* 1-5-5 *
西暦2037年 春
イングランド 南東部ケント州 ダンジネス国立自然保護区内
セルフェイス財団 CGP637-GG試験運用管理区域にて
アルビジアはダストデビルと呼ばれる自然現象を“故意に”発生させてはセルフェイス財団のグリーンゴッド試験施設を破壊していた。
物腰柔らかく、物静かで虫一匹殺せそうにない彼女がそのような蛮行に及んでいた理由。
それは間違いなく“グリーンゴッドが大地にもたらす深刻な影響”に気付いていたからであり、そのようなものの使用を続けるセルフェイス財団に怒りを抱いていたからである。
ダンジネス国立自然保護区。
有名な野鳥観察スポットでもあり、春になればカメラを持参した愛好家たちで賑わう場所でもあるが、実際は名前の印象から受けるイメージとは異なる荒廃した荒野である。
自然保護区の端には、人の作り出した叡智たる原子力発電所が建ち、巨大な姿が見るものを圧倒する送電塔が規則正しく立ち並ぶ。
セルフェイス財団は冷たい鋼鉄の発電所からそう遠くない場所に、グリーンゴッドを試験運用する為の物々しい施設を建設した。
試験運用施設の周囲一帯は送電塔と同じく、冷たい印象を与える鉄のフェンスで囲まれており、それは荒れた大地の中で、近付く全てのものを拒絶するかのような威圧感を放っている。
元を正せば、そのような鉄のフェンスは存在しなかったのだが、ある時から研究の機密性を担保するということで追加建設されたのだ。
……まぁ、彼らが試験運用の中でグリーンゴッドの持つ悪魔的な効果に気付いてしまったのだから仕方ないことだろう。
気付いたからこそ、外部にそれを悟られまいと必死だったのだ。
グリーンゴッドは荒廃した大地に文字通り“新緑を蘇らせる”効果を持つ。
栄養も失われた土地、即ち砂漠のような土地に緑が発生すると考えれば、その超常的な効果の高さは誰もが理解の及ぶことだろう。
砂漠一面に花が咲き誇るといえば〈スーパー・ブルーム〉と呼ばれる自然現象があるが、グリーンゴッドのもたらす効能はそれを遥かに凌駕するものである。
ただし、蘇らせるという言葉は多少語弊があるかもしれない。いや、語弊どころの話ではない。何もかもが違う。
あれは〈新緑を蘇らせる〉などという大層な代物ではない。大地を殺し、偽りの幻想を映し出す虚構に過ぎないのだ。
突き詰めていくと、“元から存在していたものを殺し尽くし、何もなくなった場所に本来は存在しないものを映し出す”という薬品がグリーンゴッドの正体である。
土地を殺し、死んだ土地の上に死んだ草木を乗せただけ。
唯一、そこに真実性を見出すのであれば、“映し出された虚構は現実の物質と同様に機能する”ということくらいだろうか。
グリーンゴッドの力で生成された草木や果実は、成長することや枯れることがないことを除けば、基本的に本物の植物と同様に機能する。
ただし、創造された花草樹や果実は食した野生の動物たちの神経を急速に破壊する猛毒となり、症状が現れなかったとしても、ウイルスベクターによって次世代に遺伝し、子孫へ奇形や神経障害を引き起こすという猛威を振り撒く。
元々、合成薬物グレイはグリーンゴッドの生成過程で生み出された産物であるのだから、元となったグリーンゴッドがグレイの悪性作用を保持しているのは道理だ。
さらに、散布された土地に雨が降り、薬液が土壌を侵食していけば、汚染された土地が本来自然的に持つ機能も永劫的に破壊される。
これを繰り返し、長い年月をかけて薬品の成分が海にまで辿り着けば当然海洋も汚染される。汚染された海のプランクトンや海藻を魚介類が摂取した上で、さらにそれを人間が摂取すれば、ウイルスベクターは人間の遺伝子にも悪影響を与え、合成薬物グレイが人にもたらしたような効果を引き起こしていくこととなる。
ただ撒くだけで連鎖的かつ効率的に人類殲滅が出来るという優れものだ。
グレイ同様、そもそもこの世に存在し得なかった薬品であるグリーンゴッドの解毒方法はもちろん、〈存在しない〉。
一度汚染された土地や海水を浄化することは不可能である。-ただし、汚染された土地そのものの存在をなかったことにしてしまえば話は別となる-
世界を新緑で覆う夢の薬と謳われたが、その夢とは人類にとっての夢ではなく、私達グラン・エトルアリアス共和国に属する者達の悲願であった。
人類が夢に見、希望を抱いた薬品はその実、数十年、数百年をかけて自然から野生動物、人間を少しずつ殺していく悪魔の薬品だったということだ。
アルビジアはグリーンゴッドの持つこうした毒性を全て見抜いたことで、実験を中止することなく継続し続けた財団に対して強い怒りを覚えていたのだろう。
彼女は、言葉ではなく力で彼らを止めようとした。薬剤の土壌汚染を食い止める為には1秒でも早い方が良いからだ。誰よりも自然を愛していた彼女らしい振る舞いである。
そうして迎えた4月21日の夜。彼女は自身の持つ強大な力を持ってセルフェイス財団のグリーンゴッド試験運用特別管理区域を跡形も無く破壊し尽くした。
彼女の操る風、ダストデビルは竜巻に匹敵する規模の猛威を生み出すことが出来る。
しかもただの竜巻ではなく、触れたもの全てを粉々に切り刻むかまいたちの刃付きだ。
生み出された鋭利な風の刃は、どれほど分厚い鋼鉄すらも綺麗に真っ二つに切断するほどの威力を持つ。
この力を以って、彼女は財団の管理区域と管理塔を粉々に粉砕したのだ。
上辺だけで見れば彼女らしい行いではないが、根の性格を知っていれば実に“らしい”ともいえる行動を彼女が取ったあの日。アルビジアが財団の管理区域を破壊したあの夜に、私は面白半分で彼女と直接言葉を交わしに行った。
久しぶりの再会のお祝いも兼ねつつ、茶化しに行ったのだが、その際に言われたことは今でも覚えている。
彼女は自分に対し、『どうしてこのようなことをしたのか』と尋ねてきた。もちろん、どうしてグリーンゴッドのような薬品を彼らを騙すような形で渡し、撒き散らさせたのかということだ。
怒りで荒ぶっていても聡明な彼女らしい堅実な質問だ。
なるほど、何もかもお見通しというわけ……。
彼女の問いに私は答えた。
『アルビジア、もしかして私に人の心を説いてるぅ?そういうお説教は、めっ!なんだよ?貴女は知っているでしょう?
私が法であり、法は私が敷くもの。レイ・アブソルータ。〈絶対の法〉たる私の行いに“どうしてもこうしてもない”ってこと。
自然や人がどうなろうとも知ったことではないし、私は私の楽しみが得られたらそれで満足なんだから☆』
嘲笑の笑みで言った私の返事に対し、彼女は悲しそうではあるが怒りに燃える瞳でこう言った。
『可哀そうな子。責務や使命に囚われて全てを見失ってしまった。貴女の心だけを守り、周囲全ての秩序を乱すだけの法に意味などあるのかしら?』
痛いところを突く。
本来の法とは、定められたものを個々人が守ることで周囲全体の秩序を保つためのものを言う。翻って私の法とは、私が定めたものに周囲を従わせることで“私の秩序-心-を保つためのもの”を指している。
あぁ、そうだ。そんなことは分かっている。
言いたかったが堪えた。別に彼女のことを嫌っているわけではない。彼女と対立することが目的なわけでもないし、そういう関係になりたいと望んでいるわけでもない。
受け入れられるとは最初から考えてなかったが、それ以上に火に油を注いで、良くも悪くもない関係が根こそぎ破綻するようなことは避けたいと思った。
それに、20パーセントの力しか出せない状況でまともに相対したところで、自分に出来ることも多くあるわけではない。
私は彼女から目を逸らし、伝えるべきことを伝えた後に身を退き、その場から立ち去った。
計画そのものも実に順調で、確実且つ順調に“グリーンゴッドの運用試験とデータ収集”というアビガイルに求められた依頼は遂行しているのだ。
危険な橋を自ら渡るなどという愚行は避けるに越したことは無い。
それにしても、だ。彼女はきっと内心でこう思っていたことだろう。
【どうしてセルフェイス財団はこの後に及ぶまで計画を中止しなかったのか】と。
アルビジアは何も警告も無しに突然管理区域の全てを破壊し尽くしたわけではない。
彼女は2037年の年明け以後から継続して施設に対し、監視ドローンのみを塵旋風によって破壊するという“小さな攻撃”を繰り返しており、即座に施設の放棄と実験の停止をしろという無言のメッセージを財団へ送っていたのだ。
もちろん、財団は彼女の存在こそ知らなくとも、頻繁に起きるダストデビルに秘められた意図やメッセージには気付いていた。気付いていながら完全に黙殺していたのである。
彼女が考えたであろう疑問に対する回答はこうだ。
現代に顕現して日の浅い彼女には想像ができなかったに違いないが、この理由に関してはセルフェイス財団と世界各国や協力団体が結んだ国際的な契約が深く関わっていたのである。
当時、セルフェイス財団が発表した夢の農業薬品であるグリーンゴッドは、全世界の特別な試験場や自然環境の中で効能試験が順次実施されるという手筈となっていた。
つまり、彼らがグリーンゴッドの危険性に気付いた時には、既にその試験運用は歯止めが効かない段階まで準備が進められ整えられていた為に、薬品の危険性を事由として中止を申し出ればセルフェイス財団に対する責任問題は免れない所まできていたのである。
仮に実験中止となれば、各国や機関が被る被害に対する莫大な損害賠償問題が出て来るし、何よりも国際的な信用が失墜するだろうことは火を見るよりも明らかだった。
さらに、セルフェイス財団に全面協力をする形で世界に対して薬品を喧伝し、世界各地で試験運用が行われる為の手筈を整える手助けを行った英国国家の威信まで失墜させる危険性もあったのだ。
もはや自分達だけでなんとかなる問題では済まない以上、迂闊なことをするわけにもいかない。引き返すに引き返せないという状況の中、ラーニーは強い葛藤を抱えながらも実験を強行するより道が無かったのである。
アルビジアが抱いたであろう疑問に対する答えはこのようなものだが、彼女が施設を完全に破壊してくれたことでラーニーの葛藤は幾分か軽減されることになった。
自然災害によって施設を失った財団にとっては、ダンジネス国立自然保護区での実験に関して〈自らの過失を申告することなく実験中止を申し出る絶好の機会〉となったからだ。言い訳を広げれば世界中で進行している実験だって中止に持ち込むことだって出来たはずである。
しかし、奇跡のような絶好の機会は、同時に財団にとってそれとは別の葛藤をもたらすことに繋がった。
自らがイングランドへ招いた、世界特殊事象研究機構の調査チームの存在によって。
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