効果発現時間か。局所麻酔なんかでも15秒から20秒はかかるからな。ってことはつまり、ドローン内部に仕込まれていた毒薬はグレイやグリーンゴッドとはまた別物、或いは改造発展型の代物であると?」

「えぇ、妥当な仮定ではないかしら」

「例えば効果の発現が2段階に分かれているって線はどうだ?1段階目は脳神経への干渉。2段階目が全身神経への作用」

「どうしてそう思うの?」

「よく見てみろよ」

 ルーカスは一時停止された映像の一画をタッチジェスチャーで拡大した。

 大きく引き伸ばされた画像に補正処理を施し、ぼやけた画像から精細な画像を再構築した上で、ある1点を指差して続ける。

「多少分かりづらいがこの蜂型のドローン、兵士の周囲を集団で取り囲みはするが、刺す時は決まって兵士の総頸動脈辺りを狙っていやがる。この映像も、その映像も同じ。“必ず”だ。それはつまるところ、薬品が直に脳や筋肉に作用するように調整されていて、ドローン本体への指示が“薬品が最も効率的に作用する箇所を狙う”ようプログラムされているってことなんじゃないか?」

「最初は脳に作用することで正気を失わせ、敵味方の区別なく暴れまわらせた後に全身症状を発症して絶命する……」

「どうだ。筋書きだけなら悪くない仮説だろ?まぁ、現代科学の限界を示すような仮説だが、奴ら共和国が作るものと考えれば有り得そうだと思うがね」

 ルーカスの言葉にアンディーンは口ごもった。その様子を見たルーカスが慌てて取り繕う。

「あぁ、そのなんだ。すまない、他意はない」

 共和国が故郷であるアンディーンは複雑そうな表情をして言った。

「いいえ、良いのよ。今の状況からすればそう言われて当然だと思ってる」

 しばし互いの間に沈黙が訪れる。

 吐いた唾は呑み込めない。後悔も入り混じるような、やや気まずい空気が立ち込める中、ルーカスはそっと息を吐きつつ話題を逸らすように努めて明るく言った。

「よし!分析はこれくらいにして、俺達もそろそろサンダルフォンに移動するか。頃合いだろう」

 席から立ち上がり、先ほどにも増して大きく伸びをするルーカスを見てアンディーンも頷く。

「そうしましょう」

 モニターに背を向け、揃って薄暗い分析室を後にした2人はサンダルフォンが収容されているドックの方向へと歩き出す。

「それにしても、こうやって2人で並んで歩くのも本当に久しぶりだな」歩き出して間もなく、感慨深げにルーカスは言った。


 2人の出会いは今から遡ること9年前のことだ。当時、ドイツの企業勤めを辞め機構の隊員になって間もなかったルーカスはプロヴィデンスのAI開発に携わることとなり、そこで15歳という若年ながら超飛び級で機構の技術隊員となっていたアンディーンと出会った。

 世界最大の巨大データベースを用いて高度な分析を行わせる為のスーパーAIの開発。かつて誰も成し得たことのない最難関である1点の目的を達成する為に2人は日夜を共に過ごした間柄だ。

 科学の研究に年齢差など関係ない。完全なる実力勝負の世界で2人は互いの意見を時にぶつけ合い、時に協調して意見を交えながら問題となっていた課題を克服していった。

 そうして月日は流れ、西暦2029年。プロヴィデンスは機構が誇る世界最高の情報分析処理基幹システムとして完成することとなったのである。

 同システムの完成に多大な貢献をしたとして2人には機構からマイスターの称号が贈られ、技術隊員としては最高位となる三等准尉の階級を授けられた。

 その後、ルーカスはセントラル1の調査チームであるマークתへ正式に配属が決まり、アンディーンは同じく大西洋方面に展開されている情報技術開発研究支部 ブランチ2-コクマーへ技術士官としての配属が決定されたのだ。


 ルーカスは昔を懐かしむように言う。

「プロヴィデンスについてあぁでもない、こうでもないと揉めていた頃を今でも昨日のことのように思い出すよ。あの時は、アンのことを『なんて小生意気な娘だ!』とか思ってたっけ」

 話を聞き、アンディーンも笑みを湛えて言う。

「そうね。貴方のこと、なんて融通の利かない人なんだろうって私は思っていたわ」

「結局、互いに言い合っていたことのどちらが間違っていたわけでもなく、互いに言っていたことをうまく組み合わせることが、目的を達成する為の答えであり近道だったんだよな」

「ルーカスがもう少し早く私の意見を汲んでくれていれば、プロヴィデンスはもっと早くに完成していたのにね?」

 普段の凛とした様子からは想像できないような、悪戯な笑みを浮かべてアンディーンは言った。

「これだ。変わっちゃいないな?あの時も俺は十分に譲歩していたさ。システム全体のスループット低下を防いでの安定稼働を実現させる為に、アンの提示した要求を取り込むより以前にやるべきことがあるって話をしたろ。特定の高負荷に耐えられずにエラーを吐きまくるシステムなんて、結局存在しないも同じだからな」

「明確な理由を提示して大丈夫だって言っても貴方は納得しなかったわね」

「負荷テストをすっ飛ばして、実際データで『とりあえず、システムが限界に達するまで処理要求を叩き込んでみたら良い』なんて暴論、普通すぐには納得できないだろ。大人しそうな可愛い顔して、何て容赦のない娘なんだって驚いたぜ?」

「負荷テストだなんて決まりきった要求を流しても、プロヴィデンスは賢く処理してしまうから、結局“負荷”でもなんでもないテストになるって言ったじゃない。実際データを用いない限りは〈何に耐えられて、何に耐えられないのか〉すら見出せないって」

 アンディーンはそこでふっと一息つくと、ルーカスへ顔を向けて続けた。

「でも、貴方は最初にやるべきことがあるとは言ったけれど、私の意見自体を否定することは決してしなかった。そして、私の存在や人格といった人間性を否定することは絶対にしないで、ただひたすらに開発に関することのみで話をしてくれた。最初から最後まで、ずっとね。その点は感謝しているのよ?今思えば、私も自信過剰なところがあったと反省しているし」

「感謝だって?本当に?心の底から?まぁ、ちょっと悔しいけどな。あの時のアンの意見は例外なく正しいとも思っていたからさ」

「本当に?心の底からそう思ってたの?」

 アンディーンはルーカスの言葉をそっくり返すように言った。ルーカスは〈やられた〉という身振りを交えながら応える。

「もちろん。俺達が相手にしていたのは、それまでの常識が一切通用しない代物であり科学が生み出した化物だ。

 だから通常の負荷テストに意味がないっていうことも、実際データなんかを無理矢理突っ込まなければ負荷試験が出来ないってこともその通りだと思った。

 だが、“科学は嘘を吐かない”。嘘を吐かないからこそ“限界”ってものがどこにあるのかを先に慎重に見極めておく必要があるとも思ったんだよ。

 万一があったら一大事だ。再起動と、それに伴う破損チェック、データ精査にどれほどの時間がかかるかを考えれば、な?だから譲らなかった」

「そうね。今さらになるけど、礼を言うわ。ありがとう、ルーカス」

 穏やかな笑みを湛えたまま、アンディーンは言った。


 年齢差など関係ない、馴れ馴れしいやり取りは当時から変わらぬまま。

 互いの間にあるのはプロヴィデンスの開発を通して育まれた友情であった。

 人間の時間としては長い年月の果てに、今こうして再び並んで歩き、共に話しが出来るという喜び。


 お互いに口には出さないものの、ルーカスもアンディーンも思い出を懐かしむ、かけがえのない時間を心で深く噛み締める。

 戦争などという惨事が巻き起こる世界にあっても、これからもこういった日常が当たり前のように続けばいいと願いながら、目的地であるサンダルフォンまで2人は歩みを進めていくのであった。



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